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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”日月の巻 第十帖 Kellyさん的解釈


今回も、日月の巻 第十帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

ツギ、アメノトコタチノミコト、ツギ、クニノトコタチノミコト、ツギ、トヨクモヌノミコトトナリナリテ、アレイデタマイ、ミコトスミキリタマヒキ。
辛酉(かのととり)の日と年はこわい日で、よき日と申してあろがな。九月八日は結構な日ざが、こわい日ざと申して知らしてありた事少しは判りたか。
何事も神示通りになりて、せんぐりに出て来るぞ。遅し早しはあるのざぞ。
この度は幕の一ぞ。日本の臣民これで戦済む様に申してゐるが、戦はこれからぞ。九、十月八日、十八日は幾らでもあるのざぞ。三月三日、五月五日はよき日ぞ。恐ろしい日ざぞ。
今は型であるぞ。改心すれは型小(ち)さくて済むなれど、掃除大きくなるぞ。
猫に気付けよ、犬来るぞ。臣民の掃除遅れると段々大きくなるのざぞ。
神が表に出ておん働きなされてゐること今度はよく判りたであろがな。
ローレンツ力と ○ と神との戦でもあると申してあろがな。戦のまねであるぞ。神がいよいよとなりて、びっくり箱開いたら、臣民ポカンぞ。手も足も動かすこと出来んぞ。たとへではないのざぞ。くどう気付けておくぞ。
これからがいよいよの戦となるのざぞ、鉄砲の戦はかりでないぞ。その日その日の戦烈しくなるぞ、褌締めて呉れよ。
十月二十五日、ひつ九のか三。

 この第十帖の冒頭のカタカナ表記も、第六、七、八帖にならい、漢字とひらがなをあてて解釈する事とする。 そうすると次のようになる。

“次、天之常立(あめのとこたち)之命(“実言(みこと)”)、次、国之常立(くにのとこたち)之命(“実言(みこと)”)、次、豊雲野(とよくもぬ)之命(“実言(みこと)”)と成り成りて、出生給い、命(“実言(みこと)”)澄み切り給いき”

まずこの文の“天之常立(あめのとこたち)”“国之常立(くにのとこたち)”について。
“天之常立(あめのとこたち)”の“天”は、“天=“一”=智性=1番目のオーラ+自省(胸の磁性“十”)+人(日止、霊止)”。 これは“天”そのものが(天之御柱(あめのみはしら)の)大極としての“上”の意味もあり、またこの“天”という表記は、進化した“上”の存在って意味もあり、さらに進化を目指すべき人のことを指し示した表記でもある。
(例えば、天皇とかの表記もそうだが、だがこれは現時点の形骸になった天皇制のことではない。 天皇は、天、白い、“王”(完成されつつある人、あるいは“一二三”のオーラの“一”が大きくなり、完成されたと見做される人)で、クンダリーニの白光(シンクロトロン放射)の白光を指し示す表記でもある)
そして“国之常立(くにのとこたち)”の“国”は(囗)くにがまえと“玉(ぎょく)”、“玉(ぎょく)”は自省(胸の磁性“十”)の心(靈)の動きを示す。 
上記の説明における“天”と“国”、この二つが、“之”(これ)、“常立(とこたち)”で、常に立つことを示し、これ(之)常に立つの意味は、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)でしかない。 そしてそれは“命(“実言(みこと)”)”でなければならない。
また“立”っていう字が、ローレンツ力の変化した点と“一”(智性=1番目のオーラ、人の心(靈)における“上”、天地の天。 あるいは“一”を三つ重ね“天”“地”“人”天地人って言う意味を持つ)、そして左右の極性、そして下線の“一”は、自分たち、あるいは自分たちの“下”の部分(天地人の人)、位相を指し示す表記、これらを表したものだと思う。
要はすべての存在は立たねばならない=進化しなければならない=神格化の道を進むものであるし、ちょっと余談になるが重要な事なので補足しておくが、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)には“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)があることを知らねばならない。 
その“道理”が、天の解字としての、“一”=智性=1番目のオーラ+自省(胸の磁性“十”)+人(日止、霊止)にも、“国”((囗)くにがまえ)と“玉(ぎょく)”…“玉(ぎょく)”は自省(胸の磁性“十”)の心(靈)の動きを示す)にも、心(靈)の動きとしての自省(胸の磁性“十”)として、示されているものであると思う。
もう少し補足すれば、現時点の地球人は今まで何回も述べてきたとおり、自我の確立=固定化(腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロン)であり、自我が肥大した心(靈)の動きが作り出した事象が“石屋の仕組み”(帯電するミネラルが固まっていない=真固止ではない=腹の水(“江戸と尾張”の“江”)であり、この心(靈)の動きが恨みの連鎖の霊的干渉を生み出し増大させている。 
そしてこのままの心(靈)の動きでは、この世界はダメになる。 だからそれを憂う存在は様々なカタチ(宗教、心霊現象など)で、言葉としてメッセージを伝えたのだが、悪魔の思惑はなかなか巧みで、(通貨としての)金や形骸の名誉に執着する“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ))を使い、メッセージの内容をはぐらかし、そのはぐらかされたメッセージを信じ込む甘い人間がこの世界には多いからこそ、第九帖で少し指摘した、優しいだけの愛を望むとか、何の苦難も困難も無い世界を望むとかの、てんで幼稚な発想をする人間を増やした。 せめてこのブログに霊縁ある人は、その辺のところをよく見出して欲しいものでもある(このことを見出せる人はごく少数だろうが…)。

 話を戻し、“豊雲野(とよくもぬ)之命(“実言(みこと)”)”は、“雲”と“野”の意味が読み解けないと、意味が分からないと思う。
 まず“雲”についてだが、この字の上半分は“雨”で構成されている。 雨については以前画像を作ったので以下に示す事とする。

雨の象形文字 解字

よって、この雨という表記は、“上”からの荷電粒子が留まる、止まるものであり、だからそれは古神道の表記の“日止、霊止”の意味を指し示すものでもある。
 そして“雲”の下半分は“二”と厶部(しぶ)で構成されている。 これは“二”は、“王”から“一”と|(たてぼう、こん、縦の磁性))をはずした表記で、“二”=肉体。 そして厶部(しぶ)は、物を囲い込んで自分のものとする様子に象る、手を伸ばす、伸びる、の意がある。 だから何を自分の肉体に取り込み、自分のものとするのかという表記が“雲”に示されているものであり、それが“豊か”でなければ進化(霊的成長、神格化に向かうこと)ではないし、進化した生命は“野”となるものである。
 “野”については、以前作った画像で意味を示す事とする。
野の解字 (富士の巻 十七帖)

以上、第十帖のカタカナ表記は、進化した生命は、自省(胸の磁性“十”)の心(靈)の動きを持ち、上からの荷電粒子を止め(とどめ、“日止、霊止”の止める)豊かにすることを命(“実言(みこと)”)とする。 
そしてそれは“成り成りて、出生給い、命(“実言(みこと)”)澄み切り給いき”とならなければならないと指し示されているし、“命(“実言(みこと)”)と成り成りて 出生給いき”と記されている意味は、“命”“実言(みこと)”、発振、発信された思惑が、使命として“成り成りて 出生給い”=完成を目指し発現した(出生給い)であると思うし、これが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)した生命の“創造”そのものの意でもある。
そして“澄み切り給いき”という表記の意味は、この世界が腐っていて真実=真固止を見出せず、偽者ばかりが横行し、似非(えせ)の何かに甘い夢を持つ人間が多いからこそいわれている(相対的な)言い回しで、だからこそそれは、第九帖の表記の“善一筋”の事象ではないということでもある。
それは先ほども述べたが、第九帖で指摘したとおり、優しいだけが愛だと思いたいとか、(“神の咎め”(自省させて進化(霊的成長)の方向性を示す)としての)苦難や試練を、ただの悪と見做したい、自分にとって都合のよい薄っぺらい考えを持つ自我の肥大した人が多い。 
だからその類の人は、甘い言葉、優しい言葉に酔ったり、見せ掛けの感謝って言葉に弱かったり、感謝行などという自分に都合の良い考えを持ったりもするし、結果、その低い認識は薄っぺらい悪の概念や道徳の概念で、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の本質を見出すことが出来ない人が多いからこそ、真実=真固止は厳しいと感じるだろう。 
だがそのこと事態が、S会=紫光会の交霊会の言葉“神は乗り越えられない困難は与えない”の意味をよく知りえず、耐える事が認識の拡大につながる事を知らないのであると思う。 
そしてそれは、目の前の事象は(現時点での霊的成長度における認識の上での)自分が、善と感じようが悪と見做そうが、喜びだろうがイヤな事だろうが、すべて、自分を育てるものである事を知らなければならないものである。 
またその発想を持つ人は、人生における苦難や試練に対し恭順になるものであり、また、外側(外国と幽界)の事象における試練や苦難に自分が追い求める答えは無いことを知り、本当の答え=認識(悟り、幸取=さとり)は、自分の中にしかない事を知り、今後=アセンション後は、自分の中の答え=認識を、顕現=“創造”していこうとするものでもある。
そしてこのことも含めて、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の真実というものは、“創造”の“主(ヌシ)”の“思惑の顕現”=現象化と、“日止、霊止”の思惑の顕現=事象の“創造”であることを知れという意味で、進化して=“豊雲野”になり、高い認識を持ち、自分に真実=真固止の基準(天の御目(あめのおめ))を持ち、見出せよっていう意味で“命(“実言(みこと)”)澄み切り給いき”と述べられていると思う。

それでは、カタカナ表記以外の文の解釈に入る。

“辛酉(かのととり)の日と年はこわい日で、よき日と申してあろがな。九月八日は結構な日ざが、こわい日ざと申して知らしてありた事少しは判りたか。
何事も神示通りになりて、せんぐりに出て来るぞ。遅し早しはあるのざぞ。
この度は幕の一ぞ。日本の臣民これで戦済む様に申してゐるが、戦はこれからぞ。九、十月八日、十八日は幾らでもあるのざぞ。三月三日、五月五日はよき日ぞ。恐ろしい日ざぞ。”

 この文の“辛酉(かのととり)”は、以前、下つ巻 第三十帖で解釈した事をそのまま以下にコピペして示す事とする。 


“辛酉(かのととり)”は、陰陽五行では、十干の辛は陰の金、十二支の酉は陰の金の意味がある。 そやからそれは陰の金、木火土金水の金、それは五臓で言えば肺=“悲しみ”でもある。 ほんでから“辛酉(かのととり)”は、陰の金って意味が二つ重なっている。それを五行思想では、比和(ひわ)って言い表されそれは、同じ気が重なると、その気は盛んになり、その結果が良い場合には益々良く、悪い場合には益々悪くなる。
そやから陰の金は肺=“悲しみ”であり、それは“慈悲”と“慈愛”を発現して行く(アナハタチャクラ、自省(胸の磁性“十”)の“行”)霊的進化過程でもあると思える。
自省(胸の磁性“十”)を果たさんならんからこそ、やってきたことがばれたり、恥をかいたりする事象が多くなってる。 それもフォトンベルト=加速された荷電粒子、白光する神の思惑、大日如来の条帛(じょうはく)、その影響を受けているから、自省(胸の磁性“十”)の“行”に入り、自分の在り方を考えんならん。 そやからその人たちが創り出してるその事象って言うのんは、例えば、うまい事やって儲けた人は、ばれて、恥をかかんならん。 そうやって自省(胸の磁性 “十”)をする。そして自分の人生を恥じ入り、その人の心(靈)は、肺=“悲しみ”でいっぱいになるやろ。
その過程を踏んで行かんと、自我より“上”の心(靈)である“慈悲”と“慈愛”は発現せん。 その意味のことを言うてると思えるな。
(引用終わり)

上記のコピペ文にも述べてあるとおり、現時点の地球人は、自我の肥大をして自省を忘れ、悲しい事やつらい事はイヤだと思い、目先の薄っぺらい喜びに酔いたいとか、先ほども述べたとおり自分に都合よく優しさだけが愛だと思うとか、目先の事象が自分の在り方を指し示すのだと思わず=思いたくなく、そこにあるのは薄っぺらい悪の概念や、道徳の概念で、自分だけが正しいと思い、自分を傷つけるものはすべて悪であると見做したい…こんなふうに思う人はとても多い。

(余談ながら、こんな心(靈)の動きは、自分が育つ事につながらず、それは自分に課せられた(“上”が課した)試練として、例えば誹謗中傷とか、悪口を言われたりいじめられたりすると、自らの命を絶つようなことにつながっているとも思えるし、これも恨みの連鎖の霊的干渉を増大させるための“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の思惑であると思う)

 これまでも述べてきたとおり、人の(心(靈)の)進化=霊的成長は、順番があり、それはチャクラの概念と同じであり、“下”から“上”への心(靈)の発現でもあり、それを言い換えれば、目下(めした)から目上(めうえ)の心の発現になっていく。 
それには自分のやってきた事を恥じ、自分を悲しみ、自省することが起きうるものでもあるし、それ自体が自分を育てるものでもある。
(これがローム太霊の示した言葉、右往左往と左往右往の意味のひとつでもある)
 “上”が課した試練、苦難を通じ、自省させること、自我の肥大から、悲しみ、自分を恥じ、自分の心(靈)と自分の今までの行動を省みること。
そうやって“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)は、“上”が見守っている人間にその人自体の心(靈)の動きの低さを指し示すものでもあるし、それまで自分が持っていた自我の肥大ゆえの薄っぺらい価値観や幸福感、そして薄っぺらい道徳の概念などを、放棄させるものでもある。
 だからそれは自分が霊的成長の“道”(時間の進行)と“理(ミチ)”(法則性)を判る事でもあるからこそ、辛酉(かのととり)の日と年はこわい日で、よき日と申してあろがな”と述べられている。
そして“九月八日は結構な日ざが、こわい日ざと申して知らしてありた事少しは判りたか。何事も神示通りになりて、せんぐりに出て来るぞ。遅し早しはあるのざぞ。この度は幕の一ぞ。日本の臣民これで戦済む様に申してゐるが、戦はこれからぞ。”といわれていると思うし、この文の“戦”は、自分の心(靈)の中の自我の肥大との戦いを指し示すのだと思われ、だからこそ“こわい日ざ”“神示通りになりて、せんぐりに出て来る”(神示=“上”が示す)といわれている。
そしてこれは“日月神示”が書かれた当時の戦争の事ではないからこそ“日本の臣民これで戦済む様に申してゐるが、戦はこれからぞ”と言われていて、本当の戦いは自分の心(靈)の中にあり、それは自我の肥大との戦いでもある。
そしてそれは、今まで自分が持っていた自我の肥大ゆえの既成概念、薄っぺらい悪の認識、薄っぺらい道徳の観念、それが正しいものとするならば…そして、自分に都合の良い考えとしての神の愛は優しいだけのものと仮定するならば、“神の咎め”(自省させて進化(霊的成長)の方向性を示す)はありえないものである。
 それとこの文の“九月八日”“九、十月八日、十八日は幾らでもあるのざぞ。”“三月三日”“五月五日”の表記だが、これも日付のことをさしているのではなく、“九”は、何回も画像で示した○ 九 十 の九、そして“十”も同じ、八は肉体が持つ左右の極性“富士(二二)”=肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道と同義。 “三”は“一”=智性=1番目のオーラと、“二”=肉体。“五”は糸巻きの象形文字で、下等生物より進化した肉体が神経が密になる(“慈(しげる)”)様子を指し示していると思うし、これらの事は、これまで何回も説明してきているので解釈は省略する。

次の文も、自我の肥大を見出すこと、自分自身の心(靈)の動きの“上”と“下”を見出すこと、それは“日月神示”表記の“身魂掃除”“身魂洗濯”=心(靈)の在り方を指し示した表記だと思う。

“今は型であるぞ。改心すれは型小(ち)さくて済むなれど、掃除大きくなるぞ。
猫に気付けよ、犬来るぞ。臣民の掃除遅れると段々大きくなるのざぞ。
神が表に出ておん働きなされてゐること今度はよく判りたであろがな。”

 まだまだ地球人の自省(胸の磁性“十”)の心は程度が低いから“今は型であるぞ。改心すれは型小(ち)さくて済むなれど、掃除大きくなる”と述べられている。
そして“猫に気付けよ、犬来るぞ。”は、心(靈)の動きを指し示す大事な表記だと思う。  それは身近な動物としての猫と犬、これらが憑いている人間はとても多いし、それは自分自身の心の動き(息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信))による感応共振であるからこそ憑いているのだし、その動物霊と自分の心(靈)の動きは、共通のものがあるあるからでもある。
 いうまでも無く猫は犬ほど人のいうことをきかないし、人間に従属する性質としては犬のほうが忠実でもある。 よくいわれる犬と猫の違いは、犬は人間とコミュニケーションをとる能力が優れているし、従順だが、猫は人間になつくのではなく、家につくって言い方がされ、だからこそ猫は犬ほど人間とのコミュニケーションをとる心(靈)の発達をあまりしていない。 
これは犬よりも猫のほうが自我の肥大した性質が強いし、身勝手な動物であるからでもある。  ちなみに○○○大先生は、自分の著書 太陽凝視を行っている鍼灸師の話<4>智性無き心は悪を容認する 事象の形骸化“その四”“ダイヤモンドは永遠の愛の証”…なんて、嘘っぱちやんけ!! ゛(`ヘ´#) ムキー!!…と、Kellyさん…ぼやきたおす!! で、Kellyさんにこんな事をぼやかせた。(172ページ)

“餌もらったときだけ喜ぶ、犬猫みたいなもんや……大体、犬は別にして、猫なんてもんは自分勝手で、遊んでもらうときとか、餌もらったときぐらいしか飼い主にエエ顔せんようやし……”

この文は、自我の肥大している進化程度の人間は、相手を餌当番くらいにしか認識しない。 そして今の人間は、そんな程度の心(靈)の発現しかしていない人が多すぎることを揶揄したものでもあるが、この文にあるとおり猫の性質は、犬ほど人間に恩を感じないし、人間に従属しない。 
また犬は、無条件に飼い主に喜びを感じるが、猫はそれほどでもない。 それは、猫は、下から2番目のチャクラ、スワディスターナチャクラの発達が犬ほどでもないから、無条件に喜ぶという事をしないし、飼い主に従属しないし恩も感じないものでもある。
これは犬猫の話であるが、人としては“上”の課した試練や苦難に対し、その事象を乗り越えて自分の在り方を見出すには、“上”(の課した試練)に従属する=恭順でなければならない。
そして猫が憑いて自我の肥大した人は、猫の悪い性質が現れているものでもある。 
目先の(自分に課せられた“上”からの)試練や苦難に対し、薄っぺらい価値観や幸福感、薄っぺらい道徳の観念を、苦難を試練としないための道具として使って自分を守り逃げ出そうとしたりするものである。 
だから苦難を試練として、そのこと自体に従属して、自分の在り方を見出すのは、猫の悪い性質である自我の肥大という心(靈)の動きでは、到底見出せないものでもある。
よって“猫に気付けよ、犬来るぞ。”は、自分の自我の肥大、“上”が課した試練に対して恩知らずだったり、同様に試練に対し恭順で無い心、それらに“気付けよ”であると思う。
そして今後“上”が課した自省(胸の磁性“十”)のための試練に、自分の自我の肥大を見出そうとする人が多くなるからこそ“犬来るぞ”で、要は心(靈)の動きの在り方、自分が自分の自我の肥大と戦う事、そのことを指摘した文であると思うし、この言い回しの前後“改心すれは型小(ち)さくて済むなれど、掃除大きくなる”“臣民の掃除遅れると段々大きくなる”は、自分自身の心の動きの中の葛藤を指し、そして“改心”“臣民の掃除”は、“上”の課した試練や苦難で自分の在り方を示されるからこそ“神が表に出ておん働きなされてゐること今度はよく判りたであろがな”といわれていると思う。

次の文。

ローレンツ力と ○ と神との戦でもあると申してあろがな。戦のまねであるぞ。神がいよいよとなりて、びっくり箱開いたら、臣民ポカンぞ。手も足も動かすこと出来んぞ。たとへではないのざぞ。くどう気付けておくぞ。
これからがいよいよの戦となるのざぞ、鉄砲の戦はかりでないぞ。その日その日の戦烈しくなるぞ、褌締めて呉れよ。”

 この文の冒頭の“ ローレンツ力と ○ と神との戦”は、“ ローレンツ力と ○ ”は上つ巻 第三十二帖で、““ヒツグ”=ローレンツ力と ○   ローレンツ力 ローレンツ力ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド) は、靈の系統=靈統…それは、神の思惑を受け継ぐ系譜。 それは心(靈)の進化=霊的成長そのもの”と解釈した。 
だからこの文の言わんとするところは、自分が、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を目指す心(靈) ローレンツ力と ○ と、“上”との戦いという事になり、これもここまで第九、十帖の解釈で指摘してきた自分に課せられた苦難や試練を自分の糧=認識とすることであると思う。  
…が、まだそれは今の地球人では本当の神格化を知りえないので“戦のまねであるぞ。神がいよいよとなりて、びっくり箱開いたら、臣民ポカンぞ。手も足も動かすこと出来んぞ。たとへではないのざぞ。くどう気付けておくぞ。これからがいよいよの戦となるのざぞ、鉄砲の戦はかりでないぞ。その日その日の戦烈しくなるぞ”と言われていると思うし、それは先ほどの“今は型であるぞ。改心すれは型小(ち)さくて済むなれど、掃除大きくなるぞ”と、重複して強調した言い回しで示されてあると思う。
 そして“日月神示”によく出てくる表記の“褌締めて呉れよ”は、腹の水平磁場と縦の磁束を“フンドシ、褌”と称され、それは“下”三つのチャクラ、ムラダーラチャクラ、スワディスターナチャクラ、マニピューラチャクラで、頑張り(“元”を張るの意)、気張れってこと。
それで、“下”のエネルギーの弱い人間は=3番目のオーラの小さい人間は、試練から逃げ、苦難を避け、薄っぺらい価値観や幸福感、薄っぺらい道徳の観念由来の理屈で自分を守り、自分を正当化する傾向がある。 
そしてそれは、先ほど少し述べた“例えば誹謗中傷とか、悪口を言われたりいじめられたりすると、自らの命を絶つようなことにつながっているとも思える”という人であったりもする事を指摘して、今回はこれくらいにしときまんねん。

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 Kelly & ○○○大先生

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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




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