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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”日月の巻 第五帖 Kellyさん的解釈



 今回も、日月の巻 第五帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

神の国には神も人も無いのざぞ。忠も孝もないのざぞ。
神は人であるぞ。山であるぞ。川であるぞ。
めである。野である。草である。木である。動物であるぞ。
為すこと皆忠となり孝とながれるのぞ。死も無く生も無いのぞ。神心あるのみぞ。
やがては降らん雨霰(あめあられ)、役員 気つけて呉れよ。神の用意は出来てゐるのざぞ。何事からでも早よう始めて呉れよ。神の心に叶ふものは どしどしとらち明くぞ。
十月二十一日、一二 ローレンツ力と ○

 冒頭に出てくる言葉の“神の国”は、やはり智性(神性)が発現した心(靈)。 決して右翼傾向の強い人が使う薄っぺらい言葉の“神国”ってことではない。 大体、今の日本人は、形骸の価値観(“石屋の仕組み”)に酔いしれてる人ばかりなので、とても“神国”の人間とはいえず、悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ、操り人形)でしかない。
ほんでから前にも述べたけど、領土に縄張りを主張するような心(靈)の進化過程、それは自国の利益しか考えない発想であるからこそ、それは、地球全体や、現津(あきつ)、観察され得る事象全体のよいカタチを考える発想ではない。 だからそれは、自我の肥大であり、その霊的成長度の認識が、縄張り意識(進化程度の低い心、自我の確立=固定化の進化の段階の地球人の認識)を持つものである…って、いきなり余談やった。
そしてこの第五帖に出てくる“忠”と”孝”、それは忠義の忠と親孝行の孝といえば分かりやすい。 またこの二つは、儒教では、徳目とされている。 
まあ、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心(靈)には、形骸の忠義と形骸の孝行しかないけれど、この二つは人の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)にとってはどちらも重要な事であり、それはまた、自分の心(靈)に(“誠”(言葉成る、意味は、自分が発振、発信した振動(言葉)が完成する)っていう字が含まれている)誠実さってことがないと、実践できない事でもある。
そやけど忠と考、それは他者に対することや外側(外国と幽界)の事象に対する事が多い。 
しかしこの文は“神の国には神も人も無いのざぞ。忠も孝もないのざぞ。”って言われているから、自分の内面とか内側(心の中と感じている事)におけることって思うし、それは、智性(神性)を得ようとする心(靈)の中、自分の心を自分で観るときには、自分自身を自分が観るのであるからこそ、神も人も無く、忠も考も関係がないってことだと思うし、ひたすら霊的成長を求める心の動きには、ただただ自分との戦いであるからこそ、外側(外国と幽界)の事象に対する忠と考などということは、考えないものでもあるし、これは形骸の“行”ごっこではなく、もうこのまま死ぬのではないかと思うくらいのぶっ倒れるほどの“行”をやった人間でないと理解できない事だと思う。
そして、その後の文で、“為すこと皆忠となり孝とながれるのぞ”って言われているのは、霊的成長して智性(神性)の発現した心(靈)=“神の国”が、天意を受信して(“天詞様”)その思想はまたこの文で“神心”っていわれていると思うし、そうなればそれは、誠実さを、外側(外国と幽界)の事象に顕すことが自然になるって言い回しだと思える。 そやからそれは、霊的成長した人は忠と考が本当に(まことに)行動に現れるっていう、至極当たり前のことやな。
ほんでからこの第五帖の“神は人であるぞ。”は、神の思惑を顕現する役目は人であり、人っていう字は丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)であるって解釈をしてきているし、そして天意(“上”からの荷電粒子)を受け、自分の身魂=肉体と心に止める意味の表記が“日止、霊止”でもある。
そして“山であるぞ。”は、山=目上(めうえ)の脳、“川であるぞ。”は、腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロンのこと。
“めである。”は、目が“神国”(智性(神性)が発現した心(靈))を高める器官である事を示すし、現津(あきつ)、観察され得る事象に対するもっとも高度な観察は、視覚によってなされるものでもあるという意味。 それは“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことは、日足と砌(ひたりとみぎり)の極性を持つ両眼で、“上”の思惑=太陽からの電磁波を食い、吸収して、そして両眼から視神経を流れる生体内電流は、脳内で電磁誘導を起こし、左右の大脳半球で水平磁場を構成して、その水平磁場と縦の磁束で、たんぱく質の高分子化を起こし、だからこそ長年の太陽凝視は、(腹のエネルギーの一部でもある)精液の減少ってことが診られ、それは脳内の高分子化したたんぱく質に変換されているものである(ヨガでいうところのオージャス)との私見を(○○○大先生自身が、自分の体験に基づいて)持っている。
だからこの文では、“山”“川”“め”って順番で述べられ、次に述べられている“野である。”については、以前画像を作ったから画像で意味を示す事とする。
野の解字 (富士の巻 十七帖)


そして次の“草である。”は、艸部(そうぶ)艹、クサカンムリ(芽生えるの意)と、太陽である“日”そして“十”(胸の磁性“十”、シンクロトロン放射)を示した表記である。このことも何回も述べてきたのであえて詳しく述べないことにする。  
ほんでから次の“木である。”は、胸の磁性“十”と丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)が重なった表記である。 
その次の“動物であるぞ。”は、人の肉体は、動物と共通であることを示すし、だから自我から“下”の心(靈)ばかりになると人は“ケダモノ”のような行動をとるものでもある。 
そしてそれは以前、下つ巻で何回か解釈した“家”の意味、それは宀(うかんむり、頭の意味)と豕(しぶ、ぶた、家畜の意味)智性(目上(めうえ)の脳の働き)を発現する人の(動物と共通する)肉体っていう意味だと思う。 しかし人間でも、所詮先祖は猿ってことで、自我の肥大した人に限りこのことを忘れているからこそ“動物”って表記が使われ、少し揶揄(やゆ)されている感があるな。
そして“為すこと皆忠となり孝とながれるのぞ。”は、先ほど解釈したとおり。 
次の“死も無く生も無いのぞ。神心あるのみぞ。”は、自分の内面とか内側(心の中と感じている事)のこと、意識は永遠の実在であり、それを観察している自分も永遠であるからこそ、生きる死ぬなんてことは(自分の内面とか内側(心の中と感じている事)において)、状態の変化でしかないってことを言っている。
ほんでから“やがては降らん雨霰(あめあられ)、役員 気つけて呉れよ。神の用意は出来てゐるのざぞ。”は、アセンションのことを言っている。 
あえて解釈する事でもないけれど、アセンション後に移行出来うる、次の段階の“創造”を担うことが神から認められる霊的成長度の人=“役員”に対して“気つけて呉れよ。神の用意は出来てゐる”って言われ、だからこそ“神の用意”以外のことは、人間の霊的成長の問題でしかない事を言っている。 
その意味でも今の人間は“何事からでも早よう始めて呉れよ。神の心に叶ふものは どしどしとらち明くぞ。”っていうこの文の意味をよくかみ締め、自分が外側(外国と幽界)の事象に対し、忠と考を実践するくらいになり、それはまた“神の心に叶ふもの”でもあるだろうし、またそれは、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道理”(“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性))に沿った生命は“どしどしとらち明く”ものであり、その反対は、今いろんなことが暴かれている“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”や、これから自滅の方向に向かう自我の肥大した人であることを(今更ながら)あえて指摘して、今回はこれくらいにしときまんねん。

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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
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2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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この本に付いてはこちらを御覧下さい。


       




初めての方は、
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☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (107)
Kellyさんがこのブログに霊縁あった人(日止、霊止)に伝えたい事 (24)
Kellyさんと○○○大先生との会話 (7)
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KellyさんとNominyan ∥*σ_σ*∥&Senyapoo λ*゜ο゜*λ との会話 (6)
☆ Kellyさん的“日月神示”解釈 (603)
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“日月神示” 上つ巻 (42)
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☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




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