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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”日月の巻 第七帖 Kellyさん的解釈

 今回も、日月の巻 第七帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

ツギ、タカミムスビ、ツギ、カミムスビノミコトトナリタマイキ、コノミハシラ スニナリマシテ スミキリタマイキ。
岩戸ひらく道、神々苦むなり、弥ひらき苦む道ぞ、苦しみてなりなり、なりゑむ道ぞ、
神諸々なり、世は勇むなり、新しき道、ことごとなる世、神諸々(もろもろ)四方(よも)にひらく、なる世の道、ことごとくの道、みいづぞ。
十月二十四日、一二 ローレンツ力と ○

 まず、冒頭のカタカナ表記。

“ツギ、タカミムスビ、ツギ、カミムスビノミコトトナリタマイキ、コノミハシラ スニナリマシテ スミキリタマイキ。”

この第七帖の冒頭も、前回の第六帖と同様にカタカナ表記で始まっているので、古事記を参考に漢字とひらがなをあててから解釈する事とする。 そうすると以下のようになる。

次、高御産巣日神(たかみむすび)、次、神産巣日神(かみむすび)之命(の“実言(みこと)”)と成りたまいき、この三柱 素(す)に成りまして 巣(す)見切りたまいき。

まず、“高御産巣日神(たかみむすび)”、これは、高=“上”、そして御を使うのは、相手や第三者に対する敬意とともに、相手のもの、相手に関するものであることを表すし、また和らげた命令表現のときにも使う(御黙り、御入り(おはいり)など)、よってこれは、第六帖で解釈したこと、それは、事象の“創造”を“上”が思い(想い)、そのことを使命とした(命、“実言(みこと)”)、言い換えれば“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を、顕現=現象化として、生命(生きる使命=存在理由)が感じうる(“観察と認識”)、事象の“創造”を、命としたことを指し示すことだと思う。 
そして、産む=“創造”そのもののこと。 
巣については後述する。 
日=太陽、これは大極の天意(“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を送る)として個々の生命(生きる使命=存在理由)は、認識し、太陽は“上”の思惑を荷電粒子として送信しているし、地球の場合は地球と人と地球上の生命すべてに送信する存在。
神=示す偏(へん)と呂、その意味は、荷電粒子の回転(神格化のプロセス 目上(めうえ)と目下(めした) “その六”(129ページ)で、簡単に述べたことでもある)。
そして、神産巣日神(かみむすび)之命(“実言(みこと)”)は、神=荷電粒子の回転、産む=“創造”。
巣については後述する。
日=太陽、神=荷電粒子の回転。
“之”は、これ(此れ、是、維、惟など)、そして、行く(時間の進行)の意、また“これすなわち”の意もあり、だから“之”は、“命(“実言(みこと)”)と成りたまいき”にかかるから使われている。
よってここまでのカタカナ表記は、独り神(ひとりがみ、日取り神)である“上”(“創造”の“主(ヌシ)”)は、天地初発の時、唯一神であるからこそ一つの意識でしかなく(独り神(ひとりがみ))、だから自分以外、自分と他の存在、自分と他の場(フィールド)を想像し(思惑)“創造”することを、命(“実言(みこと)”)とした。 
このことは、ローム太霊との出会い おめでとう 天の御目(あめのおめ)の太神 の72ページ以降ですこし述べた内容でもある。
またそれは、すべての事象の成り立ちは、第六帖の“アノアニナリマシキ”=“亜”の“あ”(愛(炁)の“あ”=ア(“亜”)から、イ(出る(いずる)、泉)、そしてそれは“創造”の“主(ヌシ)”の表記である“一”)に成り増しき という表記のように、アイ、愛(炁)、“亜”が出(いずる、泉)で成されていることでもある。
そして生命(生きる使命=存在理由)が感じ(感じる磁性)るのは、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑(天意)で、それは普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)でもあり、その大極からの思惑を受け止め増幅して送るのが、日=太陽である。
さらに、“カミムスビノミコトトナリタマイキ”= 神産巣日神之命(“実言(みこと)”)と成たまいき は、大極の荷電粒子の回転(“上”)(神)は、巣を創造(産)し、太陽(日)を介して“上”の思惑を送り、そして神産巣日神之命の後半三文字の神之命は、個々の生命(生きる使命=存在理由)を神(荷電粒子の回転)とすることを、命(“実言(みこと)”)としたと読み取れる。
そして“コノミハシラ スニナリマシテ スミキリタマイキ”=“この三柱 素(す)に成りまして 巣(す)見切りたまいき。”
まず、この文の“コノミハシラ”“この三柱”は、第六帖の天之御中主(あめのみなかぬし)と第七帖の高御産巣日神(たかみむすび)と神産巣日神(かみむすび)之命(の“実言(みこと)”)のこと。
そして“スニナリマシテ スミキリタマイキ”の“ス”には、素(す、もと、原材料の意)と巣(すみかの意、何々の巣、愛の巣など、場(フィールド)を示す意味とも解釈も出来る)を、あてることとした。
そう思ったその根拠は、前回の第六帖のカタカナ表記の部分の纏め(まとめ)として、次のように述べたことによる。 
以下に第六帖から引用する事とする。

“事象の“創造”の始まりを指し示し、それは神(“創造”の“主(ヌシ)”)の思惑で、その顕現=現象化を、“上”も“下”も=神もあらゆる生命も、“観察と認識”をしている事と、“創造”の“主(ヌシ)”の“創造”の始まりと根拠=“どういうつもり”を述べている文である”。(引用終わり)

それで第七帖では、“創造”の“主(ヌシ)”に対しての被造物としての人(日止、霊止)が見る視点、見方が述べられているのだと思うし、それゆえ、第七帖では事象の始まりの原因、根拠、そして材料というこちら側としての認識を示す事が述べられているのであると思える。 
それを思った根拠としては、“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”から引用すれば、“ス”の音根は生命発現の基(もと)、すなわち真澄(ますみ)の素(もと) 巣の意の音根 こう称されているからでもある。 
よってこの文の“ス”に素(す)と巣(す)をあてるのが妥当だと思う。
またこの“ス”は統一(みすまる)の“ス”でもあると“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”には書かれてある。 
また、統一(みすまる)は、“男(日足(ひたり)の極性の現れ)が知るべきみずから統一すべ治(し)らすの言霊”、こう記載されている。
それだからこそ伊耶那岐(いざなぎ)(男)の“岐”は、思想=山(脳の意)と支(ささえ、えだ、わけるの意)で構成されていて、思想のわかれ、支えっていう意味で伊耶那岐(いざなぎ)の“岐”があてられているものでもある。
よってすべての事象の成り立ちは、伊耶那岐(いざなぎ)の“岐”、それは日足(ひたり)=思惑、その顕現(事象として観察され認識されうること)は、砌(みぎり)(女の極性)であることが、事象の“創造”そのものでもあるのだけれど、古事記に書かれているように伊耶那美(いざなみ)のほうから伊耶那岐(いざなぎ)に声をかけた(“言”(事象に顕現され、(自己と他者に)観察された心(靈)の動き))ことが、この事象の“創造”の失敗。 
そしてそれはローム太霊が伝えた、右往左往と左往右往でもあると思う。
(右往左往=やってみてから失敗を体験し、左往右往=失敗を体験し、それを教訓として“力”の顕現(砌(みぎり)の行)をする)
だから“素(す)に成りまして 巣(す)見切りたまいき”は、“創造”の材料、“亜”=素(す、もと)は、場(フィールド)としての巣(す)を“創造”するが、それはよいカタチの“創造”は“見切りたまいき”でなければならないことを述べており、当然のことながらその事象の“創造”は“日月神示”表記の“うれしうれし”“大歓喜”の場(フィールド)でなければならないし、それは“善(神格化の方向性と智性の受信)”でもあるし、また、このことそのものが神(“創造”の“主(ヌシ)”)の“思惑の顕現”=現象化でもある。
これが、第七帖のカタカナ表記の纏め(まとめ)であると思う。

そして次の文。

“岩戸ひらく道、神々苦むなり、弥ひらき苦む道ぞ、苦しみてなりなり、なりゑむ道ぞ、
神諸々なり、世は勇むなり、新しき道、ことごとなる世、神諸々(もろもろ)四方(よも)にひらく、なる世の道、ことごとくの道、みいづぞ。”

これは、“うれしうれし”“大歓喜”の場(フィールド)の“創造”に関する事が書かれてあると思う。
“岩戸”は、古事記の岩戸開き、それは“石”(帯電するミネラル)と“山”(脳の意味)で、“戸”(横隔膜)を開く。 これはチャクラでいえば、マニピューラチャクラからアナハタチャクラの覚醒にいたること、心(靈)の動きでいえば、自我の確立=固定化から“慈悲”と“慈愛”の発現。 これは脊椎動物の進化の順番でもあり、心(靈)の発現が“上”に向かうことでもある。
またその過程が、右往左往(自我の肥大による行動で失敗をする)から左往右往(失敗を教訓として今後の創造をする)ことを示唆している。 
そしてそれは“道”(時間の進行、生命の進化)であるといわれ、だから個々の生命(生きる使命=存在理由)、それは神の素(す、もと)であり、それが進化するには“苦しむなり、弥ひらき苦む道ぞ、苦しみてなりなり、なりゑむ道ぞ、”であるし、この文で使われている弥栄(いやさか)の“弥”は、画像で意味を示す事とする。
彌栄弥栄(いやさか) 弥の旧字 

弓と璽(しるし) 彌の旧字の解字



そして“神諸々なり、世は勇むなり、新しき道、ことごとなる世、神諸々(もろもろ)四方(よも)にひらく、なる世の道、ことごとくの道、みいづぞ”は、この文の“神諸々”は、荷電粒子の回転、もろもろの生命=独り神(ひとりがみ、日取り神)の素(す、もと)は進化して創造をする。 
それが“世は勇むなり、新しき道、ことごとなる世、神諸々(もろもろ)四方(よも)にひらく、なる世の道”っていう文で示され、それは先ほどのカタカナ表記の“神産巣日神之命(“実言(みこと)”)”の“神之命(“実言(みこと)”)”と同義で、それは個々の生命の進化の目的が独り神(ひとりがみ、日取り神)である事を示唆する。 だから個々の生命の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)は“世は勇むなり、新しき道、ことごとなる世、神諸々(もろもろ)四方(よも)にひらく”と成りうるものであり“神諸々(もろもろ)四方(よも)にひらく、なる世の道”は、個々の生命の発振、発信(四、“四五十”“善言(よごと)”=“善(神格化の方向性と智性の受信)”の発振、発信の“四”)は、“上”と“下”、日足(ひたり)と砌(みぎり)の四方に開くものである事を示す。 
だからそれは、個々の生命が進化して行けば(“道”=時間の進行)、それは、“なる世の道”で、生命の完成=独り神(ひとりがみ、日取り神)になることであるって言われている。
それでこの文の最後の“みいづ”は、上つ巻 第二帖の“神のやり方は日の光、臣民ばかりでなく、草木も喜ぶやり方ぞ、日の光は神のこころ、稜威ぞ。”の“稜威”で、この言葉そのものの意味としては、神霊の威力、天子の威光、類義語として、威霊って表現もあるが、天子の威光、これは天意を受けた人のオーラの事で進化して神格化した生命の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)=“四”であることを(今まで何回もいうたことでもあるけれど)今さらながらあえて指摘して、今回はこれくらいにしときまんねん。

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コメント

年末年始のご挨拶

いつも伺って 文字を追っていますが
頭が悪いので
なかなか頭に入りません^^;

今年は 花の名前も 助け舟を出していただき助かりました

拝こちらからは見するばかりで
中々コメントも残せず失礼しておりますが
これからも 気楽にお付き合いいただければ幸いです

どうか良い年をお迎えください
来年もよろしくお願い致します

Re: Plateauさまへ。

いつもお写真拝見させていただき、楽しませてもらっております。

> いつも伺って 文字を追っていますが
> 頭が悪いので
> なかなか頭に入りません^^;

このブログは、読む人を選ぶ、かなり特殊なものに成り果てております。
Plateauさまには、お読みいただいていらっしゃるだけでも光栄なことです。

> 拝こちらからは見するばかりで
> 中々コメントも残せず失礼しておりますが
> これからも 気楽にお付き合いいただければ幸いです

ありがとうございます。【<^>人<^>】

こちらこそ来年もよろしくお願いいたします。
良いお年をお迎えください。

【<^><^>】ノ~~ マタネー♪ ❤ ❤ ❤
Joしノ~~ マタネー♪ ❤ ❤ ❤

∪^ω^∪ ▼^。^▼ ▼^。^▽ U^。^U U。^ェ^。U §◕ェ◕§ノ~~ マタネー♪ ❤ ❤ ❤

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 Kelly & ○○○大先生

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Kellyさんと○○○大先生は、
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
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