“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”地つ巻 第三十五帖 Kellyさん的解釈



 今回も、地つ巻 第三十五帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

日本の国はこの方の肉体であるぞ。国土おろがめと申してあらうがな、日本は国が小さいから一握りに握りつぶして喰ふ積りで攻めて来てゐるなれど、この小さい国が、のどにつかえて何うにも苦しくて勘忍して呉れといふやうに、とことんの時になりたら改心せねばならんことになるのぞ。
外国人もみな神の子ざから、一人残らずに助けたいのがこの方の願ひと申してあらうがな、今に日本の国の光出るぞ、その時になりて改心出来て居らぬと臣民は苦しくて日本のお土の上に居れんやうになるのぞ、南の島に埋めてある宝を御用に使ふ時近づいたぞ。
お土の上り下りある時近づいたぞ。
人の手柄で栄耀してゐる臣民、もはや借銭済(な)しの時となりたのぞ、改心第一ぞ。
世界に変りたことは皆この方の仕組のふしぶしざから、身魂みがいたら分るから、早う身魂みがいて下されよ。
身魂みがくにはまつりせねばならんぞ、まつりはまつらふことぞと申して説いてきかすと、神祭りはしないでゐる臣民居るが、神祭り元ぞ、神迎えねばならんぞ、とりちがへと天狗が一番恐いのざぞ、千匁(せんじん)の谷へポンと落ちるぞ。
神の規則は恐いぞ、隠し立ては出来んぞ、何もかも帳面にしるしてあるのざぞ、
神の国に借銭ある臣民はどんなえらい人でも、それだけに苦しむぞ、家は家の、国は国の借銭済(な)しがはじまってゐるのぞ、済(す)ましたら気楽な世になるのぞ、世界の大晦日(おおみそか)ぞ、みそかは闇ときまってゐるであらうがな。
借銭(かり)返すときつらいなれど、返したあとの晴れた気持よいであらうが、昔からの借銭ざから、素直に苦しみこらへて神の申すこと、さすことに従って、日本は日本のやり方に返して呉れよ、番頭どの、下にゐる臣民どの、国々の守護神どの、外国の神々さま、人民どの、仏教徒もキリスト教徒もすべての徒もみな聞いて呉れよ、その国その民のやり方伝へてあらうがな、九十に気つけて用意して呉れよ。
十月十日、ひつ九のか三。

冒頭の文に“日本”“国”って表記が出てくるけど、これを縄張り意識(進化程度の低い心、自我の確立=固定化の進化の段階の地球人の認識)においての国って解釈をすると、この文は読み解けんと思う。 それを踏まえて解釈しまんねん。

“日本の国はこの方の肉体であるぞ。国土おろがめと申してあらうがな、日本は国が小さいから一握りに握りつぶして喰ふ積りで攻めて来てゐるなれど、この小さい国が、のどにつかえて何うにも苦しくて勘忍して呉れといふやうに、とことんの時になりたら改心せねばならんことになるのぞ。”

 “日本の国はこの方の肉体である”っていうのは、“この方”=“上”、あるいは、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振をする人、それは“日月神示”表記なら“天詞様”、その意味のことを述べていると思う。 
そやからそれは、“この方の肉体”は、高い存在との感応共振を指し示す意味での依り代(よりしろ)ってことだと思える。 
補足として、依り代(よりしろ)について、Wikipediaから引用しまんねん。

“依り代、依代、憑り代、憑代(よりしろ)とは、神霊が依り憑く(よりつく)対象物のことで、神体や場合によっては神域をしめす。
日本の古神道の由来の民間信仰・神道の根底には、自然崇拝の考え方があり、あらゆる物に神・精霊や魂などの霊的存在が宿ると考えるアニミズムの要素があった。その意味では、「森羅万象が依り代となり、その始まりは磐座・神籬信仰ともいわれ、自然に存在し人間が恩恵を受ける太陽(お日様)、山河、森林、海などが崇拝の対象となり、身近なものとして巨石・岩や大木が祀られ、その依り代の証しとして、現在も注連縄が飾られる。 また、日本の神として古事記や日本書紀にある人格神(人の形や人として捉えられる神)を崇拝する場合にも、根底に同じ考え方があり、所縁のある物や象徴する物などに内在している、あるいは、それらに依り憑いて具象化することで力を及ぼすと考えられたようである。太陽神(お日様・日輪)にとっての太陽(日)やそれを象徴する鏡などが依り代にあたる。
 依り代という明確な呼ばれ方はしないが、「言霊」や「息吹」といった表現には、人の思いや生きている事の態様にも、魂や神が宿ると考えていることの現れである”(引用ここまで)

 ほんでから“この方の肉体”=依り代(よりしろ)は、“日本の国”って言葉にかかっている。 そして“日本の国”の“国”は、(囗)くにがまえと“玉(ぎょく)”で、“玉(ぎょく)”は自省(胸の磁性“十”)の心(靈)の動きを示しており、これは今までも述べてきたとおり神格化への心(靈)の動き。 
そやから“国”って表記は、“上”に向かう心(靈)っていう意味って言い換えてもいい。
ほんでから“日本の国”の“日本の”っていうのは、“日”は“創造”の“主(ヌシ)”の思惑の仲介者である太陽、“本”は、人の在るべき心の姿勢、胸の磁性“十”と丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)、そしてこの字の下にある“一”は、物後の根本、本質っていう意味がある。
そやから“日本の国”を要約すれば、進化=霊的成長、神格化に向かうことを意識し、それを実践する、それは高い“思惑の顕現”=現象化をする心(靈)ってことになる。 
そやからこそこの文の“国土おろがめと申してあらうがな”は、“上”に向かう心(靈)と、“土”=肉体のこと、そして“土”は完成された人の表記である“王”から“一”=智性=1番目のオーラをはずした表記で、2~3番目のオーラのことでもある。 そやから“おろがめ”の意味は、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)が可能な心(靈)の姿勢と肉体の条件を指し示した言い回しで、それは、“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化と、自己観察して心(靈)の“上”“下”を見出す意味の、“身魂掃除”“身魂洗濯”。
そして今述べた“身魂掃除”“身魂洗濯”のことを、以下の文“日本は国が小さいから一握りに握りつぶして喰ふ積りで攻めて来てゐるなれど、この小さい国が、のどにつかえて何うにも苦しくて勘忍して呉れといふやうに、とことんの時になりたら改心せねばならんことになるのぞ”のうちの、“日本は国が小さい”と“小さい国”と揶揄(やゆ)され、それは“上”に向かう心(靈)は、自我の肥大(自己奉仕者の心(靈))に隠れてしまっている。 だから自分たちは内在する“悪(心の動きの本能化と低振動化)”を見出せないし、“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)の基準は、人によって違う=霊的成長度によって違うから“絶対の善”を顕現できない。 そして、今の世界は、自分たちの進化(霊的成長、神格化に向かうこと)程度に応じた“善(神格化の方向性と智性の受信)”の認識を行使していないからこそ、この世界は腐っているのだけれど、大概の人はそんな事をまったく意識していないし、目先の事しか分からないし、分かろうとしない。 それは自省(胸の磁性“十”)の心(靈)と智性(“一”、1番目のオーラ)があまり無いからでもあり、だからこそ“日本は国が小さい”と“小さい国”なんて言われている。 そして霊的成長の順番として、自我から“慈悲”と“慈愛”にいたるため、左往右往するため、自我の肥大した人は、自省(胸の磁性“十”)を促す事象が現象化するであろうことを、“この小さい国が、のどにつかえて何うにも苦しくて勘忍して呉れといふやうに、とことんの時になりたら改心せねばならんことになる”と言われている。 
そしてこの言い回しは、今後=アセンション後は、相対的に高い“善(神格化の方向性と智性の受信)”の認識を持った人が、行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)し、事象の“創造”をするからでもある。 だから“のどにつかえて何うにも苦しくて勘忍して呉れ”は、自己奉仕者の心(靈)が自省する様子でもある。 

次の文。

“外国人もみな神の子ざから、一人残らずに助けたいのがこの方の願ひと申してあらうがな、今に日本の国の光出るぞ、その時になりて改心出来て居らぬと臣民は苦しくて日本のお土の上に居れんやうになるのぞ、南の島に埋めてある宝を御用に使ふ時近づいたぞ。”

 この文の“外国人”も、縄張り意識(進化程度の低い心、自我の確立=固定化の進化の段階の地球人の認識)においての外国ではなく、外側(外国と幽界)の事象っていう意味だと思う。 それは自分の心(靈)が観察して認識する自分の内側と外側のことでもあるし、ことに物質世界の事象は、腹のエネルギー、下三つのチャクラで“創造”することを述べてきているけど、今の世界、この腐った事象は、自己奉仕者の自我の肥大による“創造”であり、しかしその腐った事象でさえ下三つのチャクラによるものであり、チャクラ(荷電粒子の回転を示す)は、“上”からの荷電粒子との反応(肉体が縦の磁性を持つから)ていう要素もある。 
要は、チャクラは下から上に発現し、発達し、覚醒するけど、それは心(靈)の発現の順番(目下(めした)から目上(めうえ))の、本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動でもある。 
だからこの文の冒頭の“外国人もみな神の子ざから、一人残らずに助けたいのがこの方の願ひと申してあらう”の意味は、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の進化過程は、心(靈)の発現と動きが自我中心、自我しかないみたいなものだけれども、これも進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の順番って意味を示唆し、“今に日本の国の光出る”は、“日本の国”については先ほど説明したとおり、“上”に向かう心(靈)、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を意識して“業行”(生業(なりわい)と“行”)する人(日止、霊止)っていう言い回しがエエかもしれんし、“国の光出る”は、智性(“一”、1番目のオーラ)由来の、“慈悲”と“慈愛”由来の心(靈)=“国”の動き、それは“上”からの荷電粒子=普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)と反応し、それを心(靈)に取り込み、思想にし=“畐”(ふく)、そして息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)=発振、発信する。
それは相対的に高い振動であるからこそ、光と認識されうる(このことについては、太陽凝視を行っている鍼灸師の話<3>神格化のプロセス 目上(めうえ)と目下(めした) の、238ページからの文章を読んでもらって、その意味を感じ取ってくださいでんねん)。
 要は、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”は、早く“改心”するべきってことを述べているのだけれど、そのことを強調する言い回しが“その時になりて改心出来て居らぬと臣民は苦しくて日本のお土の上に居れんやうになるのぞ”であり、この文の中の言い回しの“日本のお土の上”は、“土”は肉体の意味だし、依り代(よりしろ)でもあるから、自我の肥大の心(靈)のままでは“日本のお土の上に居れんやうになる”ってことでもある。
そして、現状の地球人の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)過程は、自我から“慈悲”と“慈愛”、これは日足(ひたり)回転でもあるし、自省(胸の磁性“十”)の心(靈)でもある。
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の回転と“善(神格化の方向性と智性の受信)”の回転


 さらに人(日止、霊止)が“上”の心(靈)を発現するには、“一”=智性=1番目のオーラが大きくなることと同義でもある。 そして“一二三”のオーラは、腹、胸、頭、それぞれがコンデンサーの構造を持ち、その三つのコンデンサーに対し、縦の磁束が貫いている。 それが脊椎動物の肉体に共通することでもあるし、3番目のオーラを構成する下三つのチャクラのエネルギーは、日足(ひたり)回転により=自分を省みて“慈悲(いつくしむ、かなしむ、心(靈)が(非)いたむ)”“慈愛(いつくしみ、いつくしむ)”という心(靈)を発現し、そして智性(“一”、1番目のオーラ)となっていく。
 その下三つのチャクラ(荷電粒子の回転を示す)=ムラダーラチャクラ、スワディスターナチャクラ、マニピューラチャクラのことを、縦の磁束の極性であるS極という意味で“南の島に埋めてある宝を御用に使ふ時近づいたぞ”と言われており、“南の島”は、腹の場(フィールド)、同様の意味。 同様の事として“日月神示”には“フンドシ”(腹における水平磁場と縦の磁束)って表記も使われている。 そして下のエネルギーは、“宝玉の仕組み”で、“慈悲”と“慈愛”と智性(神性)となるのが神格化のプロセスでもある。 そしてこれも前に説明したと思うけど、宝は、真に価値のある宝=體(体の旧字、骨が豊か、そして、宝(たから)のアナグラム)であり、宀(うかんむり、頭の意味)と“玉(ぎょく)”でもある。

 次の文。

“お土の上り下りある時近づいたぞ。
人の手柄で栄耀してゐる臣民、もはや借銭済(な)しの時となりたのぞ、改心第一ぞ。
世界に変りたことは皆この方の仕組のふしぶしざから、身魂みがいたら分るから、早う身魂みがいて下されよ。
身魂みがくにはまつりせねばならんぞ、まつりはまつらふことぞと申して説いてきかすと、神祭りはしないでゐる臣民居るが、神祭り元ぞ、神迎えねばならんぞ、とりちがへと天狗が一番恐いのざぞ、千匁(せんじん)の谷へポンと落ちるぞ。”

 この文の冒頭の“お土の上り下り”は、土=肉体のエネルギーの昇華と、事象に神聖な思想を顕現するために、智性(“一”、1番目のオーラ)で下のエネルギーを支配する事を指す。 その意味で“人の手柄で栄耀してゐる臣民、もはや借銭済(な)しの時となりたのぞ、改心第一ぞ”は、自己奉仕者の行いは、欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとかで自分の欲望を満たすことをしているし、○○○大先生的にとても印象に残っている不快なこととしては、ある有名な人がのたまわった“麗しき誤解の中で、人のふんどしで相撲をとる”…最小のエネルギーの行使で、多くの人に妄想と、勘違いと、思い込みを起こさせて自分だけが儲け、自分だけの“力”のように振舞う。 またこんな人が成功者だと思われているのがこの腐った事象でもある。 
げっそりでんねん。 
そやから自分が“業行”(生業(なりわい)と“行”)しているならそれは、正当な報酬は“上”から約束されているものであり、掠め取ったり誤魔化したりして自分の利益にしているのも、低い愛(炁)の顕現でもあるけれど、そのことを地つ巻 第三十五帖では“借銭”って言われている。
(“日月神示”表記の“借銭”は、恨みの連鎖の霊的干渉により背負った因縁の意味もある)
何回も述べているとおり、今後=アセンション後は、相対的に進化(霊的成長、神格化に向かうこと)した事象になるから、自己奉仕者の心(靈)の動きは許されず、自分がエネルギーを自分の心(靈)の中の認識の“善(神格化の方向性と智性の受信)”において、贖う(あがなう)ことをすれば、神に認められた報酬が得られるのは当たり前であり、その事象にはもう、恨みの連鎖の霊的干渉を生み出す要因が無いし、恨みの連鎖の霊的干渉を作ってしまう自己奉仕者は、アセンション後の“創造”を託されないものでもある。 そして今、自己奉仕者の自省(胸の磁性“十”)を促すことはたくさん起きている。 
それが“世界に変りたことは皆この方の仕組”で、この文に続く“身魂みがいたら分るから、早う身魂みがいて下されよ。身魂みがくにはまつりせねばならんぞ”であり、この文の“まつり”は、“上”との感応共振、それは、祭り、祀り、政治の政、“政(まつりごと)”でもある。 
さらに“上”の思惑を自分の思想に取り込むには、“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化をしなければならないが、宗教が腐り、一般の“行”の概念、社会通念としての“行”はとんでもなく低いものになっている。 ありがとうと述べること、毎日を感謝していきましょうとか、そんな程度の事を感謝行と称している程度の低い人もいるし、この事象に本当に感謝を感じるのなら、現状の恨みの連鎖の霊的干渉を少しでも軽減するように行動したらどうなのかって思うけど、そんな程度の低い人はほかっておいて、真の“行”の意味と意義と、“行”の意味を見出せない霊的成長度の低い心(靈)の人のことを、この文の” まつりはまつらふことぞと申して説いてきかすと、神祭りはしないでゐる臣民居るが、神祭り元ぞ、神迎えねばならんぞ、とりちがへと天狗が一番恐いのざぞ、千匁(せんじん)の谷へポンと落ちるぞ”って称されており、この文中の“神祭り”は、肉体に“上”がかかる意味の“祭り”に示されているとおり、下から上への“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化、それはチャクラの覚醒と同義でもあるけれど、今の地球人の“業行”(生業(なりわい)と“行”)は、下三つのチャクラの覚醒段階での“思惑の顕現”=現象化でもある。 だからこそ何回も重複して述べるけど、地球人の進化は自我から“慈悲”と“慈愛”、そして智性(“一”、1番目のオーラ)の発現になるのが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)として妥当な事。
そして自我の確立=固定化の進化過程の人がよく間違えるので“とりちがへと天狗が一番恐いのざぞ、千匁(せんじん)の谷へポンと落ちるぞ”って言われており、それは“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)でもあり、人の霊的成長のために“上”が示したローム太霊講話集や“日月神示”を低い解釈しかできず、ことに“日月神示”に関して霊的成長の秘密を読み解いている人はいないと思う。 程度の低い例を挙げれば、声を出して読めばよいとかなんていうのは“日月神示”表記にある言い回しだけれども、これが自分の心(靈)の発振、発信である事を読み取れば、“身魂掃除”“身魂洗濯”も“身魂磨き”も、“天詞様”などの言葉の意味を、真に知る事ができると思う。 
ちょっと話が横道にそれたけど、声を出して読むっていうことをそのまま馬鹿正直に解釈しているなら、そんな程度の事では、生体内電流の強化になりえない。 
そしてそんな程度に満足している心(靈)の動きは、当然、自我の肥大、この文の表記なら“とりちがへと天狗”であるから、“上”はかからないし、かかれない。 そして、その低い心(靈)と感応共振するのは、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)しか憑依しないから“千匁(せんじん)の谷へポンと落ちる”って言われている。

次の文。

“神の規則は恐いぞ、隠し立ては出来んぞ、何もかも帳面にしるしてあるのざぞ、
神の国に借銭ある臣民はどんなえらい人でも、それだけに苦しむぞ、家は家の、国は国の借銭済(な)しがはじまってゐるのぞ、済(す)ましたら気楽な世になるのぞ、世界の大晦日(おおみそか)ぞ、みそかは闇ときまってゐるであらうがな。”

 この文も自己奉仕者の心(靈)の動きを指摘しており、進化の法則、“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)、それは自我から“慈悲”と“慈愛”、そして智性(“一”、1番目のオーラ)の発現だからこそ、“神の規則”と称され、また“規則”と認識しうる心(靈)は、霊的進化した心(靈)って事でもある。 それは自己奉仕者が今、他者を欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとかしている事は、“隠し立ては出来んぞ、何もかも帳面にしるしてある”って称されており、いずれバレるから“神の国に借銭ある臣民はどんなえらい人でも、それだけに苦しむぞ”って言われている。 
そして“家は家の、国は国の借銭済(な)しがはじまってゐる”の、“家”は、宀(うかんむり、頭の意味)と豕部(しぶ)(家畜の意味)で、智性(“一”、1番目のオーラ)を持ち始めた動物=人間の意味、そして“国”は、先ほど述べたとおり。 だからこの“家は家の、国は国の”っていう表記は、体と心ってことであるし、心(靈)の動きは肉体を通じて“思惑の顕現”=現象化をする事も示しているのだけれど、低い心(靈)の動きは“借銭”だらけの事象を創造するし、自我から“慈悲”と“慈愛”、智性(“一”、1番目のオーラ)を顕現しようとする心(靈)は、“家は家の、国は国の借銭済(な)しがはじまってゐる”を、実現しようとする。 
そうなれば“済(す)ましたら気楽な世になる”ってことでもあるし、そこには自己奉仕者の行動、欺く、騙す、嘘をつく、奪うのない、“うれしうれし”“大歓喜”の事象になるっていうよりも、その世界を志していくのが“上”に向かう心(靈)=“国”で、だからこの文では、神性を顕現しようとする心(靈)の動きっていう意味で“神の国”って表記を使っていると思うし、今、腐った事象だからこそ、新年の夜明け前の意味で“世界の大晦日(おおみそか)ぞ、みそかは闇ときまってゐる”って言われている。

 次の文。

“借銭(かり)返すときつらいなれど、返したあとの晴れた気持よいであらうが、昔からの借銭ざから、素直に苦しみこらへて神の申すこと、さすことに従って、日本は日本のやり方に返して呉れよ、番頭どの、下にゐる臣民どの、国々の守護神どの、外国の神々さま、人民どの、仏教徒もキリスト教徒もすべての徒もみな聞いて呉れよ、その国その民のやり方伝へてあらうがな、九十に気つけて用意して呉れよ。”

 これも先の文と同様、“借銭”について述べているし、今後=アセンション後は、“借銭”の発生しない、誰も欺くことのない、騙すなんてありえない、嘘をつくこともない、奪うことも自分に許さないし、奪われる不安も無い事象になるからこそ“返したあとの晴れた気持よい”って言われてるけど、それまでが自省(胸の磁性“十”)の“行”だから“借銭(かり)返すときつらい”とも言われている。 当然でんねん。 
 そして“苦しみこらへて神の申すこと、さすことに従って”っていうのは、“上”の思惑を取り込んで自分の思想にして、自分の行動の基準にして事象の“創造”をせよってことでもあるし、その基準は、○○○大先生の言い回しなら“天の御目(あめのおめ)”ってこと。
 それを自分の観察の基準とし、行動の指標とする。 
人はそうなっていくのが、神の御目に適う(かなう)ってことでもあるやろ。 
そしてそれは霊的進化の道筋、“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)でもある。 
ほんでからそれは、それぞれ縄張り意識としての国の事情や、民族の事情ってもんがあるから“日本は日本のやり方に返して呉れよ、番頭どの、下にゐる臣民どの、国々の守護神どの、外国の神々さま、人民どの、仏教徒もキリスト教徒もすべての徒もみな聞いて呉れよ、その国その民のやり方伝へてあらうがな”っていわれているけれど、外人だろうが日本人だろうが人(日止、霊止)には違いない。そして人は“日止、霊止”になっていくのが、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)でもある。 それは人の完成の意味そのものでもあるし、だからこの地つ巻 三十五帖の最後で“九十に気つけて用意して呉れ”って言われており、この“九十”は、“日月神示”表記の ○ 九 十 のそれに相当する。 そやから何回も使っている ○ 九 十 の解字の画像を以下に示して、今回はこれくらいにしときまんねん。

○ 九 十(まこと)の解字

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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


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目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
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☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




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