“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“ローム太霊講話集”第一話 物と心の満足を得る法 Kellyさん的解釈“その二”


 前回解釈した通り、ローム太霊講話集の第一話は、物と心の満足を得る方法論や手段を述べているのではない。 そしてちょっと蛇足になるけど、物をたくさん得ても本当の心(靈)の満足は得られるはずがない。   
それで仮に、沢山の物を得て満足したとするのならばそれは、自我までの心(靈)、低い功名心と自尊心、言い換えればてんで低い自己満足でしかない。 
だが、こういう人は結構いる。 
少し低級な例を挙げれば、一生着ることが出来ないほどのたくさんの服を買い集めたり、履ききれないほどの靴を集めたり、(霊的成長という意味で)何の価値もない宝石を集めて自分が美しくなったかのような錯覚を起こしたり、たいして美しくもならないのに美容やエステに手間暇かけ金を費やしたり、美食に狂い肉体の“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)に必要のないほどの食べ物を食べたり、体を壊してまで酒を飲んだり、こんなことは枚挙にいとまがないくらい多いものである。 
そしてそこに、三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)の動きを持つ子供の浮遊霊や動物霊、そして低い心(靈)の発現のまま死んだ、欲望に執着している大人の霊などの、程度の低い憑依現象があることすら、ほとんどの人が解っていない。 
話を戻し、程度の低い心(靈)というのは低い価値観、低い幸福の概念を持つ根拠でもあるし、その心の動きが中心だからこそ先に述べた三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)の動きを持つ霊的存在を、自らが自らの持つ低い心(靈)の動きで呼び込むことになっている。
(ちなみに三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)は、貪は、むさぼる。本能由来の行動、瞋は、目をむいて感情をあらわにするさま、痴は、白痴の意味、認識が足らないとか智慧(日を知る事=智性の恵み=慧)が足らないの意味)
 それでまた余談になるようなことを述べるが、人の行動であろうが、憑依現象であろうが、すべて心(靈)の高低を見出さなければ何が本物で何が偽物、だますとか欺いているとかの区別がつかないものである。

また話を戻し、今述べた多くの人、平均的地球人が持っている低い価値観と低い幸福の概念、ほとんどの人は、物欲由来の満足を得るためにエネルギーを購っていたり、自らの欲望を満たすことを中心に仕事をしたりしており、そのための“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)の使い方をしているし、それはありていにいえば、自分の“力”を使い、それを“業行”(生業(なりわい)と“行”)の業として、仕事をして(通貨としての)金を得ようとしている。
そして、大半の地球人は心(靈)の発現が低いから、(“世為人為”(S会=紫光会の経文、四空経録の中の言葉)ではなく)金を得ることが中心の仕事をするものだから、経済大国の発展の裏に恨みの連鎖の霊的干渉が生み出されるという状況になっているし、それは結果として地球人全体の首を絞めているのに等しいのだが、このことをきちんと理解している人はごく少数でしかない。
それは、物を対象に心(靈)の満足を得ようとする=物欲を満たそうというのは、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)程度の低い心(靈)の持ち主の発想でもあるし、その心の動きが中心の人は、今後=アセンション後の“創造”に参加する資格がない=“創造”の“主(ヌシ)”の計画に沿った進化(霊的成長、神格化に向かうこと)程度ではないと断言できる。

その意味において、ローム太霊講話集の第一話は、自らの心(靈)が観察する事象、そこに於ける本当の満足を得るということが大事なことで、それは前回取り上げた事象の“創造”における法則性の“法”が大事なのであり、その“法”を認識し、それを顕現して自らがその権限を“観察と認識”することが、本当の価値と本当の幸福(自らが霊的成長して神格化するという意味での幸福)でもあることを、ローム太霊はこの文で示している。
また先に述べた(進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)の低い“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の)低い価値観や低い幸福の概念、それは自らが観察する事象における満足にはつながらないものであり、恨みの連鎖の霊的干渉を増すことになり、その霊的干渉は自らに返ってくるものであるし(因果応報、ブーメランの法則、“曲霊(まがつひ)”の意味)、死んでからでも自分がやってきたことは自分が背負い、そのために贖う(あがなう)ことをしなければならない(閻魔の庁の浄玻璃の鏡(えんまのちょうのじょうはりのかがみ)の意義)。
また、事象の“創造”の法則性の“法”それは“日月神示”表記ならば“道理”(“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性))ということになるし、ローム太霊、S会=紫光会の霊的存在、“日月神示”を書かせた存在の霊団だけでなく様々な宗教の開祖に通信を送った高い心霊は、(神の子としての)人が行うの“創造”(人の役割)の法則性を教えようとしているものである。 
そしてその“法”には、自らの存在の意義、“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)の使い方、行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)のその在り方を感じ取れるものであるが、当然のことながらこの第一話を流し読みするとか、ただただ自分たちの低い心(靈)所以の満足を得ることを念頭に置いて読んでいるだけでは、このことは理解できないと思う。

 それで、物と心、それは、自分の心(靈)が観察して認識している外側(外国と幽界)の事象と内面とか内側(心の中と感じている事)と言い換えてもいいが、どちらも自分の心(靈)の観察対象であり、その外側と内面に満足を得る=満足を感じるという視点で、第一話を読み解いていくことにする。

第一話の冒頭の文には“人間は自分が求めているものを実際に手に入れることは中々面倒であるが、それはその波動が身近に来ていてもその受入れが出来ないからである。”と述べられている。
この“波動…その受入れ”に対する文として、この後の“それまでに積み重ねた努力の結果”と“予期しない奇跡が起こる”と“他からそうなるようにしてもらう”、そして“猶この外にいろいろな神や霊に祈ってその力を借りるという手段もある”は、“これとて”と前置きされ、それは指摘された要素すべてが“容易なことではない”と述べられている。 
当たり前である。 
自分自身が仮に低い心(靈)所以の物欲を満たすのであろうが、智性(神性)由来の神格化を認識して努力して得られる結果に対し“行”しようが、なかなか満足なんて結果にはならないものである。
要は、自分が価値を感じる何かを得ようとするのは“容易なことではない”ってことでしかないのだが、だからこそローム太霊は“普通の人間として一番望むのは第二の場合であろうが”と、霊的成長度が平均的な人間の心(靈)の動きを揶揄(やゆ)して述べているし、またそれはこの文に続く“奇跡というものは密かに積まれた陰徳の助けがないと起こらないのであるから、自分の思うようにはならない”のであり、甘い(亜、魔、出ずる、泉。愛(炁)の間に魔が入った状態を指す)発想をする低い心(靈)の動き(目下(めした)の心(靈))をする人間を戒めているのだと感じる。

それでこれに続く“所がそれらとは別に、もっと直接に物を得る方法として、精神統一によるものがある。”であるが、この“精神統一によるものがある”をしっかり読み解かなけれいけない。 
それは、甘い(亜、魔、出ずる、泉。愛(炁)の間に魔が入った状態を指す)人間ほど、うすっぺらい精神統一ごっこすれば物や金が入るって発想をすると思うだろうが、それはおお間違い。
それで、ローム太霊が述べている“精神統一”はこの後の文の“肉体と幽体と霊体と神体との四つから成り立っているのであるが、この四つの体が統一されてその統合した力を発揮し、種々な活動をする状態が真の精神統一なのである。”と述べておられる。 この“四つの体が統一されて”と“その統合した力を発揮し、種々な活動をする状態が真の精神統一なのである”をよく考えなければならない。
それで大体、肉体、幽体、霊体、神体、に対する認識が、現界、幽界、霊界、神界、における自分自身の体という発想をすること事態がちょっと誤りで、自分の体を自分の心(靈)が観察して認識するのは、現界、幽界、霊界、神界、におけるそれぞれの場(フィールド)の振動を感じ、それで体が構成されていると自らが感じるからである。
その振動の段階、それで構成されいる心(靈)を名づけることを人間はしたのだが、それは○○○大先生が心(靈)の“上”“下”を分類した通り本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動でもある。
そしていうまでもなく肉体、幽体、霊体、神体、と現界、幽界、霊界、神界、の肉と現は、一番低く荒い振動であるし、ローム太霊講話集を読んでいるのは、肉体を持っていて肉体そのものが自分自身ではないかという認識が中心の現界にいる人間で、だからこそそれは、自分がこの四つの要素の一番低く荒い振動である物質以外の何かでできているという認識をしっかり持っていない。
(“日月神示”にも自らの外側(外国と幽界)の事象とか“神界”=智性(神性)とかの意味を感じさせる表記はあった)
 よって自らの心(靈)、それがどんな心(靈)の動きをしているのか、どんな心(靈)で自分の心(靈)は構成されているのかを知らなければ、肉体、幽体、霊体、神体、現界、幽界、霊界、神界、の意味は理解できない。
今の平均的進化過程の地球人が感じ(感じる磁性)ている現津(あきつ)、観察され得る事象というのは、外側(外国と幽界)の事象中心であり、それは腹までの心(靈)、目下(めした)の心(靈)、自我の確立=固定化の進化過程で感じ(感じる磁性)る事象でもある(“日月神示”表記の“江戸と尾張”でもあるし、ヨガでいうところのチャクラ(荷電粒子の回転を示す)でいえばムラダーラチャクラ、スワディスターナチャクラ、マニピューラチャクラである)。 
そして肉体、幽体、霊体、神体、というのは、現界の“創造”をするのが肉体であり、それは砌(みぎり)の極性ともいいうるものでもあるし、“日月神示”ならば心(靈)(ヒ)に対する月(ツキ)肉体である。 
それで肉体を持った心(靈)である人間が、この事象の“創造”をするということ、それは、要は人の“創造”も“創造”の“主(ヌシ)”の“創造”も、“思惑の顕現”=現象化ということでしかないのだが、その思惑、“どういうつもり”、心(靈)の動き、それが大事であり、低い心(靈)である自我の確立=固定化の進化過程では、これまで幾度となく述べている通り必ずその世界は(法則性の“法”に則って(のっとって)いないから)崩壊の局面に立たされる。
そしてそれは、ローム太霊が最後のローム霊訓講話で述べたことの右往左往=やってみてから失敗を体験し、左往右往=失敗を体験し、それを教訓として“力”の顕現(砌(みぎり)の行)をするという過程でもあるし、この最後のローム霊訓講話でローム太霊が述べたことは、アセンション後の“創造”を担う資格を示唆するものである。
それで今の世界、自我の確立=固定化の段階の心(靈)の動きの人が“創造”している世界、失敗の世界、それはあえて言うまでもなく自我の肥大(“日月神示”表記の“われよし”)という心で、行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)しているから、この世界は腐りきっている。

(だが経済大国の人間ほど、このことに気付いていないか無視している)

それで、この第一話でいうところの“精神統一”に対し、ローム太霊は“四つの体が統一されてその統合した力を発揮し、種々な活動をする状態が真の精神統一なのである”と述べられておられるから、肉体、現界、そして幽体と幽界を感じうる自らの心(靈)が持つ低い振動だけでなく、霊体、霊界、そして神体、神界を感じうるのは本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動で構成された自らの心(靈)の、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動で構成された部分で、要は自らの心(靈)が持つ一番上の振動は智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)なのだが、智性の発現の少ない平均的地球人を対象に述べられていることとして、その智性(神性)を中心に自らの心(靈)とするならば“四つの体が統一されてその統合した力を発揮し、種々な活動をする状態が真の精神統一なのである”ということになると思うし、そう思う根拠は、先に述べた通りこの世界が、(あまり智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)の無い)自我の肥大した人の活躍で“創造”されており、恨みの連鎖の霊的干渉に満ち満ちており、もうすぐこの世界そのものが崩壊の局面に至るからである。
よってローム太霊が第一話で使った“精神統一”という言葉の示唆することは、本能から智性(神性)まですべて統一せよということである。

それで次回は、今回取り上げた文の続きを解釈することと、自分たちの感じている事象は振動の受け入れであり、それは第一話の冒頭の文の“波動…その受入れ”、要は心(靈)の高低による“観察と認識”ということであるが、そのことを述べることとして、今回はこれくらいにしときまんねん。

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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
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自分達の欲望を満たしたい… 
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こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
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