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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”日月の巻 第二十八帖 Kellyさん的解釈


 今回も、日月の巻 第二十八帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

岩戸あけたり日本晴れ、富士ひかるぞ。 この巻 役員読むものぞ。
世の元と申すものは火であるぞ、水であるぞ。
くもでて くにとなったぞ。 
出雲(いずも)とはこの地(くに)の事ぞ。
スサナルの神はこの世の大神様ぞ。
はじめは 渦巻き 右 回転 であるなり、 渦巻き 左回転 (うご)いて月となり地となりたのざぞ。
アはアはヒツキクニの神様なり 日月の巻第二十八帖の表記 日足(ひたり)回転   (ヒツキクニ)の神様なり、 ワ ヤ と霊、○、荷電粒子の場(フィールド) 事象への顕現(ヨ)は月の神様ぞ、クニの神様はスサナルの神様ぞ。
この事はじめに心に入れれば掃除タワイないぞ、グレンとは上下かへる事と申してあろうがな、云ふてはならぬ事ぞ。いはねばならぬ事ぞ。
アメの ローレンツ力と ○ つ九のローレンツ力と ○

 さて、第一帖で“ちなみに日月の巻は、 ローレンツ力と ○(ヒ)の巻(第一帖~第二十七帖)と月(ツキ)の巻(第二十八帖~第四十帖)の区別がある”と述べたとおり、日月の巻 第二十八帖からは、文章の内容やニュアンスが違ってきている感がある。 それについては(とても長くなるので)日月の巻の解釈がすべて終わってから述べることとする。

まず、第二十八帖の冒頭の文。
“岩戸あけたり日本晴れ、富士ひかるぞ。 この巻 役員読むものぞ。”

 この文の大事なところは、“役員読むものぞ”であり、それは、“日月神示”でいうところの(真の)“役員”は、今後=アセンション後の“創造”を担うべき霊的成長度の人という解釈をしてきており、よってこの巻の文は、その霊的成長度の人を対象に述べているのだって最初に示されているものであると思う。 
その“役員”について、分かりやすいので述べておくが、今後=アセンション後の“創造”を担う人=“役員”に対して、“日月神示”では、“役員づら”って表記もあることを述べてきた。 その“役員づら”の霊的成長度は、自我の確立=固定化の段階の霊的成長から自我の肥大をしており、だからこそ貴い言葉や概念など、何かを自分の欲望の達成のために利用するとか、肖る(あやかる)とか、そして自分が目立ちたい(ディスプレイ(動物の発情行動))とか褒めそやされたいって心(靈)の動きしかしていない人が多い。 
その具体的な例を挙げれば、宗教の概念、高い心霊からのメッセージ、チャネラーの情報など、それらを引用して勝手な解釈をして金儲けに利用(例えば“主護霊”を守護霊と言い換え足りして言葉だけ利用してスピリチュアルカウンセリングを行うとか、祓う意義(自省させること=“本津宮”(もとつみや)に帰れ)も知らず、除霊や浄霊などとインチキお祓いをするとか、ゴーストライターを使って本を出すとか、マルチのように信者を集め集団を作り例えば政党を作るとか)するというようなことをして、結果それは、一般の人の“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)に対する通念を、とんでもなく低いものにしてしまっている。 だからこそ“役員づら”は、形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)であると述べてきた。 またこの霊的成長度の人は、貴い何かを利用したりするだけであり、それは自分でエネルギーを贖うことをせず=“行”をせず、“行”の意味と意味も見出せないから“行”ごっこをしたりしてもいるが、結果として何の認識(悟り、幸取=さとり)も獲得していないのが、また、“役員づら”でもある。
あえていうまでも無い事であるが、その辺のところをこのブログと縁のあった人には、今述べたことを見極める視点と観点、それを持って欲しいものである。
 話を戻し、冒頭の文の“岩戸あけたり”これは、これまでも述べてきているように、“岩”は、“山(脳)”と、“石”(帯電するミネラル)が縦に重なった表記。 そして“日月神示”表記の“戸”は、横隔膜。 それはマニピューラチャクラからアナハタチャクラへの関門で、現地球人の進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)として、自我の確立=固定化(腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロン)から、胸の磁性“十”(シンクロトロン)にいたる過程である。 そしてこの心の動きと認識されうること、それが進化の道筋である事も今まで述べてきたし、ローム太霊の言葉の右往左往から左往右往、この言葉の裏にある人の心(靈)の動き、そこからもこのことを感じ取れるものである
 よって“岩戸あけたり”は、今後=アセンション後に移行するべく進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たし、そうなるには“日本晴れ”の意味が示す事が大事であり、そして、“富士ひかるぞ”っていう表記も、霊的成長を示すとても大事な意味を持っており、ちなみに今までも“日月神示”の表記の“富士”は、“富士(二二)”=肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道って解釈をしたし、また単に“富士”って表記だけならば、頭、あるいは智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)の発現=目上(めうえ)の脳とその進化という表記だと思う。 その点で“富士ひかるぞ”は、今の時点の地球人は、“一”=智性=1番目のオーラが足りず=智性無き心であるってことを示す言い回しでもある。
“日本晴れ”と“富士”についてはこれまで何回も示した画像を以下に貼っておく。

“晴れたり日本晴れ”の解字 


富士の解字 


 次の文。
“世の元と申すものは火であるぞ、水であるぞ。”

 この文の“世の元”は、自分たちの心(靈)が“観察と認識”しうる事象=“世”っていう意味で、“元”は、肉体=“二”と、時間の進行を示す儿部(じんぶ、にんにょう)であり、それは肉体を持った自分たちの心(靈)の動きが創り得るのが、現津(あきつ)、観察され得る事象って言い方が妥当だと思う。
そして、低い霊的成長度の心(靈)は低い世界=“世”(事象の“創造”)をするものであり、それは恨みの連鎖に満ち満ちた今の事象であり、このままでは何もかもが崩壊するからこそ(もう大分、この間の地震のように警告として示されているけど)、霊的成長度における区別が必要になり=アセンションが起き、そしてその霊的成長度の区別は、自我の肥大=“石屋の仕組み”、“江戸と尾張”、腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロンの心(靈)の段階の人と、“慈悲”と“慈愛”の発現をした=胸の磁性“十”(シンクロトロン)の心(靈)の発現をした人との区別でもある。
 よってこの文は、現津(あきつ)、観察され得る事象の“創造”は、“富士、火の仕組み=火乗(ひだり)”、“渦うみ、水の仕組み=水極(みぎり)”って意味を充てることが出来る。 
この“富士、火の仕組み=火乗(ひだり)”と“渦うみ、水の仕組み=水極(みぎり)”については、天つ巻 第三十帖で “富士とは火の仕組ぞ、渦うみとは水の仕組ぞ、今に分りて来るのぞ”って述べられ、それは、“富士、火の仕組み=火乗(ひだり)”と“渦うみ、水の仕組み=水極(みぎり)”、これは、肉体の腹と胸であり、心(靈)の動きとしては、自我の肥大から自省(胸の磁性“十”)して、“慈悲”と“慈愛”を発現していく様子を言い表しているって解釈をしたし、それは、愛(炁)の顕現の順番=進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の道筋の“上”と“下”でもある。
 だからこの文の言わんとするところは、霊的成長度における“上”と“下”、それによって観察しうる事象は違ってくるし、今述べた進化(霊的成長、神格化に向かうこと)程度による観察しうる事象の違い、それがアセンションの真実であることすら示唆していると思う。

 次の文。
“くもでて くにとなったぞ。 
出雲(いずも)とはこの地(くに)の事ぞ。
スサナルの神はこの世の大神様ぞ。”

 この文の冒頭のひらがな表記は、漢字を充てると“雲出て 国となったぞ”だと思うが、“国”は今まで述べてきたとおり霊的成長を目指す心(靈)っていう意味であり、“雲出て”は、“雲”の解字を今回作ったから、それを見て感じ取ってもらうこととする。

雲の解字


 要は、“雲”は、“上”からの荷電粒子を止め=神の思惑を肉体の磁性で止め、心(靈)が発現して=自分のものとするっていう意味を示唆していると思う。
 そして“出雲(いずも)とはこの地(くに)の事ぞ。 スサナルの神はこの世の大神様ぞ。”っていうのは、自分たちの心(靈)が創る事象っていう意味で“出雲”と“地(くに)”って表記をされていると思うし、“地”は“土”であり、完成された人の表記である“王”から“一”=智性=1番目のオーラをはずした表記であると思うし、またそれは、肉体を持った心(靈)=人、“日止、霊止”ってことを示唆した表記でもある。
 そして“スサナル”、これについては漢字の表記が出てきたときに詳しく述べることとするが、先に簡単に述べておけば、“創造”の“主(ヌシ)”に対する被造物である自分たちと、自分たちが感じ(感じる磁性)得る(“観察と認識”をしている)事象、その両方の意であると思う。

 次の文。
“はじめは 渦巻き 右 回転 であるなり、 渦巻き 左回転 (うご)いて月となり地となりたのざぞ。
アはアはヒツキクニの神様なり 日月の巻第二十八帖の表記 日足(ひたり)回転   (ヒツキクニ)の神様なり、 ワ ヤ と霊、○、荷電粒子の場(フィールド) 事象への顕現(ヨ)は月の神様ぞ、クニの神様はスサナルの神様ぞ。”

 この文は、今までの“日月神示”の表記の“善(神格化の方向性と智性の受信)”の回転、日足(ひたり)回転と、“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の回転、砌(みぎり)回転とは意味合いが違い、“上”から“下”、“創造”の“主(ヌシ)”から被造物を見る視点での表記だと思う。 よって被造物側、こちら側、人から目線、それと、“上”から“下”、神から人、その回転の方向は真逆になると解釈する。 
それは、日月の巻をここまで解釈してきて、事象の“創造”の秘密が述べられてきたことが多かった。 
それは冒頭に述べたように、日月の巻の第一帖から二十七帖までは、 ローレンツ力と ○ (ヒ)の巻であり、第二十八帖からは、月(ツキ)の巻、この違いは、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を述べ、その事象の“創造”の仕組みを述べているのが、第二十七帖までであり、第二十八帖からは、こちら側、被造物としての人(日止、霊止)視点でのことが述べられていると思うからでもある。 
ちょっと今述べたことは解りにくい言い回しになったから、簡単に要約すれば、第二十七帖までは、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑においての事象の“創造”=顕現、そして第二十八帖からは、人(日止、霊止)が自分たちの心(靈)において思い、感じ(感じる磁性)、そして行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)すること、これらの事が述べられていると思うし、それは人(日止、霊止)の“思惑の顕現”=現象化ってことでもあるし、これまでたびたび述べているように、事象の“創造”の思惑と顕現(日足(ひたり)と砌(みぎり))は、自分が“どういうつもり”で行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)をするかにかかっている。 またこのことが、自分たちにとって良いと感じる事象の“創造”ってことになり、それは今後=アセンション後において、“創造”の“主(ヌシ)”が人に託したことであると思う。
それで、今、取り上げている文の最初に“はじめは 渦巻き 右 回転であるなり、 渦巻き 左回転(うご)いて月となり地となりたのざぞ”の日足(ひたり)回転と砌(みぎり)回転の意味は、以下の画像のようになると思う。
 
日月の巻 第二十八帖 砌(みぎり)回転と日足(ひたり)回転


 そしてこの文の“ 渦巻き 左回転(うご)いて月となり地となりた”は、被造物である人(日止、霊止)(あるい人間以外の肉体を持つ生命体っていってもよいと思うが)が、心(靈)を持ち進化させ、“創造”の“主(ヌシ)”=神を認識し、それは“上”からの荷電粒子を肉体の磁性=“日月神示”表記のローレンツ力 で、取り込んでいき、そして肉体を持ったまま神格化するためのこととしていわれていると思う。 
ちなみにいうまでも無く“地”と“月”は、心(靈)の入れ物の肉体とか、事象の観察における物質とか、“思惑の顕現”の顕現の方の意味である。
 また“ 渦巻き 左回転(うご)いて”っていう表記は、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑が顕現(動く、動いて)したっていう意味であり、だからこそ“創造”の“主(ヌシ)”以外の心(靈)という、心(靈)を持った被造物は出来上がってきたのだということを示唆していると思う。
 それで次の文“アはアはヒツキクニの神様なり 日月の巻第二十八帖の表記 日足(ひたり)回転 (ヒツキクニ)の神様なり”、この“ア”は、被造物である人(日止、霊止)から視点なら“亜”(人の心(靈)が認識しうる)根元の何か、究極微粒子)であり、今まで述べてきている“創造”の“主(ヌシ)”の表記、“アイ”“愛(炁)”、これは
ア(“亜”)から、イ(出る(いずる)、泉)、そしてそれは“創造”の“主(ヌシ)”の表記である“一”が示す、日足(ひたり)から砌(みぎり)に筆を移行して書く様子に示されている=“思惑の顕現”は、事象の“創造”=現象化ってことであると思う。 
 またこの文の表記の“ヒツキクニ”は、“ヒ”=太陽、日、“上”からの荷電粒子、そして“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことを示唆し、“ツキ”は肉体、砌(みぎり)、現津(あきつ)、観察され得る事象に物質を伴った心(靈)として存在する人(日止、霊止)、それは神の“思惑の顕現”=現象化としての生命の“創造”としての人っていう意味、そして“クニ”は、“上”を目指す、神格化を目指し進化(霊的成長、神格化に向かうこと)する事を目指す心(靈)の意味、それは“国”=(囗)くにがまえと“玉(ぎょく)”、“玉(ぎょく)”は自省(胸の磁性“十”)の心(靈)の動きを示すってことであると思う。
 さらにこの“ アはヒツキクニの神様なり 日月の巻第二十八帖の表記 日足(ひたり)回転(ヒツキクニ)”を、事細かに解釈すれば以下の画像のようになると思う。
ヒツキクニの解釈 その一 

 またこの文の表記の“ アはヒツキクニの神様なり 日月の巻第二十八帖の表記 日足(ひたり)回転(ヒツキクニ)”には、以下のようなことも感じ取れた。

ヒツキクニの解釈 その二

 この日足(ひたり)回転が、“ア”“亜”から始まり、人(日止、霊止)から視点で、向かって左=日足(ひたり)に終わっているのは、“上”の思惑は、人の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)した人の心(靈)自身の思惑になりうるっていう意味だと思う。 
そしてそれは、“創造”の“主(ヌシ)”の表記の“一”と、進化したした生命としての人(日止、霊止)(○ 九 十 が指し示す意味)が持ちうる“一”=智性=1番目のオーラの意味であると思う。
よって人は“ヒツキクニ”=“日”(神の思惑の仲介者としての太陽)と“月”(肉体を持った心(靈))と、“国”、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を目指す心(靈)とならなければならないし、それが人の完成であり、“日月神示”表記の“天詞様”であり、真実=真固止の天皇(天の白い王、シンクロトロン放射(クンダリーニの白光))となるべきであることを感じさせる。
 
そして“ ワ ヤ と霊、○、荷電粒子の場(フィールド) 事象への顕現 (ヨ)は月の神様ぞ、クニの神様はスサナルの神様ぞ”の“ ワ ヤ と霊、○、荷電粒子の場(フィールド) 事象への顕現(ヨ)”は、“ワ”は、物を生む、生まれしものを和合する意、生命(生きる使命=存在理由)の調整の義、と、“ヤ”は、その心は高台(たかと)高き段に進む、この両者とも“道ひらき”の“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”から引用して解釈してきたし、それぞれ日足と砌(ひたりとみぎり)の意味を感じさせるものであるし、だからこそ“ワ ヤ と霊、○、荷電粒子の場(フィールド) 事象への顕現ヨ”は、日足と砌(ひたりとみぎり)の極性を持ち、また、“思惑の顕現”=現象化でもあるし、その顕現=現象化は、人の
肉体(月)を持った心(靈)ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド) =“クニ”(“国”)が観察しうる事象になるっていう意味だと思う。

 


それで、第二十八帖は、人の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)と“創造”の“主(ヌシ)”のかかわり=“雲”と“アイ”“ヒツキクニ”が述べられ、その前に“火”“水”が述べられ、平均的地球人の進化の順番、(進化の法則に則った)道筋(道理)を述べていた。
特に冒頭に述べられていた進化の順番と道筋、そのことを理解していれば、以下のような言い回しになると思う。
“この事はじめに心に入れれば掃除タワイないぞ、グレンとは上下かへる事と申してあろうがな、云ふてはならぬ事ぞ。いはねばならぬ事ぞ。”
 
 いうまでも無くこの文は、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道理”(“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性))を知れ、そして現地球、今の現津(あきつ)、観察され得る事象は、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が“道理”をよく知らず
“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”が出来ておらず、間違った“創造”をしているからこそ“グレンとは上下かへる事”と述べられており、しかしこのことは自分たちの行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)を教訓として、自省(胸の磁性“十”)して、自分の認識にせねばならず、それは学校のように誰かに教えれても、自分の認識にならず、また、当然のことながら“役員づら”の人の言葉にも教訓を得られるものではないからこそ“云ふてはならぬ事ぞ。いはねばならぬ事ぞ”って言われているとKellyさん的には感じてるってことを指摘して、今回はこれくらいにしときまんねん。

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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

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