“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”地つ巻 第二十三帖 Kellyさん的解釈



 今回も、地つ巻 第二十三帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

この神示 心で読みて呉れよ、九エたして読みて呉れよ、病も直るぞ、草木もこの神示よみてやれば花咲くのざぞ。
この道広めるには教会のやうなものつとめて呉れるなよ、まとゐを作りて呉れるなよ。
心から心、声から声、身体(からだ)から身体へと広めて呉れよ、
世界中の臣民みなこの方の民ざから、早う伝へて呉れよ。
神も人も一つであるぞ、考へてゐては何も出来ないぞ、考へないで思ふ通りにやるのが神のやり方ぞ、考へは人の迷ひざぞ、今の臣民 身魂くもりてゐるから考へねばならぬが、考へればいよいよと曇りたものになる道理分らぬか。
一九(ひく)れを気つけて呉れよ、日暮れよくなるぞ、日暮れに始めたことは何でも成就するやうになるのざぞ、
一九(ひく)れを日の暮れとばかり思うてゐると、臣民の狭い心で取りてゐると間違ぶぞ。 のくれのことを申すのざぞ。
九月の二十八日、ひつ九のか三。


 まず、冒頭の文。

“この神示 心で読みて呉れよ、九エたして読みて呉れよ、病も直るぞ、草木もこの神示よみてやれば花咲くのざぞ。
この道広めるには教会のやうなものつとめて呉れるなよ、まとゐを作りて呉れるなよ。”

この文の中の“九エたして読みて呉れ”、これは“日月神示”表記の ○ 九 十 の解釈が出来ていないと理解できんと思う。 
○ 九 十(まこと)の解字 

 ほんでからこの“九エ”は、九重(ここのえ、きゅうちょう)を揶揄(やゆ)した言い回しだと思える。 九重っていうのんは、いくえにも重なった様子とか、宮中っていう意味がある。 
 さらに、古神道の太祝詞(ふとのりと)のヒフミヨイムナヤコト=一二三四五六七八九十、この一から十までもそれぞれ意味があり(略してヒトっていう意味でもあり)、それは“日月神示”解釈を始める前に漢数字の解釈をした。
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって…考えた事。参照)
 ほんでから ○ 九 十の“九”は、画像で示したとおり、“一”=智性=1番目のオーラ+丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)+乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)という解釈をしてきているし、この文の“九エ”の“エ”は、1番目、2番目、3番目のオーラの、2番目と3番目のオーラを縦の磁性(|(たてぼう、こん、))でつないだ様子に見えるし、それは、靈っていう字の下の部分に相当する。
靈の解字

 そやから“九エ”は、“創造”の“主(ヌシ)”の最後の生命の“創造”としての“九”、それと、人が独り神(ひとりがみ、日取り神)になる必須条件としての自我の確立と固定化(自分と自分以外の認識をするため)、そのことを指し示す表記であり、また、“九エ”ここのえは、一から九までが積み重なったという意味もあると思う。
 一から九までの意味は、さっき紹介した、
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって…考えた事。を、参照のこと。
 今述べたことを踏まえこの文を解釈すれば“この神示 心で読みて呉れよ、九エたして読みて呉れよ、”の、“心で読みてくれ”は、読みながら“上”と感応共振して、自分の思想にしてくれって事。
そして“九エたして”は、今述べたとおり、“創造”の“主(ヌシ)”の最後の生命の“創造”である“九”を自分が良く知り、認識し、それを自分の自我に取り込み、自分の思想と行動に活かす=“思惑の顕現”=現象化をしてくれってことでんねん。
 そしてそうなれば“病も直るぞ、草木もこの神示よみてやれば花咲くのざぞ。”って言われ、ちょっと揶揄(やゆ)した言い方にも聞こえるけど、“草木”が、“草”は、艸部(そうぶ)艹、クサカンムリ(芽生えるの意味)と、太陽を示す“日”と胸の磁性“十”、それと“木”は、胸の磁性“十”と丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)、この二つの字が使ってあるからこそ、太陽で自省(胸の磁性“十”)の心を増していく=“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことで、自我より“上”の心(靈)の発現=霊的成長する事を示しているとも思われる。
 そやからそれは“青人草”(あおひとくさ)って事を前に解釈して、そのときに草の意味を説明したから、その画像を以下に示しておきまんねん。
“青人草”(あおひとくさ)の解字


 ほんでから“この道広めるには教会のやうなものつとめて呉れるなよ、まとゐを作りて呉れるなよ。”っていうのは、あえて解釈はいらへんと思うけど、霊的成長は個人的な作業であり、“行”も一人で苦に耐えることであり、認識を獲得するのも自分にしかえられないものであり、何とか教団とか何とか宗教みたいに集団を作れば自我の肥大した自己奉仕者が権力を示して、金儲けの団体にしてしまったりするし、それは霊的成長と反対の方向性であるからこそ“日月神示”では“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)って言い表されていると思うし、この文の“まとゐを作りて呉れるなよ”は、自分が目立って、権力を誇示したり自分だけ認めてくれっていう心(靈)の動きを持つなよって事だと思える。
 参考のために“まとゐ”、まとい、纏のことをWikipediaから以下に引用しまんねん。

纏(まとい)とは、江戸時代に町火消が用いた、自分たちの組であることを示すもの。纏は各組により様々な意匠が凝らしてある。 概ね、上部に組を表す頭があり、馬簾と呼ばれる房飾りがついている。 下部は木の棒になっていて手に持って使う。

そやから“教会のようなものつとめてくれるな”“まとゐを作りて呉れるな”こんなもんで自分たちのことを目立たせようとしている心(靈)の動きは、“役員づら”にもなるし、またそれは、低い功名心と低い自尊心由来の行動でもあるし、言い換えれば目下(めした)(動物の心(靈)の段階)の心(靈)=ディスプレイ(動物の発情行動)をしててはアカンってことでんねん。

ほんでから次の文。

“心から心、声から声、身体(からだ)から身体へと広めて呉れよ、
世界中の臣民みなこの方の民ざから、早う伝へて呉れよ。
神も人も一つであるぞ、考へてゐては何も出来ないぞ、考へないで思ふ通りにやるのが神のやり方ぞ、考へは人の迷ひざぞ、今の臣民 身魂くもりてゐるから考へねばならぬが、考へればいよいよと曇りたものになる道理分らぬか。”
 
 心、声、身体、それぞれ振動の程度は違うけど、善なら“善(神格化の方向性と智性の受信)”、悪なら“悪(心の動きの本能化と低振動化)”、それぞれの思惑は伝わるもんや。
 そやからそれはどんな息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)をせんならんのかって事を思い起こさせる文章でもあるけれど、神の思惑の顕現が生命(生きる使命=存在理由)であり、生命の最後の段階が人=丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)であり、それは古神道の表記ならば、“上”からの荷電粒子を止めるという意味での“日止、霊止”ってことになるし、それがまた、“日月神示”表記の ○ 九 十 でもある。 そやから、“世界中の臣民みなこの方の民ざから、早う伝へて呉れ”って言うのんは、“日月神示”に書かれている“善(神格化の方向性と智性の受信)”をよく認識して、自分たちの思惑にして、そして行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)するのが、神の望む事象であり、自分たちにとっては“うれしうれし”“大歓喜”の事象って事にもなるけれど、自己奉仕者が自分たちの利益のために低い認識の情報を流したり、“日月神示”そのものを引用しただけの本を売ったりして貴いものを腐らせている。 それは何回も言うけれど“役員づら”であるし、役員と故障されるべき霊的資格を持っていない。当たり前や。大して“行”してへんのやから“上”から通信を受けるわけがない。 
そやから今、低すぎる認識が多く、そんなもんに惑わされるからそれは“考へてゐては何も出来ないぞ”“考へは人の迷ひざぞ、今の臣民 身魂くもりてゐるから考へねばならぬが、考へればいよいよと曇りたものになる道理分らぬか”って言われてて、ただ“上”を信じ、“上”に任せ、自分は自分の心の中の“善(神格化の方向性と智性の受信)”を見出し=天の御目(あめのおめ)の構築をして、ますます“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化して、“上”の思惑を取り込み、“天詞様”と認められるべき存在となるのが、“日止、霊止”の使命やろ。
 その意味で“神も人も一つであるぞ”って言われてると思えるな。

 ほんでから次の文。

“一九(ひく)れを気つけて呉れよ、日暮れよくなるぞ、日暮れに始めたことは何でも成就するやうになるのざぞ、
一九(ひく)れを日の暮れとばかり思うてゐると、臣民の狭い心で取りてゐると間違ぶぞ。ローレンツ力と ○  のくれのことを申すのざぞ。”

 この文の“一”と“九”を使った言い回しの“一九(ひく)れ”は、やはり生命の最後の段階、智性(“一”、1番目のオーラ)の発現の事でもあるし、そして“九”は、さっきも述べたけど、“九”(“一”=智性=1番目のオーラ+丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)+乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現))でもある。
 そして、また重複するけど、○ 九 十 の、“九”でもある。 
 要は、“創造”の“主(ヌシ)”の“創造”の最後の段階って事であって、だから“日の暮れ”って言い回しがされてて、古神道の表記である“日止、霊止”のうちの、日を止める、の、完成形が“一九(ひく)れ”でもあるし、“日暮れ”でもあるやろ。 
そやから単なる夕方と間違えたらアカンっていう意味で“一九(ひく)れを日の暮れとばかり思うてゐると、臣民の狭い心で取りてゐると間違ぶぞ”って言われてて、そして“日止、霊止”の完成に至る“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)は、  ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド) 霊=○、荷電粒子の場(フィールド)とローレンツ力 ローレンツ力、その両者が満ち満ちてこそ発振、発信されるオーラは大きくなり、神の思惑を取り込めば高振動化して、そのオーラの相互干渉で事象の創造をしていく=荷電粒子の集合体である心(靈)ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)が感じ(感じる磁性)る、言い換えればそれは、すべての生命が行うことの“観察と認識”であり、だからこそそれは、現津(あきつ)、観察され得る事象の“創造”ってことにもなる。
そやからそれはさっきの文と前後するけど“心から心、声から声、身体(からだ)から身体へと広めて呉れ”って言われてるし、だからこそ  ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)霊=○、荷電粒子の場(フィールド)と、ローレンツ力 ローレンツ力 =“上”に向かう心の動きって思ったらいいし、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の仕組みは、|(たてぼう、こん、縦の磁性))によるローレンツ力ローレンツ力 で、“上”からの荷電粒子を一個体の肉体に止めてきたからこそ、生命は神格化の道を歩んでいる。
その意味のことが述べられている文であると思える。

今回はこれくらいにしときまんねん。

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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
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