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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”日月の巻 第九帖 Kellyさん的解釈


 
今回も、日月の巻 第九帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

何事も持ちつ持たれつであるぞ。神ばかりではならず、人ばかりではならずと申してあろが、善一筋の世と申しても今の臣民の言ふてゐる様な善ばかりの世ではないぞ。
悪(ア九)でない悪とあなないてゐるのざぞ。 此のお道は、あなないの道ぞ、上ばかりよい道でも、下ばかりよい道でもないのざぞ。
まつりとはまつはる事で、まつり合はす事ざぞ。
まつり合はすとは草は草として、木は木として、それぞれのまつり合はせぞ。
草も木も同じまつり合せでないのざぞ。
十月の二十六日。ひつ九か三。

 冒頭の文。

“何事も持ちつ持たれつであるぞ。神ばかりではならず、人ばかりではならずと申してあろが、善一筋の世と申しても今の臣民の言ふてゐる様な善ばかりの世ではないぞ。”

前のブログから“善”は、神格化の方向性と智性の受信って定義づけをしている。 その点においてこの文は、“善”の概念が、霊的成長度における高低で違うのだということを指摘していると思う。 
それは、すべてが進化=神格化に向かうために遭遇する事象は、それぞれの霊的成長度に応じての苦難や試練があり、どんな人であろうが(当然のことながら)、苦難や試練に対し、イヤな思いを持つものでもある。
また、自分の霊的成長における事象として遭遇する“善悪”の程度も、違うものである。だから人によっては耐えられる苦難や試練もあるが、ある人にとっては、絶対にそんな事はイヤだっていうその違いが派生するものでもある。
それだからこそS会=紫光会の交霊会では“神は乗り越えられない試練は与えない”と何度も述べられ、この言い回しの意味は、その人の霊的成長度における試練や困難を“上”は調節して遭遇させているという意味でもある。 
またこの言い回しは、その人の霊的成長度において耐えられない試練、乗り越えられない課題は、“上”は与えないってことでもある。
それで、人生における苦難を試練と思わず、自分が育つために“上”が課した試練を“悪”と見做す程度の低い考えの人は多い。 
それは、自分(の心(靈))を育てるために“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)は様々な事をするが、自我の肥大(平均的地球人の霊的成長度によく観られる心(靈)の動き)は、(霊的成長度の低い人ほど)自分が大事だと思い、自分に甘くなり、苦難を試練と思わず、薄っぺらい考えの正義感や道徳の観念で、目の前の事象をただ悪と見做す心(靈)の動きもある。 
それは例えば、人を欺き奪って自分が裕福になった人(自己奉仕者に多い)は、騙され奪われるものであり、それは因果応報、ブーメランの法則、“曲霊(まがつひ)”でもあるけれど、程度の低い人は自分が欺かれ騙され奪われたことしか考えないで、それ事態が自分の贖う(あがなう)べき因縁であり、その苦難は試練であるとは思わないものでもある。
それをこの文では“何事も持ちつ持たれつである”と揶揄(やゆ)され、人が“善(神格化の方向性と智性の受信)”を見出すには、騙された人は騙されるし、奪ったものは奪われるし、欺いたことのある人は欺かれるに決まっているし、その事象において自分たちにも責任があったのだという認識を得なければ、本当の“善(神格化の方向性と智性の受信)”は理解し得ないだろう。
(…が、こんな程度の低いことを説明しなければならないのかとも思う)

また自分が間違った方向性に向かっている事を“上”が指摘している一例として、○○○大先生はS会=紫光会の交霊会、主護霊会で、昭和55年8月3日、こんなことを言われた。

辛いが人間は苦労しろ。その苦労こそ、全う(まっとう)する所の人間となるのである。
あるところにおいては、殴られ蹴飛ばされておるけれども、それがあって、必ず人間というものは強いものである。
そこである。
自分はただ、人から煽て挙げられては相成らんぞ。俺は必ず、どんな苦労に於いても、立つべき所の人間となればよいのである。
さすれば、人間というものはそんな小さなことではビクビクしないのである。
神に任せるのである。
これこそ、自分自身の神から得た所の、真=真固止と思わなければならないのである。
常に、人間に全部任せる。その力こそ強いものはないのである。 そこに自分は、真=真固止なる心を定めて、神の力に於いて真を定めるなれば、どんなところに於いても力がその中に芽生えてくるのであるを、悟ればよいのである。 左様頑張っていってくれ。
 ”

この“主護霊”の言い回しについて、○○○大先生はこう述べている。

“それは…ただ、耐えろ。自分にも心の甘さがある…そういうことも言っている。それを指摘する言葉が次の言葉…“自分はただ、人から煽て挙げられては相成らんぞ。”…それがイカンって言っている。自分で自分を煽てている…それゆえの試練だ。
だから“常に、人間に全部任せる。その力こそ強いものはないのである。”…それはアタシ自身が、試練を与えてる存在の思惑をもっと知るべきだ。今その状況なんだ。お前はそのことをよく判っていないから、腹が立つんだ…ってことだよ”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る 199ページから引用。 
ちなみにこれが書かれてある 
事象の形骸化“その十”アセンションの甘い(亜、魔、出ずる、泉)認識…先生とKellyさん…また…憂う… では、霊的成長度の低い=自分に甘い人が思う、自分たちにとって都合のよい愛(例えば優しいだけが愛だと思いたい)についても指摘している)

 これは若いときの○○○大先生(当時24歳)が、自我の肥大をしているとき、ちょっといい気になっている時に与えれた試練であり、この試練において○○○大先生自身が自我の肥大をしている自分自身を見出したってことでもあるし、その自分の中の低い心(靈)を見出させるには、“あるところにおいては、殴られ蹴飛ばされておる”ってことが無い限り、分かりえないものでもあるし、これが“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)が先生に課した“上”の心(靈)由来の“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ”による試練でもある。

 また、同様のこととして“日月神示”地つ巻 第八帖の“悪や学にだまされて肝心の祝詞まで骨抜きにしてゐるでないか、これでは世界はきよまらんぞ。”や、第三十帖の“何うにもならんと知りつつ まだ智や学にすがりてゐるやうでは上の人とは申されんぞ、智や学越えて神の力にまつはれよ、”の“悪や学にだまされ”“まだ智や学にすがりてゐる”という言葉にも、自分たちにとって都合の良い正義や道徳や、低い愛の概念に囚われている人の心(靈)の動きを感じうるものでもある。
それで、ここまでの話は分かりにくいところもあるから、補足として“善悪”の概念が、霊的成長度において違うことの分かりやすい例として、以前に極端に低い正義の概念を持っている国の住民のことを指摘したことがあるが、兵器産業で自国の利益を潤巣ために戦争を正当化するなんてのも、その国の住民とっては“善”の概念由来の正義であるけれど、やっている事は人殺しでしかないから子供でも分かりそうな“悪(心の動きの本能化と低振動化)”である。
だからこの冒頭の文は、“上”が顕現しようとしている“善一筋の世”に対し、程度の低い“善悪”の認識は“今の臣民の言ふてゐる様な善ばかりの世ではない”って、ちょっとだけ揶揄(やゆ)されて言われている感がある。

次の文。

“悪(ア九)でない悪とあなないてゐるのざぞ。 此のお道は、あなないの道ぞ、上ばかりよい道でも、下ばかりよい道でもないのざぞ。”

 この文の表記の“悪(ア九)でない悪”の“悪(ア九)”は、“ア”=ア(“亜”)から、イ(出る(いずる)、泉)、の“ア”であり、“九”は、“日月神示”表記の ○ 九 十 の“九”だろうから、何回も使った ○ 九 十 の解字を以下に貼って示すこととする。

○ 九 十(まこと)の解字


よって“悪(ア九)”は、試練のための、霊的成長のための、自省(胸の磁性“十”)のための“悪(ア九)”ってことだと思える。
それでこの文の表記の“あなない”は、助けること、支えること、高い所に登るための足場、あぐら、という意味がある。 
これは、その人を霊的成長させるための試練としての“悪(ア九)”“あなない”であると思うし、それに対し低い悪の事象もあるからこそ“悪(ア九)でない悪とあなないてゐる”“あなないの道ぞ、上ばかりよい道でも、下ばかりよい道でもない”と称され、すべて(霊的成長度における)“上”の心(靈)を持った人も“下”の人も、苦難や試練において成長をする事を示唆する文であると思うし、それが“此のお道は、あなないの道ぞ”=霊的成長の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)であるって事だと思う。

次の文。

“まつりとはまつはる事で、まつり合はす事ざぞ。
まつり合はすとは草は草として、木は木として、それぞれのまつり合はせぞ。
草も木も同じまつり合せでないのざぞ。”

 いうまでも無く“まつりとはまつはる事で、まつり合はす事”は、自分の霊的成長度における“上”、自分の霊的成長度に見合った存在との感応共振(祀り、祭り、政治の政、“政(まつりごと)”)で、いきなり高い存在とは感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)出来ないことを、“変圧”(アミの本で使われた概念。高い振動の霊的存在はいきなり低い心(靈)とは、感応共振しない)で何回も説明してきたが、それがS会=紫光会でよく述べられた“神は乗り越えられない試練は与えない”って言葉からも感じ取れるものである。
 だからこの言い回しが第九帖の冒頭の“何事も持ちつ持たれつである”にかかる言い回しでもある。
 その人の霊的成長度における悪の事象、苦難、試練。 霊的成長度がある程度高い人は程度の高い“悪(ア九)”に耐えうるし、低い霊的成長度の“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”は、欺かれ騙され嘘をつかれ奪われて、自分を振り返り、自分に内在する悪を見出していくものであるし、また恨みの連鎖の霊的干渉(この場合は背負った因縁において)を、実感するものでもあると思う。
 その霊的成長度の高低を“草”“木”と、そして霊的成長度における試練の違いを“草も木も同じまつり合せでない”と、揶揄(やゆ)されていると思う。

 今回はこれくらいにしときまんねん。

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 Kelly & ○○○大先生

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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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