“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 日の出の巻 第二十一帖 Kellyさん的解釈


今回も、日の出の巻 第二十一帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

神かがりと申しても七つあるのであるぞ、その一つ一つがまた七つに分れてゐるのざぞ、 ローレンツ力と ○ ガカり、かみかかり、か三かかりぞ、 ローレンツ力  (カミ)ガカリぞ、ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド) (かみ)かかり、か三かかり、かみかかりざぞ、神かかってゐないと見える神カカリが誠の神カカリと申してあろが。 そこらに御座る神憑りは五段目六段目の神憑りぞ。
神カカリとは惟神(かむながら)の事ぞ、これが神国の真事(まこと)の臣民の姿ぞ。 惟神の国、惟神ぞ、神と人と融け合った真事の姿ぞ、今の臣民のいふ惟神では無いぞ、此の道理 会得りたか、真事の神にまつりあった姿ぞ。
悪の大将の神憑りは、神憑りと分らんぞ、気つけて呉れよ、これからは神カカリでないと何も分らん事になるのざぞ、早う神カカリになる様 掃除して呉れよ、神の息吹に合ふと神カカリになれるのぞ。
一二三唱へよ、祓えのれよ、神称へよ、人称へよ、神は人誉め 人は神称へてまつり呉れよ、まつはり呉れよ、あななひ呉れよ。
十二月二十七日、ひつ九のか三。

冒頭の“神かがり”の“かがり”は、篝(かがり)のことだと思え、篝の意味はかがり火をたく鉄製の籠(かご)、篝籠(かがりかご)、あるいは篝を用いて焚く火、かがり火のこと、よって“かがり”そのものの意味は、鉄=“力(ちから)の根(ね)”=肉体内の鉄分子、“カネ”の言霊、これによる“一二三”のオーラの息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)であると思える。 それで二十一帖の表記の“神かがり”とは、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)して“一二三”のオーラが発振、発信されている様であるし、“神かがりと申しても七つあるのであるぞ、その一つ一つがまた七つに分れてゐるのざぞ”は、肉体で構成されているチャクラ(荷電粒子の回転を示す)のことであると思える。 さらに第二十一帖では“かがり”という表記は、冒頭でしか使われていない。 それがまた篝、発振、発信されている“一二三”のオーラのことであることを強く思わせる。

これに続く“
ローレンツ力と ○ガカり、かみかかり、か三かかりぞ、 ローレンツ力(カミ)ガカリぞ、 ローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド)(かみ)かかり、か三かかり、かみかかりざぞ”は、“ローレンツ力と ○ ガカり”がローレンツ力を持っていない霊=○、荷電粒子の場(フィールド) =霊、荷電粒子の場(フィールド)と ローレンツ力ローレンツ力、“上”からの荷電粒子を取り込む仕組みが合わさった表記、その次の“かみかかり”はひらがな表記なので“上”から視点ではなくこちら側、被造物側の認識、次の“か三かかり”の“三”は“一二三”のオーラのこと。 これら、今取り上げた表記の意味は、神の子としての生命の仕組みを述べていると思われる。 
それが冒頭の“神かがり”とは意味合いの違う点でもある。 
それで、肉体が持つ縦の磁束|(たてぼう、こん、縦の磁性))とローレンツ力は、“上”からの荷電粒子の取り込みをして回転させ心(靈)(ヒ)を構成するし、進化した動物としての人間は左右相称動物なのでコイルとコンデンサーの構造を左右対称に持つから水平磁場を構成し、それがチャクラ(荷電粒子の回転を示す)であり発振、発信される電磁波は“一二三”のオーラでもあるし、“一”=智性=1番目のオーラが大きくなれば“上”と感応して神の思惑を自分の認識とし(“天詞様”)それがあって神の思惑を顕現する役目を担う“日止、霊止”と成り得るものである、それがこの文に二回重複して述べられている“かみかかり”“か三かかり”の表記の意味であると思える。

これに続く“神かかってゐないと見える神カカリが誠の神カカリと申してあろが。 そこらに御座る神憑りは五段目六段目の神憑りぞ”は、今までの宗教の開祖などは霊媒体質であり、“上”が憑依して“上”の思惑を語らせるというパターンが多かったが、これからの地球人は自分の“一”=智性=1番目のオーラに“上”の思惑が感応する段階に入るから、いわゆる霊媒体質の心霊現象の神かかりはなくなるし、自分の思想そのものが神の思惑に近づいていく、その違いを指示した表記が“神かかってゐないと見える神カカリが誠の神カカリ”であると思うし、霊媒体質、あるいは自分の人生の体験において“上”を意識させる右往左往=やってみてから失敗を体験し、左往右往=失敗を体験し、それを教訓として“力”の顕現(砌(みぎり)の行)をするというパターンは今後=アセンション後少なくなっていくであろうから、失敗を体験しないでも自我より“上”の心、自省(胸の磁性“十”)、“慈悲”と“慈愛”を持つ霊的成長度になっていくであろうからこそ現時点のことを述べている“そこらに御座る神憑りは五段目六段目の神憑り”、こういわれていると思える。
さらに“神カカリ”の“カカリ”がカタカナ表記なのは“上”から視点であり、“上”の思惑が介入していく、あるいは“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の思惑を介入させる“創造”の“主(ヌシ)”の計画としての今後=アセンション後のことを指し示すものである。 

それでこれに続く“神カカリとは惟神(かむながら)の事ぞ、これが神国の真事(まこと)の臣民の姿ぞ。 惟神の国、惟神ぞ、神と人と融け合った真事の姿ぞ、今の臣民のいふ惟神では無いぞ、此の道理 会得りたか、真事の神にまつりあった姿ぞ”は、いうまでもなく“上”と感応している様を示す意味合いのこと、それを強調する表記が“神国の真事(まこと)の臣民の姿”であり、この文の中の表記の“国”はこれまで解釈してきたとおり心(靈)(ヒ)のことである。 いわゆる今の地球人の進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)である自我の確立=固定化より“上”の智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)と“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の動きが、より“上”からの高い振動を取り込み、自分の思惑となし、そして行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)する、事象の“創造”をするという意味合いのことであるし、それが“神と人と融け合った真事の姿”“真事の神にまつりあった姿”の表記の意味。 ちなみに神道の用語としての“かむながら”は、神の御心のままに、神、そのままに、であり、要は神の思惑を取り込んだ自らの心を指すものである。

これに続く“悪の大将の神憑りは、神憑りと分らんぞ、気つけて呉れよ”は、“役員づら”のこと、形骸の宗教とかアセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たちのこと、神の代弁者を名乗ったり、自分たちの勝手な都合で“上”や神を使い、それは“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”であるからこそ、商売にしたり権力を誇示したり程度の低い人を集めて低い功名心と自尊心を充たしたり、要はその心の動きは自我の肥大=“石屋の仕組み”であるが、その形骸の“神憑り”に気付け、騙されるな=“神憑りと分らんそ”、そしてそんなものに惑うな=“気つけて呉れよ”ということであるし、次の表記の“これからは神カカリでないと何も分らん事になるのざぞ、早う神カカリになる様 掃除して呉れよ”は、自分たちの心(靈)が“上”と感応し、神の思惑を理解しなければ=その霊的成長度に達しなければ、今後=アセンション後における価値観、その場(フィールド)における思想、既成概念などは理解できないから“これからは神カカリでないと何も分らん事になる”であるし、現時点は先の“悪の大将の神憑りは、神憑りと分らん”のであり、今ほとんどの人がこういう状態であること、現世利益しか求めず自分が努力しないでよい結果だけを求める甘い(亜、魔、出ずる、泉。愛(炁)の間に魔が入った状態を指す)人間が多いので、“早う神カカリになる様 掃除して呉れよ”=“上”と感応できる霊的成長度になれ、それには自省(胸の磁性“十”)しろ、“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”せよということ。 そうなればだんだん“神の息吹に合ふと神カカリになれるのぞ”=“上”の思惑が自分の思想になるといわれている。

次は“一二三唱へよ、祓えのれよ、神称へよ、人称へよ、神は人誉め 人は神称へてまつり呉れよ、まつはり呉れよ、あななひ呉れよ”について。
“一二三唱へよ”は“一二三”のオーラを発振、発信せよ、息吹け(息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信))、それが“唱へよ”。
“祓えのれよ”は、低い感応を防げ、“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の霊的存在と感応するな。
“神称へよ”は、形骸の神の概念ではなく本当に人と神の関係を意識せよ、念じよ、ということ。
“人称へよ”は、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心(靈)を諌め、自己と他者の関係を“慈悲”と“慈愛”の心(靈)で見よということ、そうすればそこには“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の事象は無くなるからである。
“神は人誉め 人は神称へてまつり呉れよ、まつはり呉れよ、”は、先に述べたように人は神を本当に意識すべきであり、今の形骸の神の概念、平均的地球人が持つ低い認識における神の概念を捨て、自分と神の関係、神の子たる“日止、霊止”の使命を知り=“絶対の善”を顕現し、そのためには自我の肥大(“石屋の仕組み”)を“悪(心の動きの本能化と低振動化)”と見做すことが必須であり、それを諌める、自らの心の動きの“上”と“下”を見出したならば“神は人誉め 人は神称へ”となり、そうすれば“上”と感応するから“人は神称へてまつり呉れよ、まつはり呉れよ”ということになる。
“あななひ呉れ”は、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心(靈)ではない人として正しい在り方、自我の肥大(“石屋の仕組み”)が無くなる心(靈)(ヒ)の在り方、それは今後=アセンション後の価値観、その思想、そのために自らの“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)の使い方を思い、エネルギーを贖う(あがなう)ことを述べた表記であると思われる。

今回はこれくらいにしときまんねん。

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 Kelly & ○○○大先生

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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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