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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

Kellyさん、Nominyanと“憑き物が落ちた”ということについて論じながらSenyapooと歌いまくる!! “その二”


Kelly 会話中 この間KellyさんはNominyanはんとSenyapooはんの二人と例の公園で会い、Nominyanはんと“憑き物が落ちた”と認めうる変化について話し、そのあとSenyapooはんともいろいろ話をしましてんな。 今回はその時のことを紹介しまんねん。

☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀ ☀
Nominyan 会話中 「こんにちはKellyさん」 
Senyapoo 会話中 「こんにちわわ ∪・ω・∪ なのだイモ」

Kelly 会話中「こんにちはでんねん」

Senyapoo 会話中「Kellyさん、前回Kellyさんと会ったときSenyapooは
おかんとKellyさんがSenyapooの理解を超えるむずかしい話をするときは、この公園の近所を自転車でうろうろすることにするのだイモ。 それで話が終わったらKellyさんとおかんとSenyapoo三人でまた歌を歌いたいのだプ~
って言ったとおり、今から自転車に乗って公園の周りを走り回るのだイモ。 
それでKellyさん、おかんとKellyさんの難しい話がすんだら、Senyapooの質問に答えて欲しいのだイモ」

Kelly 会話中「Senyapooはんの質問? …どんな質問でんねん」

Senyapoo 会話中「“どんな質問でんねん”って質問に答えるのは難しいのだイモ。 とにかく質問するから答えて欲しいのだイモ。 
それでは野生児Senyapooは歌を歌いながら自転車に乗って公園の周りを一周してくるのだプ~」



Senyapoo Kellyさんから遠ざかる


Nominyan 会話中「すみませんKellyさん、Senyapooはいろんなことを考えるようになってきているのです。 
前回、わたしとSenyapooが先生の影響を受けているって話をしましたよね。 
その時Senyapooが、
Senyapooだって先生のギャグ好きだけが似てきただけでなく、先生といろんなこと話して、一年生の時のSenyapooはこんなだったけど今はこんなだとか、良かったことや悪かったことを自分で考えることが出来るようになってきたのだイモ。
 それは先生流にいえばSenyapoo自身の自己観察で、もっとむずかしい言い方なら自省(胸の磁性“十”)の心(靈)の動きだってことなんだプ~

って言っていたように、一人でいろんなことを思ったりするようになってきているようなんですよ。 
それと、私のいない所で先生と二人っきりでいろんな話をしているようですし…多分それもあって、Senyapooとしては、先生と沢山の話をしたKellyさんにいろんなことを訊いてみたいと思ったりしたのかもしれませんし、また子供同士で話すようなこととは違う話を、身近な大人であるKellyさんとしたがっているのだと思うのです」

Kelly 会話中「そうでっか。 
そやからそれはSenyapooはんの成長に伴うことやし、ほんでから先生と話してるんやから普通の小学五年生とは違う考えを持ったりもするやろし…Senyapooはんの質問に答えるのはとても大事なことやな」

Nominyan 会話中「すみません、よろしくお願いします…っていっても、Senyapooが何を訊ねるのかは分からないのですが…」

Kelly 会話中「まあよろしいやおまへんか。 先生とSenyapooはんは大親友やって前に聞いたみたいにKellyさんもSenyapooはんと大親友になりたいやんか。 
そやからKellyさんはSenyapooはんといろんな話をしてみたいでんがな」

Nominyan 会話中「ありがとうございます。 

 それでは前回話していた続きみたいなことなんですが、“憑き物が落ちる、落ちた”って認めうる変化は相対的なことだって話をしましたよね。 
その相対的変化の観察を分析するには、まずは“憑き物が憑く”ってことの分析から始めるのが妥当だと思うのですがいかがでしょうか」

Kelly 会話中「そうやな。 憑き物が憑くってことの分析がきちんとできていないとあきまへんな。 
そやからそれはこの間Nominyanはんが言うてたみたいに、
“憑き物が落ちる”あるいは“憑き物が落ちた”っていうのは、その人の心(靈)の動きや行動が変わってきたことを指す、そしてそれはその人以外の観察によるところの言い回しでもある
それと
この言い回しは、憑き物が憑いてその人の心(靈)の動きが変わったって印象を与えるけど、憑き物はいつも何かしら憑いているもの
それと
人の心(靈)の動きに応じて憑いたり離れたり、いい換えれば感応したりしなかったり…中略…いつでもどんな時にでも霊的干渉っていうのは起きている
ってことが大事やし、またそれは大概の人の既成概念にはない認識でもあるから=“一般の人の知らないこと”でもあるやん。
そやけど、前回Nominyanはんが話したことの一部をちょっと考えるだけでたくさんの分析が必要になってくると思いまんがな。 だいたいこのテーマ自体が心(靈)(ヒ)の動きの話になってくるやろし…そやからいろんな話をせんならん感じやな」

Nominyan 会話中「そうですね」

Kelly 会話中「ほんでから今言うてたみたいに、憑き物が憑く、それはその霊的存在、憑き物が憑くっていうのは、人の心の動きによるってことも一般にあまり認識されていない感がありまんな」

Nominyan 会話中「それはありますね。 
自分の心(靈)の動きや行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)に霊的干渉があること自体が平均的地球人の霊的成長度の人は…いわゆる一般の人たちはその認識があまりない。 
またそれ以前に、私たち人は肉体(月(ツキ))を持っっている心(靈)(ヒ)であるという認識も自覚もあまりない。
要は、ほとんどの人が霊って何か、どういうものなのか、それを知り得ないし、しっかり知ろうとする姿勢も足りない感がある…だから霊って言葉や霊的な事柄をもてあそぶインチキ霊能力者の商売のカモになったり、えせスピリチュアリストなどの言葉を信じたりもする。
話がそれてますが、これはいつも先生が腹を立てていることだし、私もこの“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)に相当するか、あるいは霊的成長度が低く、えせスピリチュアリストとかの話のパターンであるただ霊って言葉を使ったりオーラって言葉を使ったり…そういった“役員づら”に、だんだんなっていく人たちに対して不快に感じてますし…それはKellyさんもそうでしょうけど。
要は霊に対しても無知、自分たちが肉体を持った心(靈)(ヒ)であるということに対しても無知。 
また心(靈)(ヒ)が育っていく過程で私たちは肉体(月(ツキ))を持って生まれているなんて認識もないし、霊的成長なんて言葉もえせスピリチュアル本とか目立ちたいだけのサイトとかで使われてますが、本当のところどれくらい解っているのかも疑問ですね。
要は、ほとんどの人が霊的に低く、霊的なことに深い分析や認識を持っていない。
だから、何か良くないことが起きたりするとなんでも憑き物とか霊とかのせいにしたりっていう程度の低い自分に甘い(亜、魔、出ずる、泉。愛(炁)の間に魔が入った状態を指す)人も多いですね。

話を戻します。

それで“憑き物が落ちる、落ちた”って言い回しはその人の心の動きや行動を見てその人以外、要は他者がそう感じ(感じる磁性)うる変化であるということですけど、今Kellyさんがおっしゃった
霊的存在、憑き物が憑くっていうのは、人の心の動きによるってこと
それと、先生が今まで考え分析してきた憑き物が憑く仕組み、いい換えれば感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)の仕組み、その根拠みたいなこと、それは、肉体(月(ツキ))っていうのは物理的にコンデンサーの構造を持っていて、霊的存在は霊だから荷電粒子の回転であって、霊が空間に場(フィールド)を持っていて、当然電気容量を持っているから肉体に入り込まれるものでもある。 

だから憑き物が憑く、これは霊的干渉っていうことだけど、今言った入り込まれること、このことを理解するにとても分かりやすい例が、先回ちょっと話題になった犯罪を犯すケースでもありますよね」

Kelly 会話中「そのとおりでんな。 先ずその話をしてみたらエエかもしれん。

そやから犯罪っていうのんは悪霊の憑依があり、憑依された人が自らの善悪を判断する心の動きを見失うほど入り込まれるってケースがままある。 それは○○○大先生の著書にいくつか具体例を挙げて書かれていることやな。
ほんでからそのケースは、前回話題になったように霊媒体質でもあるし、さらに“一”=智性=1番目のオーラをあまり持った心(靈)(ヒ)ではないから、自分の良心由来の行動の選択も出来ていないっていえる。
そやから、犯罪を犯す過程で“善(神格化の方向性と智性の受信)”の存在である“上”からの通信も送られていたやろけど、それを見極めて自分の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)の指標に出来なかったといえるやんか。 
さらにそれはすごく程度の低い右往左往=やってみてから失敗を体験したって認識するってことでもある。
その程度の低さ…そやからそこには霊的成長度における憑依、憑き物が憑くってことの分析が必須ってことでもありまんな」

Nominyan 会話中「そうですね。 
いわゆる霊的成長度、これは憑かれる方の人間と憑く方の霊の振動が違いすぎると感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)しにくく、双方が影響しにくいってことでもある。 このことを分かりやすい言い方をしたら、憑依する存在と憑依される人の心(靈)(ヒ)の動きが近い、同じような心(靈)の動きになっていなければ感応ってことにはなり得ないのだし…それで今話していた犯罪を犯すケースは、当然、犯罪者が智性(神性)をあまり持っていないか、智性(神性)を行使した心(靈)(ヒ)の動きをしていない。 
当たり前のことですが、智性は神性だから人を害するって行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)の根拠となる心(靈)の動きではない。 
これははっきり言えることですね。
だから智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)を持った人、智性=神性由来の心(靈)の動きと行動をする人は“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)と感応しにくいってことでもある。
また、人が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)すればするほど犯罪なんてものは無くなり、その概念や言葉自体も消失するのでしょうし…そうなっていく…そういう世界になっていく…そういった世界を創っていく心(靈)(ヒ)の持ち主だけになっていく…そのステップを歩むのが、霊的成長度において区分けされること。 
それが霊的成長度に応じての“道”の違いってことになり、間もなく地球人が体験するアセンションって事象でもある」

Kelly 会話中「その通りやな」

Nominyan 会話中「ですけど、仮に、うんと高い振動を心(靈)(ヒ)に獲得(“日止、霊止”の止める)して、霊的成長してどんなに智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)を持った人間でも、必ず目下(めした)(動物の心(靈)の段階)の心は持っているし、その低い振動で構成された心(靈)(ヒ)の動きもある。 
今Kellyさんがおっしゃっていらした“良心由来”の心(靈)の動きと““善(神格化の方向性と智性の受信)”の存在である“上”からの通信
を、自分の行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)の指標にしなかった。
 要は、目下(めした)(動物の心(靈)の段階)由来の心(靈)(ヒ)の動き、欲望とか情動、犯罪を犯すケースは恨みとか妬みとか…色々ですが、
これらの低い心の動きを自制する要素とかになるし、それがまた智性という高い振動で構成された心(靈)(ヒ)でもあるでしょうから。 
また、自らの良心を自分が無視していたとか、これは“上”からの通信を無視していたのに等しいことですね。 
 それは、その犯罪を達成させようとする存在の通信を自分が受け入れていることになっている分かりやすいケースですし、自分がその存在の通信を受け入れその通りにするのは自分の“どういうつもり”でもあるけれど、それは高い心(靈)の動きではありませんね。 
ですから、その受け入れ、いわゆる“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)からの通信を受け入れるか、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)からの通信を受け入れるか、これは自分(の心(靈)(ヒ)の動き)が決めることでもある。
またこのこと自体、自分の心(靈)(ヒ)に高い部分と低いそれがあることを知るってことにもなるのでしょうし。
でも、結局、犯罪っていうのは、右往左往=やってみてから失敗を体験し、左往右往=失敗を体験し、それを教訓として“力”の顕現(砌(みぎり)の行)をするってことになるし、この場合、失敗して、自らの犯罪が白日の下にさらされたりして、そのこと事態を自分が自省(胸の磁性“十”)してから、それから良心由来の思想や行動をするとか、いわゆる“善(神格化の方向性と智性の受信)”を意識することでしょうけど、これが智性(神性)の獲得ってことにもなり得るし…またそれは霊的成長の過程でもあるのでしょうけど、その心の動きに応じての憑き物の変化、憑き物の高低、“上”“下”の変化もあると思えますね。

 それで、善悪の概念すら無い動物から進化してきた人間は、目上(めうえ)の脳を発達させて“一”=智性=1番目のオーラを大きくしようとしている。 
それが犯罪者の場合は、自分の犯した行為を恥じ、自省して悩み、もう二度と同じことはするまいって自分で決心するくらいの心境になる…ですけどこれは、死んでから地獄で閻魔の庁の浄玻璃の鏡(えんまのちょうのじょうはりのかがみ)を見て自省(胸の磁性“十”)するっていう今論じてることとは違うケースになり得ることも多いですけど…」

Kelly 会話中「そういうケースもありまんな。 
この世界で自省できなかった心(靈)は必ず自省(胸の磁性“十”)の“行”をさせられるっていうか、これは進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の必然でもあるってことやし、この具体例は今Kellyさんが解釈しているローム太霊講話集に書かれていることでもある」

Nominyan 会話中「そうでしたね。 
それで、死んでから自省(胸の磁性“十”)するケースは別にして、生きている間にしか、肉体(月(ツキ))っていうコンデンサーをまとった心(靈)(ヒ)にしか“憑き物が落ちる、落ちた”っていうケースは適用されないでしょうし…また死んで肉体が無いからこそ肉体(月(ツキ))に憑依するとか入り込むとかの影響はなくなっている。 それだからこそ自省(胸の磁性“十”)しやすいってこともいえますね。
それで、今話していた程度の低い左往右往=失敗を体験し、それを教訓として“力”の顕現(砌(みぎり)の行)をするってことになるのは、やはりKellyさんがおっしゃった“進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の必然”でもあり、自我の肥大から“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の発現の過程ってことでもある」

Kelly 会話中「その左往右往がまた霊的成長の重要な過程でもありまんな。 
ほんでから何かをやってみようっていう心の動きは、右往左往右往で、肝=“いきり立つ心(奴と心)”で砌(みぎり)の極性(事象への顕現)をしようとする心(靈)(ヒ)の動きでもあり、またそれは“どういうつもり”で行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)をするのかってことでもある。 また自分の持っている“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)の行使ってことでもある。
 そやけど、“力”をあまり持っていない、これから“力”を獲得する、その過程っていうのも重要やな。 
それはその心が育っていく過程やし、また育っていく過程においての憑依現象っていうのもある。 
そやから自らが何かを志して何かをなそうとする。 これは“思惑の顕現”=現象化でんな。 
ほんでからその過程っていうのか、いわゆる心(靈)の動きの様子、そして行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)、それぞれについて、その時々の霊的干渉、憑依っていうのんは、今話していた犯罪とか、他にも具体例はたくさん考えられることでんな」 

Nominyan 会話中「そうですね。 
 犯罪だけではなく様々な具体例を挙げ、そこにおける心(靈)の動きと憑依、感応、これらを分析し、そして人の一生における進化のプログラムである右往左往と左往右往を知る。 
 このことは重要ですね。 
そしてそれ自体が霊的成長に伴う心(靈)(ヒ)の変化、そして心(靈)の変化に伴う肉体(月(ツキ))の変化を知ることでもある。
いい換えれば、どの部分のチャクラ(荷電粒子の回転を示す)の強化になっていくのかでもあるし、その行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)が2~3番目のオーラの獲得の“行”か、“一”=智性=1番目のオーラの獲得の“行”か、それを知っていくことにもなり得る…。

…話が佳境に入ってきましたが…もうすぐSenyapooが公園の周りを自転車で走ってきて帰ってきそうだから、次回、Kellyさんとこのことを話題にしたいですね」

Kelly 会話中「…そうでんな(深い話になっていきそうやな)。
ほんでから噂をしたらっていう感じで、Senyapooはんの元気な歌声が聞こえて来ましてんな」

♪♪♪イ~モを~~食べるSenyapoo~~♪♪♪
(注  Senyapoo 会話中 笑顔 この歌の元ネタはこれだイモ)



Kelly 仰天中「…ひねりのないそのまんまの歌やけど、一回聞いたら一生忘れそうもない替え歌でんな」

Senyapoo 会話中 笑顔 「Kellyさんに褒められたからもう一曲歌うのだイモ!!」

♪♪♪イ~モイモイモイモ娘♪♪♪
♪♪♪イモイモ~ ♪♪♪イモイモ~ イモ~娘~♪♪♪




Kelly ビックリギョ~~テン! 「…これまたそのまんまの替え歌やけど…これも一回聞いたら忘れられへん感じや…ほんでから今の二曲もSenyapooはんとKellyさんは一緒に歌わんとアカンのでっか?」

Senyapoo 会話中「当然なのだプ~。 
でもその前にさっき言ったみたいにSenyapooの質問に答えて欲しいのだイモ」

Kelly 会話中「承知しましてんな。 何でも質問してチョ~でんねん」

Senyapoo 会話中「実はこの間、友達と自転車に乗ってうちの近所の公園へ行き、そこで遊んでいた時、公園の近くに止めておいたSenyapooの自転車に付けていた取り外し可能のLEDサイクルライトを盗まれたのだイモ。 
そのことを先生に報告したら、先生は代わりのLEDサイクルライトを新しく買って用意してくれたのだけれど、そのとき先生は、
盗む奴は盗む奴の勝手な事情や心の動きで盗むのだ。 だから自転車を止めてそこからはなれて遊ぶときはLEDサイクルライトをはずしてSenyapooが持っていなければいけないよ
って言っていたのだイモ。 
それで先生が言ってた“盗む奴は盗む奴の勝手な事情や心の動きで盗むのだ”この言い方自体がSenyapooにはなんとなく分かるような分からないようなことなのだイモ。
なぜ悪いことをする人は悪いことをするのか、誰だって正しいとか悪いとかって知ってるはずなのになぜ盗むのだイモ。
それにテレビでニュースとか見ていると、悪いことをする人間はたくさんいるってSenyapooは思うのだイモ。
 Kellyさんに訊ねたいのは、それはなぜなのか、正しいとか悪いとか知っているはずなのになぜ悪いことをするのかってことだイモ…Senyapooには分からないのだプ~」

Kelly 会話中「そうでっか。 そやけど先生の言うた“盗む奴の勝手な事情”っていうのはSenyapooはんには分かるんやないかな」

Senyapoo 会話中「それはただ何かが欲しいから、自分の都合だけ考えて相手の迷惑なんか考えずに盗むってことなんだと思うのだイモ。
 それでSenyapooが分からないのは、盗んだ人が盗むときに盗むことが正しいのか間違っているのか、それを考えないのかってことなんだイモ」

Kelly 会話中「そうやな、問題はそこにありまんな。 
要は、善悪とか正しいとか悪いこととかの区別を知っていても、それを実際の行動に活かさない人間が多いってことなんやけど、そこにSenyapooはんの疑問があるってことなんやな。 
 この答えはちょっと難しいことを説明せんならんな…。
そやから人間っていうのは誰もが一緒ではない、考えること、思うこと、やること、それぞれ違うやんか。 
ほんでから人によっては、これは悪いことだって知っていても悪いことをする。 
それは、自分が悪いことをしてもそれはそれでよいのだとか勝手なことを思ったりする。 それが先生が言うた“盗む奴の勝手な事情”ってことなんやけど、そこには今Senyapooはんが言うたように“盗むときに盗むことが正しいのか間違っているのか、それを考えないのか”ってことがあり、結局それは自分の勝手な都合が勝って正しいとか悪いとかの考えを自分で抑え込んでしまうから、盗んだりするってことになりまんねんな。
ほんでからSenyapooはんがこのことを疑問に思うのは、Senyapooはんが誰もが正しいことをするって思うからってことなんやけど、実際はそうではなく、悪いことが分かっていてもそれをやってしまう人間は多い。 
それは、その人の心が善悪を言葉でしか知らんってことやし、またこのことはSenyapooはんが先生の本を読めるようになると分かるやろけど、人(日止、霊止)としてある程度、神さんに近いか、まだ動物的なのかっていう違いがありまんねん。
そやからそれは、動物っていうのんは善悪が分からん。 そやけど人間は善悪を知っている。 
その善悪を知ったこと自体が、人が神さんへの道を歩んでるステップってことなんやけど、そこに程度の差があるってことでんねん。 
またそれは動物と人間の違いともいえるし、ほんでから同じ人間でも、さっきいうたみたいに悪いことと知っていながら悪いことをする人もいてるもんでんねん。 
それが神さんへの道のステップ、どれくらいの段階の違いってことなんやけど…そうやな…Senyapooはんに分かりやすい説明をするならば、その程度の差っていうのんは、幼稚園と小学生くらいの差があるってことでんねん。 そやから自分が“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)ってことを知ってても悪いことをする人間はいてるっていうことなんやけど…Kellyさんは説明が下手でんな…すんまへんな」

Senyapoo 会話中「…分かったような分からないような…人間のやること思うことにいろんな違いがあるってことは理解したのだプ~。 こういったことは、Senyapooがもう少し野生児から女の子になり大人になったら分かるのかもしれないのだイモ。
 また疑問がわいたらKellyさんにいろいろ聞くからこれからもよろしくなのだイモなんだプ~」

Kelly 会話中「そうやな。 そやけどLEDサイクルライト盗まれて腹立ったやろ」

Senyapoo 会話中「Senyapooはとても良い子だからそんなことで自分を見失うほど怒ったりはしないのだイモ。 
それに大体、SenyapooがLEDサイクルライトをはずさなかったのもいけないのだし、 だから盗まれたってことも分かるのだイモ。 
これからは先生に言われた通り自転車を止めた時LEDサイクルライトは外してポケットにでも入れておくのだイモ。 
それでSenyapooは、こういう自省(胸の磁性“十”)の心をちゃんと持っているのだプ~。
 それとSenyapooは、ものすごく腹が立ったときとか、悲しいときとか、悩んでいる時とか、そういう時には先生に教えてもらった歌を歌うのだイモ。 
今からその歌をKellyさんに教えるから、おかんとSenyapoo、Kellyさんの三人で歌うのだイモ」
(Senyapoo、Kellyさんにゴニョゴニョゴニョと内緒話をして歌を説明する)

Kelly 会話中「…なかなか結構な替え歌でんな。

(平静を装っているKellyさんではあるが、本当はこの歌を歌わなければいけないKellyさんの心境はこんな感じ Kellyあっちょんぶりけ 文章用 ) 

…それでは三人で歌いまっか」

Senyapoo 会話中 笑顔  Kelly ニコニコ顔 Nominyan 会話中 ウィンク
   

♪♪♪苦しくったって~~悲しくったって~~♪♪♪
♪♪♪イモさ~え食べれば 平気~だもん♪♪♪
♪♪♪エロジジイが~♪♪♪台所でイモ料理を始めると~♪♪♪
♪♪♪むねがはずんで~おなかがすいちゃう~わ~♪♪♪
♪♪♪じゃがいも♪♪♪サトイモ♪♪♪サツマイモ♪♪♪
♪♪♪イモイモイモイモイモ娘~~♪♪♪

(セリフ)

だけど…おならがでちゃう…イモ娘だもん


(この替え歌の元ネタ)



Kelly 仰天中 (いつものことやけど…疲れてしもたわ…)

Senyapoo 会話中 笑顔 「Kellyさん歌ってくれてありがとう」
Nominyan 会話中「それと、Senyapooの質問に丁寧な説明をしてくださってありがとうございました。 
それで…Senyapoo、Kellyさんは今の歌でとても疲れた様子だから、さっきSenyapooが歌っていた二曲を歌うのはまたの機会にしたらどうかな?」
Senyapoo 会話中「分かったのだイモ。 SenyapooはKellyさんのことを気遣いおかんのいうことも素直に聞くとても良い子なのだイモ。
だからKellyさん、また今度会った時に歌を歌ってねなのだプ~」

Kelly ドン引き中 「…承知しましてんな。 そやったなら今日はこれくらいにしときましょか」

Nominyan 会話中「そうですね。 それでは失礼しますね」 Senyapoo 会話中 「またね~だイモ」

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コメント

感想ですが

今回の記事を読み、人は皆常に様々な霊的存在と感応共振しているということを改めて実感しました。

人の心の中には善の部分である高い振動と、動物的な欲望中心の低い振動がある。
そして、こうした高低がある中で、自分はどの声を聞くのか、常に人はその選択を自分自身で行っており、その選択に応じ憑くものも違ってくるのですね。

善の高い振動である本霊の声を選択し受け入れ、実際に行動することは決して楽な事ではなく困難を伴う場合が多い。

反対に、人間の欲望を掻き立てるような楽で甘い囁きは動物的な低い振動である事が多い。
故にローム太霊はこれを「信仰ある者は常に悪魔と戦っている」と言われたのでしょう。

でも信仰の有無に関わらず、それを意識しているか否かの違いがあるだけで、人間は皆常に悪魔と戦っており、又負けてしまっている人がとても多いのが現状なのだろうと思いましたし、自分自身もどうあるべきであるのか、もっと常に顧みる必要があるように感じました。

Re: 感想ですが

蓮様へ

> 今回の記事を読み、人は皆常に様々な霊的存在と感応共振しているということを改めて実感しました。
> 人の心の中には善の部分である高い振動と、動物的な欲望中心の低い振動がある。
> そして、こうした高低がある中で、自分はどの声を聞くのか、常に人はその選択を自分自身で行っており、その選択に応じ憑くものも違ってくるのですね。


その通りですね。

お感じになられた通り、高い振動=“善(神格化の方向性と智性の受信)”
そして、低い振動=“悪(心の動きの本能化と低振動化)”
進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“理(ミチ)”(ことわり、法則性)を理解するには、この認識が必須であると思います。
そして“善(神格化の方向性と智性の受信)”の感応、“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の感応ということがあるからこそ、その“上”と“下”を見出さなければならず、それがまた般若心経の“観自在”=自分の在り方を観る、神道の“直日”、また自省(胸の磁性“十”)の“行”であり、そして“日月神示”表記の“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”もその意味のことを示しています。

著書と今回の記事で述べたとおり、人は動物と共通の心の部分と、神にほんの少しだけ近い心(靈)(ヒ)を持っております。 
いうまでもなく霊的成長するためには、自らの心(靈)(ヒ)の動きに“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)を見出し、善を理念とした行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)をする。 それが“創造”の“主(ヌシ)”の思惑の顕現につながっていくものです。
(人(日止、霊止)の使命、存在理由)

また蓮様が以下のようにおっしゃられた通り
> 善の高い振動である本霊の声を選択し受け入れ、実際に行動することは決して楽な事ではなく困難を伴う場合が多い。
> 反対に、人間の欲望を掻き立てるような楽で甘い囁きは動物的な低い振動である事が多い。
> 故にローム太霊はこれを「信仰ある者は常に悪魔と戦っている」と言われたのでしょう。

太霊は“本霊”という概念と“信仰ある者は常に悪魔と戦っている”ということを述べたのであると思います。

(ちなみに“本霊”の本は、自省(胸の磁性“十”)の意味を持ち、そして丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)とそれを強調する下の横棒━で構成されていることを、“日月神示”解釈で幾度となく述べました)

また
> でも信仰の有無に関わらず、それを意識しているか否かの違いがあるだけで、人間は皆常に悪魔と戦っており、又負けてしまっている人がとても多いのが現状なのだろうと思いましたし、自分自身もどうあるべきであるのか、もっと常に顧みる必要があるように感じました。
と、お思いになられた通り、この世界は恨みの連鎖の霊的干渉の増大により、悪霊、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)が無数に存在しており、それに取り憑かれている“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)が、人に甘い(亜、魔、出ずる、泉。愛(炁)の間に魔が入った状態を指す)夢を見させて活躍する事象でもあります。 
そして“役員づら”に甘い(亜、魔、出ずる、泉。愛(炁)の間に魔が入った状態を指す)夢をみさせられる、あるいはそちらの方を信じる、その類の人間が、
人間は皆常に悪魔と戦っており、又負けてしまっている人がとても多いのが現状なのだろうと思いましたの、負けてしまっている人なのである…話が今回の記事からそれますが、未刊行の<7>で述べたとおり、悪魔は今の人間でありアタシたちそのものであり、恨みの連鎖の霊的干渉を増大させ、この世界を崩壊に進ませている…ですが、このことを本当に“悪(心の動きの本能化と低振動化)”と区別できる心(靈)は、今後=アセンション後の“創造”を担う資格の一端を持っていると思います。

ちなみに裏話になりますが、今回の記事はかなりいろんなことを思いながら作りました。 
本来はモノホンNominyanの知り合いが大病を患って生還してから人が変わったようになった、その時の憑き物の変化、その時点でのその人の心の動きの変化、いうまでもなくこれは右往左往と左往右往の要素がありますが、このことを説明しようと思い、立ちあげた記事でもあります。
ですが、右往左往と左往右往を説明しようとすると、やはり人の一生における心(靈)の動きということになり、その時々の感応、霊的干渉を述べることが必須であると思い、今回の記事のように“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)が主題になったということでもあります。

今述べたことも含め、また、先に述べておりました通り、今、悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ、操り人形)は言葉巧みに人をだまし利用している。
このことも著書で述べましたが、ほとんどの読者が理解できなかったようです。
よって“続”では、何が本当のことなのか、人間の霊的成長のために必要なことはなんなのか、このことを述べている…というか、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)がそれを書けと、アタシに通信を送っているようです。 
そしてそれは“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の存在、悪霊、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)、それが入り込んでいる心の持ち主、低い価値観、薄っぺらい幸福感、(通貨としての)金の奴隷、そうなり果てている人がこの世界を“創造”している、このことを見出す人が増える、それを“上”は意図しているのだと思われます。

よって蓮様が、
> 信仰の有無に関わらず、それを意識しているか否かの違いがあるだけで、人間は皆常に悪魔と戦っており、又負けてしまっている人がとても多いのが現状なのだろうと思いましたし、自分自身もどうあるべきであるのか、もっと常に顧みる必要があるように感じました
とお感じになられた通り、自分自身の心を見張る、外側(外国と幽界)の事象に悪を見出すのではなく、自身の内面とか内側(心の中と感じている事)に悪を見出す、これが大事であることを、老婆心ながら述べさせていただきます。

コメントありがとうございました。 
○○○大先生=児玉登

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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
FC2ブログへようこそ!


Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
(クリックで拡大)

2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
(クリックで拡大)


発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
(クリックで拡大) 

お近くの書店にない場合は
たま出版のサイトでお買い求めください。

発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
(クリックで拡大)

お近くの書店に無いときは
たま出版のサイトでお買い求めください。

この本に付いてはこちらを御覧下さい。


       




初めての方は、
・・・その後の事と・・・これからの事。
からお読みください。

それぞれのカテゴリーをクリックすると
古い順に、記事が閲覧できます。

        

☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (107)
Kellyさんがこのブログに霊縁あった人(日止、霊止)に伝えたい事 (24)
Kellyさんと○○○大先生との会話 (7)
Kellyさんとチョ~極上ラブラブ中高年夫婦はんとの会話 (6)
Kellyさんとチョ~ベッピンはんのA野はんとの会話 (7)
Kellyさんと∪・ω・∪ ▼・。・▼ ▼・。・▽ U・。・U U。・ェ・。U たちとの会話 (34)
Kellyさんとメタボ研修医のYっちゃん先生との会話 (2)
Kellyさんとややメタボ内科医のYっちゃん先生との会話 (7)
Kellyさんと和風のベッピンはんのSはんとの会話 (2)
Kellyさんと農業好きの社長婦人K地M美はんとの会話 (12)
KellyさんとNominyan ∥*σ_σ*∥&Senyapoo λ*゜ο゜*λ との会話 (6)
☆ Kellyさん的“日月神示”解釈 (603)
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 (46)
“日月神示” 上つ巻 (42)
“日月神示” 下つ巻 (38)
“日月神示” 富士の巻 (26)
“日月神示” 天つ巻 (30)
“日月神示” 地つ巻 (36)
“日月神示” 日月の巻 (68)
“日月神示” 日の出の巻 (23)
“日月神示” 磐戸の巻 (21)
“日月神示” キの巻 (17)
“日月神示” 水の巻 (36)
“日月神示” 松の巻 (30)
“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
“日月神示” 岩の巻 (11)
“日月神示” 荒の巻 (27)
“日月神示” 地震の巻 (93)
☆ Kellyさん的“ローム太霊講話集”解釈 (174)
☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
☆ 先生が撮るけったいな花の写真 (22)
☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



fxwill.com


2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




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