“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”日月の巻 第十二帖 Kellyさん的解釈

 今回も、日月の巻 第十二帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

三ハシラ、五ハシラ、七ハシラ、コトアマツカミ、ツギ、ウヒジニ、ツギ、イモスヒジニ、ツギ、ツヌグヒ、ツギ、イモイクグヒ、ツギ、オホトノジ、ツギ、イモオホトノべ、ツギ、オモタル、ツギ、イモアヤカシコネ、ミコトト、アレナリ、イキイキテ、イキタマヒキ、ツギ、イザナギノカミ、イザナミノカミ、アレイデマシマシキ。
足許に気付けよ。悪は善の仮面かぶりて来るぞ。
入れん所へ悪が化けて入って神の国をワヤにしてゐるのであるぞ、己の心も同様ぞ。
百人千人万人の人が善いと申しても悪い事あるぞ。一人の人云っても神の心に添ふ事あるぞ。
てんし様拝めよ。てんし様拝めば御光出るぞ、何もかもそこから生れるのざぞ。
お土拝めよ。お土から何もかも生れるのぞ。
人拝めよ、上に立つ人拝めよ、草木も神と申してあろがな。
江戸に攻め寄せると申してあろがな。
富士目指して攻め来ると知らしてあること近付いたぞ。
今迄の事は皆型でありたぞ、江戸の仕組もお山も甲斐の仕組も皆型ぞ、鳴門とうづうみの仕組も型して呉れよ。尾張の仕組も型早よう出して呉れよ。
型済んだらいよいよ末代続くまことの世直しの御用にかからすぞ。
雨降るぞ。
十月二十八日、ひつ九のかみ。

 この第十二帖の冒頭のカタカナ表記中心の文も、第六、七、八、十帖と同様に、漢字とひらがなをあてる事とする。 そうすると以下のようになる。

三柱、五柱、七柱、別天津神、次、宇比地邇(うひぢに)、次、妹須比智邇(いもすひぢに)、次、角杙(つぬぐひ)、次、妹活杙(いもいくぐひ)、次、意富斗能地(おほとのぢ)、次、妹大斗乃辨(いもおほとのべ)、次、於母蛇流(おもだる)、次、妹阿夜詞志古泥(いもあやかしこね)、命(“実言(みこと)”)と、出れ成り(あれなり)、生き活き(あるいは、往き、行き、これは時間の進行を指す意)て、活き(現象化の意)給いき、次、伊邪那岐神、伊邪那美神 出生で(あれいで)ましまし(増し、益し)き(気、あるいは、炁=愛の元字、またアイは、ア(“亜”)から、イ(出る(いずる)、泉)、そしてそれは“創造”の“主(ヌシ)”の表記である“一”そのものでもある)。

このカタカナ表記、それは第六、七、八、十帖で述べられてきたことの続きであり、そしてそれは古事記の文章とほとんど共通でもある。
しかし、ここまでの日月の巻、そして今後も“日月神示”内で述べられている古事記の記述に似ている文があるが、その文だけを見れば、一般の古事記の研究者の解説や解釈として、それ、天地初発のこととされていたりもする。
だが、その解釈や解説そのものが、言葉の解説とかの単なる同義反復でしかなく、それは古事記の文章を見て、ただそうであったとか、そういう記述であったとか、そんな読み取り方しかしていないと思う。 

(古事記の原文には“天地初發之時”って記されているが、だいたい天地初発っていう解釈そのものが、ただ、そうであったであろう…という、憶測による解釈の言葉の使い方でしかない。 “之”“時”が、なぜ当てられているのかを考えなければならないと思う)

よってKellyさん的には、ここまでの日月の巻のそれぞれの帖で、カタカナ表記の解釈をしたうえで述べたこと。 
それは“創造”の“主(ヌシ)”の天意。 
そして天意って認識そのものは、“創造”の“主(ヌシ)”の被造物である“日止、霊止”から視点の認識でもあるからこそそれは、“創造”の“主(ヌシ)”の“創造”の思惑で、いうならばそれは、神の思惑と要約してもよい。 
またそれは、人=“下”であり“創造”の“主(ヌシ)”=“上”であるという、このことも(被造物の)人としての認識。
そして天意の顕現=神の“思惑の顕現”、それは事象の“創造”そのものであること。 
さらに言い換えれば、このこと事態が、事象の“創造”の根拠そのものであること。
そしてその“創造”を担う生命(生きる使命=存在理由)は、“上”からの荷電粒子を止める意味を表している古神道の表記としての“日止、霊止”であること。
そしてその天意の顕現である“創造”の具体的な仕組みが、天之御中主(あめのみなかぬし)で示されていること。 それは“上”と“下”、またそれは、天之御柱(あめのみはしら)“上”と“下”を貫く磁性=空間と認識される場(フィールド)を貫く縦の磁束によるものであり、そしてすべての事象(顕現)は、荷電粒子によるものであること。 
またそこには、物理学でいうところの電気的な変化があること。
そして、(“創造”の“主(ヌシ)”であろうが下等な細菌であろうが人であろうが)個々の心=霊は、縦の磁束由来のローレンツ力による荷電粒子の回転である事。 
また、個々の心(靈)が、(生命たる所以のこととして、例えばある程度進化した生命が感覚器官を使ったりして、感じ(感じる磁性)ることとしての)観察と、その観察行為により、(進化した目上(めうえ)の脳により)認識をすることが、電磁波の受信と発振、発信である事。
また、心(靈)は、その性質として、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)があり、“畐”=自分の外側(外国と幽界)の事象の荷電粒子を受け、それを取り込み、自分の心(靈)の一部として、言い換えれば自分の心の動きとして=思想(心(靈)の動き)と成して、それをまた、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)とする。 
それがオーラでもある。
そして、すべての(個々の心(靈)が“観察と認識”をする対象である)事象は、個々の心(靈)の電磁波の発振、発信=オーラの相互干渉で成り立っているという言い方も出来る。
そしてそれは、オーラというものは、すべての生命、“創造”の“主(ヌシ)”であろうが一番下等な細菌のような生命であろうが、すべて、電気的な法則性を持つからこそ、オーラを発振、発信するものであるし、その基本原理は縦の磁束に由来するものであり、進化論における肉体の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)は、磁束の多様な変化といいうる。

(だが、平均的地球人が持っている進化の認識に、この概念は無いと思う)

そして“上”から“下”までの生命(生きる使命=存在理由)のオーラの相互干渉、これらによる事象の“創造”、その仕組み、そしてその根拠は、ア(“亜”)から、イ(出る(いずる)、泉)、そしてそれは“創造”の“主(ヌシ)”の表記である“一”であることだと思えるから、その観点で今後も読み解いていくつもりである事をお断りしておきまんねん。
(そやからこのことは今までもたびたび説明してきているけど、解りにくいやろし、仮に○○○大先生の文章を全部読破しても、多分、ほとんどの人がこんな認識を持つことが出来ない…実感できないやろからこそ、今回、あえて延べさせて貰いましてんな)

前置きが長くなったけど、まず、この文の“ミハシラ”“三柱”は、第六帖の天之御中主(あめのみなかぬし)と第七帖の高御産巣日神(たかみむすび)と神産巣日神(かみむすび)之命(の“実言(みこと)”)のこと。 その意味は、それぞれの帖の解釈を読んでくださいでんねん。
そして“五ハシラ”“五柱”は、先の“三柱”に第八帖で解釈した“宇摩志阿斯詞備比古遲神(うましあしかびひこぢのかみ)”さらに第十帖の“天之常立(あめのとこたち)之命(“実言(みこと)”)”を加え、“五柱”とされている。
そしてここまでの“五柱”、その後に述べられている“国之常立(くにのとこたち)之命(“実言(みこと)”)”、これはちょっと意味合いが違う。 
それは第十帖の解釈で“天之常立(あめのとこたち)之命(“実言(みこと)”)”と“国之常立(くにのとこたち)之命(“実言(みこと)”)”については、“天之常立(あめのとこたち)”=進化した“上”の存在と解釈し、そして“国之常立(くにのとこたち)”の“国”は、“国”((囗)くにがまえ)と“玉(ぎょく)”…“玉(ぎょく)”は自省(胸の磁性“十”)の心(靈)の動きを示す)で、これは“上”と“下”を認識しうる自分の心(靈)の中の事象であると解釈した。 だからこそ次のように述べた(日月の巻 第十帖 Kellyさん的解釈からコピペ)。 

““天”と“国”、この二つが、“之”(これ)、“常立(とこたち)”で、常に立つことを示し、これ(之)常に立つの意味は、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)でしかない。 そしてそれは“命(“実言(みこと)”)”でなければならない。”(引用終わり)

だがこれは、自分自身の心(靈)=“国”と、“上”=“天”という認識でもあるし、よって“国”という表記を使われている事により、またこの段階で、初めて独り神(ひとりがみ)以外の=他の生命(生きる使命=存在理由)の存在の誕生を示唆するものであると思う。
そして次は“七柱”だが、それは第十帖の“国之常立(くにのとこたち)之命(“実言(みこと)”)”と豊雲野(とよくもぬ)之命(“実言(みこと)”)、これに第十二帖で述べられている以下の神名の表記を足したものである。
それは“宇比地邇(うひぢに)”“妹須比智邇(いもすひぢに)”、この二柱で一対。
そして“角杙(つぬぐひ)”“妹活杙(いもいくぐひ)”で一対。
“意富斗能地(おほとのぢ)”“妹大斗乃辨(いもおほとのべ)”で一対。
“於母蛇流(おもだる)”“妹阿夜詞志古泥(いもあやかしこね)”で一対。 
そしてこの文の最後には“伊邪那岐神”“伊邪那美神”が示され、これも一対で、ここまでで“七柱”とされており、これは一般の古事記の解釈と共通でよいと思う。
また、ここから始まる二柱一対の表記は、日足(ひたり)と砌(みぎり)の極性の発現の始まりでもあると確信する。 
だから一般の古事記の解説や解釈は“宇比地邇(うひぢに)”“妹須比智邇(いもすひぢに)”から、男神と女神になったと説明されてもいるが、男神と女神という解釈が違うと思う。 それは、まだここまでの段階では、(生命としての)人としての、男と女の意味合いではなく、事象の極性としての日足と砌(ひたりとみぎり)が発現し始め、それは、第八帖で、“宇摩志阿斯詞備比古遲神(うましあしかびひこぢのかみ)、命(“実言(みこと)”)”は、巨大人の構造を持つ宇宙自体のシンクロトロン放射の仕組みを表すのだと解釈したが、それは縦の磁束=天之御柱(あめのみはしら)“上”と“下”を貫く磁性に対し、水平磁場の発現でもあり、だからこそ(個々の心(靈)が観察して認識するという意味での)縦=“上”“下”に対し、左右=日足(ひたり)と砌(みぎり)が発現するものでもある。
そして、事象の形成は時間の進行(“道”)により進み、法則性(“理(ミチ)”)により形作られ、多様化し、複雑になって行く。 その前段階としての縦の磁束=天之御柱(あめのみはしら)“上”と“下”を貫く磁性と、水平磁場の発現=日足(ひたり)と砌(みぎり)と認識されうる区別、そして縦の磁束と横の磁束は、事象の形成に必須の条件であるとのことを指し示した文章であると思う。
よってこれらの神名の意味、この表記の意味を、きちんと読み取り、そしてこの文で示されているとおり、それらは“命(“実言(みこと)”)と、出れ成り(あれなり)、生き活き(あるいは、往き、行き、これは時間の進行を指す意)て、活き(現象化の意)給いき”という文で示されている通り、それを成す、あるいは成さねばならない、成すべきである。   
だからそれは“創造”の“主(ヌシ)”の思惑であり、さらにそれは“道”(時間の進行)と“理(ミチ)”(法則性)”を感じさせる=認識させられるものである。 また、神の思惑を顕現すべき(霊的成長を果たすべく)“日止、霊止”としては、こういう認識を持つのが妥当でもあると思う。

ここまで述べたことを念頭に置き、第十二帖で示されている神名の解釈を、以下に述べる。

まず、“宇比地邇(うひぢに)”は、(宇摩志阿斯詞備比古遲神(うましあしかびひこぢのかみ)と共通の意味での)“宇”は、天意、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑。
“比地”は、此れ、と、地は“下”。
“邇”は、ちかい、近い、近くにあるもの、身近なものから対処するという意味合いの表記。 これは進化(霊的成長、神格化に向かうこと)には、順序、順番があることを示唆していると解釈する。 そして“妹須比智邇(いもすひぢに)”は、“妹”は、砌(みぎり)の極性としての“女”という表記と、時間の進行を示す未来の“末”、そして“須”は、もとめる(求)、も(持)ちいる、ま(待)つ、すべし(全うするべく)、すべからく(完成を目指すために)、もとむ(求)、以上の意味がある。 
そして“比”は、これ。 “智”は、太陽=日を知る、それは第七帖の“高御産巣日神(たかみむすび)”と“神産巣日神(かみむすび)”の表記の“日”のこと。 
“邇”は先に説明したとおり。
 よって“宇比地邇(うひぢに)”“妹須比智邇(いもすひぢに)は、“上”=天意と“下”である地、天地っていってもいいが、この天地って言葉そのものが低い既成概念に囚われている感があり、だからそれは、“上”と“下”、神と人(日止、霊止)、“創造”の“主(ヌシ)”と被造物、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑とその顕現であるすべての事象、そういう解釈が妥当であると思う。 そしてそれは“上”からの荷電粒子を仲介する太陽=“日”で、天意=神の思惑を知り、それが“此”“智”で、現象化した砌(みぎり)の極性である、現津(あきつ)、観察され得る事象は“妹”で示され、よって“妹須比智邇(いもすひぢに)”は、“上”からの荷電粒子=“日”を知り(認識(悟り、幸取=さとり)として取り込み)、それを求め、完成を目指し=“須”、そして進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の順番を“下”から“上”に向かう=“邇”。 そう読み取るのが妥当だと思う。

 次は、“角杙(つぬぐひ)”“妹活杙(いもいくぐひ)”、この表記の“角”“杙(杭)”は、縦の磁束により高分子化されている様子、あるいは結晶化されていく様子を指し示すと思う。 
ちなみに○○○大先生は“改”で、進化に伴う生物の一個体内の電気特性の変化と、“上”からの荷電粒子の影響、その両方が進むことにより、電気特性を持つアミノ酸がつみ重なり、それはたんぱく質の高分子化になり、それが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)であることを説明しているが、それは巨大人の構造を持つ宇宙(場(フィールド))であっても同様で、宇宙は星間物質が凝り固まり(コ、(凝集の)凝、真固止の固)、星雲や星が出来ているし、密度の高い星(真に固い星)(白色矮星、ブラックホールなど)は、高いエネルギー(電磁波、高振動の星のオーラ)を放出している。 
そしてそれは、宇宙であろうが人であろうが下等な細菌であろうが、すべての事象は磁束と電気特性という性質において相似象であるとの解釈に基づいて思うことでもある。
だから“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化した人のオーラが大きくなるのが必然でもある。
少し余談だったけど、その意味合いで“角”“杙(杭)”は、尖ったもの=“角”、差し込むのも=“杙(杭)”という解釈をする。 
なぜその解釈が成り立つのかといえば、今後解釈する日月の巻の第十七、十八帖に“ヌホコ”“ヌホト”って表記が出てくるのと、この二つの表記は、電磁誘導による発電の仕組みを示すものでもあると思うからであり、この詳細についてはそれぞれの帖で述べることとするが、その発電の仕組みを構成し始めること、成り立ちの初めの段階が、高分子化、分子の積み重なりであり、それが“角”“杙(杭)”である。
そして“角杙(つぬぐひ)”は、角として先に出来たものであり、杙=杭は、角から後(“妹”=末と、砌(みぎり)の極性(顕現)である女)に出来たのであるとの解釈をする。
だから“妹活杙(いもいくぐひ)”は、“杙”を“活かす”、そしてそれは“角”より後発であり、“思惑の顕現”=現象化の意味合いを持つものであり、だから角→杙、それは磁極性により(“亜”が材料の)何かが凝り固まり、それが差し込まれることにより“活”(活かす)(電磁誘導)ものであり、そしてそれは生命が観察して認識しうる砌(みぎり)=事象としての現象化であるとの解釈をする。

 次は“意富斗能地(おほとのぢ)”“妹大斗乃辨(いもおほとのべ)”。 まず、“意”は、日に立つ心(靈)、それは日を目指す(“日止、霊止”を目指す)って言い換えても良いと思う。 “富”は、宀(うかんむり、頭の意味)と“創造”の“主(ヌシ)”の表記である“一”(“亜”から出ずる、泉、アイ、向かって日足(ひたり)から砌(みぎり))と、自分に取り込む意味(吸収、止めるの意)の“口”と“田”(心、靈、の四つの場(フィールド)、大脳の新皮質)、そして“富”は、生命(生きる使命=存在理由)が神格化するためのテンプレートとしての表記でもあり、智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)の発現と強化にかかわる意味を持つし、またそれは“日月神示”の表記の“富士(二二)”でもあると確信しているし、だから“日月神示”表記の“富士(二二)”は、肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道の意味があるのだと思う。 
そして“斗”は、たたかう(戦う)、にわかに(俄かに)、はるか(遥か)、わずか(僅か)の意味もあるし、柄杓(ひしゃく)の意味もあり、北斗(七星)とか南斗という星の命名の由来であったりもするが、今列記したそれぞれの意味も感じさせるものではあるが、水をすくう意味での柄杓がもっとも妥当な意味合いだと思う。 その理由は後述する。
そして“能”は、何かをなしとげる(成し遂げる)そのはたらき、(能力)、そして、ききめ(効能、効果)の意味がある。 そして“地”は、天地の地、“上”と“下”としての“地”。 
よって、“意富斗能地(おほとのぢ)”は“上”からの荷電粒子=日に立つ心(靈)の“日”で、智性(神性)を発現する、またそれは脊椎動物の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)のテンプレートである富士の“富”を、“下”である“地”に成し遂げ、それは、器である柄杓、水を入れる柄杓の意である“斗”とする。 またその水は、荷電粒子として最大の大きさを持つ錯体に取り入れる。 その水は、人(日止、霊止)において腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロンでもあり、進化過程として、自我は、智性(神性)により支配されなければならないことも示唆していると思うし、自我の発現は独り神(ひとりがみ)になる過程、それは進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の必然であり、自我が無ければ、自己と他者の認識も無く、他者を思いやる(“慈悲”と“慈愛”)事もあり得ないものである。 …という意味を感じさせるものでもある。
 “妹大斗乃辨(いもおほとのべ)”は、“妹”は前述したとおり時間の進行と砌(みぎり)の極性(事象への顕現)を感じさせる表記。 “大”は“一”(智性(“一”、1番目のオーラ))と丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)、そして“大”そのものの意味は、人が手足を広げた様の意味がある。 “斗”は、前述したとおり自我にかかわる水。 “乃”は、なんじ、それがし、(はっきりさせるのではなく、間をおいてつなぐ意味として)すなわち、の意味がある。 “辨”は、(正しいか正しくないかを)分ける、わきまえる、その意味がある。 よって“妹大斗乃辨(いもおほとのべ)”は、“理(ミチ)”(進化の法則性)を“辨”=わきまえた人、それは“一”(智性(“一”、1番目のオーラ))が大きくなった存在、天意と感応共振する事が可能な存在(真の意味での天皇)、またそれは古神道の表記の“日止、霊止”(“上”からの荷電粒子を止める表記)、それが“大”の意味で、だからまとめれば、顕現した生命(“妹”)は、自分の独り神(ひとりがみ)になるべく心(靈)(この場合は自我)に、“上”からの荷電粒子を止める表記の意味を持つ“大”となるべく生命を(すなわち“乃”)わきまえる(“辨”)べきであり、それが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)であることを示唆していると感じる。

 次は“於母蛇流(おもだる)”“妹阿夜詞志古泥(いもあやかしこね)”。 “於母蛇流(おもだる)”の“母”は、産み出す、そして水(子宮の羊水)の意味を感じさせ、“蛇流”は、下降する様と螺旋(とぐろを巻く)(ローレンツ力による荷電粒子の回転)を示唆しており、“上”からの荷電粒子が渦巻いておりて来る様を示し、それは新たな生命を産み出す(“母”)の意味があると思う。
“妹阿夜詞志古泥(いもあやかしこね)”は、“妹”は先に述べたとおり砌(みぎり)の極性(事象への顕現)で、“阿夜”の“阿”は、曲がって入り組んだ所、曲がり角、隈、の意味があり、“夜”は、昼間の太陽が出ている間に対し、反対の意味を持ち、陽に対しての陰でもあり、“日月”の月の意味でもある。 そして“詞”は“日月神示”表記の詞(ことば)であり、“言(こと)”(事象に顕現され、(自己と他者に)観察された心(靈)の動き)であり、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)でもある。 “志”は、こころざし、意志の“志”、これは願望の達成、言い換えれば“思惑の顕現”=現象化、そして進むことの意もある。 そして“古”は、縦の磁束と横の磁束の表記である“十”と、場(フィールド)を示す“口”、“泥”は、(水の中の)帯電するミネラルが固まっていない(真固止ではない)状態を指し示す。
よって“於母蛇流(おもだる)”“妹阿夜詞志古泥(いもあやかしこね)”は、日足(ひたり)=神の思惑が、砌(みぎり)=事象に顕現していくのだが、その過程を表した表記だと感じる。
少し余談になるが、“角”“杙(杭)”“泥”って表記が今回出てきたが、これらはすべて何かが積み重なり出来上がっていくさまを示すと思うし、ことに“泥”は、帯電するミネラル“石”が固まっていない表記であり、それは“海”“川”でも同様の意味を持ち、要は水の中には錯体があるという事を言い表していると思う。
また“石”(帯電するミネラル)が積み重なり、何かが出来上がる。 その意味で“土”“岩”“山”(脳)“塔”(角より高いもの)“玉(ぎょく)”(きちんと結晶化されたもので、“上”が評価するべきもの)って表記も、高い心霊は使うが、すべて何かを積み上げる=高分子化する、あるいは密度が高くなる意味を持つと思う。
そしてこの文の最後には“伊邪那岐神”“伊邪那美神”と記され、この二柱は、神=荷電粒子の回転という表記が使われている。 このことを念頭において、まず“伊”は、これ、この、かれ、かの、なんじ、の意があり、それは“邪”にかかるものであり、“邪”の意味は、正しくないこと、道にはずれていること、あるいは、横の方向であること、その意味がある。 
よって“伊邪”、これは縦の磁束(正しい(“上”(“創造”の“主(ヌシ)”)と“下”(人)の思惑を取り込んだ事象))どおりではなく、横の方向=水平磁場による顕現を指し示す表記であると思うし、また、ローム太霊の言葉の右往左往と左往右往を思い起こさせるものであり、すべての事象は縦の磁束が初発であり、それに対し水平磁場が発現し、その相互の影響で事象は形成されている(と、心(靈)は感じ(感じる磁性)て、認識する)。
そしてすべての事象は、“上”と“下”=縦の磁束、日足と砌(ひたりとみぎり)=水平磁場、そして時間の進行=“道”、法則性=“理(ミチ)”によって形づ繰られるものであることを深く感じさせる表記が、“伊”“邪”、そして次の“那”でもある。 それで“那”は、美しい、安らか、多い、ふくよか、豊か、の意味がある。
“岐”は、幾度となく説明したことでもあるが、思想の分かれ、それは山(脳)と支(ささえ、わかれ)、思惑そのもの、日足(ひたり)の極性。 “美”は、羊が大きいの意味があり、従順に、恭順に従っていく様。 
そしてここで初めて日足(ひたり)の極性=男と、砌(みぎり)の極性(事象への顕現)=女をあてるべきだと思う。
そして先に述べた、日月の巻の第十七、十八帖の“ヌホコ”“ヌホト”の表記につながっていくものであるので、今回のカタカナ表記の解釈は、ここまでとする。

 次は、第十二帖の残りの文。

“足許に気付けよ。悪は善の仮面かぶりて来るぞ。
入れん所へ悪が化けて入って神の国をワヤにしてゐるのであるぞ、己の心も同様ぞ。
百人千人万人の人が善いと申しても悪い事あるぞ。一人の人云っても神の心に添ふ事あるぞ。
てんし様拝めよ。てんし様拝めば御光出るぞ、何もかもそこから生れるのざぞ。
お土拝めよ。お土から何もかも生れるのぞ。
人拝めよ、上に立つ人拝めよ、草木も神と申してあろがな。
江戸に攻め寄せると申してあろがな。
富士目指して攻め来ると知らしてあること近付いたぞ。
今迄の事は皆型でありたぞ、江戸の仕組もお山も甲斐の仕組も皆型ぞ、鳴門とうづうみの仕組も型して呉れよ。尾張の仕組も型早よう出して呉れよ。
型済んだらいよいよ末代続くまことの世直しの御用にかからすぞ。
雨降るぞ。”

 まず“足許に気付けよ。悪は善の仮面かぶりて来るぞ。 入れん所へ悪が化けて入って神の国をワヤにしてゐるのであるぞ、己の心も同様ぞ。 百人千人万人の人が善いと申しても悪い事あるぞ。一人の人云っても神の心に添ふ事あるぞ。”は、特に説明するようなことではないが、今の世界は腐っており、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心(靈)の動きが当たり前で、欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとかが横行し、欺かれているとか、騙されているとか、嘘をつかれているとか、巧みな泥棒に奪われているとかの認識が無いからこう言われている。 
そしてその低い心(靈)の動きに支配されているからこそ、内在する“悪(心の動きの本能化と低振動化)”にも気がつかない人が多いので“神の国(自身の心(靈))をワヤにしてゐるのであるぞ、己の心も同様ぞ”と指摘されている。 
それで、本当の(真固止の、○ 九 十の、“誠”(言葉成る、意味は、自分が発振、発信した振動(言葉)が完成する)の)こと(進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の真実)に気がついている人は、ごく少数でしかないから、“役員づら”の言葉によっている人ばかりだから“百人千人万人の人が善いと申しても悪い事あるぞ。一人の人云っても神の心に添ふ事あるぞ。”とも指摘されている。
 そして“てんし様拝めよ。てんし様拝めば御光出るぞ、何もかもそこから生れるのざぞ。
お土拝めよ。お土から何もかも生れるのぞ。 人拝めよ、上に立つ人拝めよ、草木も神と申してあろがな。”は、“てんし様”は、“上”との感応共振を示し、“御光出るぞ”は稜威(“イツ” 古代日本語で、“イチ”が変化した言い方、意味は、神霊の威力、みいつ、天子の威光、 類義語として、威霊)であり、“一”=智性=1番目のオーラでもある。 そしてこの文の表記の“土”は、“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化の材料としての帯電するミネラルを示し、だから肉体を尊べという意味でもあるが、肉体を尊ぶのは、いかに鍛える(“力(ちから)の根(ね)”=肉体内の鉄分子、“カネ”の言霊と、段階の段が合わさった表記)のかが大事。 
だからこそ貴い事象は、貴い“行”をして、“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化した人が“創造”するからこそ“お土から何もかも生れる”と称されている。 それは“人拝めよ、上に立つ人拝め”も同様の意味で、特に“上に立つ人”は、霊的成長を果たすべく生きている人、“一”=智性=1番目のオーラが大きくなった人、あるいはそれを目指す人、それを目指せっていう意味。 そして“草木も神と申してあろがな”は、“草”は、クサカンムリ(芽生えるの意味)と、太陽を示す“日”と胸の磁性“十”。 “木”は、胸の磁性“十”と丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)が重なった表記。 
 そして“江戸に攻め寄せると申してあろがな。富士目指して攻め来ると知らしてあること近付いたぞ。”というのは、この文の“江戸”は、腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロン、そして“富士”の“富”は、智性(“一”、1番目のオーラ)そのものの表記であることを先ほど説明したが、自分の心(靈)の自我と智性に、入り込んでくる“悪(心の動きの本能化と低振動化)”を“足許に気付けよ。悪は善の仮面かぶりて来るぞ。 入れん所へ悪が化けて入って神の国をワヤにしてゐるのであるぞ、己の心も同様ぞ。 百人千人万人の人が善いと申しても悪い事あるぞ”といわれていることを先に説明したが、それを強調した言い回しである。

 そして次の文。
“今迄の事は皆型でありたぞ、江戸の仕組もお山も甲斐の仕組も皆型ぞ、鳴門とうづうみの仕組も型して呉れよ。尾張の仕組も型早よう出して呉れよ。 型済んだらいよいよ末代続くまことの世直しの御用にかからすぞ。”
 
 この文の“型”は、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)のテンプレートを指し、それはこの文の“江戸の仕組”は、腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロンであり、“お山”は大脳新皮質(目上(めうえ)の脳)であり、“甲斐の仕組み”は、ローレンツ力であり、因果応報、ブーメランの法則、“曲霊(まがつひ)”でもあり、自分が贖った事は結果として帰ってくる事を示唆した言い回しが“甲斐”である。(だが、“日月神示”には違う意味合いの“カイ”って表記がある)
 そして“鳴門とうづうみの仕組”は、肉体が持つ縦の磁束のローレンツ力による荷電粒子の回転を指し、“尾張の仕組み”は、尾骨と腹までの磁性、それは“日月神示”で使われる“褌(ふんどし)”に相当するもので、腹の段階の縦の磁束と原の水平磁場を指し、それはムラダーラチャクラ、スワディスターナチャクラ、マニピューラチャクラ、であり、頑張って(元の気を張って)気張る事、ローム太霊の言葉を引用すれば“粘りとやせ我慢”であることを指すものである。
 だが、現段階の地球人の進化は、その進化(霊的成長、神格化に向かうこと)のテンプレートとしての“型”を持っているだけの段階でしかなく、その意味も、その価値も、その真実も知りえない。 だから“今迄の事は皆型でありたぞ”と言われ、そして今後=アセンション後は、今より進化(霊的成長、神格化に向かうこと)するに決まっているのだから“型済んだらいよいよ末代続くまことの世直しの御用にかからすぞ”と言われ、“まことの世直しの御用”は、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心(靈)の動きも無く、“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)も活躍できない事象を“創造”することを示唆するものである。
 そして最後の文の“雨降るぞ。”は、以前紹介した雨の解字の画像を以下に貼って、今回はこれくらいにしときまんねん。

雨の象形文字 解字

« “日月神示”日月の巻 第十三帖 Kellyさん的解釈|Top|Kellyさん、Nominyan&Senyapoo親子と初めて会い、Nominyanと○○○大先生が出会った当初の話を聞かされて、妙に納得する。 »

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://tuyukusanotuyu.blog45.fc2.com/tb.php/344-6f308817

Top

HOME

tuyukusanotuyu




 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
FC2ブログへようこそ!


Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
(クリックで拡大)

2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
(クリックで拡大)


発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
(クリックで拡大) 

お近くの書店にない場合は
たま出版のサイトでお買い求めください。

発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
(クリックで拡大)

お近くの書店に無いときは
たま出版のサイトでお買い求めください。

この本に付いてはこちらを御覧下さい。


       




初めての方は、
・・・その後の事と・・・これからの事。
からお読みください。

それぞれのカテゴリーをクリックすると
古い順に、記事が閲覧できます。

        

☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (104)
Kellyさんがこのブログに霊縁あった人(日止、霊止)に伝えたい事 (22)
Kellyさんと○○○大先生との会話 (7)
Kellyさんとチョ~極上ラブラブ中高年夫婦はんとの会話 (6)
Kellyさんとチョ~ベッピンはんのA野はんとの会話 (7)
Kellyさんと∪・ω・∪ ▼・。・▼ ▼・。・▽ U・。・U U。・ェ・。U たちとの会話 (33)
Kellyさんとメタボ研修医のYっちゃん先生との会話 (2)
Kellyさんとややメタボ内科医のYっちゃん先生との会話 (7)
Kellyさんと和風のベッピンはんのSはんとの会話 (2)
Kellyさんと農業好きの社長婦人K地M美はんとの会話 (12)
KellyさんとNominyan ∥*σ_σ*∥&Senyapoo λ*゜ο゜*λ との会話 (6)
☆ Kellyさん的“日月神示”解釈 (480)
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 (16)
“日月神示” 上つ巻 (42)
“日月神示” 下つ巻 (38)
“日月神示” 富士の巻 (26)
“日月神示” 天つ巻 (30)
“日月神示” 地つ巻 (36)
“日月神示” 日月の巻 (68)
“日月神示” 日の出の巻 (23)
“日月神示” 磐戸の巻 (21)
“日月神示” キの巻 (17)
“日月神示” 水の巻 (36)
“日月神示” 松の巻 (30)
“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
“日月神示” 岩の巻 (11)
“日月神示” 荒の巻 (27)
☆ Kellyさん的“ローム太霊講話集”解釈 (107)
☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
☆ 先生が撮るけったいな花の写真 (22)
☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



fxwill.com


2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
予約制 鍼(はり) 灸(きゅう) マッサージ治療 児玉療院
写真部の○○○大先生のページ
写真部に投稿した最新の写真
 ↓


powered by 写真部









○○○大先生の水草水槽記録
facebook 児玉登







このブログをリンクに追加する


自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




飢餓救済のホームページ

JWord クリック募金

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード