“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”日月の巻 第三十帖 Kellyさん的解釈 “大島大多麻流別(おおしまおほたまるわけ)”の意義と、それに続く“島”(たんぱく質の高分子化=肉体(月(ツキ)))の表記の意義


 今回も、日月の巻 第三十帖の以下の表記を解釈しまんねん。

“次、大島大多麻流別(おおしまおほたまるわけ)。
次、女島(ひめしま)、天一根(あめひとつね)。
次、知詞島(ちかのしま)、天忍男(あめのおしを)。
次、両児島(ふたこしま)、天両屋(あめふたや)、
二島(にしま)、八島(やしま)、六島(むしま)、合せて十六島生み給ひき。
次にまたのり給ひて、大島、小島、生み給ひき。
淡路島(あわじしま)、二名島(ふたなしま)、おきの島、筑紫の島(つくしのしま)、壱岐の島(いきのしま)、津島(つしま)、佐渡の島(さどのしま)、大倭島(おおやまとしま)、児島(こじま)、小豆島(あづきしま)、大島(おおしま)、女島(ひめしま)、なかの島、二子島(ふたこしま)の十四島、島生みましき。”

 まず“大島大多麻流別(おおしまおほたまるわけ)”についてだが、この表記は“大島(おおしま)”“大多(おほた)”“麻(ま)”“流別(るわけ)”と分けて解釈すると意味が通じる。
 大は人が手足を広げた様に象る字であり、これは脊椎動物の肉体(月(ツキ))の進化の最終段階であり、“日月神示”表記の、○ 九 十 の“九”と“十”(心(靈)の進化、胸の磁性“十”)(卆(そつ、卒業の卒の異体字)の意味)を感じさせるものである。 
よって“大島(おおしま)”は、たんぱく質が高分子化して島となり、それが肉体(月(ツキ))の進化の最終段階=“日止、霊止”(天意を受ける意味のある表記)となることを示唆している表記であり、これに続く“大多(おほた)”は、大きい、多い、であるが、それは“麻”にかかり、この字は广(まだれ)と木が二つで構成されている。 それで麻の广(まだれ)は、岩屋を意味し、頭蓋骨の意味であるという解釈を前のブログで述べたし、さらに繊維としての麻という表記そのものが、進化過程において、神経がたくさん“慈(しげる)”という状態ではないことも指摘した。 それを言い換えれば麻は“日月神示”表記の“五六七(みろく)”では無いということでもある。
 
(“五六七(みろく)”の“五”は神経が密になるさま(糸巻きの象形文字)。 “六” は、爻部(こうぶ)=丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)が重なった表記で、交わるの意味。 “七”は、 “一”=智性=1番目のオーラ、あるいは、“創造”の“主(ヌシ)”の表記である“一”(亜から出ずる、アイ)と、乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)が重なった表記。)

さらに广(まだれ)の中の木が二つの表記は、左右の極性、日足と砌(ひたりとみぎり)をも示唆し、それは“日月神示”表記の“富士(二二)”=肉体の二つの磁性、ヨガでいえばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道でもある。
そしてそれが“流別(るわけ)”=流れ、別ける、別れる、とすると、以下の表記の“次、女島(ひめしま)、天一根(あめひとつね)。 次、知詞島(ちかのしま)、天忍男(あめのおしを)。”につながっていくと思え、この表記の“女島(ひめしま)”は、砌(みぎり)の極性を持った島(たんぱく質の高分子化した組織)であり、前回解釈した“小豆島(あづきしま)”と“大野手比売(おおぬてひめ)”の、脳の発現の始まりとその心(靈)の動きによる行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)=“手”(手段、手法、自らの愛(炁)が由来で、何かを求める事)と、進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)における自我の発現により、自我が発現し始めて自我の確立=固定化の強化が行われる心(靈)の動きの“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”で創られた肉体(月(ツキ))が、“女島(ひめしま)”であるといえるし、それはまた“天狭手依比売(あめのさてよりひめ)”による“佐渡島(さとしま)”ではなく“大野手比売(おおぬてひめ)”による“女島(ひめしま)”の“創造”であると言い換えることも出来る。 
だが、その砌(みぎり)の極性中心の肉体(月(ツキ))の“創造”とその心(靈)の発現による行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)も、愛(炁)が動機の事であるから(たとえ右往左往による失敗であろうとも)、“上”からの荷電粒子=天意の受信による心(靈)の発現であるから“天一根(あめひとつね)”に天の表記が使われ、それはまた天意の受信の根であり、そして愛(炁)が動機の事だからこそ=“創造”の“主(ヌシ)”の“思惑の顕現”=現象化であるからこそ、“一”(亜から出ずる、アイ)(日足(ひたり)から砌(みぎり)に筆を移行する表記)が当てられていると思う。

 そしてこれに続く“次、知詞島(ちかのしま)、天忍男(あめのおしを)。”は、前述した“女島(ひめしま)”“大野手比売(おおぬてひめ)”による(自らの肉体(月(ツキ))を含めた)事象の“創造”とは違い、日足(ひたり)の極性が現れた“創造”をするからこそ“天忍男(あめのおしを)”の男という字が当てられていると思う。 
それは、砌(みぎり)の極性中心の事象の“創造”は失敗の事象であり、右往左往であり、天之御柱(あめのみはしら)“上”と“下”を貫く磁性を回り=伊邪那美(いざなみ)から先に伊邪那岐(いざなぎ)に声をかけた=発振、発信したことにも示されている。 
そして“天忍男(あめのおしを)”の“忍”という字を観れば、刃(やいば)と心(靈)であり、刃は鉄を鍛えて作るものであり、また強力な磁性を帯びるものであり、それは鉄分子の並びが一定方向を向く=結晶化するからで、よって“忍”という字には、“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化が感じ取られ、よって、刃と心(靈)という表記は、強力な磁性を発現した肉体(月(ツキ))と心(靈)であるとも言い得るし、そして忍耐の忍でもあるから、“上”が課した試練に耐える心(靈)でもあるし(S会=紫光会でよくローム太霊が述べた“苦に苦を重ね、苦を求め、更に苦を求めるのだ。楽を求めてはいかん。”の意味)、またそれは“上”との感応共振をするものであるからこそ、試練から逃げない=苦に耐える心(靈)が進化したならば“日月神示”表記の“天詞様”であるといえる。 
また“知詞島(ちかのしま)”は、“天狭手依比売(あめのさてよりひめ)”による“佐渡島(さとしま)”でつちかわれた(目上(めうえ)の脳の進化による)思想が行使する=“小豆島(あづきしま)”より進化した脳による)思想が持つ知恵、そして発振、発信の意味を持つ詞(ことば)、それを行う島=肉体(月(ツキ))であると言いうる。
それは前回も述べたとおり、進化過程において自我の確立=固定化から“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”になり、その心(靈)の動きは失敗を招き=“創造”の法則性にのっとっていないからこそ“神の咎め”(自省させて進化(霊的成長)の方向性を示す)を体験し、自らの行動や心(靈)の動きを省みる事をして=“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”をして、それは日月の巻 三十帖の表記なら“大倭秋津島(おおやまとあきつしま)”という心(靈)の動きとなり、それが盛んになれば=“秋立つ”となれば、次の“創造”=アセンション後の創造に参加する資格となるものであるし、このことが、霊的進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の道筋=“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)である。
そしてこれに続く“次、両児島(ふたこしま)、天両屋(あめふたや)、二島(にしま)、八島(やしま)、六島(むしま)、合せて十六島生み給ひき。”は、“両児島(ふたこしま)”の“児”は、“吉備之児島建日方別(きびのこしまたてひかたわけ)”の“児島(こしま)”の“児”であるし、その旧字は兒であり、これは固まっていない頭と曲がった足の意味で、幼い子供の様の意味があり、いわゆる未熟とか稚拙とか、要は神格化には程遠いという意味であるが、その進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の初発でも、日足(ひたり)と砌(みぎり)の極性を持つものであるからこそ“両”が当てられていると思う。 
それはまた“天両屋(あめふたや)”の両も同様で、どちらも(神の極性である日足と砌(ひたりとみぎり)の)天意を受けて、進化し、島(肉体(月(ツキ)))になるから島と屋(尸(しかばね、かばね、心(靈)と肉体で人成り立っているが、心(靈)以外の物質としての肉体の意味)+━(横棒)(横隔膜)+厶部(しぶ)(物を囲い込んで自分のものとする様子に象る。手を「伸ばす、伸びる」の意がある)+“二”=肉体)が当てられていると思う。
そして“二島(にしま)、八島(やしま)、六島(むしま)、合せて十六島”は、二は肉体(月(ツキ))と島、八は“富士(二二)”=肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道と同義、その島、六は爻部(こうぶ)、交わるの意味、その島、である。
そしてこれに続く“次にまたのり給ひて、大島、小島、生み給ひき。淡路島(あわじしま)、二名島(ふたなしま)、おきの島、筑紫の島(つくしのしま)、壱岐の島(いきのしま)、津島(つしま)、佐渡の島(さどのしま)、大倭島(おおやまとしま)、児島(こじま)、小豆島(あづきしま)、大島(おおしま)、女島(ひめしま)、なかの島、二子島(ふたこしま)の十四島、島生みましき。”のそれぞれの表記に使われている字の意味は、これまで詳細に説明してきたし、あえて述べないことするが、ここで特に重要性を感じるのは“次にまたのり給ひて”は、こちら側の認識だからこそ=人(日止、霊止)が行う事象の“創造”だからこそ“次にまたのり給ひて”と言われており、人が行う行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)や思想の構築で、それらはすべて自らの肉体(月(ツキ))の生体内電流となり、その生体内電流がオーラの現象ともなり、すべての現津(あきつ)、観察され得る事象の“創造”はオーラの相互干渉で感じ(感じる磁性)るものであるし、生命の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)は“日月神示”表記の“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化である事を思わされる。
そして被造物である人(日止、霊止)が行う事象の“創造”は、“創造”の“主(ヌシ)”に対する被造物である“日止、霊止”であるからこそ、それは、天意を受けること=ヌホコ(差し込む何か、日足(ひたり)の極性、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑)とヌホト(砌(みぎり)の極性(事象への顕現))、“上”と“下”…要は、人間が認識する事象の“創造”のことを簡潔にまとめた表記であると思う。

今回はこれくらいにしときまんねん。

« “日月神示”日月の巻 第三十帖 Kellyさん的解釈 “御子神 生み給ひき”の意義|Top|“日月神示” 日月の巻 第三十帖 Kellyさん的解釈 “小豆島(あづきしま)”“大野手比売(おおぬてひめ)”の意義 »

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://tuyukusanotuyu.blog45.fc2.com/tb.php/376-1fc6511e

Top

HOME

tuyukusanotuyu




 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
FC2ブログへようこそ!


Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
(クリックで拡大)

2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
(クリックで拡大)


発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
(クリックで拡大) 

お近くの書店にない場合は
たま出版のサイトでお買い求めください。

発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
(クリックで拡大)

お近くの書店に無いときは
たま出版のサイトでお買い求めください。

この本に付いてはこちらを御覧下さい。


       




初めての方は、
・・・その後の事と・・・これからの事。
からお読みください。

それぞれのカテゴリーをクリックすると
古い順に、記事が閲覧できます。

        

☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (104)
Kellyさんがこのブログに霊縁あった人(日止、霊止)に伝えたい事 (22)
Kellyさんと○○○大先生との会話 (7)
Kellyさんとチョ~極上ラブラブ中高年夫婦はんとの会話 (6)
Kellyさんとチョ~ベッピンはんのA野はんとの会話 (7)
Kellyさんと∪・ω・∪ ▼・。・▼ ▼・。・▽ U・。・U U。・ェ・。U たちとの会話 (33)
Kellyさんとメタボ研修医のYっちゃん先生との会話 (2)
Kellyさんとややメタボ内科医のYっちゃん先生との会話 (7)
Kellyさんと和風のベッピンはんのSはんとの会話 (2)
Kellyさんと農業好きの社長婦人K地M美はんとの会話 (12)
KellyさんとNominyan ∥*σ_σ*∥&Senyapoo λ*゜ο゜*λ との会話 (6)
☆ Kellyさん的“日月神示”解釈 (465)
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 (15)
“日月神示” 上つ巻 (42)
“日月神示” 下つ巻 (38)
“日月神示” 富士の巻 (26)
“日月神示” 天つ巻 (30)
“日月神示” 地つ巻 (36)
“日月神示” 日月の巻 (68)
“日月神示” 日の出の巻 (23)
“日月神示” 磐戸の巻 (21)
“日月神示” キの巻 (17)
“日月神示” 水の巻 (36)
“日月神示” 松の巻 (30)
“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
“日月神示” 岩の巻 (11)
“日月神示” 荒の巻 (13)
☆ Kellyさん的“ローム太霊講話集”解釈 (107)
☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
☆ 先生が撮るけったいな花の写真 (22)
☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



fxwill.com


2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
予約制 鍼(はり) 灸(きゅう) マッサージ治療 児玉療院
写真部の○○○大先生のページ
写真部に投稿した最新の写真
 ↓


powered by 写真部









○○○大先生の水草水槽記録
facebook 児玉登







このブログをリンクに追加する


自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




飢餓救済のホームページ

JWord クリック募金

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード