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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”日月の巻 第十五帖 Kellyさん的解釈


今回も、日月の巻 第十五帖を解釈しまんねん。原文は以下の通り。

目覚めたら其の日の生命お預りした事を神に感謝し、其の生命を神の御心(みこころ)のままに弥栄(いやさか)に仕へまつる事に祈れよ。
神は其の日其の時に何すべきかに就いて教へるぞ。
明日の事に心使ふなよ。心は配れよ。取越苦労するなよ。心配りはせなならんぞ。
何もかも神に任せよ。神の生命、神の肉体となりきれよ。
何もかも捨てきらねばならんぞ。天地皆神のものぞ、天地皆己のものぞ。
取違ひ致して呉れるなよ。
幾ら戦してゐても天国ぞ、天国とは神国ぞ。神国の民となれば戦も有難いぞ。
いきの生命いつも光り輝いてゐるぞ。神にまつろてくれと申してあろが。あめつち皆にまつろて呉れと申してあろがな。ここの道理よく判りたであろが。何も云ふ事ないぞ。
神称へる辞(コト)が光透(コト)ぞ。
あめつち称へる言(コト)が光透(コト)ぞ。草木の心になれと申してあろがな。
神風もあるぞ。地獄の風もあるぞ。
迷ふでないぞ、神の申すコトはコトであるぞ。
コトに生きてくれよ。コトにまつろへよ。
十一月の一日、ひつ九か三。

まず、冒頭の文。

“目覚めたら其の日の生命お預りした事を神に感謝し、其の生命を神の御心(みこころ)のままに弥栄(いやさか)に仕へまつる事に祈れよ。
神は其の日其の時に何すべきかに就いて教へるぞ。
明日の事に心使ふなよ。心は配れよ。取越苦労するなよ。心配りはせなならんぞ。
何もかも神に任せよ。神の生命、神の肉体となりきれよ。
何もかも捨てきらねばならんぞ。天地皆神のものぞ、天地皆己のものぞ。
取違ひ致して呉れるなよ。”

何度も述べてきているように、人っていう字は、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)で構成され、人の使命=存在目的は、現津(あきつ)、観察され得る事象の“創造”でもある。 またそれは、日月の巻 第十三帖で“蔭の御用と表の御用とあるなれど何れも結構な御用ざぞ。身魂相当が一番よいのざぞ。”と述べられているが、それぞれの役割、使命、あるいは“日月神示”表記の“御用”は、その立場立場、霊的成長度に於いて、誰もが同じことをするのではない。 
だがそれは、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)(法則性)に沿ったものでなければならない。 
そして進化の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)を理解できない、あるいは間違えているものが“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”でもあるし、その心(靈)の動き(自我の肥大=“石屋の仕組み”)で創造されている事象は、恨みの連鎖の霊的干渉でもある。 
だからこそ自己奉仕者が創造した世界は壊滅するのが法則性(“理(ミチ)”)でもある
 このことを念頭において、この文を読み解けば、“目覚めたら其の日の生命お預りした事を神に感謝し、其の生命を神の御心(みこころ)のままに弥栄(いやさか)に仕へまつる事に祈れよ”は、“道”(時間の進行)において“其の日の生命”=役割、“其の生命を神の御心(みこころ)のままに”=“理(ミチ)”(進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の法則性)、“使えまつる事に祈れよ”=“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)を尊守せよということでしかなく、そして弥栄(いやさか)は、一言でいえば縦の磁束と横の磁束による荷電粒子の回転(チャクラ)でもあるが、それは弥栄(いやさか)の弥の旧字に示されているので、以前紹介した画像を以下に貼っておきまんねん。
彌栄弥栄(いやさか) 弥の旧字 
弓と璽(しるし) 彌の旧字の解字


そしてその、弥→彌=(背骨の)縦の磁束と(進化した左右相称動物である人間が持つ)水平磁場による荷電粒子の回転は、肉体が“上”“下”に並んだ三つのコンデンサーの構造を持つからこそ、“一二三”のオーラになり、その“一二三”のオーラは、“上”からの荷電粒子と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)して心が構成されているからこそ、“一”=智性=1番目のオーラが大きくなければ、“天詞様”と呼ばれる心(靈)には成りえないものである。 それを説明するために、“上”からの荷電粒子と平均的地球人の“一二三”のオーラのバランスを以下に示す。
平均的地球人と“上”との感応共振 


 だが、この平均的地球人の段階の霊的成長度の心(靈)は自我(腹、“日月神示”表記の“江戸”)中心でしかなく、それはいずれ進化していけば“慈悲”と“慈愛”中心の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)と、高い智性(神性)を発現していくのだが、まだその部分のチャクラの発達の程度が低い。 そのことを日月の巻 第十二帖では“今迄の事は皆型でありたぞ、江戸の仕組もお山も甲斐の仕組も皆型ぞ、鳴門とうづうみの仕組も型して呉れよ。尾張の仕組も型早よう出して呉れよ。”の、“型”(脊椎動物の進化のテンプレート)と称されており、だからそれは今の地球人の霊的成長度では“型”は整っただけでしかないということを指摘している。 
よって人は、今後、アナハタチャクラより“上”の進化に入る(第四密度)。 それは自己奉仕者の心(靈)ではなくなり、それを簡単に述べれば、自己と他者の良いカタチ、すべてのよいカタチを念頭におき、自分の“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)の使い方を考え、自分の欲望を満たすだけの使い方をしなくなるものであるし、その思想を持った人間が事象の“創造”をしなければ、良い世界になるわけが無い。 
さらに、目上(めうえ)の脳を刺激する“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことをなしたものは、“一”=智性=1番目のオーラの拡大になり、そして以下の画像の“一二三”のオーラのバランスとなり、頭の水平磁場の強化が理由で大きくなった“一”=智性=1番目のオーラは、“上”から注がれる荷電粒子の高い振動と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)して、高い智性(日を知る性質)を発現し、それを行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)に活かすものでもある。

アセンション後の“創造”を神から託される人のオーラの構成


 そして人の使命、“御用”は、“身霊相当”(霊的成長度において事象の“創造”の役割(“御用”)は、違うという意味、日月の巻 第十三帖の表記)でもあるが、今述べたように平均的地球人=自我の確立=固定化と、自我の肥大をした人間とは違う方向性を持つならばそれは、アセンション後の“創造”を担う“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)をある程度認識しているのであるからこそ、日月の巻 第十四帖の表記の、(アセンション後の)“上下揃った光の世”の“創造”に参加出来うるものでもある。
そして進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)、それを教えるために“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の計画として“日月神示”は書かれた。
(だが、その事を低い功名心と自尊心=自我の肥大による“役員づら”の心(靈)の動きでで履き違え、間違えている人が多すぎる)
 今述べた進化の“道理”、それを少しでも意識して自分の認識とするなれば、(個々の霊的成長度において程度の相違があるけれど)目の前の問題を、自分の課題として、あるいは困難を試練として、自らの成長に活かす思想を持つ。 
だから次のように述べられている。 
“明日の事に心使ふなよ。 心は配れよ。 取越苦労するなよ。 心配りはせなならんぞ。”
 ことにこの文の“明日の事に心使ふなよ”は、目前にある困難を試練と認識しない心(靈)の動きを指摘しているものであり、それは、自らの霊的成長のために“上”は困難を試練として与え(それは恨みの連鎖の霊的干渉由来の因縁である事が多いが)、それを乗り越える(贖う(あがなう))のが、ある意味“御用”でもあるし、だからこそS会=紫光会の交霊会では、“神は乗り越えられない困難を与えない”と何度も述べている。 
そして、目先の試練を自分が乗り越えるべき課題と意識すれば、“上”は通信を送ってくるものであるからこそ“心は配れよ。 取越苦労するなよ。 心配りはせなならんぞ。”と言われ、“明日の事に心使ふ”という、ただ問題を避けようとか、逃げようとか(それは、この文の前後を考えれば、安易な癒しとか、現世利益とか、苦難を避け目先の薄っぺらい幸福に酔いたい心(靈)であると確信する)の心(靈)の動きでは、課題を乗り越えることは出来ず、自分がその課題に真摯に向き合えば=“心は配れよ”“心配りはせなならん”とするなれば、自らと“上”の感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)があり、だからこそそれは、自分は頑張るけど、結果は“上”に任せる=“取越苦労するなよ”となり、その課題は外側(外国と幽界)の事象では解決しなくても、自分の心(靈)の中に認識が出来ていくし(右往左往と左往右往)、結果、自分の外側(外国と幽界)の事象に答えは無いのだが、認識を得たこと事態が、自分の霊的成長のための試練を乗り越えたのと同義であり、それは今後=アセンション後の“創造”に活かされるものである。 
それでまたちょっと前後するが、認識を獲得し乗り越えられたならば、それは、自分の霊的成長度の低さを知り=自我の肥大を知り、自分に“慈悲”と“慈愛”の厳しさが発現し、同時に智性(神性)も発現するものである。 
その意味のことを次の文、“何もかも神に任せよ。神の生命、神の肉体となりきれよ。何もかも捨てきらねばならんぞ。天地皆神のものぞ、天地皆己のものぞ。 取違ひ致して呉れるなよ。”と述べられ、“何もかも神に任せよ”は先ほど述べたとおり、自分は頑張る(元の気を張る)が結果は“上”に任せ、そして、“上”との感応共振を示唆した言い回しが“神の生命、神の肉体となりきれ”であり、“上”との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)は“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化がなければならず、そのことを意図して“行”するならば、“上”は見過ごさないものでもある。 そして苦難や困難を試練と思わない自我の肥大した心は、自分に制限を加えないでサプリメントに頼ったり(例えば血糖値を下げるものや、食べてもダイエットできますとかの類のもの)、現世利益に(通貨としての)金を使ったり、インチキスピリチュアルカウンセリングやインチキ占いに金を使ったり、“役員づら”の宗教の本やスピリチュアルの本を買って満足したり、薄っぺらい感謝に酔ったり、こんな事は例を挙げればきりがないが、すべてそれは自我の肥大が招く事でもあるけれど、そんな低い心(靈)の動きを自分自身が見出し、その心(靈)の動きに囚われていてはいけないからこそ“何もかも捨てきらねばならん”と言われ、そして今の地球上の事象は、霊的に高いものでも低いものでも共通の事象を観察して認識しているから、“天地皆神のものぞ、天地皆己のものぞ”と言われ、要はこの言い回しそのものは、観察して認識する事象そのものはすべて自分の心(靈)の内側にあることを示唆しているし、自分の霊的成長度に於いて、今後=アセンション後には、自分の心(靈)が観察する事象は、今の地球のように“玉石混交(淆)”ではなく、自らの霊的成長度の高低における事象を体験するものでもあるし、それが神の計画としてのアセンションの意義で、だからこそそれは(アセンション後に位置して行く今より霊的進化を果たした)奉仕者と自己奉仕者は区別されねばならない。 そして大半の人がこの文章から、今述べたこのことを読み取れないからこそ“取違ひ致して呉れるな”と述べられている。
 そして次の文の、“幾ら戦してゐても天国ぞ、天国とは神国ぞ。神国の民となれば戦も有難いぞ。 いきの生命いつも光り輝いてゐるぞ。神にまつろてくれと申してあろが。あめつち皆にまつろて呉れと申してあろがな。ここの道理よく判りたであろが。何も云ふ事ないぞ。”も、目前にある試練を乗り越せという意味のことを言っており、何回も指摘してきているが、“日月神示”表記の“神国”の“国”は、自らの心(靈)のことであり、だから自分が試練と戦う=“幾ら戦してゐても”、それは自分の霊的成長の過程だからこそ=“上”に向かう事だからこそ“天国ぞ、天国とは神国ぞ。神国の民となれば戦も有難いぞ”ということになる。 
そしてこの文に続く“いきの生命いつも光り輝いてゐるぞ。神にまつろてくれと申してあろが。あめつち皆にまつろて呉れと申してあろがな。”は、“いきの生命”は、息の生命(生きる使命=存在理由)が妥当だろうし、それは息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)で、“上”と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)する自分の心(靈)=“いきの生命”は“いつも光り輝いてゐる”=高い振動のオーラを息吹いているということで、それは“上”との感応共振を言い表した“神にまつろてくれと申してあろが。あめつち皆にまつろて呉れと申してあろがな”であり、いうまでも無く“あめつち”は、“上”と“下”を示す天と地である。 
そして次の文の“神称へる辞(コト)が光透(コト)ぞ。 あめつち称へる言(コト)が光透(コト)ぞ。草木の心になれと申してあろがな。”も“上”との感応共振を述べている。 そしてこの文の表記“辞(コト)”は、敬意をもってへりくだって述べるの意味があり、それは“下”である自分が“上”に対する態度であり、述べること事態が自分の心(靈)の発振、発信であるからこそ息吹でもあるし、それに対し“上”からの荷電粒子が降り注ぐ様が“光透(コト)”=光(自分の心(靈)が持つ振動より、相対的に高い電磁波が透過する意味)と称されていると確信する。 そして“あめつち称へる言(コト)が光透(コト)ぞ”も、先に解釈を述べた天地=“上”“下”を知り、しっかり認識せねばならぬからこそ“あめつち称へ”と述べられ、それはまた“言”(事象に顕現され、(自己と他者に)観察された心(靈)の動き)であるからこそ“言(コト)が光透(コト)ぞ”であり、“草木の心になれ”は、“草”は、クサカンムリ(芽生えるの意味)と、太陽を示す“日”と胸の磁性“十”、そして“木”は、胸の磁性“十”と丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)でもある。
それで残りの文は、自分に対する事象が神の思惑のものもあれば=霊的成長を果たす事象もあれば、また、その反対の、“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の思惑(この場合の思惑は自分以外の心(靈)の発振、発信のこと)のものもあるからこそ “神風もあるぞ。地獄の風もあるぞ。” と言われ、だからこそ“迷ふでないぞ”と言われ、先ほど述べた例を挙げるときりが無い事、“苦難や困難を試練と思わない自我の肥大した心は、自分に制限を加えないでサプリメントに頼ったり(例えば血糖値を下げるものや、食べてもダイエットできますとかの類のもの)、現世利益に(通貨としての)金を使ったり、インチキスピリチュアルカウンセリングやインチキ占いに金を使ったり、“役員づら”の宗教の本やスピリチュアルの本を買って満足したり、薄っぺらい感謝に酔ったり”ってことが無いようになって欲しいから“神の申すコトはコトであるぞ”=“上”の思惑は“コト”(“上”からの荷電粒子の意味を持つ)“光透(コト)”であり、その光と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)してくれという意味で次のように述べられていることを指摘して、今回はこれくらいにしときまんねん。

“コトに生きてくれよ。コトにまつろへよ。”

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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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