“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 日の出の巻 第十五帖 Kellyさん的解釈


 今回も、日の出の巻 第十五帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

十柱の神様 奥山に祀りて呉れよ、九柱でよいぞ、何れの神々様も世の元からの肉体持たれた生き通しの神様であるぞ、この方合はして十柱となるのざぞ。
御神体の石 集めさしてあろがな、篤く祀りて、辛酉(かのととり)の日にお祭りして呉れよ。
病あるかないか、災難来るか来ないかは、手届くか届かないかで分ると申してあろがな。届くとは注(そそ)ぐ事ぞ、手首と息と腹の息と首の息と頭の息と足の息と胸の息と臍の息と脊首(せくび)の息と手の息と八所十所の息合ってゐれば病無いのざぞ、災難見ないのざから、毎朝 神拝みてから克く合はしてみよ、合ってゐたら其日には災難無いのざぞ、殊に臍の息一番大切ざぞ、若しも息合ってゐない時には一二三(ひふみ)唱へよ、唱へ唱へて息合ふ迄 祷(ゐの)れよ、何んな難儀も災難も無くしてやるぞ、此の方 意富加牟豆美神(オホカムツミノカミ)であるぞ。
神の息と合はされると災難、病無くなるのざぞ、大難小難にしてやるぞ、生命助けてやるぞ、此の事は此の方信ずる人でないと誤るから知らすではないぞ、手二本 足二本いれて十柱ぞ、手足一本として八柱ぞ、此の事 早う皆に知らしてどしどしと安心して働く様にしてやれよ。
飛行機の災難も地震罪穢の禍も、大きい災難ある時には息乱れるのざぞ、一二三祝詞と祓え祝詞と神の息吹と息と一つになりておれば災難逃れるのぞ、信ずる者ばかりに知らしてやりて呉れよ。
十二月十八日、ひつ九か三。

 冒頭の“十柱の神様 奥山に祀りて呉れ”の“奥山”はこれまで何度も解釈した通り目下(めした)(動物の心(靈)の段階)の脳、それは高い心霊が使う表記の山は脳の意味であり高密度に山のように積み上がった組織の意でもあり、その“奥”なので、大脳旧皮質と古皮質など目上(めうえ)の脳である大脳新皮質以外の脳のこと、そしてその“奥山”での心(靈)の発現と動きは、本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性のうちの自我以下のことであるし、これは平均的地球人の進化程度を指す表記でもある。 
これまで何度も述べている通り平均的地球人の進化は自我の確立=固定化、そして自我の肥大は“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心になり、それが“石”(帯電するミネラル)と尸(しかばね、かばね、心(靈)と肉体で人成り立っているが、心(靈)以外の物質としての肉体の意味)と横隔膜を示す横棒━と、厶部(しぶ)(物を囲い込んで自分のものとする様子に象る。手を「伸ばす、伸びる」の意がある)と完成された人の表記である“王”から“一”=智性=1番目のオーラを引いた表記の“土”、これを重ねると“石屋の仕組み”の“屋”という表記になるし、自我の肥大という心がたいして価値のない何かに付加価値をつけて商売をするとか、価値のないものを如何にも価値があるかのように見せかけるとかして自分だけの経済を繁栄させ恨みの連鎖の霊的干渉を増して来たし今も増大している。 この“石屋の仕組み”=自我の肥大、これを諌めるのが“十柱”=胸の磁性“十”、“慈悲”と“慈愛”、そして智性(神性)由来の自己観察であり、“柱”の意味も“下”(低い心(靈))から“上”への心(靈)(ヒ)の移行を示し、さらに“柱”の字の偏(へん)の木部は自省(胸の磁性“十”)+丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)、あるいは時間の進行(“道”)を示す儿部(じんぶ、にんにょう)であり、旁(つくり)の“主(ヌシ)”は、ローレンツ力ローレンツ力 と“一二三”のオーラと|(たてぼう、こん、縦の磁性))である。 
それでこの文に続く“九柱でよいぞ”の“九”は“一”=智性=1番目のオーラと丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)であり、“上”からの荷電粒子を“一”=頭の水平磁場に止める“日止、霊止”のことそのものであり、また霊的成長を示す表記の“十柱”から、“上”の荷電粒子、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑である“一”(亜から出ずる、アイ)を引いた表記が“九”であるからこそ、“日止、霊止”そのもののことと思え、それは“天詞様”という表記の意味、“上”との感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)で出来上がっている心(靈)が“十”ならば、その感応共振の要素を差し引いたなら“九”であり、この表記の“九”+“一”は完成された心(靈)(ヒ)、“十”といえ、またそれは○ 九 十の“十”でもある。 これを簡略にいえば“日止、霊止”と“天詞様”は“上”の思惑と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)して自らの心を成しているからこそ“九”+“一”(亜から出ずる、アイ)で“十柱”といい得るし、前後するが“この方合はして十柱となる”は、“上”と自らである“九”の両方の意を含む表記。
それで“何れの神々様も世の元からの肉体持たれた生き通しの神様である”の“神々様”は、神=荷電粒子の回転であり、荷電粒子の回転は“畐”であり、“上”から“下”に降り注がれ、それが“一”(亜から出ずる、アイ)であり、それは“創造”の“主(ヌシ)”に対して被造物の“日止、霊止”から観れば(こちら側からということ)、“創造”の“主(ヌシ)”の表記であるが、生命は進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)において“上”からの荷電粒子をすべて取り込むことが出来ず、低い部分としか感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)していないし、“この方合はして十柱となる”の“この方合はして”ではない、“上”と感応していないってことでもある。 
それが“奥山”=目下(めした)(動物の心(靈)の段階)(大脳旧皮質と古皮質)の意であるし、その進化過程の段階は霊的成長度における心(靈)(ヒ)の高低でもあるし、(進化程度が低いから=低い心(靈)の“観察と認識”では)外見を見ることから始まる学問である生物学、地球人の進化論における進化の相違も、主に外側(外国と幽界)である肉体の違いを指摘した(“日月神示”表記の)“学”ともいえる。 蛇足になったが、要は、地球人の進化論はまだ程度が低く、本当の進化の意味を見出していないということでもある。
 話を戻し、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)は“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化による変容といえ、それが自凝(おのころ)の仕組み=タンパク質の高分子化であり、その時に“石”(帯電するミネラル)を取り込みながら“上”に積み上がっていくし、積み上がったさまは砌(みぎり)という字の意味である階段や軒下の石を敷き詰めた所、石だたみ、そして、暑さの砌、幼少の砌のように、……の折。……の頃。という時節の意味、これが進化程度の高低を示すことと、肉体(月(ツキ))という外側(外国と幽界)の事象の事象に顕現した心(靈)(ヒ)の相違である。
 その意味で先の文に続く“御神体の石 集めさしてあろがな”といわれ、“石”(帯電するミネラル)を取り込んだタンパク質は高分子化して進化した肉体(月(ツキ))を構成して“上”からの荷電粒子“一”(亜から出ずる、アイ)を止めるのが“日止、霊止”であるし、それが“御神体”=“上”と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)でき得る肉体(月(ツキ))ということであると思う。 それを“篤く祀り”“お祭りして呉れ”、これも“上”との感応共振の意である。
そしてこれに続く“辛酉(かのととり)”は、以前、下つ巻 第三十帖で解釈した事をそのまま以下にコピペして示す事とする。 

“辛酉(かのととり)”は、陰陽五行では、十干の辛は陰の金、十二支の酉は陰の金の意味がある。 そやからそれは陰の金、木火土金水の金、それは五臓で言えば肺=“悲しみ”でもある。 ほんでから“辛酉(かのととり)”は、陰の金って意味が二つ重なっている。それを五行思想では、比和(ひわ)って言い表されそれは、同じ気が重なると、その気は盛んになり、その結果が良い場合には益々良く、悪い場合には益々悪くなる。
そやから陰の金は肺=“悲しみ”であり、それは“慈悲”と“慈愛”を発現して行く(アナハタチャクラ、自省(胸の磁性“十”)の“行”)霊的進化過程でもあると思える。
自省(胸の磁性“十”)を果たさんならんからこそ、やってきたことがばれたり、恥をかいたりする事象が多くなってる。 それもフォトンベルト=加速された荷電粒子、白光する神の思惑、大日如来の条帛(じょうはく)、その影響を受けているから、自省(胸の磁性“十”)の“行”に入り、自分の在り方を考えんならん。 そやからその人たちが創り出してるその事象って言うのんは、例えば、うまい事やって儲けた人は、ばれて、恥をかかんならん。 そうやって自省(胸の磁性 “十”)をする。そして自分の人生を恥じ入り、その人の心(靈)は、肺=“悲しみ”でいっぱいになるやろ。
その過程を踏んで行かんと、自我より“上”の心(靈)である“慈悲”と“慈愛”は発現せん。 その意味のことを言うてると思えるな。
(引用終わり)

 これに続く“病あるかないか、災難来るか来ないかは、手届くか届かないかで分ると申してあろがな”の“病”“災難”は、これまで解釈してきたように自我の肥大=“石屋の仕組み”が生み出した恨みの連鎖の霊的干渉の現象化のことで、“手届くか届かないか”はこれに続く“届くとは注(そそ)ぐ事”という言い回しが示すように、その心(靈)(ヒ)の霊的成長度が“上”と感応できるか、出来ていないのか、これに尽きることであると思うし、その意味で“手首と息と腹の息と首の息と頭の息と足の息と胸の息と臍の息と脊首(せくび)の息と手の息と八所十所の息合ってゐれば”といわれており、“手首と息”は手の水平磁場と息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)、これは仏像の臂釧(ひせん)腕釧(わんせん)し、シンクロトロン放射の仕組みを指す。 同様に“腹の息”は自我の心(靈)の発現と動きのこと、サイクロトロン、そして“首の息と頭の息”は本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性の、創造より上のこと、そして“足の息”はムラダーラチャクラ、そしてスワディスターナチャクラ、マニピューラチャクラの一部を構成する足の水平磁場、これは骨盤も含む。 そして“胸の息”は“慈悲”と“慈愛”、アナハタチャクラ、第四密度、そして“臍の息”はマニピューラチャクラ、自我そのもの、よって“胸の息と臍の息”は先に解釈した“十柱の神様 奥山に祀りて呉れ”と同義。 そして“脊首(せくび)の息と手の息と八所十所の息”の“脊首(せくび)の息”は肉体(月(ツキ))の縦の磁性、ローレンツ力ローレンツ力 で“上”と感応し、“上”の振動を取り込む仕組みそのもの、そして“手の息と八所十所の息”の“手の息”は腕の水平磁場、“八所”の“八”は“富士(二二)”と同義、それは進化した左右相称動物である人の肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道のこと。 “十所”は胸の磁性“十”。 これらが“合ってゐれば病無いのざぞ、災難見ないのざから、毎朝 神拝みてから克く合はしてみよ、合ってゐたら其日には災難無いのざぞ、”は、“上”と感応した心(靈)(ヒ)ならば恨みの連鎖の霊的干渉は起きないし、影響も受けにくい、それは“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心(靈)(ヒ)が今体験している“神の咎め”がアセンションに伴う醜い事象であるし、多くの人はアセンションに間に合う霊的成長度ではないから死んでから自省(胸の磁性“十”)するのだが、“上”と感応して自省(胸の磁性“十”)=“十柱”という心になれば、“病無いのざぞ、災難見ないのざから”ということになり、その点でもっと“上”を意識せよという意味合いで“毎朝 神拝みてから克く合はしてみよ”であり、自我の肥大を諌めよという意味で“殊に臍の息一番大切ざぞ”と称され、そして自らの霊的成長、“一”=智性=1番目のオーラと、土=2~3番目のオーラのことをよく認識せよという意味で“若しも息合ってゐない時には一二三(ひふみ)唱へよ、唱へ唱へて息合ふ迄 祷(ゐの)れよ、何んな難儀も災難も無くしてやるぞ”であり、いうまでもなく“若しも息合ってゐない時”というのは、自我の肥大で“上”の通信を受けていない、自省(胸の磁性“十”)出来ていないことを指す。 
それで意富加牟豆美神(オホカムツミノカミ)については以前作った画像で意味を示す。

意富加牟豆美(オホカムツミ)の解字



そして今取り上げた文に続く“神の息と合はされると災難、病無くなるのざぞ、大難小難にしてやるぞ、生命助けてやるぞ、此の事は此の方信ずる人でないと誤るから知らすではないぞ”も“上”との感応=“神の息と合はされる”ならば、“災難、病無くなるのざぞ、大難小難にしてやるぞ、生命助けてやるぞ”=恨みの連鎖の霊的干渉の影響を少なくしてやるぞという意味で、自我の肥大や“石屋の仕組み”が恨みの連鎖を生み出していることなど一般の地球人は考えてもいないから“此の事は此の方信ずる人でないと誤る”し、誤っているのは“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)の私見を信じ込んでいる人、この両方であり、またそれはこの文の解釈の要である“十柱”、“奥山”、“九柱”、“この方合はして十柱”など、“上”と感応して“災難、病無くなるのざぞ、大難小難にしてやるぞ、生命助けてやるぞ”ということが理解できない、解らないだろうから“此の事は此の方信ずる人でないと誤るから知らすではない”といわれている。 低い憑依現象(チャネラーなど)、金をとる低い霊能力者、あるいはインチキ霊能者、形骸の宗教、“役員づら”の私見が、如何に神の概念を低いものにしているのかを感じさせる一文でもある。
 それでこの文に続く“手二本 足二本いれて十柱ぞ、手足一本として八柱ぞ、此の事 早う皆に知らしてどしどしと安心して働く様にしてやれよ”の“手二本 足二本いれて十柱ぞ”は、|(たてぼう、こん、縦の磁性))と手足の水平磁場を指し、それでシンクロトロン=“十柱”であり、“手足一本として八柱ぞ”は、“手足一本”は左右=日足(ひたり)と砌(みぎり)を指し、“富士(二二)”(肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道)と同義のこと。 要は“上”との感応には“十”と“八”の要素があることを示している。
 これに続く“飛行機の災難も地震罪穢の禍も、大きい災難ある時には息乱れるのざぞ、一二三祝詞と祓え祝詞と神の息吹と息と一つになりておれば災難逃れるのぞ、信ずる者ばかりに知らしてやりて呉れよ”はもう説明の要は無いと思うが、大きい災厄を体験しないと霊的成長度の低い人間は本当のアセンションの意味を考えもしない。 その意味でちょっと揶揄(やゆ)した言い回しで“大きい災難ある時には息乱れるのざ”といわれているが、その時に霊的成長の絶対の法則(“理(ミチ)”)を知れということで“一二三祝詞と祓え祝詞と神の息吹と息と一つになりておれば”と称され、この文の“一二三”は、神格化のプロセス、“一”=智性=1番目のオーラと土=2~3番目のオーラ、その両方のことであるし、それを知り、知った上で“一”=智性=1番目のオーラを増す“行”である“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことをするならば、“神の息吹と息と一つになり”ということになり、それは“上”との感応であり、意味合いが重複するが“神の息吹”と自らの心の発振、発信、自らの息吹が一体になれば“一つになりておれば災難逃れる”=アセンションに伴う醜い事象に巻き込まれず生き延びて次の“創造”に参加するのだが、ほとんどの地球人はその霊的成長度が低すぎてアセンション落第組だから“信ずる者ばかりに知らしてやりて呉れよ”ということでもある。

 今回はこれくらいにしときまんねん。

« “ローム太霊講話集”第四話 四方の祈り 南 Kellyさん的解釈“その二”|Top|“日月神示” 日の出の巻 第十四帖 Kellyさん的解釈 »

コメント

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

http://tuyukusanotuyu.blog45.fc2.com/tb.php/437-414310d5

Top

HOME

tuyukusanotuyu




 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
FC2ブログへようこそ!


Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
(クリックで拡大)

2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
(クリックで拡大)


発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
(クリックで拡大) 

お近くの書店にない場合は
たま出版のサイトでお買い求めください。

発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
(クリックで拡大)

お近くの書店に無いときは
たま出版のサイトでお買い求めください。

この本に付いてはこちらを御覧下さい。


       




初めての方は、
・・・その後の事と・・・これからの事。
からお読みください。

それぞれのカテゴリーをクリックすると
古い順に、記事が閲覧できます。

        

☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (104)
Kellyさんがこのブログに霊縁あった人(日止、霊止)に伝えたい事 (22)
Kellyさんと○○○大先生との会話 (7)
Kellyさんとチョ~極上ラブラブ中高年夫婦はんとの会話 (6)
Kellyさんとチョ~ベッピンはんのA野はんとの会話 (7)
Kellyさんと∪・ω・∪ ▼・。・▼ ▼・。・▽ U・。・U U。・ェ・。U たちとの会話 (33)
Kellyさんとメタボ研修医のYっちゃん先生との会話 (2)
Kellyさんとややメタボ内科医のYっちゃん先生との会話 (7)
Kellyさんと和風のベッピンはんのSはんとの会話 (2)
Kellyさんと農業好きの社長婦人K地M美はんとの会話 (12)
KellyさんとNominyan ∥*σ_σ*∥&Senyapoo λ*゜ο゜*λ との会話 (6)
☆ Kellyさん的“日月神示”解釈 (480)
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 (16)
“日月神示” 上つ巻 (42)
“日月神示” 下つ巻 (38)
“日月神示” 富士の巻 (26)
“日月神示” 天つ巻 (30)
“日月神示” 地つ巻 (36)
“日月神示” 日月の巻 (68)
“日月神示” 日の出の巻 (23)
“日月神示” 磐戸の巻 (21)
“日月神示” キの巻 (17)
“日月神示” 水の巻 (36)
“日月神示” 松の巻 (30)
“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
“日月神示” 岩の巻 (11)
“日月神示” 荒の巻 (27)
☆ Kellyさん的“ローム太霊講話集”解釈 (107)
☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
☆ 先生が撮るけったいな花の写真 (22)
☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



fxwill.com


2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
予約制 鍼(はり) 灸(きゅう) マッサージ治療 児玉療院
写真部の○○○大先生のページ
写真部に投稿した最新の写真
 ↓


powered by 写真部









○○○大先生の水草水槽記録
facebook 児玉登







このブログをリンクに追加する


自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




飢餓救済のホームページ

JWord クリック募金

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード