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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 磐戸の巻 第九帖 Kellyさん的解釈


今回も、磐戸の巻 第九帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

富士と鳴門の仕組わかりかけたら、いかな外国人でも改心するぞ、それ迄に神の国の臣民 改心して居らぬと気の毒出来るぞ。
天狗や狐は誰にでもかかりてモノいふなれど、神は中々にチョコラサとはかからんぞ、よき代になりたら神はモノ云はんぞ。 人が神となるのざぞ、この神は巫女(みこ)や弥宜(ねぎ)にはかからんぞ、神が誰にでもかかりて、すぐ何でも出来ると思ふてゐると思ひが違ふから気つけておくぞ。 かみがかりに凝るとロクなことないからホドホドにして呉れよ。この道は中行く道と申してあろがな。
戦すみたでもなく、すまぬでもなく、上げもおろしもならず、人民の智や学や算盤では、どうともできんことになるのが目の前に見へてゐるのざから、早う神の申す通り素直に云ふこときけと申してゐるのざぞ。
長引く程、国はヂリヂリになくなるぞ。 米あると申して油断するでないぞ、タマあると申して油断するでないぞ。 命(いのち)あると申して油断するでないぞ。 この神示よく読めば楽になって人々から光り出るざぞ、辰の年はよき年となりてゐるのざぞ、早う洗濯してくれよ。
一月十一日、ローレンツ力と ○ のひつ九ローレンツ力と ○

 冒頭の表記の“富士”は“富士(二二)”=肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道であり、“鳴門”は振動(鳴る)の門(振動の“変圧”(アミの本で使われた概念。高い振動の霊的存在はいきなり低い心(靈)とは、感応共振しない)の段階)と今まで解釈してきた。
よってこの表記が使われているこの文、これは“外国人=外側(外国と幽界)の事象しか観察していない低い霊的成長度の心が、霊的成長の仕組みである日足と砌(ひたりとみぎり)の極性の強化と、自分が霊的成長すればだんだん“上”の高い振動と感応して自らの心の発現と動きが変容してくる(自我の確立=固定化から“慈悲”と“慈愛”)、そのことを述べているのが“富士と鳴門の仕組わかりかけたら、いかな外国人でも改心する”ということであり、さらに今後=アセンション後に移行するにあたって“上”から注がれ、“下”(低い心(靈))である人が受け止める(“日止、霊止”の止)振動は、高振動になるからこそ、今までの地球の自我という心の動きの強化(進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階))とは違った振動により心(靈)は影響を受けるものであり、その影響を受けるにあたって胸の磁性“十”がしっかり出来上がっていなければならず、だからこそ“それ迄に神の国の臣民 改心して居らぬと気の毒出来るぞ”という言い回しがされているものであり、この文の“神の国”は智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)を持った心(靈)(ヒ)という意味合いのことである(自省(胸の磁性“十”)をした心(靈)=(囗)くにがまえと“玉(ぎょく)”)。 
尚、“富士と鳴門の仕組”については、
日の出の巻 第十八帖も参照のこと。

 それでこれに続く“天狗や狐は誰にでもかかりてモノいふなれど、神は中々にチョコラサとはかからんぞ、よき代になりたら神はモノ云はんぞ。人が神となるのざぞ、この神は巫女(みこ)や弥宜(ねぎ)にはかからんぞ、神が誰にでもかかりて、すぐ何でも出来ると思ふてゐると思ひが違ふから気つけておくぞ”は、自我の確立=固定化の進化過程における霊媒体質の憑依=“天狗や狐は誰にでもかかりて……”と、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を自らの思想にする(“天詞様”)肉体(月(ツキ))と心(靈)(ヒ)=依り代(よりしろ)とは違うということを“モノいふなれど、神は中々にチョコラサとはかからん”という表記で示し、それは低い憑依現象にありがちな憑き物自体がその人の体と心を乗っ取って何かを伝えるという形ではなく、天意を自らの思想とするからこそ“よき代(感応でき得る肉体(月(ツキ))と心(靈)(ヒ)、依り代(よりしろ))になりたら神はモノ云はんぞ。人が神となる(天意を顕現する)のざぞ”と述べられているに過ぎない。 
要は(このことも幾度となく述べてきたが)霊媒のエクトプラズムを使って霊が実体化して話すとか、自動書記で何かを伝えるとか、チャネラーとか、こういったことは不安定な現象であり、霊媒体質は腹の段階までの進化が中心(“江戸と尾張”)であり、今後=アセンション後はそれより“上”に進化するから、霊媒体質を利用した“上”の思惑の伝え方は消失するし、消失せねばならないものである。
またそれは、形骸になった宗教関係者などではあり得ないという表記が“巫女(みこ)や弥宜(ねぎ)にはかからん”(弥宜(ねぎ)は神職のこと)でもあり、この言い回しそのものが、自我の肥大(“石屋の仕組み”)により宗教を霊的成長のためのものとせず、程度の低い商売にしてしまった“役員づら”を揶揄した言い方でもある。
そんな低い事象はともかく、天意を自らの思想とする、今後注がれてくる“上”からの高い振動と感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)するには、人生において右往左往=やってみてから失敗を体験し、左往右往=失敗を体験後、それを教訓として“力”の顕現(砌(みぎり)の行)をするという行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)をして、その過程で自省(胸の磁性“十”)している人(“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”できた人)、あるいは進化の法則性(“理(ミチ)”)に則った“行”(“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うこと、艮(うしとら)の金神が黒住教で示した朝日の日拝(にっぱい)(太陽凝視の入門、初心者向け)から始めること)しているならば“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意と感応していくのであるからこそ“人が神となるのざぞ、この神は巫女(みこ)や弥宜(ねぎ)にはかからんぞ(感応しない)、神が誰にでもかかりて、すぐ何でも出来ると思ふてゐると思ひが違ふから(感応する肉体(月(ツキ))と心(靈)(ヒ)でなければいけないから)気つけておくぞ”と述べれれているものである。
 また今述べたことを強調する言い回しが“かみがかりに凝るとロクなことないからホドホドにして呉れよ。この道は中行く道と申してあろがな。”であり、霊媒体質による低い憑依現象で“上”の思惑を伝えるという段階は進化(霊的成長、神格化に向かうこと)としては低いから“かみがかりに凝るとロクなことないからホドホドにして呉れ”と、霊媒体質の憑依現象によるメッセージの伝えは、その人の思想になっているわけではなく単なる受信機みたいなものであるから進化としてはバランスが悪いことを“中行く道”と示されている。

 次の“戦すみたでもなく、すまぬでもなく、上げもおろしもならず、人民の智や学や算盤では、どうともできんことになるのが目の前に見へてゐるのざから、”の“戦”は外側(外国と幽界)の事象における戦争のことではなく、自らの心の中の葛藤であり、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が(アセンション後に位置して行く今より霊的進化を果たした)奉仕者に(進化(霊的成長、神格化に向かうこと)して)変わっていくには、何が大切、何が価値があるのか、自分はどう生きるべきか、どう在るべきか、本当のことは一体何なのか(真実=真固止、“誠”(言葉成る、意味は、自分が発振、発信した振動(言葉)が完成する)、○ 九 十)、これらのことを深く思うようになるし、またそれには今までの価値観や幸福感や自尊心や功名心を自分で低いと認識するようになるのだが、そこまでに至る心(靈)の葛藤を“戦すみたでもなく、すまぬでもなく、上げもおろしもならず、人民の智や学や算盤では、どうともできんことになる”と述べられており、ことにこの文の“人民の智や学や算盤”は先回の第八帖の“学”の表記と同義である。 
そしてこれに続く“早う神の申す通り素直に云ふこときけと申してゐるのざぞ”は、早く“上”と感応すること=“神の申す通り素直に云ふこときけ”であり、そうでなければ、それに抗うならば“長引く程、国はヂリヂリになくなる”と揶揄され、いうまでもなくこの文の“国”は自分の心であり、“国”の表記は(囗)くにがまえと“玉(ぎょく)”…“玉(ぎょく)”は自省(胸の磁性“十”)の心(靈)の動きを示すからである。 
そして“米あると申して油断するでないぞ、タマあると申して油断するでないぞ。 命(いのち)あると申して油断するでないぞ”は、食料があろうとも命があっても“タマ”(“タ”は、生命が現れ立つ、建く(たけく)高く成長の音義、進化=霊的成長、神格化に向かうこと、“マ”の行は、有形生命、または正しき生命の音意の音根、よって進化していくべき生命(生きる使命=存在理由)の意)であろうとも、自分たちが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を志す、そのために改心(“身魂掃除”“身魂洗濯”)をして胸の磁性“十”を強化する、それをしていかねば次の段階に移行できないからこそ“油断するでないぞ”といわれており、やや重複するがこれに続く“この神示よく読めば楽になって人々から光り出るざぞ、辰の年はよき年となりてゐるのざぞ、早う洗濯してくれよ”は、自省(胸の磁性“十”)(“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”)=“早う洗濯してくれよ”、そして“上”と感応して自らの思想を構築せよ=“この神示よく読めば楽になって人々から光り出る”、この“光出る”は息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)であり“一二三”のオーラのことであり、今の土=2~3番目のオーラの進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)の人が活躍する事象ではない次の段階の事象の“創造”につながっていくからこそ“辰の年はよき年となりてゐるのざぞ”となり、この“辰の年”には“漢書の律暦志によると「振」(しん:「ふるう」「ととのう」の意味)で、草木の形が整った状態を表しているとされる”(Wikipediaから引用)の意があり、要は、自らの心が観察しうる現津(あきつ)、観察され得る事象のすべてが“上”の思惑が顕現した形になり、「ととのう」のであるということ。

 今回はこれくらいにしときまんねん。




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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
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2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
(クリックで拡大)


発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
(クリックで拡大) 

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発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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お近くの書店に無いときは
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この本に付いてはこちらを御覧下さい。


       




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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




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