FC2ブログ

“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”日月の巻 第十一帖 Kellyさん的解釈

 今回も、日月の巻 第十一帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

学も神力ぞ。神ざぞ。学が人間の智恵と思ってゐると飛んでもない事になるぞ。
肝腎の真中なくなりてゐると申してあろが。真中動いてはならんのざぞ。
神国の政治は魂のまつりことぞ。苦しき御用が喜んで出来る様になりたら、神の仕組判りかけるぞ。何事も喜んで致して呉れと申してあろがな。
臣民の頭では見当取れん無茶な四(よ)になる時来たのざぞ。それを闇の世と申すのぞ。神は ローレンツ力 、臣民はローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)  、外国は ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)、神の国は ローレンツ力と申してあろが、神国から見れば、まわりみな外国、外国から見れば神国真中。人の真中には神あらうがな。
悪神の仕組は此の方には判りてゐるから一度に潰す事は易いなれど、それでは天の大神様にすまんなり、悪殺して終(しま)ふのではなく、悪改心さして、五六七(みろく)のうれしうれしの世にするのが神の願ひざから、この道理忘れるでないぞ。
今の臣民 幾ら立派な口きいても、文字ならべても、誠がないから力ないぞ。黙ってゐても力ある人いよいよ世に出る時近づいたぞ。
力は神から流れ来るのぞ。磨けた人から神がうつって今度の二度とない世界の、世直しの手柄立てさすぞ。みたま磨きが何より大切ぞ。
十月の二十七日、ひつ九のか三。

冒頭の文。

“学も神力ぞ。神ざぞ。学が人間の智恵と思ってゐると飛んでもない事になるぞ。”

これも、ただ理屈だけこねて、たいして(“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化としての)行をしない、そして認識が低すぎる=霊的成長度が低い人間を、揶揄(やゆ)した言い方であると思える。
 第九、十帖で述べてきたとおり、大半の人間は薄っぺらい価値観と幸福感、薄っぺらい道徳の観念ですべての事象を見て=観察して認識している。 
さらに多くの人の“行”に対する認識は、自分たちが苦痛を感じるのがイヤだから、ただ“日月神示”を声を上げて読むとか、太陽凝視でも朝日と夕日しかしないとか、あるいは太陽凝視を日光浴と勘違いしているとか、生きている事に感謝しましょうをお題目にしている感謝行とか、なにが霊的成長なのか(自我の肥大による低い功名心と自尊心で)履き違えている人間が多すぎる。
そして自分にとって都合の良い苦痛や苦悩の無い世界を望み、優しいだけが愛だと思い込んでいる低い人が多すぎる。
しかしそんな認識では、今後=アセンション後の“善一筋”の事象の“創造”にはつながらないものである。
自分が育つ=霊的成長して神格化していくには、目の前の困難な事象に立ち向かい、それを乗り越えて認識を得る。 
そして、苦痛や苦悩、試練、目先の困難も、その人の肉体内の生体内電流に変換されるもので、だからこそそれを味わっている人の肉体は、たんぱく質の高分子化が行われ=結晶化され、肉体の電気特性の変容があるからこそ“上”からの荷電粒子との反応は違ってくる。
そうなるためには、日常における試練と、自分が“行”を貫徹する強い意志(日に立つ心(靈)と、志(こころざし))を持ち続けなければならない。 
そうしていけば、霊的成長した人(日止、霊止)は“日止、霊止”になり、“上”からの荷電粒子の高い部分を自分の思惑とする。 
それが“日月神示”表記の“天詞様”の意味と意義である。
そして、目先の困難、苦難=試練と認識されうること、それが第九帖の表記の“悪(ア九)”の意味であることを、そこで述べた。 だからこそ人が尊守しなければならないこと、その大事なのは“絶対の善”であり、それ由来の“観察と認識”でもある。
そしてその“観察と認識”は、自分の思想となり“絶対の善”“善一筋”を、自分の理念として、行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)する。 またそうしなければ“うれしうれし”“大歓喜”の世になるわけが無い。
 ちょっと本文と違う意味のことを述べたが、薄っぺらい認識の人間は学=知恵と知識、“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)の一部を、自分のものだけだと思い、自分のためにしか利用しない。 それは“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”であることを何回も述べてきた。
 しかし、この文で言われている“学”であろうが、それ以外の“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)であろうが、すべて神の“思惑の顕現”=現象化であり、“上”からの荷電粒子を自分が取り込んで、この事象に活かしているものである。
だからこそ、今述べたこと、すべての“力”は“上”からの荷電粒子の取り込みにより、そして自分の肉体の結晶化の度合いにより、言い換えればこれは、霊的成長度により(“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化の程度により)、“力”の顕現も、心(靈)の動きも、違うのだということなのだが、この意味のことをこの文で述べているのだと思う。

次の文。

“肝腎の真中なくなりてゐると申してあろが。真中動いてはならんのざぞ。”

 これも“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)の使い方とか、先ほどの“学”でのべたことのように、知恵と知識を“絶対の善”“善一筋”で使わない人間、その理念を持とうとしない人を揶揄した言い方だと思う。 
だから、すべての事象の観察の基準、自分の理念、行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)の根拠たるものは、天意を受け自分の認識とする人間(“天詞様”)でなければ、正しい(“上”(“創造”の“主(ヌシ)”)と“下”(人)の思惑を取り込んだ事象)ってことになりえないものである。

今述べたことを踏まえ、次の文。

“神国の政治は魂のまつりことぞ。苦しき御用が喜んで出来る様になりたら、神の仕組判りかけるぞ。何事も喜んで致して呉れと申してあろがな。”

 この文の“神国の政治は魂のまつりことぞ”、これは今までも解釈してきたとおり“神国”は、自分の心(靈)のことであり、自分の心(靈)に“上”との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)がなければならないからこそ、“魂のまつりこと”と称されている。
 そして、第九帖の人を霊的成長させるための試練としての“悪(ア九)”“あなない”、これが“苦しき御用が喜んで出来る様になりたら、神の仕組判りかける”であり、この文の“神の仕組み”は、自分の“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化による“上”からの荷電粒子の取り込みの違いを示唆している。 
 だからこの文は、目の前の困難、苦難、試練、これに立ち向かい、今まで自己奉仕者だった人は“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”して、“上”の思惑を知れという意味で“苦しき御用が喜んで出来る様になりたら…中略…何事も喜んで致して呉れと申してあろがな。”と、結ばれていると思う。

 次の文、これは“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が生み出し、増大させている恨みの連鎖の霊的干渉が、結果を出す時期=アセンションの時期にどんどんまして来ることを示唆している。

“臣民の頭では見当取れん無茶な四(よ)になる時来たのざぞ。それを闇の世と申すのぞ。”

この文の“無茶な四(よ)”は、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の“創造”、その低い心(靈)の発振、発信=“四(よ)”、そして“四”は、自分の心(靈)の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)により事象は創造されるの意。



 次の文。

“神は ローレンツ力、臣民は ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド) 、外国は ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)、神の国は ローレンツ力と申してあろが、神国から見れば、まわりみな外国、外国から見れば神国真中。人の真中には神あらうがな。”

 これも今まで解釈してきたとおり、ローレンツ力 ローレンツ力と、自分の心=霊=ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)、荷電粒子の場(フィールド)、それを当てはめて読めば理解できるものである。 以下にその解釈を述べることとする。

“神は ローレンツ力、臣民はローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド) ”これは、自分の心(霊=○、荷電粒子の場(フィールド))が、認識する神(“上”からの荷電粒子)は、自分の肉体の磁性によるローレンツ力で取り込み、(自分の心(靈)の動き=“言”(事象に顕現され、(自己と他者に)観察された心(靈)の動き)=息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)により)感応共振して、自分の心(靈)の中に認識(悟り、幸取=さとり)とすること。
次、“外国は ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)、神の国は ローレンツ力と申してあろ”これも、自分の心( ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド))が観察する事象は、外側(外国と幽界)で、自分の内面とか内側(心の中と感じている事)ではなく、自分の内面とか内側(心の中と感じている事)の観察の基準は、自分の霊的成長度における“上”からの荷電粒子との反応(感応共振)により、作り上げられるものであり、それが“上”と“下”、“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)の認識であり、それが○○○大先生流の言い方ならば、(天意の受信が出来た認識(悟り、幸取=さとり)による)天の御目(あめのおめ)でもある。
そして“神国から見れば、まわりみな外国、外国から見れば神国真中。人の真中には神あらうがな。”は、“神国”=自分の心が観察する事象は、外側(外国と幽界)の事象で、外側(外国と幽界)の事象を観察して認識する基準は、自分の霊的成長した心、あるいは“善一筋”“絶対の善”の理念。 
これがこの文の“人の真中には神あらう”と指し示されていると思う。
 
 次の文、これは“善一筋”“絶対の善”、そして“善”は神格化の方向性と智性の受信であることが解っていれば、よく読み解けるものである。

“悪神の仕組は此の方には判りてゐるから一度に潰す事は易いなれど、それでは天の大神様にすまんなり、悪殺して終(しま)ふのではなく、悪改心さして、五六七(みろく)のうれしうれしの世にするのが神の願ひざから、この道理忘れるでないぞ。”

 今、低い者であろうが、“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の行為をしている者であろうが、それもすべて生命(生きる使命=存在理由)であり、霊的成長の過程であるからこそ、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の順番は、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”から、“慈悲”と“慈愛”の心の発現をするものでもあるし、それは何度も述べたことだが、ヨガのチャクラでいえば分かりやすいので引用するが、今までの地球人の進化過程は自我の確立=固定化、マニピューラチャクラまでの発達、それが今後=アセンション後は、アナハタチャクラの発達になっていくし、そのアナハタチャクラの発達は、肉体のシンクロトロンの構造の強化でもあり、だからこそ“上”からの荷電粒子、普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)との反応は、今と違うものになり、だからこそ人は“日止、霊止”になり、神の思惑を自分の心(靈)に取り込み、その基準、この第十一帖の表記なら“神国真中”で、自分の心(靈)も自分の外側(外国と幽界)の事象も観るものであり、その内面とか内側(心の中と感じている事)と外側(外国と幽界)の事象の観察により得られてた認識で、自分たちは時間の進行とともに=“道”、法則性=“理(ミチ)”を理念とした“創造”をするものである。
 そして生命(生きる使命=存在理由)の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)は、神経が“慈(しげる)”、その意味で“五六七(みろく)”は、以前にも解釈したが、“五”は神経が密になる様子、糸巻き(コイル状)の象形文字、“六”(爻部(こうぶ)=丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)が重なった表記で、交わるの意味、“七”=“一”=智性=1番目のオーラ、あるいは、“創造”の“主(ヌシ)”の表記である“一”(亜から出ずる、アイ)である。
 そして“五六七(みろく)”にならなければ進化(霊的成長、神格化に向かうこと)とはいえないってことでもある。

 次の文は、第十一帖の纏め(まとめ)。

“今の臣民 幾ら立派な口きいても、文字ならべても、誠がないから力ないぞ。黙ってゐても力ある人いよいよ世に出る時近づいたぞ。
力は神から流れ来るのぞ。磨けた人から神がうつって今度の二度とない世界の、世直しの手柄立てさすぞ。みたま磨きが何より大切ぞ。”

 あえて解釈はいらんと思うけが、“今の臣民 幾ら立派な口きいても、文字ならべても、誠がないから力ないぞ”は、第十一帖の冒頭で述べた薄っぺらい人間の事であり、それに対し“黙ってゐても力ある人いよいよ世に出る時近づいたぞ。力は神から流れ来るのぞ”は、苦難や苦痛、困難を試練とした人、神格化の“行”やっている人、“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化している人、それは上つ巻 第二帖の表記“日の光は神のこころ、稜威ぞ”の意味に相当する事。 よって上つ巻 第二帖 Kellyさん的解釈から以下にコピペして示す事とする。 

大事な事は、“神のやり方は日の光”と、“稜威ぞ”で、この言葉は、“イツ”古代日本語で、“イチ”が変化した言い方で、それは、激しい雷光のような威力って事らしいやん。 ほんでからに、“稜威”を辞書で見ると、威稜とも言われ、その意味は、神霊の威力。みいつ。天子の威光。 類義語として、威霊って表現もある。
 そやから、Kellyさん的に思うんは、天子の威光、これは天意を受けた人のオーラの事やと思いまんねん。 それを言い表した言葉が“稜威”やと思うし、ほんでからにそう言う高くなった霊的存在を“威霊”…そう呼ぶと思いまんねん。
 そやからそれは、この言葉は大体、神さんや天皇の権威を示す言葉として使われてるんやけど、ほんまの天皇っていうのんは、天=“一” + 胸の磁性“十”  + 人、ほんでからに“白”と“王”。 この言葉そのものが霊的進化したオーラを示す事でんねん。 この場合の“白”っていうのんは、クンダリーニの白光で、白い光は、波長の短い高い振動を相対的に観察した時の色でもあるし、それは、身体内のシンクロトロンの構造に由来するっていうのんが、先生の説で、先生が太陽凝視を教えてくれたKさんのオーラを観測し30年以上考えて得られた結論のひとつでもありまんねん。
ほんでから、肉体がシンクロトロン様の構造を持つには、胸の磁性“十”の強化と、手足の神経(電磁石として)の発達と、頭の磁性の強化が必要で、“行と修行”による生体内電流の質の変化と、量を獲得せんならん。 そやからそれは、心(靈)の動きとしての自省(胸の磁性“十”)の行と、電気行と、太陽凝視による高い振動=神さんの思惑の取り込みっていうのんが必要でんねん。
(引用終わり)

そして、この文の残りの“磨けた人から神がうつって今度の二度とない世界の、世直しの手柄立てさすぞ。みたま磨きが何より大切ぞ。”は、“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化の程度により、“上”との感応共振があり、“行”が進めば進むほどそれは“一二三”のオーラの変容となり、同時に肉体の電気特性の変化も起きる。
その意義は、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)は神の思惑を自分の認識とすることと同義であり、神の思惑を進化=神格化した人、あるいは神格化に向かっている人が“創造”するのが“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)である。
よって今取り上げた文は、このことを示唆した文章である事を指摘して、今回はこれくらいにしときまんねん。

« Kellyさん、Nominyan&Senyapoo親子と初めて会い、Nominyanと○○○大先生が出会った当初の話を聞かされて、妙に納得する。|Top|“日月神示”日月の巻 第十帖 Kellyさん的解釈 »

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://tuyukusanotuyu.blog45.fc2.com/tb.php/342-de4eee63

Top

HOME

tuyukusanotuyu




 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
FC2ブログへようこそ!


Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
(クリックで拡大)

2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
(クリックで拡大)


発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
(クリックで拡大) 

お近くの書店にない場合は
たま出版のサイトでお買い求めください。

発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
(クリックで拡大)

お近くの書店に無いときは
たま出版のサイトでお買い求めください。

この本に付いてはこちらを御覧下さい。


       




初めての方は、
・・・その後の事と・・・これからの事。
からお読みください。

それぞれのカテゴリーをクリックすると
古い順に、記事が閲覧できます。

        

☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (107)
Kellyさんがこのブログに霊縁あった人(日止、霊止)に伝えたい事 (24)
Kellyさんと○○○大先生との会話 (7)
Kellyさんとチョ~極上ラブラブ中高年夫婦はんとの会話 (6)
Kellyさんとチョ~ベッピンはんのA野はんとの会話 (7)
Kellyさんと∪・ω・∪ ▼・。・▼ ▼・。・▽ U・。・U U。・ェ・。U たちとの会話 (34)
Kellyさんとメタボ研修医のYっちゃん先生との会話 (2)
Kellyさんとややメタボ内科医のYっちゃん先生との会話 (7)
Kellyさんと和風のベッピンはんのSはんとの会話 (2)
Kellyさんと農業好きの社長婦人K地M美はんとの会話 (12)
KellyさんとNominyan ∥*σ_σ*∥&Senyapoo λ*゜ο゜*λ との会話 (6)
☆ Kellyさん的“日月神示”解釈 (603)
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 (46)
“日月神示” 上つ巻 (42)
“日月神示” 下つ巻 (38)
“日月神示” 富士の巻 (26)
“日月神示” 天つ巻 (30)
“日月神示” 地つ巻 (36)
“日月神示” 日月の巻 (68)
“日月神示” 日の出の巻 (23)
“日月神示” 磐戸の巻 (21)
“日月神示” キの巻 (17)
“日月神示” 水の巻 (36)
“日月神示” 松の巻 (30)
“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
“日月神示” 岩の巻 (11)
“日月神示” 荒の巻 (27)
“日月神示” 地震の巻 (93)
☆ Kellyさん的“ローム太霊講話集”解釈 (163)
☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
☆ 先生が撮るけったいな花の写真 (22)
☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



fxwill.com


2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




飢餓救済のホームページ

JWord クリック募金

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード