“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”日月の巻 第三十一帖 Kellyさん的解釈 

 
今回も、日月の巻 第三十一帖を解釈しまんねん。原文は以下の通り。

一二三四五六七八九十百千卍(ひとふたみよいつむななやここのたりもちよろず)。
今度は千人万人力でないと手柄出来んと申してあろがな。
世界中総掛かりで攻めて来るのざから、一度はあるにあられん事になるのぞ。
大将ざからとて油断出来ん。富士の山動く迄にはどんな事も耐(こら)えねばならんぞ。上辛いぞ。どんなことあっても死に急ぐでないぞ。
今の大和魂と神の魂と違ふ所あるのざぞ。
その時その所によりて、どんなにも変化(へんげ)るのが神の魂ぞ。
馬鹿正直ならんと申してあろ。今日(けう)あれし生命勇む時来たぞ。
十一月二十六日、一二 ローレンツ力と ○

 冒頭の“一二三四五六七八九十百千卍(ひとふたみよいつむななやここのたりもちよろず)。 今度は千人万人力でないと手柄出来んと申してあろがな。”の一二三四五六七八九十、これについては何回も解釈してきており、漢数字を使った文を解釈すればするほどその表記に一貫した法則性を感じる。 ちなみにそれは以下のような解釈。

“一”=智性(神性)、“創造”の“主(ヌシ)”の表記。1番目のオーラ。
“二”=肉体。
“三”は“一”=智性=1番目のオーラと、“二”=肉体。
“四”は、発振、発信。“日月神示”表記の善言(よごと)。“善(神格化の方向性と智性の受信)”の発振、発信。
“五”は、糸巻き。神経が密になり、コイル状に巻いた様。
“六”は、家屋の形を表す象形文字が変化したもの、そして陰爻、これはいんこうと読み、易で、陰を表す数。ほんでから爻部(こうぶ)は、交わるの意味。そしてその象形文字のカタチを観ると、屋根=頭の下に、左右の極性があるように感じ取れる。
“七”は、“一”=智性=1番目のオーラと乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)。
ほんでから前に、“日月神示”表記の“七七七七”は、目上(めうえ)の脳、大脳新皮質の四つの機能、そしてそれは、“一霊四魂”であると解釈した。
“八”は、左右、日足と砌(ひたりとみぎり)の極性の顕れ。それは、“富士(二二)”=肉体の二つの磁性、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道。
“九”は、“一”=智性=1番目のオーラと丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)。○ 九 十の“九”。
“十”は、胸の磁性“十”。腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロンから、胸と手の磁性で、シンクロトロン放射に移行する様。
 
それでこの漢数字の意味が解りやすいと思うので、以前解釈した富士の巻 第十五帖のKellyさん的解釈から以下にコピペしておく。

“一二三は神食。”
これは、“一二三(ひふみ)”のオーラは、神=示すへんに“呂”=エネルギーの回転で発信される荷電粒子を取り込んで、自分の肉体の磁性で増幅(“畐”)して、発信されてる三つのオーラ。

“三四五は人食、”
“三”は三つのオーラ、“四”は“善言(よごと)”=“善(神格化の方向性と智性の受信)”の発振、発信。“五”は、動物から進化(霊的成長、神格化に向かうこと)して、その進化した心(靈)に伴い、肉体が変容して、神経が密になった様子。
そして“三四五(みよいづ)”は、この事象の“創造”になる。この世界を創っているってことでんねん。
そしてそれは、肉体+心(靈)、人(日止、霊止) 対 人(日止、霊止)が、それぞれのオーラの相互干渉で影響しあい、この事象の“創造”をしている。そやから、自己と他者、それぞれ、そのオーラを食うこと=吸収することが“人食”。

“五六七は動物食、”
この“五”は、動物から人間の進化過程で発達した神経、そして“六”は、屋根=頭の下に、左右の極性がある形やから、それは動物から人(日止、霊止)への進化(霊的成長、神格化に向かうこと)で、そしてそれは、“七”=“一”=智性=1番目のオーラと乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)になる。
そして智性(神性)は、目上(めうえ)(大脳新皮質、“田”(心、靈、の四つの場(フィールド))に発現する。
そやから“日月神示”表記の“七七七七”がきちんと出来上がり、きちんと機能して無いと、自分の心(靈)の動きにおける智性=神性と、自我と、情動…いろんな言い回しが出来るけど、要は、目上(めうえ)(人(日止、霊止)の進化過程、智性(神性)の獲得と行使)(大脳新皮質、“田”(心、靈、の四つの場(フィールド))と、目下(めした)(動物の心(靈)の段階)が区別できない。
またそれは、心(靈)の方向性の“上”と“下”を自分で判断することでもあるし、それを判断したなら、自分の今後=アセンション後の在り方を観ることが出来る。
それは智性=神性由来の、“観自在”“直日”自省(胸の磁性“十”)の“行”やっていう敵たし、ほんでから心の“上”と“下”、“善(神格化の方向性と智性の受信)”と“悪(心の動きの本能化と低振動化)”、それを判別して、そして行動に活かすことが“身魂掃除”“身魂洗濯”って何回も解釈してきた。
そやからそれは、人が持っている動物の部分と神さんに近い部分ってことでんねん。
そやから事象の観察をして、そして自分の心(靈)の動きも観察して、人の心の動きの“上”“下”を認識(悟り、幸取=さとり)する。
そして人は“上”を目指し、“日止、霊止”になっていかねばならない。

“七八九は草食ぞ、”
この“七”は、さっきも言うたとおり、“一”=智性=1番目のオーラと、乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)。人(日止、霊止)の“思惑の顕現”=現象化が、智性=神性由来の“創造”にならねばならない。
それが神さんから託された人(日止、霊止)の使命でもある。この事象を、“うれしうれし”“大歓喜”にしていくのが人(日止、霊止)の使命でもある。
そやから今後=アセンション後は、智性(神性)を発揮した人が活躍する。
それに対し、今は、自分に備わってる智性(神性)を無視し“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が活躍し、その結果が恨みの連鎖の霊的干渉でいっぱいになってしまうから、どんな人がアセンション後に位置できるのか…アセンション後の“創造”を託されるのか…答えは実に簡単なんやと思うけど、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)の思惑を受信し、それは、悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ、操り人形)の甘い(亜、魔、出ずる、泉)アセンション情報を流してる人があまりにも多い。
ほんでからその程度の低い情報を、ほんまのことと思う人は、ただ霊的成長度が低いってことでんねん。
話を戻し、“八”は左右の極性、“富士(二二)”=肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道日足(ひたり)と砌(みぎり)。
“九”は、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)+“一”=智性=1番目のオーラ+乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)。
人(日止、霊止)の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)は、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の思惑を受信して、自分の思想に活かし、それ由来の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)をしていく。
それが、智性(神性)を活かした人が活躍するアセンション後の事象でもある。
そやから“九”は、人って言う字に、“一”を足した表記でもあるし、“日月神示”表記で、神さんの最後の仕事としての意味を持つ○ 九 十(まこと)。
その意味も持っている。前に紹介した画像を貼っておきまんねん。
○ 九 十(まこと)の解字


そして“草食”って言うのんは、クサカンムリに、太陽を示す日と十やから、太陽で胸の磁性“十”を芽生えさせる意味を持つのかもしれへん。多分そうやろ。
そやからそれは、“ひつく”=太陽凝視を“行”として行うことでんねん。

“九十は元に、一二三の次の食、神国弥栄ぞよ。”
 まず“九十”についてやけど、これも、この富士の巻が自動書記によって書かれたのが八月やからってことで、大概の人は、九月十月って思うかもしれへんけど、そんな程度のことでは決して無いと思える。
 さっきも言うたとおり、“九”は、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と“一”=智性=1番目のオーラと乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)が重なっており、神さんの思惑を受信した智性(神性)由来の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)が、乚部(いんぶ)=人の思惑の顕現で、アセンション後の事象はそうならねばならない。
そして“十”には腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロンから、手と胸の磁性で、シンクロトロン放射に移行し、そのときの心(靈)の動きが、“慈悲”と“慈愛”になっていくことを何回も言うた。それを一言で言えば、胸の磁性“十”ってことになる。
ほんでから神道の十種神宝(とくさのかんだから)や、太祝詞(ふとのりと)の、ヒフミヨイムナヤコト=一二三四五六七八九十は、“創造”の“主(ヌシ)”の、生命(生きる使命=存在理由)を創造していく過程も含まれていて、それは、太陽を示す、日=ヒで、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)からの荷電粒子って意味では、霊の旧字、靈で、それもまた、ヒと読ませる。
それを止めるのが、“日止、霊止”で、“十”は、トでもあり、それを簡略に呼べば、ヒトって表記にもなる。
 ちょっと長い説明になってしもてるけど、“九十”は、今言うた意味を感じさせる。
 ほんでから“元”は、“二”=肉体と儿部(じんぶ、にんにょう)、儿部(じんぶ、にんにょう)は人が歩くさまに象る(かたどる)。
要は、時間の進行とともに進化(霊的成長、神格化に向かうこと)していくのが“日止、霊止”ってことなんや。ほんでから時間の進行を認識してる生命(生きる使命=存在理由)は、高等な生物でしかない。
当たり前のことなんやけど、進化過程の低い、目下(めした)(動物の心(靈)の段階)(大脳旧皮質と古皮質)の心(靈)の認識では、死後のこととか、自分が永遠の実在であるとかの認識が無いからこそ、今の世界で楽しんで生きるのが幸福やと思い、そやから、自分が持っていると錯覚している“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)を利用し、低い欲望の達成のために行使して、他者に対し、欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとかしてる。
そやからその霊的成長度の人は金儲けしか考えんし、形骸の見せ掛けの言葉を行使したりもする。
それは、政治家や、企業のトップや、形骸の宗教に携わってる人、ほんでからそれは、特に、低い霊能力者に多いパターンやし、ほんでからそれは、アセンションの情報を利用してゴーストライターに本を書かせてる人みたいなもんや。
要は、智性(神性)由来の“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)の使い方をしてへんってことなんやけど、まったく情けないな。
話を戻し、“一二三の次の食、神国弥栄ぞよ。”は、智性(神性)を発揮した場(フィールド)がこの文の“神国”。神は示す偏(へん)とエネルギーの回転を示す“呂”。そして、“国”は、場(フィールド)を示す(囗)くにがまえと、人が霊的成長し、左往右往して自省(胸の磁性“十”)の“行”をして、“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の動きを発現してるのが“玉(ぎょく)”。そやから先生は、人が自省(胸の磁性“十”)して、“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の発現をして霊的成長していく様を、前のブログで“宝玉の仕組み”って定義付けた。
また、話を戻し、この文の“一二三の次の食”は、この富士の巻 第十五帖の冒頭の“一二三は神食。”に掛かり、そして“神国弥栄ぞよ。”で、纏められている。
それは、今までの地球人の進化過程は、“一二三(ひふみ)”のオーラの発現の段階やった。
そやけど現時点、“一”=智性=1番目のオーラはまだ小さく、そやから地球人は、ユニオン(宇宙連合)の仲間入りをさせてもらえない。宇宙的に観て地球人の進化過程はてんで低すぎるからや。
それはおいといて…霊的成長していく過程が“ひふみゆらゆら”=“一”“二”“三”のオーラ、それぞれの左右の磁性の右往左往と左往右往でもある。
そして人は“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の思惑を受信して自分の思想にして、その人の完成って言うのんが、“王”って字に示されてるって先生は解釈してる。
そして今後=アセンション後は、霊的成長度によって分けられ、“王”に近い完成度を持った人(日止、霊止)の場(フィールド)になる。
それがさっき説明した、智性(神性)由来の“思惑の顕現”=現象化しか観察し得ない事象になり、そこにいてる生命は、弥栄(いやさか)の、言葉としての意味でもある、いっそう栄えるとか、感謝とか、労い(ねぎらい)とか…そういう意味もあるんやろけど、弥栄(いやさか)の旧字、彌栄(いやさか)、そして彌の旧字は、弓偏(へん)に璽(しるし)、これはチャクラを示してるって先生は解釈した。(思惑と顕現“その十一” “上”の思惑と顕現…“天の御目” 参照)
そやから、完成された人を示す“王”は、“一二三(ひふみ)”のオーラが充実し、それは神に近い完成度を持つ。(補足 完成の完は、宀(うかんむり、頭の意味)と“元”)
またそれは、肉体に備わっている七つのチャクラの覚醒でもある。そして現時点で後求人のチャクラの覚醒は、三番目のチャクラ、マニピューラチャクラの覚醒と強化の段階やからこそ、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の世界になっている。それを“日月神示”の表現を借りるなら“江戸と尾張”で、腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロンでもある。
またまた、話を戻し、ある程度“一二三(ひふみ)”のオーラが立派になり、その“王”からの発振、発信は、その発振、発信で“創造”された事象は、“うれしうれし”“大歓喜”になるってことで、その意味でも彌=弓偏(へん)と璽(しるし)、チャクラが、弥栄(いやさか)=いっそう、盛んになり、栄えるってことでもあると思える。

そしてそれは次の文章につながっていく。
“人、三四五食に病ないぞ。”
“三四五(みよいづ)”はさっき説明した通り、“三”は三つのオーラ、“四”は“善言(よごと)”=“善(神格化の方向性と智性の受信)”の発振、発信。“五”は、動物から進化(霊的成長、神格化に向かうこと)して、その進化した心(靈)に伴い、肉体が変容して、神経が密になった様子。
その発振、発信で“創造”された事象を観察して認識する。それは振動を食うことと同義である。要は自己と他者の振動が、今より、神格化に近いからでんねん。
そやからそこには、人が、“悪(心の動きの本能化と低振動化)”と感じ(感じる磁性)る“病”など、言い換えれば、“病”と認識される発振、発信など無いってことでんねん。

そやからこの、富士の巻 第十五帖は、アセンション後の人(日止、霊止)の霊的成長度と、その霊的成長度に於ける“思惑の顕現”=現象化を指し示す表記の文やと思いまんねん。

引用終わり。

 それでヒフミヨイムナヤコト=一二三四五六七八九十は、“一”(亜から出ずる、アイ)“創造”の“主(ヌシ)”の振動、それを止める(“日止、霊止”の表記の意味)、そして縦の磁束と横の磁束の意味を表している“十”、これこそが脊椎動物の進化の究極の形であり、それはシンクロトロン放射の構造をも示すものである。

 そしてこの文に続く“百千卍”、卍の意味は、左回転であることも以前解釈したし、この三つの表記については以前画像を作ったので以下に貼っておく。
百 千 万 の解字と解釈


 要は“一二三四五六七八九十百千卍(ひとふたみよいつむななやここのたりもちよろず)。”は、“創造”の“主(ヌシ)”の振動(“一”(亜から出ずる、アイ))を止め(“日止、霊止”の表記の意味)シンクロトロン放射の構造を持ち(“十”脳と背骨の縦の磁束と手と胸の水平磁場、“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の発現)そして“百千卍(もちよろず)”するのは画像で示した通り、“上”の振動を止める表記が百と千であり、卍は左回転であるからこそそれは自我の確立=固定化から、“慈悲”と“慈愛”という心(靈)の発現であり、それは大日如来の条帛(じょうはく)で示されている左回りで“上”にエネルギーが上昇するさまであり、それそのものが神格化のプロセスである。
また“百”の画像で示した通り“上”の振動を取り込み自らの心(靈)の構成要素としての高い振動を取り込む具体的な手段は“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことであり、それは“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化となっていくものであるからこそ、より高い、より“上”の“創造”の“主(ヌシ)”の振動と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)することとなっていく。
 その意味で次の文“今度は千人万人力でないと手柄出来んと申してあろがな。”は、千人とか万人とかの表記は、大勢とかたくさんの力とかのいみではなく、それは神の思惑に沿った進化(霊的成長、神格化に向かうこと)でなければ“手柄出来んと申してあろがな”と述べられているだけで、現地球人が知らなければならない進化の法則性が示すことは“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”から(アセンション後に位置して行く今より霊的進化を果たした)奉仕者になることで、それに必須なのは自我の肥大を自らの心(靈)に見出して諌め(“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”)、自らの“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)をどう顕現していくのかが、この文の“手柄”ということであり、今活躍している“役員づら”や“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の功績などは、“上”から見たら霊的成長という点で何の価値もないことを示唆している。

 そしてこれに続く文の“世界中総掛かりで攻めて来るのざから、一度はあるにあられん事になるのぞ。 大将ざからとて油断出来ん。 富士の山動く迄にはどんな事も耐(こら)えねばならんぞ。上辛いぞ。どんなことあっても死に急ぐでないぞ。”は、“富士の山動く迄には”が大事で“富士(二二)”は、肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道であり、山は脳であるから、進化した肉体(月(ツキ))が持つ思想という意味になるが、そうなるまでにはアセンションに伴う醜い事象があり、それは“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の進化過程の人間が自省(胸の磁性“十”)するためのことであるが、それが“世界中総掛かりで攻めて来るのざから、一度はあるにあられん事になるのぞ。 大将ざからとて油断出来ん。”と“どんな事も耐(こら)えねばならんぞ。上辛いぞ。どんなことあっても死に急ぐでないぞ。”であり、この文の冒頭の“世界中総掛かりで攻めて来る”は、これから…ではなく、すでにもう起きはじめているアセンションに伴う醜い事象は、自我の肥大した人間を諌めるために起きているのであり、それはすべて自分たちの心(靈)を責めるものであり、責められるからこそ自省(胸の磁性“十”)するものであるが、その時に自分の命を投げ出すようなことはするなという意味のことを述べており、それは○○○大先生でも○○○大先生の著書を読んだ一部の読者にもあることだが、この世界を憂い、平均的地球人の行いを見て落胆したり悲観したり…そんな心の動きは自我の肥大から“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の発現の過程で、当然おこることであるが(だからこそ自我より“上”の心(靈)を持つ人は“上辛いぞ”と述べられている)、その心の動きは自らの肝=“いきり立つ心(奴と心)”を霊的成長の方向性に向けにくくなるし、また一般の人は右往左往=やってみてから失敗を体験し、左往右往=失敗を体験し、それを教訓として“力”の顕現(砌(みぎり)の行)をするするときに、自分の命に価値を見いだせず自殺する人たちもいるが、それを諌めた言い回しだと思える。

 そしてこれに続く文の“今の大和魂と神の魂と違ふ所あるのざぞ。 その時その所によりて、どんなにも変化(へんげ)るのが神の魂ぞ。 馬鹿正直ならんと申してあろ。”の“今の大和魂と神の魂と違ふ所あるのざぞ”は、現状の既成概念=“大和魂”で、それは平均的地球人の価値観や幸福感、それは低すぎるし、その低すぎる思想が自らを“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”と成らしめるものであり、その低い思想は捨てなければならないから(“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”)、“今の大和魂と神の魂と違ふ所あるのざぞ。 その時その所によりて、どんなにも変化(へんげ)るのが神の魂ぞ。”と示され、“上”の思惑に沿った進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たす人は、今の既成概念の価値観や幸福感より“上”の思想を持つから、“どんなにも変化(へんげ)るのが神の魂”であり、今の既成概念に囚われた心(靈)を“馬鹿正直”と揶揄されていると思う。

 そして第三十一帖の最後の文“今日(けう)あれし生命勇む時来たぞ。”は、いうまでもなく今後=アセンション後に移行すべく自分を奮い立たせろということであり、先に述べた現状を憂い足り落胆して悲観していたりではダメなのだということを述べていると思う。

 今回はこれくらいにしときまんねん。

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☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
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☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
予約制 鍼(はり) 灸(きゅう) マッサージ治療 児玉療院
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




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