“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”日月の巻 第三十六帖 Kellyさん的解釈


 今回も、日月の巻 第三十六帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

今の臣民見て褒める様な事は皆奥知れてゐるぞ。
之が善である、まことの遣り方ぞと思ってゐる事九分九厘迄は皆悪のやり方ぞ。
今の世のやり方、見れば判るであらうが、上の番頭殿 悪い政治すると思ってやってゐるのではないぞ。 番頭殿を悪く申すでないぞ。 よい政治しようと思ってやってゐるのぞ。
よいと思ふ事に精出してゐるのざが、善だと思ふ事が善でなく、皆悪ざから、神の道が判らんから、身魂曇りてゐるから、臣民困る様な政治になるのぞ。
まつりごとせなならんぞ。 わからん事も神の申す通りすれば自分ではわからんこともよくなって行くのざぞ。 
悪と思ってゐることに善が沢山あるのざぞ。 人裁くのは神裁くことざぞ。 怖いから改心する様な事では、戦がどうなるかと申す様な事ではまことの民ではないぞ。
世が愈々のとことんとなったから、今に大神様迄 悪く申すもの出て来るぞ。 産土様(うぶすなさま)何んぞあるものかと、悪神ばかりぞと申す者 沢山出てくるぞ。
此の世始まってない時ざから我身我家が可愛い様では神の御用つとまらんぞ。 神の御用すれば、道に従へば、我身我家は心配なくなると云ふ道理判らんか。 何もかも結構な事に楽にしてやるのざから、心配せずに判らん事も素直に云ふ事聞いて呉れよ。 子に嘘吐く親はないのざぞ。 神界の事知らん臣民は色々と申して理屈の悪魔に囚はれて申すが、今度の愈々の仕組は臣民の知りた事ではないぞ。
神界の神々様にも判らん仕組ざから、兎や角申さずと、神の神示腹に入れて身魂磨いて素直に聞いて呉れよ。 それが第一等ざぞ。
此の神示は世に出てゐる人では解けん。 苦労に苦労したおちぶれた人で、苦労に負けぬ人で気狂いと云はれ、阿呆と謂はれても、神の道 素直に聞く臣民でないと解けんぞ。 解いてよく噛み砕いて世に出てゐる人に知らしてやりて下されよ。
苦労喜ぶ心より楽喜ぶ心高いぞ。
十一月十九日、一二 ローレンツ力と ○

 この第三十五帖は、平均的地球人の価値観や認識(悟り、幸取=さとり)が低いことを述べている。 そして今後=アセンション後、この帖の原文では“世が愈々のとことんとなった”“此の世始まってない時ざから”“今度の愈々の仕組”という表記で示されていること、そこでは平均的地球人のその低い霊的成長度における価値観と認識、そしてそれ由来の行動(“どういうつもり”“思惑の顕現”=現象化)(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)が通用しないことを一貫して述べている感があるし、日月の巻全体は、心(靈)の進化の秘密、肉体の進化の秘密、アセンションのこと、アセンションに間に合わない“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心(靈)について厳しく指摘されているが、この第三十五帖は“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の進化過程の人がアセンションを迎えるにあたってどう在るべきか、何を思うべきか説かれている。 

それで以前、日月の巻 第一帖の“今度の大洗濯は三つの大洗濯が一度になって居るのざから、見当取れんのざぞ。 神の国の洗濯と外国の洗濯と世界ひっくるめた洗濯と一度になってゐるのざから、そのつもりで少しでも神の御用務めて呉れよ。 此れからがいよいよの正念場と申してあろがな。 今はまだまだ一の幕で、せんぐり出て来るのざぞ。 我(が)出したら判らなくなるぞ、てんし様おがめよ、てんし様まつりて呉れよ、臣民 無理と思ふ事も無理でない事 沢山にあるのざぞ、神はいよいよの仕組にかかったと申してあろがな。”を、以下のように解釈した。

この文の“三つの大洗濯が一度になって居る”と“神の国の洗濯と外国の洗濯と世界ひっくるめた洗濯と一度になってゐる”は、じぶんの心(靈)が観察する対象のことを言っており、“神の国”は、神性(智性(日を知る性質)、または“一”=智性=1番目のオーラ)が発現し始めた自分の心(靈)、これも地つ巻で何回も述べた“神国”(“国”は(囗)くにがまえ)と“玉(ぎょく)”…“玉(ぎょく)”は自省(胸の磁性“十”)の心(靈)の動きを示す)と同義であり、“外国”は、自分が観察する外側(外国と幽界)の事象であり、“世界ひっくるめた”の“世界”は、内も外も、自分も自分以外も、すべてを“ひっくるめた”事象である事を示唆している。
 そして“そのつもりで少しでも神の御用務めて呉れよ。此れからがいよいよの正念場と申してあろがな。今はまだまだ一の幕で、せんぐり出て来るのざぞ。”は、“神の御用”は、今後=アセンション後の“創造”に携わる事を指し、今後=アセンション後に移行する今は“此れからがいよいよの正念場”であるって言われている。
 そして“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”は、“我(が)出したら判らなくなる”って言われており…わざわざ解釈するような事でもなかったけど、そして、“てんし様おがめよ、てんし様まつりて呉れよ”は、何かにあやかる事ではなく、自分が“上”との感応共振をせよ、だから霊的成長した心(靈)って何なのかを追い求めよ、追い究めよってことを言っていると思うし、それが神格化への道筋であり、生命の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)でもある。
 そして地球と地球人は、その段階に入った=アセンションっていうタイムスケジュールがあるからこそ“神はいよいよの仕組にかかった”と言われている。
引用終わり。

 この第一帖で解釈した通り、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心(靈)の動きというのは、目下(めした)(大脳旧皮質と古皮質)(動物の心(靈)の段階)であり、誰もの心(靈)の構成要素でもある。 だが“我(が)出したら判らなくなるぞ、”=目下(めした)の心(靈)中心の心(靈)の動きになれば、一切が判らなくなるのだということ、これが大事。 そしてこれは自らが自らを観察すること、“観自在”“直日”自省(胸の磁性“十”)の“行”ということでもあるし、それが出来得る人ならば自分で自分の低い心(靈)の動きを諌めることとなるし、それが人としての当り前の在り方でもある。

 このことを踏まえ、第三十五帖の冒頭の文。
“今の臣民見て褒める様な事は皆奥知れてゐるぞ。之が善である、まことの遣り方ぞと思ってゐる事九分九厘迄は皆悪のやり方ぞ。”
 認識の低い心(靈)、“一”=智性=1番目のオーラの小さい心(靈)、いい換えれば目下(めした)中心の心(靈)の動きによる薄っぺらい善の概念は低すぎる。 何回も引用したことではあるが某大国のように人殺しが正義だというバカみたいな考えもあるが、その裏には兵器産業で国益をますとか…といっても一部の金持ちだけが(通貨としての)金を得ることになっているのだが、大概の人は自分たちの幸福しか考えていないからこのことをたいして問題視していない。 
 こういうバカみたいなことが横行するその理由は経済が優先しているこの世界の仕組みにあり、経済を優先させる心(靈)の動きについては<4><5>の智性無きシリーズで述べたことであるが、それを作り上げたのは自我の肥大した人、自分の欲望の達成が幸福だと思い込んでいる人、自分の欲望の達成のために誰かが犠牲になっても意に介さない人((通貨としての)金の奴隷)、自分たちだけ良ければよいと思い、恨みの連鎖の霊的干渉などまったく理解できないかあるいは無視している人、こういう人たちがこの世界を腐らせてるからこそ、霊的成長度におけるアセンションという“創造”の“主(ヌシ)”の計画があり、だからこそけだものの進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)に近い人と、(自らが認識しうる場(フィールド)としての)全体の幸福=神格化を考える人は、別々にしなければならない。
 それでこの文の“之が善である、まことの遣り方ぞと思ってゐる事九分九厘迄は皆悪のやり方ぞ”は、“われよし”の低い善の認識に気付け、それは本当の意味の“善(神格化の方向性と智性の受信)”ではないといわれており、この文の前の“今の臣民見て褒める様な事は皆奥知れてゐる”も、低い霊的成長度の人が低い霊的成長度の人を褒め称え評価しており、それが素晴らしいかのような認識を与えるのが“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の思惑であることに気が付いていないからであるし、程度の低い人が程度の低い人を褒めそやすことが自我の肥大になり、ますます低い価値観のために頑張るという実にくだらないことになっていることに、ほとんどの人が気付いていない。
 
これに続く次の文も、低い認識と低い価値観しか持ちえない人のことを指摘している。
“今の世のやり方、見れば判るであらうが、上の番頭殿 悪い政治すると思ってやってゐるのではないぞ。番頭殿を悪く申すでないぞ。よい政治しようと思ってやってゐるのぞ。
よいと思ふ事に精出してゐるのざが、善だと思ふ事が善でなく、皆悪ざから、神の道が判らんから、身魂曇りてゐるから、臣民困る様な政治になるのぞ。”
 この文では政治の政、“政(まつりごと)”について述べられているが、程度の低い人が程度の低い価値観で“政(まつりごと)”を行っている現状はあえて指摘するようなことではないし、程度の低い人は本当の“善(神格化の方向性と智性の受信)”を知らないからこそこの文では“上の番頭殿 悪い政治すると思ってやってゐるのではない”“よい政治しようと思ってやってゐる”と皮肉っぽく揶揄されており、さらに先に指摘したように本当の“善(神格化の方向性と智性の受信)”を知らないから“よいと思ふ事に精出してゐるのざが、善だと思ふ事が善でなく、皆悪ざから、神の道が判らんから、身魂曇りてゐるから、臣民困る様な政治になる”といわれている。
 
そしてこれに続く次の文も、程度の低い人は程度の低いことしか分からないという表記である。
“まつりごとせなならんぞ。わからん事も神の申す通りすれば自分ではわからんこともよくなって行くのざぞ。悪と思ってゐることに善が沢山あるのざぞ。人裁くのは神裁くことざぞ。”
 この文の“わからん事も神の申す通りすれば自分ではわからんこともよくなって行く”は、低い人が低い存在から通信を受けているからこの世界は経済優先、物欲優先、程度の低い幸福感しか持ちえない人ばかりになっているが、それが間違いであり、進化の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)に沿っていないことに気付けば“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)からの通信を受けるものであり、そうなるには左往右往して自省(胸の磁性“十”)して自分の在り方を観るという心の動きが必要であり、そうなったならばそれは“日月神示”表記の“天詞様”の一番最初の段階ということになるからこそ“わからん事も神の申す通りすれば自分ではわからんこともよくなって行く”ということになる。
 今述べたことを補足として説明すれば、ありていにいえば平均的地球人は恨みの連鎖の霊的干渉による三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)由来の心(靈)の動きを持った存在と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)しており、だから経済優先、欲望中心の心(靈)、そういう低級な浮遊霊と同じような心(靈)の動きを持った人ばかりということである。
 それで、この文の“悪と思ってゐることに善が沢山ある”も、自分たちが正しいという既成概念の上に物事を見るから、理念を持って仕事をすると儲からぬとか、少しぐらいの“悪(心の動きの本能化と低振動化)”は容認しなければ儲からぬとか、儲けるためには美辞麗句を使ってそれが結果として欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとかとなっても儲けることしか考えないとか、あるいは形骸の政治や宗教や天皇制に価値があるとか、そんな概念を持っているからこそこういう言い方をされているのである。
 そして“人裁くのは神裁くこと”は、今“われよし”の人が行ってきたことがその人たちの自省(胸の磁性“十”)の為にいろいろバレたりしているが、それを批判しても意味がなく、そういう心の動きは自分にもあるし、それを認めるべきであるし、あるいは地球全体の進化として“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が多数になるのも必然であり、そして今後=アセンション後に移行する人たちはその“われよし”の心(靈)が創造したこの世界をよく見て同じ世界をつくらないようにするべきであり、だからこそ今“われよし”の人たちがやってきたことを見せらていることに気付かねばならないし、よって“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が多い今の世界も“創造”の“主(ヌシ)”の“思惑の顕現”=現象化であるから、それも知っておかねばならないからこういう言い方をされていると思う。

 次の文。
“怖いから改心する様な事では、戦がどうなるかと申す様な事ではまことの民ではないぞ。”
 これは“神の咎め”としてのアセンションに伴う事象に対し、自分たちの自省(胸の磁性“十”)を促し自分たちの在り方を考えない人に対する程度の低い人たちへのメッセージであるし、これに続く“世が愈々のとことんとなったから、今に大神様迄 悪く申すもの出て来るぞ。産土様(うぶすなさま)何んぞあるものかと、悪神ばかりぞと申す者 沢山出てくるぞ。”も、“創造”の“主(ヌシ)”の計画、霊的成長度において分ける作業に対して不満を持つとか納得がいかないとか自分たちは悪くないのになぜこんな目にあわされるとか死んでからも自分が悪くないと思いたいとかという低い心(靈)の動きしか持ちえない人を諌める言い回しである。

 次の文。
“此の世始まってない時ざから我身我家が可愛い様では神の御用つとまらんぞ。神の御用すれば、道に従へば、我身我家は心配なくなると云ふ道理判らんか。何もかも結構な事に楽にしてやるのざから、心配せずに判らん事も素直に云ふ事聞いて呉れよ。子に嘘吐く親はないのざぞ。神界の事知らん臣民は色々と申して理屈の悪魔に囚はれて申すが、今度の愈々の仕組は臣民の知りた事ではないぞ。”
 冒頭の“此の世始まってない時ざから我身我家が可愛い様では神の御用つとまらん”も、先ほど述べた低い心(靈)の動きしか持っていない人に対するメッセージであり、これに続く“何もかも結構な事に楽にしてやるのざから、心配せずに判らん事も素直に云ふ事聞いて呉れ……”は、前回の三十五帖の“楽の道”と同義のことを述べており、我欲に満ちた人がこの世界を創造しているからこそこの世界は腐っており恨みの連鎖の霊的干渉に満ち満ちているが、今後=アセンション後はそういう世界を作る心(靈)の動きを自分で諌める人ばかりになるから、それが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の理(ことわり、法則性)だから、それを知っておけという言い回しであるし、それだから強調する意味で“神界の事知らん臣民は色々と申して理屈の悪魔に囚はれて申すが、今度の愈々の仕組は臣民の知りた事ではない”といわれている。
 そしてこれに続く“神界の神々様にも判らん仕組ざから、兎や角申さずと、神の神示腹に入れて身魂磨いて素直に聞いて呉れよ。それが第一等ざぞ。”は、この文の“神の神示腹に入れて”=自我(腹の段階の心(靈)の発現、マニピューラチャクラ、“江戸と尾張”)を諌め、“身魂磨いて素直に聞いて呉れ”=“身魂磨き”、(生体内電流による)肉体組織の結晶化をして“上”と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)してくれという意味。

 次の文。
“此の神示は世に出てゐる人では解けん。苦労に苦労したおちぶれた人で、苦労に負けぬ人で気狂いと云はれ、阿呆と謂はれても、神の道 素直に聞く臣民でないと解けんぞ。解いてよく噛み砕いて世に出てゐる人に知らしてやりて下されよ。苦労喜ぶ心より楽喜ぶ心高いぞ。”
 この文の“世に出てゐる人”は、程度の低い人は程度の低い解釈を喜び、それが“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)を活躍させているということになっているが、“日月神示”を取り上げた出版物などは、大概低い解釈であり、“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことや、アセンションの意義、人の在り方など、本当に人が目指さなければならないことが分かっていない。 それは“役員づら”が形骸の名誉、形骸の地位、“日月神示”を商売に利用した、それは自我の肥大による行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)であり、そんなものは“上”は認めていないという言い回しであり、その形骸のことに執着せず“日月神示”をただただ自分の霊的成長の為に読み解く人にしか、この文章は解釈できないといわれているだけである。

 今回はこれくらいにしときまんねん。

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 Kelly & ○○○大先生

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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
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