“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”日月の巻 第十七帖 Kellyさん的解釈



 今回も、日月の巻 第十七帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

ココニアマツカミ、モロモロノミコトモチテ、イザナギノミコト イザナミノミコトニ、コレノタダヨヘルクニ、ツクリカタメナセト、ノリゴチテ、アメノヌホコヲタマヒテ、コトヨサシタマイキ。
神の国にも善と悪とあると申してあろがな。
この神示見せてよい人と悪い人とあるのざぞ。神示見せて呉れるなよ。
まことの神の臣民とわかりたら此の神示写してやりてくれよ。神示は出ませぬと申せよ。時節見るのざぞ。型してくれたのざからもう一(はじめ)の仕組よいぞ。
此の神示 表に出すでないぞ。天明は蔭の御用と申してあろが。
神示仕舞っておいてくれよ、一二三として聞かしてやって呉れよ。
此の方の仕組 日に日に変るのざから、臣民わからなくなると申してあろが。日に日に烈しく変りて来るのざぞ。神の子には神示伝へてくれよ。神せけるぞ。
渦海(うづうみ)の御用結構。
十一月四日、一二ローレンツ力と ○  。

 冒頭のカタカナ表記も、今までの日月の巻の例に倣い、漢字とひらがなを当てることとする。 そうすると以下のようになる。

“此処に(茲に)天津神、諸々の命(“実言(みこと)”)持ちて、伊邪那岐(いざなぎ)之命(“実言(みこと)”)(日足(ひたり)の極性)伊邪那美(いざなみ)の“実言(みこと)”(砌(みぎり)の極性(事象への顕現))に、是(これの)多陀用幣流国(國)(ただよえるくに)、作り固め成せ(“修理固成”(しゅうりこせい))と宣り乞ち(請ち)て(のりごちて)、天之沼矛(日本書紀では瓊矛、玉(結晶化した“玉(ぎょく)”=高分子化した何か)で飾った矛)を賜いて、“光透(コト)”(光(自分の心(靈)が持つ振動より、相対的に高い電磁波が透過する意味、日月の巻 第十五帖の表記))依し賜いき(よさしたま“いき”=息(息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)))”

 この文の冒頭の“此処に”、これにはあえて“茲に”を当てたが、この“茲”という字は、日月の巻 第三十帖に出てくるとても重要な意味を持つ表記で、その表記の意味は、“上”から注がれる荷電粒子により“幺”(いとがしら)=神経の発達が、艸部(そうぶ)艹、クサカンムリで、芽生えて発達して進化している事を示していると思うし、またそれは、左右=日足(ひたり)と砌(みぎり)に展開している進化した左右相称動物の特徴である神経の表記でもある。 
要は、神経=この字の左右の“幺”(いとがしら)に表れ、それは、これまで“日月神示”表記の“五六七(みろく)”の解釈として、“五”は糸巻きの象形文字で、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)に伴い神経が密になり、“六”は、爻部(こうぶ)=丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)が重なった表記で、その両方の思惑が交わるの意味があり、“七”=“一”=智性=1番目のオーラ、あるいは、“創造”の“主(ヌシ)”の表記である“一”(亜から出ずる、アイ)があると述べてきたが、その“五”を示すのが、また、“茲”=左右のコイル状の神経の芽生えと発達を示す表記であると思う。 
そして“茲に”のあとに“天津神”=(“創造”の“主(ヌシ)”に近い)“上”の思惑が、事象の“創造”と、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を目指す生命を育てる意図=“諸々の命(“実言(みこと)”)持ちて”であるだろう。 そしてこの文自体は、日足(ひたり)=(“創造”、愛(炁)の顕現、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の)思惑=伊邪那岐(いざなぎ)。 それと、砌(みぎり)、現象化(“創造”の“主(ヌシ)”が意図する事象の顕現)、伊邪那美(いざなみ)。 この両者(事象の“創造”には神の極性としての二つの性質がある)に対して=“イザナギノミコト イザナミノミコトニ”って言われており、それは“是(これの)多陀用幣流国(國)(ただよえるくに)、作り固め成せ(“修理固成”(しゅうりこせい))”を“宣り乞ち(請ち)て(のりごちて)”=それをせよ、実現(意図して創造して現象化)せよ、そう述べられている。
そして“多陀用幣流国(國)(ただよえるくに)”、これは“多い”、“陀”“用”“幣”“流れる”“国(國)”に分けて解釈するならば、この表記の“陀”は、ななめ、平らではないという意味があり、“幣”は、御幣の幣で、それは以前(上つ巻 第三十四帖の解釈)、こんな画像を作ったことがある。

御幣 日足と砌(ひたりとみぎり)の発振、発信

 御幣そのものは、神の依り代と一般に解釈されているが、それは、神の思惑を取り込んだ人(日止、霊止)の“思惑の顕現”=現象化を示したものであると思うし、だからこそ進化(霊的成長、神格化に向かうこと)は、心(靈)の発現が“上”に向かう事であり、人間になって初めて智性(神性、“一”、1番目のオーラ)が観察できるようになった。
(…というのが、○○○大先生が霊眼(れいがん、憑き物の視覚を共有し、人の目の機能が感じ(感じる磁性)る可視光線以外の電磁波を感じ(感じる磁性)こと)で、様々な人や動物などのオーラを観測して得た結論でもある)
そして御幣の構造の意味するところとして、○○○大先生的解釈は、御幣を支える棒が、背骨に相当し、そして背骨で発生する縦の磁束、それは、金(カネ)の意味でもある“力(ちから)の根(ね)”=肉体内の鉄分子、それがまた“カネ”の言霊であり、背骨の周りの神経がコイル状で、生体内電流により電磁石の構造を持ち、 ローレンツ力  =ローレンツ力が発生することが、“上”との思惑(電磁波)との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)でもある。 
分かりにくいやろから、今述べたことを言い方を変えるならば、事脊椎動物の進化の究極(○ 九 十 の“九”、これは、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)+“一”(“創造”の“主(ヌシ)”の表記と、“一”=智性=1番目のオーラの意味+乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)の意味がある)は、人=丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)であり、そして“上”からの荷電粒子を止める意味“霊止”と、太陽凝視(“ひつく”“日津久”)の意味を持つ“日止”=太陽の思惑である荷電粒子を、自分の心(靈)に止めるって表記。 それは、脊椎動物の進化は背骨=縦の磁束(|(たてぼう、こん、縦の磁性)))、そして左右対称の神経や臓器や骨格など、要は人間は進化した左右相称動物であり、それだからこそ一個体の肉体が持つ磁束は多様化して、人間より下等な生物に無い高分子化したたんぱく質が出来上がり、それだからこそ“上”からの荷電粒子との反応や感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)は、進化すればするほど心(靈)の多様性って結果にもなりうるものでもある。 そしてその意味も含め、日月の巻 第十二帖でこう解釈した。

“角杙(つぬぐひ)”“妹活杙(いもいくぐひ)”、この表記の“角”“杙(杭)”は、縦の磁束により高分子化されている様子、あるいは結晶化されていく様子を指し示す。

 すべての(心(靈)が観察しうる)事象、それは空間であろうが生命であろうが、何かが積み重なり、積み重なった何かで電気特性の変容がおき、またそれは場(フィールド)の構築になり、場(フィールド)は電磁波の発振、発信をするから、すべての事象はそれぞれの場(フィールド)(心(靈)をも含む)のオーラ(息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信))による相互干渉で影響し合い、さらに高度で複雑な現津(あきつ)、観察され得る事象を(自分の心(靈)が電磁波を感じ(感じる磁性)ることにより)“観察と認識”するものでもある。
 それで、今述べたことが、この文の“多陀用幣流国(國)(ただよえるくに)”に感じ取られ、それは“多い”は進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の多様性や、空間の広がり、“陀”は磁束の変化、ローム太霊が伝えた右往左往と左往右往の(個々の心の動き以外の)もうひとつの意味でもあり、そして“用”は“上”の思惑による生命がなさねばならぬ使命であり、“幣”は“上”の思惑を顕現する肉体の構造、“流れる”は、発振、発信。 そして“国(國)”は、心(靈)そのもの、ちなみに国の旧字、“國”、これは、囗(かこい、場(フィールド))、或(ワク)、(或は、弋(くい)(積み重なったなにか)と、囗(かこい、場(フィールド)と横棒―(水平磁場、日足と砌(ひたりとみぎり))で領域を区切ることを意味するので、やはり進化した心(靈)を意味する表記であると解釈する。 よってこれは、場(フィールド)の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)と、心(靈)の進化を指し示す表記であり、これに続く文の“作り固め成せ(“修理固成”(しゅうりこせい))と宣り乞ち(請ち)て(のりごちて)、天之沼矛(日本書紀では瓊矛、玉(結晶化した“玉(ぎょく)”=高分子化した何か)で飾った矛)を賜いて、“光透(コト)”(光(自分の心(靈)が持つ振動より、相対的に高い電磁波が透過する意味、日月の巻 第十五帖の表記))依し賜いき(よさしたま“いき”=息(息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)))”は、このまま()内の表記を読めば分かると思う。
ただこの文の、“アメノヌホコ=天之沼矛(日本書紀では瓊矛、玉(結晶化した“玉(ぎょく)”=高分子化した何か)で飾った矛)”については、第十八帖で、“ヌホト”って表記が出てくるが、それは、差し込む何かと差し込まれる何かによる電磁誘導ってことなんだけれども、そのときに詳しく解釈を述べることとする。
 ちなみにこの意味のことは、上つ巻 第三十四帖で“やり損ひしてならん多陀用幣流天地(たたよへるくに)の修理固成(かため)の終りの四あけであるから、”と、すでにほとんど同じ意味の事が述べられている。ただ日月の巻 第十七帖では、“多陀用幣流国(國)(ただよえるくに)”で、上つ巻 第三十四帖では“多陀用幣流天地(たたよへるくに)”であり、“国(國)”と“天地”の違いがあるが、これは個々の心=“国(國)”と、“上”と“下”の場(フィールド)=“天地”であり、どちらも(“創造”の“主(ヌシ)”の思惑)“上”と(進化した生命=“日止、霊止”の思惑)“下”によることでもあるし、だから上つ巻 第三十四帖では、事象の“創造”を示す表記として“修理固成(かため)の終りの四あけである“と、すでに書かれていると思う。 

 次は、第十七帖の残りの文。 
まず“神の国にも善と悪とあると申してあろがな。”は、“神の国”は今まで出てきた表記の“神国”と同義で、自分の心(靈)そのものであり、それには“上”と“下”があるからこそ“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)があるという意味だし、だからこそ霊的成長は“観自在”“直日”自省(胸の磁性“十”)の“行”=自分の内面とか内側(心の中と感じている事)を観察して、“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”する事につながっていくし、それは智性(日を知る性質)(神性)(“一”、1番目のオーラ)によってなされ、だからこそ動物としての最終形態の人間の肉体の変化は、目上(めうえ)の脳の進化であり、その部位での心(靈)の発現=“上”からの荷電粒子との反応(彌栄(いやさか))が、智性に相当する。 
そして“この神示見せてよい人と悪い人とあるのざぞ。神示見せて呉れるなよ。まことの神の臣民とわかりたら此の神示写してやりてくれよ。神示は出ませぬと申せよ。”は、自己奉仕者の進化過程での心(靈)では“日月神示”の文を見ても“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)にしかなりえない事を強調しているし、“役員づら”と“役員づら”の解釈の文を見てもっともだと思うような人は、当然のことながらアセンション落第組でもある。 
そして“時節見るのざぞ。型してくれたのざからもう一(はじめ)の仕組よいぞ。”の“時節”は、時間の進行=神の計画によるアセンションの時期と、個人個人の霊的成長度により=“型してくれたのざから”から感じ取れる事であり、“型”は、心(靈)の進化のための肉体の構造、サイクロトロンやシンクロトロン、荷電粒子の回転=彌栄(いやさか))でもある。 だから霊的成長度の低い人間=“まことの神の臣民”では無い人には“神示見せてよい人と悪い人とある”“神示見せて呉れるな”と言われ、そして“神示は出ませぬと申せよ”=程度の低い人間は程度の低い解釈をして甘い(亜、魔、出ずる、泉)夢を見るからこそ“此の神示 表に出すでないぞ”“神示仕舞っておいてくれ”でもある。
そして“天明は蔭の御用と申してあろが”は、岡本天明は、“上”の思惑を伝えるだけの使命であり、“日月神示”を自動書記で書かされているからって別に霊的に高いわけではない=霊媒体質(マニピューラチャクラ中心の進化)であるからってことを言われ、岡本天明自身に慢心するなってことでもある。 
そして“一二三として聞かしてやって呉れよ”は、自らの心(靈)の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)は、“一二三”のオーラになり、だからそれは、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)した人のオーラならば、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を目指す人との霊縁があり、“役員づら”の心(靈)の発振、発信に感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)する人は、やはり同程度の霊縁による人でもあることを示唆するものであることを読み取るべきである。 
そして霊的進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の程度により、やること=“行”も、言葉(“言”(事象に顕現され、(自己と他者に)観察された心(靈)の動き))も、違うから“此の方の仕組 日に日に変るのざから、臣民わからなくなると申してあろが。”と述べられ、アセンションに向かう時期が近いからこそ、程度の低い人は霊的成長のための“行”=“此の方の(霊的成長の)仕組”を見出せないから“臣民わからなくなると申してあろが”であり、時期、この第十七帖の表記なら“時節”が近くなればなるほど“日に日に烈しく変りて来るのざぞ”となる。 
さらにアセンション後の創造を担える資格=その霊的成長度の人に対し“神の子には神示伝へてくれよ”と言われ、そして時期=“時節”が近いから“神せけるぞ”と言われ、さらに“型”としての“渦海(うづうみ)の御用”=荷電粒子の回転の意味を持つ“渦(うづ)”と、自我の発現である原の水の表記の“海”、これは心(靈)が独り神(ひとりがみ、日取り神)になる重要な過程を示すことでもあり、だから進化過程としての自我の発現は大事だが、霊的成長度の低い人=智性(神性)を行使していない人がちょっと間違えると自我の肥大になり、それは“石屋の仕組み”(帯電するミネラルが固まっていない=真固止ではない=腹の水(“江戸と尾張”の“江”)になり、恨みの連鎖の霊的干渉で地球と地球上の生命の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を阻んでいるし、それ事態が“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の思惑でもある。
だから“渦海(うづうみ)の御用結構”は、自分の心(靈)が自我中心である事を知り、その進化過程だからこそ自己観察=“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”して、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を目指すことを自覚する=“御用結構”って言葉の意味であることを指摘して、今回はこれくらいにしときまんねん。

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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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日足(ひたり)と砌(みぎり)


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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
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