“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”日月の巻 第三十二帖 Kellyさん的解釈

 
今回も、日月の巻 第三十二帖を解釈しまんねん。原文は以下の通り。

おもてばかり見て居ては何も判りはせんぞ。月の神様まつりて呉れよ。
此の世の罪穢れ負ひて夜となく昼となく守り下さる素盞鳴神様あつくまつり呉れよ。
火あって水動くぞ。水あって火燃ゆるぞ。
火と水と申しておいたが、その他に隠れた火と水あるぞ。
それを一二三と云ふぞ、一二三とは一二三と云ふ事ぞ、言波ぞ。
言霊(コトタマ)ぞ、祓ひぞ、 渦巻き 左回転 ぞ。スサナルの仕組ぞ。
成り成る言葉ぞ、今の三み一たいは三み三たいぞ。
一(ひ)とあらはれて二三(ふみ)かくれよ。
月とスサナルのかみ様の御恩忘れるでないぞ。御働き近づいたぞ。
十一月十七日、ひつ九かみ。

 冒頭の“おもてばかり見て居ては何も判りはせんぞ”は次の“月の神様まつりて呉れよ。此の世の罪穢れ負ひて夜となく昼となく守り下さる素盞鳴神様あつくまつり呉れよ。”にかかる言い方である。
 それで“月の神様まつりて呉れ”は、月は肉体のことであるし“此の世の罪穢れ負ひて夜となく昼となく守り下さる素盞鳴神様あつくまつり呉れ”の“此の世の罪穢れ負ひて夜となく昼となく守り下さる”は、“此の世の罪穢れ”は、自分たちが観察しうるこの事象が“此の世”であるし、“罪穢れ”は、自分たちの低い心(靈)の動きが作っている恨みの連鎖の霊的干渉の結果でしかないし、その結果としての“罪穢れ”による苦痛や苦悩、天災や戦争、病気や不幸な死などを味わいながら人の心は生きていようが死んでいようが霊的成長の方向性や“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)を知るものである。
 だが“月の神様まつりて呉れよ”は、今生きている人間を対象にしている言い回しであり、それはいうまでもなくアセンションの時期が迫りつつあるので、“日月神示”も書かれ、その他の地球人より“上”の存在は様々なメッセージを送ったのである。
話を戻して“素盞鳴神様あつくまつり呉れ”の“素盞鳴”については以前画像を作ったので、それで意味を示すこととする。

“素盞鳴(スサナル)”(日月の巻 第二十九帖の表記)の解字


 この“盞”(杯、さかずき)の意味するところは、人体の体液、それは錯体でもある。
そしてとくに人体における水の多い部分は腹で、それは腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロンのことであり、ムラダーラチャクラ、スワディスターナチャクラ、マニピューラチャクラ、であり、本能から自我までの心(靈)の発現の意味を持つ。
さらに自我の発現というのは独り神(ひとりがみ、日取り神)になるための必須要件でもある。
それで“まつりて呉れよ”は、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)の意味、霊的成長を知り、それを実践して欲しいのだということを示唆しており、そうなって“呉れよ”ということである。
だから決して“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)してしまうこと、三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)由来の心(靈)を自分に許してはいけないし、また例えば“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)の行動や言葉に低い心(靈)の動きを見出して乗ってはいけないのだが、このことが出来ている人はほとんどいないに等しい。
また話を戻し、“おもてばかり見て居ては何も判りはせん”というのは、肉体の秘密を知れ、霊的成長における肉体(月(ツキ))の変容も判っていけということだと思える。
 それで“素盞鳴神様あつくまつり呉れ”に関して、以前、日月の巻 第二十九帖で“光食へよ。 息ざぞ。 素盞鳴尊(スサナルノミコト)まつり呉れよ。 急ぐぞ。 うなばらとはこのくにぞ。”を解釈した時のことをコピペしておく。

 “光食へよ”は、“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことであり、そしてそれは、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)(“一二三”のオーラ)であり、“素盞鳴尊(スサナルノミコト)”は、“上”からの荷電粒子を自分が受けることが尊いってことであり、第二十八帖の解釈で述べたとおり、“創造”の“主(ヌシ)”に対する被造物である自分たちと、自分たちが感じ(感じる磁性)得る(“観察と認識”をしている)事象、その両方の意でもある。
そして“急ぐぞ”は説明は要はない。
そして“うなばら”は海原であり、それは腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロンでもあるし、その意味は、自我で認識する事象=物質の世界(外側(外国と幽界)の事象)である。 そして自分の外側(外国と幽界)の事象を感じ(感じる磁性)るのは、“このくに”で、“くに”は、“国”は、自分の心(靈)、  であり、その自分の心(靈)が感じ(感じる磁性)得る現津(あきつ)、観察され得る事象を、“うれしうれし”“大歓喜”にするには、先に述べたことと重複するが、補足説明としてこの文の冒頭の“光食へよ”であり、それはまた、“一”=智性=1番目のオーラを大きくするための“行”、“日月神示”表記の“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことであることを指摘して……引用終わり。

 
次の文、これも肉体(月(ツキ))と心(靈)の動きのことを述べている。

“火あって水動くぞ。水あって火燃ゆるぞ。 火と水と申しておいたが、その他に隠れた火と水あるぞ。”

 この文の“火”は、(これまでも同様の解釈をしてきたように)肉体(月(ツキ))の“腑”で取り込んだものを酸素とともにエネルギーに変える肝臓のこと、そしてそれは肝=“いきり立つ心(奴と心)”であり、事象の“創造”=行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)ののエネルギーとなるもの。
そして“水”は体液、錯体のこと。
それで“その他に隠れた火と水あるぞ”の文が示唆することは、自我を構成する肝臓と腹の水のことだけではなく、腹から“上”にも(思惑という情報を伝えるための)錯体である体液はあるしそれは循環しているのであり、そして自らの思想(思惑)を構築する目上(めうえ)の脳にも日足と砌(ひたりとみぎり)の極性があり、砌(みぎり)の極性(事象への顕現)は“いきり立つ心(奴と心)”であるということで、それは“思惑の顕現”=現象化をするということでもある。

そしてこのことは以下の文に続いている。

“それを一二三と云ふぞ、一二三とは一二三と云ふ事ぞ、言波ぞ。言霊(コトタマ)ぞ、祓ひぞ、渦巻き 左回転 ぞ。スサナルの仕組ぞ。成り成る言葉ぞ、今の三み一たいは三み三たいぞ。”

いうまでもなく“一二三(ひふみ)”は1番目、2番目、3番目のオーラで、それは思想を含んだ振動の発振、発信であるからこそ“言波”“言霊(コトタマ)”“成り成る言葉”という言い回しが使われており、そしてそれは“日月神示”解釈でこれまでに出てきた表記の“言”(コト)(事象に顕現され、(自己と他者に)観察された心(靈)の動き)と“光透(コト)”=光(自分の心(靈)が持つ振動より、相対的に高い電磁波が透過する意味、日月の巻 第十五帖)も共通の意味を持つものであるし、この文の“それを一二三と云ふぞ”は、先に解釈した“火と水と申しておいたが、その他に隠れた火と水あるぞ”にかかる言葉であるから、要は“思惑の顕現”=現象化をせよということ。 そしてそれは神の思惑に沿った“創造”が“祓ひぞ、 渦巻き 左回転 ぞ。スサナルの仕組ぞ”であり、“祓ひぞ”は“本津宮”(もとつみや)に帰れ=本来在るべき姿、神の子としての生命(生きる使命=存在理由)であることを自覚せよ、自省(胸の磁性“十”)せよ(本津)ということであり、左回転は“上”の思惑に沿った“創造”を示し、“スサナルの仕組みぞ”は、先に画像で示した意味合いのことで、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)からの荷電粒子を止め=“盞”(杯、さかずき)で受け、自らの思想と成し、それを顕現せよということが、“スサナルの仕組み”であると思うし、“今の三み一たいは三み三たいぞ”は、“一二三”のオーラが統合されていない心(靈)の動きになっている人が多いことを示し、それはいうまでもなく我欲に満ちた見せかけの善意しか持ちえない“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が多すぎるから、もっと智性(“一”、1番目のオーラ)(神性)由来の行動をせよということである。

それで今述べた“智性(“一”、1番目のオーラ)(神性)由来の行動をせよ”を強調した表記が以下の文であると思う。

“一(ひ)とあらはれて二三(ふみ)かくれよ。月とスサナルのかみ様の御恩忘れるでないぞ。御働き近づいたぞ。”

 この文の“一(ひ)とあらはれて二三(ふみ)かくれよ。”は、“二三(ふみ)”が、肉体(土)の2~3番目のオーラのことで、それは“一(ひ)とあらはれて”と書かれているから、智性(“一”、1番目のオーラ)を顕現するなら、自我中心の心(靈)(思惑、“どういうつもり”)は、智性(“一”、1番目のオーラ)(神性)により制御されるとか諌められるとかの意味あいで、人(丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現))、“日止、霊止(“上”からの荷電粒子を“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化により止めること)”の意味合いを“一(ひ)と”という表記で示していると思うし、“一”は、向かって日足(ひたり)から砌(みぎり)へ筆を動かして描くのだから、“創造”の“主(ヌシ)”の振動である亜から出ずる、アイである。
 そしてここまで述べられてきた“上”の思惑を止めよということを以下の文でさらに強調されている。

“月とスサナルのかみ様の御恩忘れるでないぞ。御働き近づいたぞ。”

 いうまでもなく月は肉体、スサナルは先に解釈した通り、そして“御働き近づいたぞ”は、“創造”の“主(ヌシ)”の計画であるアセンション=霊的成長度において“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”と(アセンション後に位置して行く今より霊的進化を果たした)奉仕者を、分ける作業のこと。

 今回はこれくらいにしときまんねん。


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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


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自分達の欲望を満たしたい… 
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こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
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