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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”日月の巻 第二十九帖 Kellyさん的解釈

 今回も、日月の巻 第二十九帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

一日一日(ひとひひとひ)みことの世となるぞ。
神の事いふよりみことないぞ。
物云ふなよ。みこと云ふのぞ。
みこと神ざぞ。道ぞ。アぞ。
世変るのぞ。何もはげしく引上げぞ。戦も引上げぞ。役に不足申すでないぞ。
光食へよ。息ざぞ。
素盞鳴尊(スサナルノミコト)まつり呉れよ。急ぐぞ。
うなばらとはこのくにぞ。
十一月二十五日、一二 ローレンツ力と ○

 第二十九帖の“みこと”って表記は、以前、地つ巻で解釈した“実言(みこと)”と共通の意味を持つと思う。 よって地つ巻 第一帖の解釈から、以下にコピペ。

“実”は、みのる、完成、真実の実。 
“言”は、言葉、言葉は心(靈)の発振、発信、それと意思、意志、思惑を伝える道具、また、事象を認識する道具。 
それを踏まえ、この文の“世界は一つの実言(みこと)となる”と“それぞれの言の葉はあれど、実言(みこと)は一つとなる”は、人間の感じうる事象は、一つの方向性しかなく、それは進化=霊的成長、神格化に向かうことであり、そして、“てん詞様の実言(みこと)に従ふのざぞ”と称されている通り、“上”の思惑を受信して自分の思想にする人(日止、霊止)が指導者になることを指し示しているし、それが本当の天皇の意味であると何回もこのブログで述べた。 そして、“命(みこと)”は、使命、存在の理由、存在の意義を指し示し、霊的成長度が“上”になれば、それより“下”の人は、それに従うって称されている。
さらに、今の形骸の価値観で=“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の価値観と認識で、位(くらい)が高いとか偉いって思われていることは、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)から見れば大して価値の無いことでもあり、またその人たちは自我が肥大していて、恨みの連鎖の霊的干渉を増しているから進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の方向性ではない。
だから今の人間の思っている上と下はひっくり返る。 そんな表記も今まで解釈してきた上つ巻、下つ巻、富士の巻、天つ巻に、何回か出てきている。
そやから地つ巻の第一帖は、その意味のことも述べていると思われる。
また、“てん詞様”は、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の思惑を顕現するのだから、その“創造”は、真実=真固止、○ 九 十(まこと)、そして“誠”(言葉成る、意味は、自分が発振、発信した振動(言葉)が完成する)でもある。
それは“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)の根拠である、欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとかってことが無い。

 引用終わり。

 今まで述べてきたように、人の存在の意義は、人っていう字に示されるとおりでもある。 神の思惑の顕現の意味を持つ丿部(へつぶ)と、人の思惑の顕現の意味を持つ乚部(いんぶ)で成り立つ。
また、神の思惑の顕現をするために“上”からの荷電粒子を止めるっていう表記が古神道の表記の“日止、霊止”である。 
そして“上”からの荷電粒子は、神の思惑っていう情報を持っており、それは、太陽から、あるいは宇宙の大極、中心と認識されうる場(フィールド)から注がれる“創造”の“主(ヌシ)”の思惑であり、だからこそ“日止、霊止”は、それを止める意味ってことでもある。
そして生命(生きる使命=存在理由)である“日止、霊止”は、何を顕現するのか、何を、どんな“創造”を“上”から託されているのか。 それが“日月神示”表記の“うれしうれし”“大歓喜”であり、それを達成するために、今、心(靈)は(“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)によって)成長させられており=“苦”と感じることを体験させられて、“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化して、“上”との感応共振ができるようにされているともいい得る。
(ちなみに“苦”という字は、芽生えるの意である艸部(そうぶ)艹、クサカンムリと、胸の磁性“十”(自省の心、“慈悲”と“慈愛”)と、場(フィールド)(肉体の場合は腹)を示す“口”で構成されている)
これらのことは幾度となく述べてきたことであるが、今回、(日月の巻 第二十八帖の)スサナルの漢字表記、“素盞鳴尊(スサナルノミコト)”を見て、その解釈をして、このことを思わされるものである。 以下に“素盞鳴(スサナル)”の解字の画像を示す事とする。
“素盞鳴(スサナル)”(日月の巻 第二十九帖の表記)の解字

画像にも少し書いたが、“素”は原材料の意味があり、事象の“創造”と生命(生きる使命=存在理由)の素は、ア(“亜”)から、イ(出る(いずる)、泉)、そしてそれは“創造”の“主(ヌシ)”の表記である“一”の、“ア”“亜”である。 ちなみに混同されがちな“元”の意味は、元に戻るとか、元からやり直すとか、それは時間の進行とある程度カタチになったものに対し、その過去のカタチの意味を持ち、例えば元教師とか元議員とか元暴力団員とか…って表記が分かりやすい。
少し余談になったが、今述べたことを踏まえて、第二十九帖の解釈に入る。

まず冒頭の文。
“一日一日(ひとひひとひ)みことの世となるぞ。 神の事いふよりみことないぞ。 物云ふなよ。 みこと云ふのぞ。 みこと神ざぞ。 道ぞ。 アぞ。”

この文の“一日一日(ひとひひとひ)”は、時間の進行であり、よって“日月神示”表記の“道理”(“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性))のように時間が進めば、神の思惑は顕在化して、進化した生命(生きる使命=存在理由)である人は、より“日止、霊止”になり、“上”の思惑を受けて“実言(みこと)”を顕現し、そのために“創造”し、それを自分たちの心(靈)が“観察と認識”するものである事を示唆した文であると思う。 そのことが表れた表記が“神の事いふよりみことない”であり、“神の事”を“いふ”(発振、発信)こと以外に“実言(みこと)”は無いっていう言い回しであり、自分たちが外側(外国と幽界)の事象に感じている“物”を“云ふなよ”は、外側(外国と幽界)の事象に真実=真固止は無く、自分たちの認識(悟り、幸取=さとり)が真実=真固止であり、事象の“創造”は“思惑の顕現”=現象化であり、真実=真固止の認識を持った人、霊的成長した人(日止、霊止)でなければ、神の“思惑の顕現”=現象化、“実言(みこと)”は成し得ないことをいっていると思う。 それが“みこと云ふのぞ”の意味だと思う。
 そして“みこと神ざぞ。 道ぞ。 アぞ。”は、“実言(みこと)”=神の“思惑の顕現”=現象化であり、だからそれは“神ざぞ”であり、それは進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)だからこそ“道ぞ”であり、“素盞鳴(スサナル)”の“素”だから“アぞ”であり、それはまた、第二十八帖の“アは (ヒツキクニ)の神様なり”の“ア”と同義でもある。 以下に第二十八帖で紹介した“ヒツキクニ”の解釈の画像を貼っておく。
ヒツキクニの解釈 その一
ヒツキクニの解釈 その二


 次の文。
“世変るのぞ。 何もはげしく引上げぞ。 戦も引上げぞ。 役に不足申すでないぞ。”

 この文はいうまでも無くアセンションのことを示唆しており、またアセンションが霊的成長度において分けられる作業であることを示し、それはこの文の“何もはげしく引上げ”と“戦も引上げ”に示されており、“引き上げ”られない霊的成長度の人間は、自我の肥大をして困難や試練を避けたり、困難や試練に遭遇した自分に対しての自分の在り方を見出さず、ただ甘い(亜、魔、出ずる、泉。愛(炁)の間に魔が入った状態を指す)夢を見たり、困難や試練を真剣に考えず逃げるから快楽におぼれたりもする。
 しかし困難や試練は、自分が育つためのことであり、自省(胸の磁性“十”)の“行”をするために“上”から与えられるものであり、それを乗り越えて自省したならばそれは認識の拡大=霊的成長になるものであり、それがまた“役に不足申すでない”の“役”である。

 次の文。
“光食へよ。 息ざぞ。 素盞鳴尊(スサナルノミコト)まつり呉れよ。 急ぐぞ。 うなばらとはこのくにぞ。”

 “光食へよ”は、“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことであり、そしてそれは、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)(“一二三”のオーラ)であり、“素盞鳴尊(スサナルノミコト)”は、“上”からの荷電粒子を自分が受けることが尊いってことであり、第二十八帖の解釈で述べたとおり、“創造”の“主(ヌシ)”に対する被造物である自分たちと、自分たちが感じ(感じる磁性)得る(“観察と認識”をしている)事象、その両方の意でもある。
そして“急ぐぞ”は説明は要はない。
そして“うなばら”は海原であり、それは腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロンでもあるし、その意味は、自我で認識する事象=物質の世界(外側(外国と幽界)の事象)である。 そして自分の外側(外国と幽界)の事象を感じ(感じる磁性)るのは、“このくに”で、“くに”は、“国”は、自分の心(靈)、 ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)  であり、その自分の心(靈)が感じ(感じる磁性)得る現津(あきつ)、観察され得る事象を、“うれしうれし”“大歓喜”にするには、先に述べたことと重複するが、補足説明としてこの文の冒頭の“光食へよ”であり、それはまた、“一”=智性=1番目のオーラを大きくするための“行”、“日月神示”表記の“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことであることを指摘して、今回はこれくらいにしときまんねん。

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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
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心(靈)の二面性であり、
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
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