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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”上つ巻 第十五帖 Kellyさん的解釈

今回も、上つ巻 第十五帖を解釈しまんねん。
原文は以下の通り、



今度は末代動かぬ世にするのざから、
今までの様な宗教や教への集団(つどひ)にしてはならんぞ、
人を集めるばかりが能ではないぞ、
人も集めねばならず、六ヶ敷い道(おしへ)ぞ。
縁ある人は早く集めて呉れよ、
縁なき人いくら集めても何もならんぞ、
縁ある人を見分けて呉れよ。
顔は神の臣民でも心は外国身魂ぞ、
顔は外国人でも身魂は神の臣民あるぞ。
やりかけた戦ぞ、
とことんまで行かねば納まらん。
臣民一度は無くなるところまでになるぞ、
今のうちに この神示よく読んでゐて呉れよ。
九月になったら用意して呉れよ。
六月の二十四日、ひつくのか三。


冒頭の、

“今度は末代動かぬ世にするのざから、”

これは、
現時点より霊的成長度の高い場(フィールド)の事を言うてる。
ほんでから、

“末代動かぬ世”

こう表現されるのも相対的な比較でしかなく、
現時点のこの世界が、
霊的成長の場(フィールド)としては“上”からの視点で観れば、
下等で低級で不安定であり、
そして、壊滅する要素があるって事で、
その理由は、
地球人の平均的な心(靈)の進化過程が、
自我の確立=固定化で有るからって事やな。
そやからそれは相対的な比較・・・そやけど、
“下”の心(靈)しか発現してへん人、
本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動からして、
自我位までしか、心(靈)の発現が無い人(日止、霊止)は、
それ以上の事は認識出来ない・・・
そやから宗教や政治や天皇制やヨガやオーラの概念や・・・
そしてアセンションの概念や太陽凝視までも・・・

今までも何回も、
価値のある何かが形骸になって来ている事を言うたんやけど、
人の良い形とか、良い形の場(フィールド)とか、霊的成長の真の意味とか、
そう言うもんを形骸にする、
形骸にしてしまう心(靈)の動きは、
自己奉仕者由来の心(靈)の動きでしかなく、
なんでも自分の都合の良いものにしてしまいよる。
そしてそれで、金儲けをしたり低い功名心を満足させたりする。
そしてそれに関わった人すべてが・・・真の価値を見出さんうちに一生を終える。
それが幸福に対しての夭折って事になる。
たいして認識を獲得しないうちの死になるって事でんねん。
それはまさに、
人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑でしかないんやけど・・・
一般にそう言う認識は無いな。
そやからそう言う意味の事も含め、
次の言葉・・・低い心の発現由来の場(フィールド)って言うのんは
今、とても多いからこそ、次のように言われてる。

“今までの様な宗教や教への集団(つどひ)にしてはならんぞ、
人を集めるばかりが能ではないぞ、”

そやから今も一部言うた、
形骸の宗教や価値の無いセミナーや政治団体や・・・
ほんでから最近、
“太陽凝視”“アセンション”で検索すると多なってきた、
目立ちたいだけの低い功名心由来の、
低い解釈のアセンションや短時間の太陽凝視を大げさに言うサイトや、
低級な憑依現象を何でもハイヤーセルフって思いたいとか・・・
これは低い霊能力者の主護霊の解釈と同程度で、
憑いてる存在は何でも主護霊やと思いたいとか、
霊的な現象が自分に確認出来たから、
それを知って欲しいとかの心の動きでしかない。

そして・・・○○が査定した何とか・・・とか、
こんな事にまで太陽凝視やアセンションって言葉が利用されてるんやったなら、
これは一つ間違えれば、
もう、カルト教団みたいになる。

そやけどその人達はそう言う危険性があるって事を感じへんやろし・・・
その感じへん事そのものが、
自我より“上”の心(靈)の発現をしていないって事なんやけど・・・
又その心(靈)の動きは、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)に、
入り込まれやすい。
又、そう言うサイトで只目立ちたい心(靈)の動きは、
右往左往でしかなく、
いつかそれは左往右往する段階にはいるんやろけど・・・
その前に問題を起こしそうな気もするやん。

大体・・・この間も少し言うたみたいに、
インターネットって言うのんは、
低い功名心の場(フィールド)になってる。
ほんでからネットの場(フィールド)って言うのんが、
そんな心(靈)の動きばかりになってくるんやったなら、
おんなじように思われたくないから、
もし今後そう言う傾向が今よりひどくなって来たなら、
先生もKellyさんもネットで自分の意見や認識を公開する事をやめる・・・
大体、
太陽凝視を教えてくれたKさんや先生がやって来た太陽凝視は、
昨日今日、太陽凝視を始めたばかりの人には理解出来へん事でんねん。
そもそも、
前のブログもこのブログも、
太陽凝視を教えてくれたKさんの子供達に、
彼等自身に対し、
自分達がやって来た太陽凝視や電気行の事を、
赤の他人の先生が、
お父さんとしてのKさんの立場では無く違う立場で説明する・・・
それは、父親から子供に対する説明と、
赤の他人からの説明は、
立場が違うからこそ、
太陽凝視を教えてくれたKさんの子供たちは理解を深めていく。
それが目的やったし、
ほんでから、前のブログを通じて、
真剣に太陽凝視を追及する人とも縁が出来た。
・・・ほんの数人やけど・・・

そやから、
ある程度目的は達成したと思えるし・・・
そやから今、先生とKellyさんの認識をネットで公開する事に対し・・・
その意義が無くなって来たのであれば、
ネット上から先生とKellyさんの意見をすべて削除する・・・
そう言う事も考えてる。
それも今後、考慮して行かんならん事やな。
これはいつか先生と話をして決める事として・・・


もう少し、相対的比較の表現でもあるさっきの言葉、

“末代動かぬ世”・・・を考えれば、

現時点、
地球が低い心(靈)の発現の人が多数の場(フィールド)やからこそ、
低級で不安定で・・・
それは、その段階の心(靈)の進化程度の人は、
低い幸福の概念を持ち・・・
そやけどそれは、
幸福の概念の初歩とも言える事で、しょうがない事でも有るんやけど・・・
それ由来の価値感と思想・・・それが動機で、
その為に自分のエネルギーを贖い・・・
自分と自分の狭い周りの為にしかエネルギーを使わへん。
そやからそれは、
そう言う平均的地球人の心(靈)の発現の段階では、
現時点より、
高い霊的進化の場(フィールド)を構築する=アセンション後の場(フィールド)の創造の法則性に、
則って(のっとって)いないから、
今の世界は失敗して、
そして、
ほんの少し心(靈)が“上”に向かってる一部の人は、
自省する。

自省(胸の磁性“十”)せんと、
相対的に高い幸福の概念=霊的進化と神格化、
その事を真に理解出来へん・・・解らへんって事でもある。
そやから、
左往右往して、失敗の体験を自分の師として、
今後の創造をして行かんならんのやけど・・・

今も起きてる・・・アセンションに伴う変容・・・
アセンションに対し、
そう言う解釈をし、そう言う認識を持って行く事が大事な事やと思うんやけど・・・
さっきも言うたばかりやけど、
アセンションって言葉は今、ネット上ではとても甘い解釈になっていて、
そして、
太陽凝視って言葉も、
只、低い心(靈)の発現の段階の人に利用されてるだけのようで、
そこには、
アセンションや太陽凝視の意味と意義を見出させない・・・
人の霊的成長を阻む存在の思惑・・・
そう言う存在の思惑を感じるんやけど・・・
それは低い心の発現の人が多数って事に由来する事でしかない。

そやけど・・・この事は話が逸れるから別の機会に・・・

話を戻して・・・

そやから左往右往、
その失敗は具体的に言えば、
戦争でもあるし災害でもあるし経済の破綻でもあるし、
最近の訳の解らん事件でもあるし・・・例を挙げればきりが無い。
そやけどそこには、
低い心(靈)の発現由来の創造による恨みの連鎖の霊的干渉があり、
それらは、その結果でしかない。

そやから、今後の事を考える心(靈)が“上”に向かっている人達が、
その事象を観察して考えんならん事は、
問題は、
その醜い事象を生み出してるのは、
自分達やって事で、
人は下等生物の要素も持っているからこそ、
本能や情動を持ってるからこそ、
自分の心(靈)が“下”に向かえば、
それは、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の回転、
“日月神示”内の表現で言えば、右回り、

先生の言い方なら、
砌(みぎり)回りすれば、
その事象の創造は精神性とも言い得る、
左=日足(ひたり)の要素が無いからこそ、
高い思惑の反映が事象の創造に無いからこそ、
右回転の発振、発信による創造は、
自滅する。

そしてそれは、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”と認識され得るって事なんやけど・・・
自分の心(靈)の動きの結果=低い段階の心(靈)の発現の、
思惑の顕現でしかないって事なんやけど・・・
それが理解出来て無いからこそ、
自己観察が足らんからこそ、
“日月神示”でよく使われる表現、

“外国”と“幽界”
この言葉に対する先生とKellyさん的解釈は、
それは、
“外国”=自分の外側の事象の観察、
“幽界”=腹の段階の心(靈)の発現由来の観察=マニピューラチャクラの覚醒=自我の確立=固定化の段階。
補足としてもう一度言うて置くなら、
“幽”って言う字は、“幽”の山みたいな字は、
火で、
それは肝で、肝は食べた物=物質と呼吸した酸素で化学変化を起こす所やから、
S会=紫光会の交霊会でも良く使われた言葉でもある。
そしてそれは創造のエネルギーでもあるって事でんねん。

そしてそれは右、砌(みぎり)=肝だけでは、
バランスの取れた創造は出来へん。
左、日足(ひたり)の要素=脾と肺・・・これが無いとアカン。

それは肝は、
心(靈)の動きとしては“いきり立つ心(奴と心)”で、
そのエネルギーを上昇させるのは日足(ひたり)回転でもある脾やし、
それが右から左上に移行する=大日如来の条帛(じょうはく)に示されてるのが、
肺を介し、
心=喜びに至る過程でもある。
その霊的進化は左右の神経に現れ、
左右の糸=神経って事で・・・これも今まで何回も言うた事やけど、
その糸の意味は、
それは、
心(靈)が茲(やしないそだてる、いつくしみ)=慈で、
“慈悲”と“慈愛”でもある。

そやから火=灬(よつてん、れっか、れんが)は、
肝、“いきり立つ心(奴と心)”のエネルギーで、
それは日足(ひたり)回転して上昇し、
その為に、心(靈)の発現が“上”に向かう為に、
生物の進化としては、四足獣が前足を使うようになり、
両手の骨と神経で構成される横の磁束が、
人(日止、霊止)の肉体のシンクロトロンの構造を持ち、
それは、“大”って言う字に表され、
腹のエネルギー、サイクロトロン様のエネルギー=軍荼利明王、荼枳尼真天の“荼”が、
上昇する。
その段階の心(靈)の発現が、
“慈悲”と“慈愛”になり、
それは心(靈)の発現が“上”に向かったって結果でもある。
地球人はそう言う段階に入ったって事でもある。

そやから、
そう言う事も自覚して自己観察せんならんのやけど・・・
心(靈)が“下”に向かう事自体が、
自我の肥大になってるだけやな。

そやから要は、自己奉仕者と奉仕者、
それぞれの心(靈)の発現の違い・・・そう言う事でしかない。

そして、さっき言うた自滅する現象・・・
その現象って言うのんはすべて自己奉仕者の行いの結果でもある。
そやけど、低い視野しか持って無い人は霊的干渉も理解出来んし、
その事そのものが、
目先の事しか理解出来ん“下”の心(靈)の観察やと思えるやん。
そやから、
地球人はたくさんの恨みの連鎖や因縁を背負ってて、
それを贖う事が・・・
それはある意味、犠牲になる事が教訓になるとか、
今後の創造の為の指針になるとかの認識が無い。
それを思わんのはまさに自我の肥大って事なんやけど・・・

この説明だけでは解り難いから、
本当に低い一例を挙げれば、
人が犯罪を犯し、それが発覚して・・・発覚する事自体が“神の咎め”やし、
それは自省(胸の磁性“十”)の“行”をせんならんのやけど、
自分はそんな事知らんとかやってないとか・・・
しらを切る・・・或は、自分に責任が無いって言うのは、
自我の肥大でしかない。
そして無責任でしかない。

そやから、
すべての事象は自分達に責任の有る事で、
霊的干渉の概念や、
神や、“神の咎め”の概念や、
主護霊の存在の意義と意味は、
現時点、
人が理解出来へん現象の意味を深く理解する事になるんやけど、
それは“必然”って認識を得る為の事なんやと思うけど・・・
事象を観察する視野が狭いから・・・
そう言う分析が無いから、
なんでも偶然とか、犯罪者そのものがアカンとか、
その状況がアカンとか・・・
その視点そのものが、
これも、
幽界=外国・・・自分の外側の事象の観察・・・
そう“日月神示”で表現されてる、
低い心(靈)の発現の段階の観察しかないからでもある。

そして・・・
自分達の心(靈)の動きの結果が、
今の世界=現津(あきつ)=観察され得る事象って事でもあるし、
その事を知る事が大事やからこそ、
今、色んな現象が起き・・・これからもっと多くなるやろ。

大分話が飛躍したけど・・・話を戻せば、

“今度は末代動かぬ世にする”

霊的成長度の低い存在はそこには位置出来ない場(フィールド)になる。
自我の確立=固定化の段階の霊的成長の段階の場(フィールド)ではなくなる。
そやから分けられる。

そやから、
そう言う段階の低い心(靈)の発現の進化過程の人は、
当然そこにはいないし、
欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとか・・・誰かを自分の為に利用するとか・・・
そう言う心(靈)の動き由来の事象は消滅する。

ほんでからそこには、
恨みの連鎖による霊的干渉が原因と思われる戦争や災害や病気や・・・
当然そんなものも無くなる。

ほんでからこんな事は、
前のブログを読んではったこのブログに霊縁有った人に対し、
今更、言うまでも無い事なんやけど・・・
ほんでから、
さっき言うた事と重複するけど・・・

最近多なって来た家畜の動物霊の恨みの現象化・・・
ミンチ状にしてトイレに流すとか・・・
誰でもいいから殺したいとか・・・
それは・・・これからも多なるやろし・・・

低い心(靈)の発現の段階の人(日止、霊止)が、
悩み苦しみ・・・
それに感応共振する霊的存在が、
人を恨んでる家畜の霊とかこの世界に未練たらたらの浮游霊とか・・・
そう言うもんと感応共振する・・・
しかしそれも、
自分の心(靈)が“上”に向かっていたなら、
霊的成長して、“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の動きが確たるものになり、
自分に対しての“厳しさ”って言うもんを自覚していたなら、
心が折れた時とかに、
瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)の動きを持ったとしても、
それに囚われる事は無いやろ。
そやからもう一度言えばそれは、
その人が“上”の心(靈)の発現をしていないから、
貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)の動きに囚われやすく、
自我より“上”の心(靈)の発現由来の=“慈悲”と“慈愛”故の、
自分に対する“厳しさ”とか・・・
自己観察とか・・・
自分の在り方とかを考えんから、
そう言う低い霊的存在も“上”の心(靈)の発現をしていないからこそ、
感応共振する。
そして結果、憑依現象がおき、
目的を達成した霊的存在は事件が済んだらいなくなる。
これも無責任でしかないんやけど・・・
それは、
その霊的存在が霊的に幼いからでもある。

そやから今の話は動物霊と浮游霊と因縁霊・・・
それに纏わる霊的存在や霊団を挙げて行けば、
きりが無いけど・・・
その霊的存在すべてに言える事は、
自分の運命を受け入れてない=自省(胸の磁性“十”)の行をしていない。
そもそも家畜の動物霊にそんな心(靈)の発現は無い。
そして、因縁を背負うのも、
霊的成長度の低い=自省(胸の磁性“十”)の行をしていない儘死んだ、
先祖の認識を変える為の事やし、

最近特に多い、
子供の浮游霊の憑依現象と観察される、
食への執着、性への執着、低級な娯楽への執着・・・
まさにこれも、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)でしかない。
そやからこそ、
戦争や飢餓貧困は無くさんとアカンのやけど、
ほとんどの地球人がその為には自分の金を使わない傾向がある・・・
そんな事にエネルギーを贖いたくないって事でんねん。
そやからその事そのものが、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の顕現とも言える、
どうでもエエ事に金を使わせる事ばかりが流行ったり、
(美容とかサプリメントとか低級な娯楽とか・・・etc・・・よう考えて欲しいねん)

ほんでからに投機とか・・・兵器産業とかもそうやな。
それに関わっている政治化とか経済のトップとかもそうやな。
これも心(靈)の発現の段階が低いからこそ、
自分達の“力”をどう扱えばいいのかを知らへんだけや。

そやから今後も、
低い心(靈)の動きによる発振、発信の事象が現象化して、
さっきも言うたみたいに貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)由来の霊的干渉の現象が、
恨みの連鎖の結果が起きていくやろ。
ほんでから、こう言う事に気が付かんアホな霊能力者ばかりが注目される・・・
それも、優しさだけの見せ掛けの愛に依存したい・・・
この心(靈)の動きも試練や苦難から癒されたいとか・・・
それも心(靈)の発現が低いって事でしかない。

・・・もう一度、
霊能力者の在り方って事を考えれば、
霊能力を発現したら、
なんでもそれは金儲けにしてしまうことそのものが、
その人の心(靈)の発現が“上”に向かっていないことの証明でも有るんやけど・・・
今の話・・・一般にそんな認識は無いな。

そやからそれは、
先生も若い頃、霊能力を発現してた。
そやけど先生はそれを利用して金儲けに使った事は無い。
それは先生自身が自負している事でもあるし、
自分が自分の霊能力に対し、
その意味と意義を思い・・・深く考え・・・そして得た結論は、
霊能力は“上”との意思の疎通の為にある。
それを思わんと、
金儲けに利用する=貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)の動きに支配されてる霊能力者は、
結果として人に甘い夢を見させ、
そして霊能力は所詮そんなもんなんやって認識を多くの人に植え付ける。
そやからそれも、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の思惑って思うてる。

大分話が逸れてるけど・・・
そやから、
今後の世界に位置したいって思う人は、
心(靈)の発現の段階と、
霊的成長度と、
自己観察して自分の心(靈)が“上”に向かってるのか“下”に向かってるのか・・・
そういう事を知っとかなアカンって事で、
これらの事は、
自分達の心(靈)の低い部分が生み出した結果・・・
それは“悪(心の動きの本能化と低振動化)”やし、
自分の心(靈)の動き=発振、発信による創造を、
高い霊的成長の場(フィールド)を構築する為の発振、発信にする。
それやからこそ、
自分の心(靈)の中の、
“善(神格化の方向性と智性の受信)”と“悪(心の動きの本能化と低振動化)”を、
良く観察する事そのものと、
それ由来の創造=思惑の顕現が、
“日月神示”内の表現でもある、
“身魂掃除”って事なんやと思うやん。

そやからそれは、
自省(胸の磁性“十”)と“観自在”“直日(なおひ)”・・・自分の在り方を観察する。
そして自分がするべき事を考える・・・そしてその行動=発振、発信=創造は、
決して他者を害さない・・・
他者の霊的進化を願う・・・そして自分の霊的進化も願う・・・
その概念をしっかり持ち、
そしてそれが霊的に高い場(フィールド)の法則性でもある。
その心(靈)の動きがあれば、
そして今後の世界は、アセンションを体験した世界は、
“慈悲”と“慈愛”・・・
アナハタチャクラの覚醒が進んだって言ってもエエけど、
そう言う人(日止、霊止)だけの=そう言う霊的成長度の人(日止、霊止)だけの場(フィールド)になる。

それを構築する為に、
今、
より分けられてる。

自分に“慈悲”と“慈愛”の心(靈)が発現し、
そしてその上で自己観察すれば・・・
その上で得られる認識って言うのんは・・・

争うべき何かって言うのんは、
戦うべき何かって言うのんは、自分の中にしか無い。

自分の心(靈)の発現の過程は、
本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動やからこそ、
現時点より“下”の心(靈)の発現をして、
それに囚われる事そのものがアカンって認識を持つ。

その事を自覚した、
自省(胸の磁性“十”)の行をした人(日止、霊止)の、
場(フィールド)やから、
他者を害する事も無ければ、
恨みの連鎖や自己奉仕者の行いの結果とも言える戦争も無いし災害も無いし、
それを引き起こす恨みの連鎖の霊的干渉も無い。
そう言う霊的存在はいなくなるって事でんねん。

そやから地球が、
今後そう言う場(フィールド)に成る為に、
今、
低い心(靈)の発現ゆえの事象が目立つ・・・
そんな事ばかり見せられる・・・
そやけどそれはしっかり観て、自分の認識にして於かなアカン事でもある。

そやけど・・・自己奉仕者の行動や恨みの連鎖の現象・・・
その意味を考えさせない・・・思わせない・・・
それを忘れさせる娯楽みたいな物ばかり流行る。
お笑いとか・・・異常なペットに対する愛着とか・・・形骸の美を求める事とか・・・
インチキ宗教やサプリメント・・・
低い心(靈)の発現の霊能力者ばかりがもてはやされるとか・・・
醜い事象を観察させない・・・観察して何かを思う事を、
阻む。
阻む事を意図している。
それも、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の、
思惑の顕現やと・・・先生は思うてる。

そやから次の場(フィールド)に移行出来る人(日止、霊止)、
言い換えれば、
霊的成長度の段階によりその場(フィールド)に位置出来る人(日止、霊止)は、
今、沢山の苦難を体験し、
その上でその苦難と試練を自分の師として、
段々“天の御目”=心(靈)が“上”に向かう為の基準の獲得に至り・・・
その方向性に向かい・・・って事やな。
それは、自分の在り方を考え、
そして心(靈)が“上”に向かう事を意識して生きて行く。
せめてこのブログに霊縁のあった人(日止、霊止)には、
その事をよう考えて欲しい・・・

大分話が逸れてしもたけど・・・ほんでから次の言葉、

“六ヶ敷い道(おしへ)ぞ。”

この“六ヶ敷い”は、
落語や講談によく出てくる言葉らしく、
“むつかしい”って読ませるらしいやん。

そやけどこの言葉をKellyさん的に観たなら、
六=陰爻=神の思惑と人(日止、霊止)の思惑、その両方の顕現・・・
“六”についてのKellyさん的解釈は、
“Kellyさんが、“日月神示”を解釈して行くに当たって・・・考えた事。”
・・・を読んで欲しいねん。

そして、
“敷い”・・・これは場(フィールド)の構築としか思えへん。
神さんの思惑を受信し、
そして、
自分達が思想を構築し、その上で行動し・・・
場(フィールド)の構築をして行く。
それが事象=現津(あきつ)=観察され得る事象って事になり、
結果、
観察している何かって言うのんは、心(靈)の中の事なんやけど・・・
その創造って言うのんは“上”からの思惑を顕現していかんと、
貴いとか美しいとか価値があるとか・・・
そう言う色んな事を思わせる・・・感じさせる場(フィールド)を構築して行こうとするのが、
人(日止、霊止)としての生命(生きる使命=存在理由)やろし、
そやからこそ人(日止、霊止)は、
神の子なんやろし、
そして良い形の創造の概念が、
幸福って概念やし・・・

そやけど現状、幸福の概念が低いから、
欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとかって事をして、
自分達の利益の追求をする人が多い・・・多すぎる。

多すぎるから失敗するんやけど、
それも、
事象=現津(あきつ)=観察され得る事象でもあり、
そやからそこには、失敗を通じ、
霊的成長の為の法則性=“道”が出来、
そやからこそ、
“六ヶ敷い”=むつかしい法則性を認識して行くのには、
困難を伴い、
そして獲得した認識は霊的成長の為の認識やからこそ、
“道(おしへ)”って言葉で示される・・・
こういう表現になってると思えるやん。

ほんでから次の言葉、

“縁ある人は早く集めて呉れよ、”

この言葉は前後するけど、
“今までの様な宗教や教への集団(つどひ)にしてはならんぞ、
人を集めるばかりが能ではないぞ、
人も集めねばならず、”・・・に掛かる言葉でもあり、
これは、
“縁ある人”
通常使われてる縁では無く、
霊的成長度の高さ、どれくらいの心(靈)の発現をしているのか、
そして、
心(靈)が“上”に向かっているのか=自省しているのか・・・
それを言うてる事でんねん。
段々そう言う霊縁ある人(日止、霊止)と、
今までの低い心(靈)の発言由来の場(フィールド)・・・
現世利益の宗教や政治団体や・・・
それらは区別されていく。
そやから同程度の心(靈)の発現の人同士は、
自然に場(フィールド)を構築するって事でもあるけれど、
自分達の心(靈)の発現の段階って言うのんは、
自然に霊縁が出来ていくって事でもある。
そう言う点で、作為的に人を集める事・・・
形骸の宗教やインチキセミナーや・・・
さっきも言うた○○の査定した何とかは、
それはたいした霊縁では無いって事でんねん。

そやからその補足として、次の言葉、

“縁なき人いくら集めても何もならんぞ、
縁ある人を見分けて呉れよ。”

これも、霊的成長度の低い人を集めても何にもならん。
又、霊的成長って言うのんは個人的な作業でしか無く、
その認識が無い人は、集団を作って喜ぶ傾向がある。
同じ価値感の人同士が只雰囲気を楽しみ・・・
低い功名心を満足させる。

そやからそう言う人たちは、
自分の心(靈)の動きに問題を見出す事が出来ないのか、
或は自分の心(靈)の中の問題を無視したいから他者を批判して、
そう言う行為に終始したい。
そして、
これは今の形骸の価値感で動いてるさっき言うたばかりの団体を指してる言葉でんねん。
ネット上でもそう言う感じ(感じる磁性)でしかない事やねん。

そうやって・・・
見せかけの幸福や、政治家の騙しの言葉や、
低い功名心でこの世界の事を批判してる・・・批判だけして喜んでる、
どっかの団体や、
金を取って知識をひけらかすだけのインチキセミナーや、
そういう事に酔いしれてる内に、
人は、
自省(胸の磁性“十”)を忘れ、
苦難や試練を忘れ、
忘れる事そのものを癒しと思い込み、
只、自分の人生に課せられた、
自分自身の霊的成長の為にエネルギーを贖う為の事=“行と修行”から逃げ、
結果、たいした認識を得ないまま・・・
自分の心(靈)を観察するに当たって、
自分に対する“厳しさ”って言うものを獲得せん内に、
時期(磁気)が来て=アセンションって認識されてる事を済まして、
麦と毒麦は分けられ・・・
毒麦を増やしたいのが“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の思惑でもあり、
その現象ばかりが目立つ世界になってるのが、
今の事象やな。

ほんでから次の言葉は、

“顔は神の臣民でも心は外国身魂ぞ、”

“顔は外国人でも身魂は神の臣民あるぞ。”

これはさっきも言うた外側の事象の観察の事やと思いまんねん。

自省してる人(日止、霊止)と、
形骸の幸福を説いてる人みたいな表現でんねん。

ほんまに自省(胸の磁性“十”)して霊的成長の方向性を見出してたなら、
それは、
形骸の言葉を使ってるインチキ宗教みたいな事はせんって事でんねん。
そやから自分が霊的成長をしたくって何かを観る際に、
見かけに騙されんようにって事でんねん。
ほんでからにこの言葉は自己観察の事も言うてる・・・
自分が霊的成長の為にしていると思える事・・・
それを低い心(靈)の発現の人は、錯覚しやすい。
何回も言うけど・・・
見せ掛けの愛は苦難や試練を体験してる人の霊的成長の足を引っ張り、
形骸のインチキ宗教や低い解釈のアセンションは、
本当の事に気が付かん内に時間を過ごす結果になり、
それは次の場(フィールド)に移行する霊的成長をしないって事になる。

外側の観察=“外国”では、
人(日止、霊止)の心(靈)の動きは判らないって事でもあるし、
そして今、
見せ掛けの愛や癒しや浄化を語っている人はとても多いし・・・
これも外側の事象の観察しか出来ない人(日止、霊止)、
そう言う心の発現の人は、
自己観察が出来ないし、
自省(胸の磁性“十”)もせん、“観自在”も無いし、“直日(なおひ)”でもない。
そやからその人の心(靈)の動きは経済とか物欲とか低い功名心とか自尊心とか・・・
サル山のボス猿みたいな心(靈)の動きになる。
さっき言うた○○が査定した・・・も、
この心(靈)の動きでしかない。

そやからそれは霊的成長の法則性とも言える右往左往から左往右往し、
その過程では失敗も有るからこそ、
次の言葉、

“やりかけた戦ぞ、
とことんまで行かねば納まらん。”

霊的進化の為の体験、右往左往と左往右往でしかない。
その心(靈)の現われ=顕現が、
今、右往左往の行をしてる人が多いからこそ、
形骸の何かが力を示してるけど、
失敗をするからこそ、破綻するからこそ、
次の言葉、

“臣民一度は無くなるところまでになるぞ、
今のうちに この神示よく読んでゐて呉れよ。”

・・・で、しかない。

ほんでから次の言葉、

“九月になったら用意して呉れよ。”

これも只単に暦の九月って事ではなく、
丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)+“一”+乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)で、
“九”
そして月部(げつぶ、にくづき)って事で、
神の思惑+“一”=智性=1番目のオーラと創造主を示す“一”=アイ+人の思惑の顕現
それに肉体である月部(げつぶ、にくづき)をプラスした表現が、
“九月”
これは前にも上つ巻 第五帖の言葉、

“九の道を早う開ひて呉れよ”
“ひむかは神の使ひざから、九の道を早う開ひて呉れよ、”

・・・で言うた事やな。

“九の道”は、
人(日止、霊止)が霊的成長し、
自分なりの基準を獲得し=“天の御目”を獲得し、
今より神聖な事象の創造をして行く。
それは人(日止、霊止)自身の完成に至る為の道でもあるって事やねん。
それが人の完成って概念やし、それは神格化でしかない。
ほんでから、
上つ巻 第六帖を解釈した時にも

“九、十となりたらボツボツはっきりするぞ。”

“九”・・・○ 九 十 (まこと)の、九、
それは神の思惑の顕現でもある、
創造主の最後の仕事でもある、“卆”。
人(日止、霊止)の創造による事象・・・

大体“日月神示”の表現として、
九月、十月は、
九 + 月・・・月は月部(げつぶ、にくづき)で肉体の事、
十月も、胸の磁性“十” + 月部(げつぶ、にくづき)・・・

肉体そのものに“上”の思惑を顕現する・・・
そして、
現津(あきつ)=観察され得る事象の創造をする。
それが“ひむか”=太陽凝視って事やと思いまんねん。

今日はこれくらいにしときまんねん。

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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




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