“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”日月の巻 第三十帖 Kellyさん的解釈 “ここに妹(いも)恋しまし給ひて根の国に追い往(い)で給ひき”の意義 “その二”


今回は、前回の続きの文“ここに殺されし迦具土(かぐつち)の御首(みかしら)に成りませる神……の解釈をしまんねん。

前回解釈した“御刀(みはかし)の手上(たかみ)の血、闇於加美神(くらをかみのかみ)、闇御津羽神(くらみつはのかみ)、”は、伊邪那岐(いざなぎ)の手の上=“手上(たかみ)”の表記があり、そして今回取り上げる文は、“迦具土(かぐつち)の御首(みかしら)に成りませる神”の表記があり、当然のことながらこの二つの文が示唆していることは違う意味のことである。
それで、前回解釈した“闇於加美神(くらをかみのかみ)”と“闇御津羽神(くらみつはのかみ)”は(伊邪那美(いざなみ)の)美(砌(みぎり)の極性)と、その強化の意味合い=“ひつちとなり成り給ひて”が、肝=“いきり立つ心(奴と心)”であり、それは現津(あきつ)、観察され得る事象の“創造”の意欲であることを指摘した。
だが、事象の“創造”には、“思惑の顕現”=現象化、という法則性(“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)の“理(ミチ)”)がある。 
自分たちの心(靈)の動きが、何を求め、何を目的としてエネルギーを贖う(あがなう)のか、“どういうつもり”で行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)するのか、これらの要素があり、だからこそ“うれしうれし”“大歓喜”の現津(あきつ)、観察され得る事象は、霊的成長度の高い人間にしか“創造”できないものであることは何回も述べたし、今の人間は低すぎるから“日月神示”を書かせた存在は、“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”を述べ、それは自省(胸の磁性“十”)の“行”と、自己観察=“観自在”“直日”自省(胸の磁性“十”)の“行”であることを指摘してきたし、自らが良い世界の“創造”を担う資格を“上”から得るには、“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化が必須で、“身魂磨き”できた肉体(月(ツキ))は、(その出来具合=“行”の進み具合にもよるが)“上”からの荷電粒子の高い振動と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)するからこそ、それは“日月神示”表記の“天詞様”であり、“上”からの荷電粒子を止める表記が古神道の“日止、霊止”でもあり、この表記の理由と根拠はこれまで幾度となく述べてきた。 
要は、“創造”の“主(ヌシ)”は神の子としての人(日止、霊止)に、自分たちが感じ(感じる磁性)うる事象の“創造”を託しているということであるが、神の子が神の思惑を顕現することが人(日止、霊止)の存在の理由と根拠であり、そして神の“創造”には“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)の“理(ミチ)”が反映されるべきであり、その“理(ミチ)”を自分たちが自分たちの認識(悟り、幸取=さとり)とするには、“一”=智性=1番目のオーラが大きくなければ、天意と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)しないし、今、天意と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)する素地のないもの=“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”“役員づら”は、“上”によって分けられ、それがアセンションに伴うべき、霊的成長度の高低における区別でもある。
それで“日月神示”が書かれたタイミングは、“上”の計画に沿ったものであり、いうまでもなくその計画は、“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことにより、“一”=智性=1番目のオーラを大きくした人間を輩出させることであり、だからこそ艮(うしとら)の金神を名乗る霊団は、黒住教で朝日の日拝(にっぱい)(太陽凝視の入門、初心者向け)を教え、そののち天理教、大本教で、人(日止、霊止)の在り方と今後起きるアセンションに伴う醜い事象のことを述べ、それは自分たちの心(靈)の動きの結果が今の醜い事象であることを示唆していることが多いものでもある。
それで艮(うしとら)の金神を名乗る霊団が最後に“下”である人間に示した“日月神示”は、今後=アセンション後に移行すべく人(日止、霊止)は、どう在るべきか、そしてアセンション後の“創造”を担えるその資格はなんなのかを詳細に述べているものでもある。
このことを踏まえ、前回解釈した文の続きを観ることとする。 それで今回解釈する文は以下の通り。

ここに殺されし迦具土(かぐつち)の御首(みかしら)に成りませる神、
正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)、
御胸に
於藤山津見神(おとやまつみのかみ)、
腹(みはら)に
奥山津見神(おくやまつみのかみ)、
陰(みほと)に
闇山津見神(くらやまつみのかみ)、
左の御手に
志芸山津見神(しきやまつみのかみ)、
右の御手に
羽山津見神(はやまつみのかみ)、
左の御足に
原山津見神(はらやまつみのかみ)、
右の御足に
戸山津美神(とやまつみのかみ)、
成りましき。ここに斬り給へる御刀(みはかし)、
天之尾羽張(あめのおはばり)、
伊都之尾羽張(いづのおはばり)、
と云ふ。ここに妹(いも)恋しまし給ひて根の国に追い往(い)で給ひき。

この文を見ればすぐに気が付くことであるが、今回解釈する文の“御首(みかしら)に成りませる神、正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)”~“左の御足に原山津見神(はらやまつみのかみ)”と、“右の御足に戸山津美神(とやまつみのかみ)、成りましき。”までの、神=荷電粒子の回転の表記の前には“山津見”と“山津美”と記されている。 
それでこれまでも述べている通り、高い心霊が使う表記としての山は、脳のことであり、そして津は中心の意味があり、見は事象の“観察と認識”の意であり、その字は、目と丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)で構成され、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)は儿部(じんぶ、にんにょう)(人が歩く様に象る=時間の進行の意)でもあり、そして美は、砌(みぎり)の極性(事象への顕現)=伊邪那美(いざなみ)の美である。
それでまず“迦具土(かぐつち)の御首(みかしら)に成りませる神、正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)、”について。
“迦具土(かぐつち)”は、迦は、くらべる、 であう、の意味があり、具は、そなわる、そなえる、または、つぶさに、などの意味があり、土は、肉体(月(ツキ))のことだし、(事象の“創造”のための)2~3番目のオーラの発振、発信の意味もあるし、完成された“日止、霊止”の表記である“王”から“一”=智性=1番目のオーラを外した表記、体(月(ツキ))=土に、そなわった(具)、荷電粒子の回転(神)であり、それは肉体(月(ツキ))を持った心(靈)(ヒ)であり、“正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)”の正は、上と下が重なった表記であり、鹿は以前解釈した“鹿屋野比売神(かやぬひめのかみ)”の“鹿”と同義で、これは太陽凝視をしてアジナーチャクラが鹿の角のように発達した様子であり、それは目上(めうえ)の脳、智性(“一”、1番目のオーラ)の発現と強化でもあり、それが今後=アセンション後の現津(あきつ)、観察され得る事象の“創造”の基準の意味としての天の御目(あめのおめ)。
またそれは、自らの心(靈)の中における天意と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)して出来上がる自らの基準であり、それが無ければ自らの目下(めした)の心(靈)、いわゆる欲を律することができない。
その自らを律すること、それができない、あるいはその律する心(靈)を自らの進化(霊的成長、神格化に向かうこと)程度が低くて持っていないのが、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”“役員づら”でもあり、こういう人間が多数になるのは地球全体の進化として必然でもある(“玉石混交(淆)”の意、これについては太陽凝視を行っている鍼灸師の話<6><7>で述べている)。
だからこそ“日月神示”では、“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”と“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化を述べているものでもあり、そして“正鹿山津見神(まさかやまつみのかみ)”は、自らの心(靈)の動きを含めたすべての事象の“観察と認識”における上と下を見出し、それは智性(“一”、1番目のオーラ)ゆえの基準に依るからこそ“鹿”=発達したアジナーチャクラの表記があり、その心の動きは山=脳にあるからこそ“山津見”の表記が充てられていると思う。
そしてこれに続く“御胸に於藤山津見神(おとやまつみのかみ)、”の意味は、藤のツル(蔓)は、上から見たら右巻きであり、それは現津(あきつ)、観察され得る事象への“思惑の顕現”=現象化を示すことであり、藤の花の紫は、(物質世界における電磁波として見ることができる)可視光線の中で、一番高い波長であり、それは高い心(靈)の動きを示すものでもある。 要は“於藤”=高い振動に於ける心(靈)の動き=山、その高い心(靈)で、自らの思惑(日足(ひたり))を顕現する(砌(みぎり))(右回転)ことが、この表記の意味である。
次の“腹(みはら)に奥山津見神(おくやまつみのかみ)、陰(みほと)に闇山津見神(くらやまつみのかみ)、”は、腹はマニピューラチャクラ、自我の発現、それは奥山=大脳旧皮質にかかわるのだという表記、陰(みほと)(生殖器)は、ムラダーラチャクラ、本能、それは闇山(くらやま)=大脳古皮質にかかわるのだという表記。 要はこの二つの表記は、今までの地球人の進化過程、腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロンを指すものである。
次の“左の御手に志芸山津見神(しきやまつみのかみ)、”の芸は、肉体(月(ツキ))(二)に取り込む(厶部(しぶ)(物を囲い込んで自分のものとする様子に象る。手を「伸ばす、伸びる」の意がある))“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を顕現して、“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)の顕現とする意が“芸”と“志”の表記であると思う。
次の“右の御手に羽山津見神(はやまつみのかみ)、”は、羽は左右一対の意味で、それは現津(あきつ)、観察され得る事象の極性における日足と砌(ひたりとみぎり)の意味。 それを観よ、頭=山=脳における心(靈)で見出せという意味合いであると思う。
次の“左の御足に原山津見神(はらやまつみのかみ)、”の原は、観察しうる事象すべての意。 これに続く“右の御足に戸山津美神(とやまつみのかみ)、”は、戸は“江戸と尾張”の戸であり、それは肉体(月(ツキ))においては横隔膜(“日月神示”表記の“戸”、マニピューラチャクラからアナハタチャクラへの関門)で、それは自我から“慈悲”と“慈愛”への移行の意味合いもあるし、それを“山津見”=自らの心(靈)を観察せよという意味合いで、それでこの表記だけ伊邪那美(いざなみ)の美が書かれているのは、先にも少し述べたが、砌(みぎり)=事象への顕現、思惑の顕現をせよということだと思う。
そして“迦具土(かぐつち)”の“御首(みかしら)”、次に“御胸(みむね)、次に“御腹(みはら)”、次に“御陰(みほと)”、これは1番目、2番目、3番目のオーラであり、“一二三”のオーラ、1番目、2番目、3番目のオーラのことを示唆しており、“御手”と“御足”は、現津(あきつ)、観察され得る事象への顕現、それは行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)でもあり、この神の表記が書かれている最後としての“右の御足に戸山津美神(とやまつみのかみ)、成りましき。”は、右の御足、伊邪那美(いざなみ)の美、二つ砌(みぎり)の意味が書かれ、そしてそれは手よりも下の足、上から下まで顕現せよという意味合いのことであり、そう成せ=“成りましき”ということである。
それで、これに続く“ここに斬り給へる御刀(みはかし)、天之尾羽張(あめのおはばり)、
伊都之尾羽張(いづのおはばり)、と云ふ。”については“十拳剣(とつかのつるぎ)”として以前に解釈したので省略。
 これに続く“ここに妹(いも)恋しまし給ひて根の国に追い往(い)で給ひき。”は、誰が根の国に“追い往(い)で給ひき”なのかは、いうまでもないが、伊邪那岐(いざなぎ)は日足(ひたり)の極性の表記であり、それが“妹(いも)”=いまだ完成されていない砌(みぎり)の極性、女と末、それに“恋しまし給ひて”=それを日足(ひたり)の極性である伊耶那岐(いざなぎ)が慈しみ愛しみ、“妹(いも)”=いまだ完成されていない事象ではいけないから(それは“創造”の“主(ヌシ)”の思惑が顕現されていない=霊的成長度の低い心(靈)の人が大多数だからこそ、今の地球の、恨みの連鎖の霊的干渉に満ち満ちた世界と同じであるからこそ)、根の国=“下”の世界、“下”の事象へ、下りていく=高い思惑を顕現する、実現する、その意味合いの表記である。

 それで、日月の巻 第三十帖は、完結した一つの帖ではなく、この後のそれぞれの巻や帖に続いているし、そこには、現津(あきつ)、観察され得る事象への顕現、心(靈)(ヒ)と肉体(月(ツキ))の秘密が書かれているものであるが、それは、その帖にたどり着いたとき詳細に解釈するとして……半年以上かかった日月の巻 第三十帖の長い解釈をここまでとして…今回はこれくらいにしときまんねん。

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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
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