“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”日月の巻 第二十六帖 Kellyさん的解釈

今回も、日月の巻 第二十六帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

ム と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)ウ と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)ウ と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド) 、ウ、うにアエオイウざぞ。 昔の世の元ぞ。
ア と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)ヤ と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)  、 ワ と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド) 、ヤ、ワあるぞ、世の元ぞ。
サタナハマからあるぞ。
一柱、二柱、三柱、五柱、七柱、八柱、九柱、十柱、と申してあろがな。
五十九の神、七十五柱これで判りたか。
ム と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)ローレンツ力  ざぞ。
ローレンツ力には裏表上下あるのざぞ。
冬の先 春とばかりは限らんと申してあること忘れるなよ。用意せよ、冬に桜咲くぞ。
十一月二十二日、ひつ九 ローレンツ力と ○

 この第二十六帖の文の要は“ ム と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)ローレンツ力ざぞ。”にあると思う。
 常々引用している“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”によると、“ム”の意味としては、生命は自ら多岐に分かれ、ムシ出すチカラこもれる(篭る)ヒ(靈)のチカラを…中略…次々に異なれる生命生まれ出る理(ことわり)。 産霊(むすひ)、結び、息子(むすこ)、息女(むすめ)、群れ、の、む、と、示されている。 
これは“ム”の言霊として、生命の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の多様性、形(進化により、物質としての肉体っていう意味)の変化、(進化(霊的成長、神格化に向かうこと)による心(靈)の発現と行使っていう)心の変化、いろんな要素を示しているのが“ム”であると思う。 
そしてこれまでも解釈してきたとおり、カタカナ表記は“上”から視点の言い回しなので、“創造”の“主(ヌシ)”の視点からの意味合いでもある。
 よってこの文の“ ム と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)ローレンツ力ざぞ”を解釈すれば、
ム と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)は、“ム”と ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド) (霊=○、荷電粒子の場(フィールド))の重なった表記でもあり、心(靈)の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の要は、ローレンツ力 ローレンツ力であり、それは“ア”“亜”、宇宙の中心から発振、発信(“イ”、出ずる、泉、アイ、愛(炁)の、“イ”“い”)される究極微粒子の低振動化したものの受信と、増幅(“畐”、(オーラとして)吹く(息吹く=自らの心(靈)が吹く))であり、肉体が持つ磁束によるローレンツ力 ローレンツ力で、神の思惑=“ア”“亜”を、自分の心(靈)= ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)に、取り込んでいると述べているのと、同義でもあると思う。
 これを踏まえ、この第二十六帖の文を読み解くこととする。
 まず、“ム と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)ウ と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)ウ と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド) 、ウ、うにアエオイウざぞ。 昔の世の元ぞ。”だが、これは、この文の前半は、“昔の世の元ぞ”にかかっている言い回しなのはすぐ分かる。 
それで“ム と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)ウ と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)ウ と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド) 、ウ、うにアエオイウ”の意味だが、 ム と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)は、今述べたとおり、次に、“ ウ と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)ウ と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)、ウ、うに”と記されており、 ウ と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)=“ウ”と ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)(霊=○、荷電粒子の場(フィールド))の重なった表記が二つ並んでいるし、“ウ”は、“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”では、生物を生み出す力と説明されている。 産土の太神の“ウ”に相当するものでもあると示されている。
そして“ウ、う”と、カタカナ表記とひらがな表記が示されているのは、“上”からの“ア”“亜”が、“下”に低振動化して、“ウ、う”となり、カタカナ表記は、日足(ひたり)の極性、(“上”の)思惑であり、ひらがな表記は、取り込んだ心(靈)、心(靈)= ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)に、心(靈)が持つ(人(日止、霊止)の心(靈)の動きとしての)日足(ひたり)の極性があることを示唆していると思う。 
 それで次の“アエオイウざぞ”は、“ア”が、“エ”“オ”“イ”“ウ”なんだって断定的な言い回しになっている。(“ざぞ”って記述)
 これは、“ア”から“エ”であり、“エ”は以前、地つ巻 第二十九帖の解釈で出てきた表記でもあり、そのときに、“エ”は、生命を産み出す源(みなもと)の音意、ただしき、それ最と清き(すがしき)すべての優れたる生命(“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”から引用)って述べた。 その意味は“上”に向かう事、神格化に向かう事、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の意味、その“道理”=“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)のことを指し示していると思うって述べた。
 そして同様に“オ”は生命発生の元根と(“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”で)説明されているが、この“オ”に関しては、物質を伴った進化=肉体を持った進化のこと。
 “イ”は、先に述べたとおり。
 “ウ”も、先に述べたとおり。
 よって、“アエオイウ”は、“ア”が、“エ”(生命を産み出す源(みなもと))となり、“オ”(生命発生の元根)となり、“アイ”(ア(“亜”)から、イ(出る(いずる)、泉)、そしてそれは“創造”の“主(ヌシ)”の表記である“一”)の“イ”となり、“ウ”(生物を生み出す力)となるってことだと思う。 そしてそれは、“創造”の“主(ヌシ)”が“創造”を志した(思惑という意味)ってことだから、“創造”の根源、時間の進行としては“昔”であるからこそ、“昔の世の元ぞ”って示されていると思う。
 それで次に“ ア と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)ヤ と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)  、 ワ と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド) 、ヤ、ワあるぞ、世の元ぞ。”って記されている。 この文の前半の“ア と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)ヤ と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)  、 ワ と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)、”、これも“ア”“ヤ”“ワ”が、心(靈)=
ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)に重なった表記である。 それは、心(靈)= に、“ア”“ヤ”“ワ”があるって表記。 そしてそれは、“ア”は、先に述べたとおり人(日止、霊止)が認識しうる究極微粒子や最も高振動な何か、“アイ”の“ア”であり、“ヤ”と“ワ”は、上つ巻 第二十四帖の解釈で述べたとおり、“ヤ”は、その心は高台(たかと)高き段に進む、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の心(靈)日足(ひたり)(進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の思惑)であり、“ワ”は、物を生む、生まれしものを和合する意、生命(生きる使命=存在理由)の調整の義であり、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の顕現、砌(みぎり)であると思う。
 そして“ ア と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)ヤ と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)  、 ワ と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド) 、”のあとに“ヤ、ワあるぞ、世の元ぞ”ってあるのは、生命のそれぞれの心(靈)=ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)  には、日足(ひたり)を示す“ヤ”と砌(みぎり)を示す“ワ”があるぞってことだと思うし、それは観察しうる事象の“元”だからこそ、“世の元ぞ”って示唆されていると思う。
 そして次の“サタナハマからあるぞ。”の“サ”“タ”“ナ”“ハ”“マ”は、同じく、地つ巻 第二十九帖で、“サ”の行は、栄え発展する生命の音根、“タ”は、生命が現れ立つ、建く(たけく)高く成長の音義、進化=霊的成長、神格化に向かうこと、“ナ”の行は、生命の殖え栄ひ進展の意含む、“ハ”の行は、生命発現成長の音義、“マ”の行は、有形生命、または正しき生命の音意の音根、って述べた。
 要は生命(生きる使命=存在理由)の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)、それはまた、心(靈)= の進化であり、進化は“サ”“タ”“ナ”“ハ”“マ”それぞれに示されているとおり、栄え発展、建く(たけく)高く成長、殖え栄ひ進展、生命発現成長、有形生命、または正しき生命、こうなっていくのが、重複するが(“創造”の“主(ヌシ)”の“思惑の顕現”=現象化としての)生命(心(靈))ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド) の進化であるってことだと思う。
 そして次の“一柱、二柱、三柱、五柱、七柱、八柱、九柱、十柱、と申してあろがな。”は、“柱”は、生命の心(靈)(日足(ひたり))と肉体(砌(みぎり))を示すと思うし、“柱”については以前画像を作ったので以下に貼っておく。
柱の解字

 それで“柱”と一緒に示されている数字は、今までもたびたび述べてきているが、以下に意味を示すこととする。
 “一”は、“創造”の“主(ヌシ)”の表記(アからイ、日足(ひたり)から砌(みぎり))、そして、智性=1番目のオーラ。
 “二”は、肉体、あるいは、人の完成された表記としての“王”から“一”=智性=1番目のオーラをはずした表記の、土でもあり、それはまた2~3番目のオーラの意味でもある。
 “三”は、“一”=智性=1番目のオーラと、“二”=肉体。
 “四”は、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)。
 “五”は、進化した肉体の特徴でもある、神経が糸巻きのように密になること。
 “七”は、“一”(亜から出ずる、アイ、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑)に、乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)が重なった表記。
 “八”は、“富士(二二)”=肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道の意味。
 “九”は、○ 九 十 の、九、それは“一”+丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)+乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)。 生命(心(靈))の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の最終段階を示す。
 “十”は、胸の磁性“十”、自省の心(靈)の動き(“慈悲”と“慈愛”)、そしてシンクロトロン放射。
 その要素が生命(心(靈))の肉体=“柱”にはあるっていう意味。
 そして次の“五十九の神、七十五柱これで判りたか。”は、“五”と“十”と“九”の神って記されており、それは進化した肉体は神経が密になり(五)、手が発達してアナハタチャクラの覚醒にいたり(“十”)、それそのものが進化した心(靈)の最終段階(“九”)であり、それは神の要素、独り神(ひとりがみ、日取り神)になるための要素であるってことだと思う。
そして“七”と“十”と“五”の“柱”って表記は、神の思惑を取り込んだ人(日止、霊止)の“思惑の顕現”=現象化(七)は、シンクロトロン放射、第四密度、アナハタチャクラ、“慈悲”と“慈愛”によるものであり、それは神経が密になる=糸巻きのようになることに秘密がある(五)ってことで、それは肉体の進化の秘密であることを示唆していると思う。
そしてこの文自体の最後には“判りたか”って書かれており、これは、分かるとか、解るって書かれていないので、理解しろってことではなく、進化の仕組みを判断しろってことである。
(大概の地球人は、進化を神格化として理解していないからこそ、“判れ”と記されたのであると思う)
 そして次は“ム と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)ローレンツ力  ざぞ。ローレンツ力には裏表上下あるのざぞ。”だが、“ム と、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)ローレンツ力  ざぞ。”は、先に述べたとおり。 そして“ ローレンツ力には裏表上下あるのざぞ。”は、個々の生命の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)多様性としての“裏表”があり、それは進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)においての“善(神格化の方向性と智性の受信)”と“悪(心の動きの本能化と低振動化)”でもあったりもすることを示唆していると思うし、ローレンツ力 ローレンツ力による進化(霊的成長、神格化に向かうこと)は“上”と“下”があるのだって断定されている。(“ざぞ”って表記)
 そして次の表記の“冬の先 春とばかりは限らんと申してあること忘れるなよ。用意せよ、冬に桜咲くぞ。”は、今、アセンションに向かう時期でもあり、個々の心の進化のため、自省(胸の磁性“十”)を促す醜い事象がおきている=“冬”でもあるが、程度の低い進化過程の心(靈)(自我の肥大、自己奉仕者)は、その心(靈)が改まらない限り(“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”=自己観察(“観自在”“直日”自省(胸の磁性“十”)の“行”))をしないと、“冬の先 春とばかりは限らん”っていわれているのであり、ある程度進化した心(靈)、自省の心の動きを持つ人は、アセンションに伴う醜い事象に遭遇しても、自分の在り方を見出し、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の道筋を見出すからこそ“冬に桜咲く”って示されていると思う。

 それで、今回多用したカタカナ表記の解釈は、“日月神示”地つ巻 第二十九帖 Kellyさん的解釈によるものが多かったので、参考のためそこから一部コピペしたものを以下に貼っておき、今回はこれくらいにしときまんねん。


“この神示はアとヤとワのつく役員から出すのざぞ、おもてぞ。”

 この文の“アとヤとワ”は、以前解釈した、上つ巻の第二十四帖の“「ア」と「ヤ」と「ワ」は本(もと)の御用ぞ”と、同様の意味。
少し説明しておくと、この文の“ア”は、愛(炁)、“亜”であり、それは、愛(炁)の“ア”でもある。 そして“亜”“ア”は、すべての事象の根元の材料と認識され得る何かでもある。
人(を含めすべての生命)が、事象を観察して認識することとしての、すべての原因とか結果とかが、“亜”“ア”が、出ずる、泉、で、愛(炁)、アイ、と言葉で認識していると思える。 原因と結果、思惑(ア)と、顕現=現象化(イ)っていう言い方も出来るし、すべての事象の“創造”は、愛(炁)が動機の事であり、愛(炁)の顕現の程度が低いから自分しか大事に思えないって心(靈)の動きになり、それは進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の程度が低いから、自己奉仕者、“日月神示”表記なら“われよし”でもある。
そして“ヤ”は、“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”から引用して、その心は高台(たかと)高き段に進むってことであり、それは、日足(ひたり)の極性、“上”に向かうこととも言いうる。
そして“ワ”は、物を生む、生まれしものを和合する意、生命(生きる使命=存在理由)の調整の義ってことだから、これはよいカタチの“思惑の顕現”=現象化であり、左往右往の結果でもあり、霊的成長した心(靈)が“創造”する現津(あきつ)、観察され得る事象の事を指すと思う。
 それで重複するけれど“ヤとワ”は、“日月神示”上つ巻 第二十四帖 Kellyさん的解釈から、以下にコピペしておきまんねん。 ↓


“「ヤ」” は、“道ひらき”の“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”から引用すれば、“その心は高台(たかと)高き段に進む”って、書いてあった。 これは先生の概念の、アイ、愛(炁)“亜”が出(いずる)、その心(靈)の動きって言うのんは、自分の良い形を求める。 ほんでから、自分を含めた現津(あきつ)=観察され得る事象の、すべての良いカタチを求める。 そして、霊的成長そのものを指す。
 そやから、高台(たかと)高き段…そう認識され得る何かを、求める。 時間の進行と共に求め続けるのが人(日止、霊止)でもある。 日止、霊止は、“上”の振動を止めるって言う意味でもある。
 人は、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と、乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)でもある。
そやから“「ヤ」”は、その心(靈)の動きそのもののような気がするし、それは、右、砌(みぎり)のエネルギー=“いきり立つ心(奴と心)”(肝)、それは創造のエネルギーなのかも知れへんな。 多分そうやろ。
 ほんでから、“「ワ」”は、同じく“道ひらき”の“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”に、“物を生む、生まれしものを和合する意”とか、生命(生きる使命=存在理由)の調整の義、そう言う表現がしてあり、ほんでから、Kellyさん的に思う“生まれしもの”、それは、現津(あきつ)=観察され得る事象そのものであり、事象の創造は自分の思惑の顕現でもある。
それを心(靈)が観察するからこそ事象を認識出来得る。 そやから、自分の心(靈)の発振、発信=息でもあり、呼吸、息吹、気吹、生吹、でもある。
そやから“「ワ」”は生命(生きる使命=存在理由)調整義で、和合で、それは左往右往でもある。 良いカタチの創造でもある。
 それをせんならんのが人(日止、霊止)の使命でもあるな。
 
↑ 引用終わり。
そやからこの文の“アとヤとワのつく役員”は、このことを認識として行動している心(靈)、霊的成長を果たした心(靈)という意味やと思う。
そして“アとヤとワのつく役員”は、当然の事ながらよいカタチの事象を“創造”する心(靈)だから、今後=アセンション後に位置する、位置する資格がある心(靈)とも言いうるし、そやから“日月神示”表記の“役員”は、“創造”の法則性をよく認識した霊的成長度の高い人と、その人に通信を送っている=感応共振している霊的存在を指す表記でもある。
そしてこの文の“おもてぞ”は、顕在化、表面化、現象として現れるとかの意味であり、実際に“創造”に携わる役を示す表記で、これは次の文にもかかっている表記であるから次の文。

“旧九月までにはその御方お揃ひぞ、
カのつく役員うらなり、タのつく役員おもてなり、
うらおもてあると申してあらうがな、
コトが大切ぞコトによりて伝へるのが神はうれしきぞ、
文字は通基(つき)ぞ、このことよく心得よ。”

 この文の冒頭の“旧九月”は、地つ巻 第二十七帖の“旧九月になればこの神示(ふで)に変りて天(アメ)の日つくの神の御神示出すぞ”と同様の意味だと思う。
 そやからそれは、“その御方お揃い”っていうのは、“天(アメ)の日つくの神の御神示”を指し示す存在で、上つ巻、下つ巻、富士の巻、天つ巻、地つ巻、これを岡本天明はんに書かせている存在よりも“上”の存在ってことを示す言い方であり、またその存在が書かせる文章は、日月の巻で、それは“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行う事の説明になっていくのだと思われる。
 そして“カのつく役員うらなり、タのつく役員おもてなり”の“カ”は、“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”から引用すれば、幽れたる(かくれたる)生命と力(ちから)
の音意と説明されている。 
 だから先ほど述べた、“日月神示”表記の“役員”(“創造”の法則性(日足(ひたり)と砌(みぎり))をよく認識した霊的成長度の高い人と、その人に通信を送っている=感応共振している霊的存在を指す)が、今後=アセンション後、事象の“創造”をする。
 そして事象の“創造”は、“思惑の顕現”=現象化であるし、自分たちが観察する現実=現津(あきつ)、観察され得る事象は、自分たちの心の反映であるけれど、その“創造”に関わる“カ”、心の中に幽れたる(かくれたる)生命と力(ちから)の音意って事だと思える。
 そして“タ”は、“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”には、生命が現れ立つ、建く(たけく)高く成長の音義って説明されている。
 これは進化=霊的成長、神格化に向かうことって事でしかないと思う。
 だから“カのつく役員うらなり、タのつく役員おもてなり”っていうのは、今述べた、“カ”=“思惑の顕現”=現象化をする力(ちから)と、“タ”のつく役員は、霊的成長、神格化に向かうことであり、それが実際の事象に見られる、観察できるようになる事が、この文の“うらなり”と“おもてなり”ってことだと思うし、もう一度“うらおもてあると申してあらうがな”と、繰り返して強調されている。
 だからこそ“思惑の顕現”=現象化、現津(あきつ)、観察され得る事象の“観察と認識”、それには、思惑を顕現する力(ちから)と、その結果である霊的成長、この分の表記なら“タ”、生命が現れ立つ、建く(たけく)高く成長って事だと思う。
 そして“コトが大切ぞコトによりて伝へるのが神はうれしきぞ”の“コ”は、同じく“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”から引用して、停滞して働く意と細分の音義って説明されている。 さらに、物の凝り集まりに固まる意、とも、称されている。
 だから心(靈)っていうのは、何が凝り集まり、そして固まらなければならないのかってことを示す意味もあり、それが地つ巻 第一帖の“実言(みこと)”でもあると思う。 この“実言(みこと)”の詳細については第一帖をよく読んで欲しいねん。

 そして“ト”は、“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”には、トの言霊の心は、止めると云う心、人のトって称されている。 そやからそれは“日止、霊止”の止めるって言う表記と同じであるし、“上”からの荷電粒子、普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑そのものである太陽からの光と荷電粒子を止めるのが、“日止、霊止”でもある。
 今説明した意味を含む表記がこの文の“コト”であり、それは“コトによりて伝へるのが神はうれしきぞ”って言われているとおり、“上”の思惑を心(靈)(霊=○、荷電粒子の場(フィールド))に止める“行”が、“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことでもあるからこそ、それは霊的成長の具体的な“行”だし、神格化にいたる“行”だからこそ、“神はうれしきぞ”と言われており、だから、艮(うしとら)の金神は、黒住教で、朝日の日拝(にっぱい)(太陽凝視の入門、初心者向け)を教えたのだと思う。
 そして“文字は通基(つき)ぞ、このことよく心得よ”っていうのは、“日月神示”表記の特殊な文字は“基”に“通る”って言う言葉の使い方をしているのだぞって言う意味のことを強調していると思う。 だから基本の“基”、これは“創造”の“元”って言ってもいいと思う。 その意味を読み取ってくれってことでんねん。

…中略…
“アとヤとワから表に出すと上の人も耳傾けるのざぞ。
アとはアイウエオぞ、ヤもワも同様ぞ、カはうらぞ、タはおもてぞ、
サとナとハとマとまつはりて呉れよ、
ラは別の御役ぞ、御役に上下ないぞ、みなそれぞれ貴い御役ぞ。”

 この文の“アとヤとワから表に出す”は、先ほど述べたとおり、事象の“創造”の法則性を自分のものにした存在が、“思惑の顕現”=現象化をすることであり、だからこそそれは神に認められており、認めうる霊的成長度の世であり、その意味の言い回しが“(霊的成長度の高い)上の人も耳傾ける”って事だと思う。
 そして“アとはアイウエオぞ、ヤもワも同様ぞ”の、“ア”は、先ほど説明したとおり。
“イ”は、やはり“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”から引用すれば、生気生命力の発生力って説明されているし、Kellyさんとしては息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)の“イ”であり、それはアイ、愛(炁)の“出(いづる)、泉”の意味だと思う。
 “ウ”は、生物を生み出す力と説明されている。 産土の太神の“ウ”に相当するものでもある
  “エ”は、生命を産み出す源(みなもと)の音意、ただしき、それ最と清き(すがしき)すべての優れたる生命って説明されているから、“上”に向かう事、神格化に向かう事、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の意味、その“道理”=“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)のことを指し示していると思う。
 “オ”は、生命発生の元根と説明されているが、この“オ”に関しては、物質を伴った進化=肉体を持った進化のことだと思う。 そう思う根拠は、“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”に、大山津見神淤穂(おおやまつみほ)(地気にて成る生物)が、強い身をツクリ作るの意って説明されているからでもある。 そして“オ”は、日足(ひたり)の極性が現れた男の“オ”であり、砌(みぎり)の極性が現れた女の“オ”でもあると思う。 要は生物として進化した最後のカタチ、それは“日月神示”表記の ○ 九 十 (まこと)と同義の意味だと思う。 それで次の文、“ヤもワも同様ぞ”は、“ア”と同様に、“ヤ”(日足(ひたり))も“ワ”(砌(みぎり)も)、“イウエオ”という変化や、意味合いを持つっていう意味だと思われるし、これはこの後の“日月神示”の文で説明されていると思う。
 
 そして“カはうらぞ、タはおもて”、これは先ほど説明したとおり。
 そして“サとナとハとマとまつはりて呉れよ、ラは別の御役ぞ、御役に上下ないぞ、みなそれぞれ貴い御役ぞ。”の、“サ”の行は、栄え発展する生命の音根、“ナ”の行は、生命の殖え栄ひ進展の意含む、“ハ”の行は、生命発現成長の音義、“マ”の行は、有形生命、または正しき生命の音意の音根、“ラ”の行は、生命発生の初音(ウネ)に関する音義、
以上のように説明されている。 そやから “ア”“ヤ”“ワ”“カ”“タ”“サ”“ナ”“ハ”
“マ”、それぞれア行の“イウエオ”に相当する意味合いを持つって説明だと思う。 だからこそそれは“アとはアイウエオぞ、ヤもワも同様ぞ、カはうらぞ、タはおもてぞ、サとナとハとマとまつはりて呉れよ”って言われており、生命は進化(霊的成長、神格化に向かうこと)して“思惑の顕現”=現象化をして、事象の“創造”をするが、それは“創造”の“主(ヌシ)”の思惑に沿ったものであるからこそ、生命は、栄え発展、発現成長、(進化をある程度果たした)有形生命、正しき生命、それらの意味でもあり、それは“日月神示”表記の彌栄(いやさか)って言葉に相当するものでもあると思う。 
そして、彌栄(いやさか)の“彌” は、背骨(|(たてぼう、こん、縦の磁性)))と、チャクラを指し示しており、それは、生命の発生が、縦の磁束から始まり、“上”からの荷電粒子と反応し、微生物から人(日止、霊止)になり、その進化過程において心(靈)(霊=○、荷電粒子の場(フィールド))が発現していくっていうのが○○○大先生の進化の概念でもあるけど、この事も感じさせる表記でもある。

引用終わり。

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〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
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発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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初めての方は、
・・・その後の事と・・・これからの事。
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☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (104)
Kellyさんがこのブログに霊縁あった人(日止、霊止)に伝えたい事 (22)
Kellyさんと○○○大先生との会話 (7)
Kellyさんとチョ~極上ラブラブ中高年夫婦はんとの会話 (6)
Kellyさんとチョ~ベッピンはんのA野はんとの会話 (7)
Kellyさんと∪・ω・∪ ▼・。・▼ ▼・。・▽ U・。・U U。・ェ・。U たちとの会話 (33)
Kellyさんとメタボ研修医のYっちゃん先生との会話 (2)
Kellyさんとややメタボ内科医のYっちゃん先生との会話 (7)
Kellyさんと和風のベッピンはんのSはんとの会話 (2)
Kellyさんと農業好きの社長婦人K地M美はんとの会話 (12)
KellyさんとNominyan ∥*σ_σ*∥&Senyapoo λ*゜ο゜*λ との会話 (6)
☆ Kellyさん的“日月神示”解釈 (465)
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 (15)
“日月神示” 上つ巻 (42)
“日月神示” 下つ巻 (38)
“日月神示” 富士の巻 (26)
“日月神示” 天つ巻 (30)
“日月神示” 地つ巻 (36)
“日月神示” 日月の巻 (68)
“日月神示” 日の出の巻 (23)
“日月神示” 磐戸の巻 (21)
“日月神示” キの巻 (17)
“日月神示” 水の巻 (36)
“日月神示” 松の巻 (30)
“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
“日月神示” 岩の巻 (11)
“日月神示” 荒の巻 (13)
☆ Kellyさん的“ローム太霊講話集”解釈 (107)
☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
☆ 先生が撮るけったいな花の写真 (22)
☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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