“日月神示” 上つ巻 第十三帖 Kellyさん的解釈
原文は以下の通り、
元の人三人、その下に七人、
その下に七七、四十九人、合して五十九の身魂あれば、
この仕組は成就するのざ、
この五十九の身魂は神が守ってゐるから、
世の元の神かかりて大手柄をさすから、
神の申すやう何事も、身魂みがいて呉れよ、
これが世の元の神の数ぞ、
これだけの身魂が力合はしてよき世の礎となるのざ。
この身魂はいづれも落ちぶれてゐるから、
たづねて来てもわからんから、よく気をつけて、
どんなに落ちぶれている臣民でも、
たづねて来た人は、親切にしてかへせよ。
何事も時節が来たぞ。
六月の二十一日、ひつくのか三。
この文章全体から受ける印象は、
それは前回の、上つ巻 第十二帖からの続きでもあり、
次の創造を担う人(日止、霊止)、
アセンションを体験し、その後の場(フィールド)の構築をして行く・・・
そやから、
“この五十九の身魂は神が守ってゐるから、
世の元の神かかりて大手柄をさすから、”
やろし・・・
“これが世の元の神の数ぞ、
これだけの身魂が力合はしてよき世の礎となるのざ。”
この言葉が、今後の創造・・・その中心になる人の人数の事やと思うけど・・・
それは、それくらい少ないって事でもあるやろし・・・
ほんでから今そう言う人達は、
本当に次の段階の創造を担える人は、
今の形骸の価値感で構成されているこの世界で、
活躍出来へんから、
表面に現れんからこそ、
“この身魂はいづれも落ちぶれてゐるから、
たづねて来てもわからんから、”
・・・でもあると思えるやん。
そやから、
今現在活躍してて有名な人とか力を示してる人とかは、
本当に価値の有る事を形骸にしてる・・・
金儲けとか・・・
自分の低い心(靈)の発現由来の低い功名心とか低い自尊心とかを満足させる。
そやからこそ、色んなものをその為に利用する。
そんなエネルギーの贖い方しかしていない。
そやからそれは、圧倒的に自己奉仕者が多い。
そう言う事を言うてると思えるな。
ほんでからこの文章の中の言葉の端々には、
霊的進化の仕組みも表現されてると思えるやんか。
例えばそれは、冒頭の、
“元の人三人、”
これは元=二+儿部(じんぶ、にんにょう)
そやから“二”は、
心(靈)の顕現でもある肉体・・・そして2〜3番目のオーラ。
ほんでから“元”から“二”をはずした、
儿部(じんぶ、にんにょう)は、
時間の進行を認識している心(靈)の意味やと思うし、
時間って言うのんは自分達の認識の中の事象でもある。
(儿部(じんぶ、にんにょう)は人が歩く様子を象るの意がある)
そやから、
この二つ、“二”と“儿部(じんぶ、にんにょう)”それそのものが、
心(靈)より相対的に振動の低い物質的肉体と、
心(靈)・・・その両方、
そやから肉体を伴った進化って事やな。
そやから、
先生とKellyさんが思う、
肉体を伴った霊的成長と霊的進化って言うのんを、
“日月神示”の言葉で簡単に纏めれば、
※ 肉体の構造の変化=結晶化・・・それが身魂磨き。
※ 現時点での心(靈)の発現の平均=自我の確立=固定化より“上”の、
心(靈)の発現・・・それが身魂掃除。
ほんでから身魂掃除、この言葉自体が、
今、とてつもなく誤解されてると思うんやけど・・・
その低い心(靈)の発言由来の解釈って言うのは、
前にも言うた事やから敢えて説明はせんけど・・・
身魂掃除、
そやからそれは自分の心(靈)の動きの区別、
それを自分で観察する事。
さっきも言うた低い功名心とか自尊心とか・・・
自我の確立=固定化の過程の低い心(靈)の発現。
それ由来の行動=その心(靈)の発振、発信による事象の創造。
それが低いとか高いとかが自分で判断出来ん。
それはそう言う人は、
自我より“上”の心(靈)の発現をしていない霊的進化過程でもある。
そやからそれは、具体的に言えば、
“上”の心(靈)の発現がなければ、
自分の心(靈)の動きそのものの、
“善(神格化の方向性と智性の受信)”と、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”を、
区別出来へん。
この間のチョ〜ベッピンはんのA野はんとの話でもあったけど、
人(日止、霊止)は沢山の霊的干渉を受けてる。
そして、
霊的干渉と無縁の事象も無ければ、
霊的干渉(による電磁誘導)の無い時間・・・そんなものは有り得へん。
大体一般にそう言う認識が無い。
そやからこそ自分の心(靈)の動きって言うのんが、
“上”に向かってる時にも、
“下”に向かってる時にも、
もっと平たく言えば、
自分が悪い事してるのかエエ事してるのか・・・
それすら自覚が無いって言うのんは、
或は、
自覚があっても悪い事するって言うのんは、
沢山の、
(自分の心(靈)の発現より相対的に低い霊的存在の)通信を受けてて、
その通信の相対的な差・・・
それを見極める事が出来んようになってる。
そやから自分で判断する事として、
自分の心(靈)の発現の段階も自分で良く知っておいてから、
それを良く承知しておいてから、
自分の心(靈)の動きにおける霊的干渉・・・
それが、
自分の心(靈)の動きを構成している要因って事も知ってから・・・
そして自分の心(靈)を自分で観察する。
それをかんたんに表現すれば、
“上”からの通信なのか?
“下”からの通信なのか?
言い換えれば、
悪霊からの通信か?
自分の霊的成長を望んではる存在の通信か?
その区別を自分でして行かんならん。
それは受信する振動=(霊的存在の)思惑を選択する事になる。
その区別をする基準を獲得するのは、
自分が苦しんで思って憂いて悲しんで心が折れて・・・
左の磁性を強くして=日足(ひたり)の行をして、
日足(ひたり)のエネルギーが増して行く・・・
それを“上”から観たら、
神さんからの視点で観れば、
腹の段階のエネルギーが、日足(ひたり)回転って事になる。

ほんでからその日足(ひたり)回転のエネルギーは、
両手の磁性で構成される磁束で、
腹より“上”に上がる。
それを示してるのが大日如来の条帛(じょうはく)で、
ほんでから条帛(じょうはく)の条は、
ローム太霊講話集の中でローム太霊さんの“術”の説明にもある、
“條”と同義って話を、先生とした。
そやからそれは、
自分の“力”=“術”
その使い方を示すって言う意味もあるって事でんねん。
そやから、
“力”の使い方を間違えるから、この世界はダメな方向に向かってるし、
それはさっきも言うた自己奉仕者が力を示してるから、
この世界は腐ってる。
その結果が出だしてるって事でもある。
その一例が、
経済に依存する物のやり取り=通貨としての金しか思わん価値感は、
必ず崩壊する。
そやから、
ダメな事はダメって示さんとアカンし、
そのダメな方向性に向かった動機=心(靈)の動きを、
今後の創造を担う人(日止、霊止)は、
よう知っとかなアカン。
そやからこそ、今、色んな事が現象化してる。
観させられてるって事でんねん。
それもアセンションの意味の一つでもあるし、
そこから得られる何かって言うのんは、
自分の心(靈)の中の事でしかないし、
認識でしかない。
その認識は、次の創造をする際に役に立つからって事でしかない。
そやから、
人が獲得出来る何かって言うのんは、
体験から得た認識、それだけでしかない。
その過程・・・認識を得る過程が、
右往左往と左往右往でもあり、
それは、
すべての事象に極性が存在するからでもあり、
そして・・・自分の心(靈)の動きが、
“上”の心(靈)の発現をしてへんと、
なんでも価値のあるもんを形骸にして金儲けして、
自分の利益にして、
そして、
恨みの連鎖の霊的干渉を増やし、その結果、
一時活躍して、
そしてその後、
失敗を体験し=左往右往して、
自省(胸の磁性“十”)してる最中、
心(靈)が折れた人=砌(みぎり)のエネルギーが無くなって来てはる人なんかは、
例えば最近も有ったけど、
そう言う心の状態で、
低い霊的干渉しかなかったら=“上”からの通信を受けてなかったら、
それは先生の主護霊はんが先生に言うたみたいに、
沢山の浮游霊が憑いてたら、その通信しか受けてなかったなら、
“動きが取れない”・・・
そうなるから、
そやから目先の事ばかりに心(靈)が囚われて、
自分の今後の在り方を思う余裕が無くなって、
その結果、自殺したりする。
ほんでから自殺した人は自縛霊になり、
同じ条件で誰かを引き込み、
そして自縛霊から浮游霊に移行するんやけど、
それは“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の霊団の一員になり、
その人の心(靈)が貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の動きになり、
自省(胸の磁性“十”)の“行”に入るのを遅らせる。
それが、
人(日止、霊止)の霊的成長を阻む=“悪(心の動きの本能化と低振動化)”を助長する、
霊的存在の思惑でもある。
ニュース見てたりしたらそんな報道ばっかりになってる。
そう言う事にも、
このブログと(霊)縁が有った人(日止、霊止)には、
気が付いて欲しいって思うたから、
ちょっと余分な事も言うてしもたやんか・・・
そやから・・・今日はこれくらいにしときまんねん。
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