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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”上つ巻 第十八帖 Kellyさん的解釈


今回も、上つ巻 第十八帖の解釈をしまんねん。
原文は以下の通り、


岩戸開く役と岩戸しめる役とあるぞ。
一旦世界は言ふに言はれんことが出来るぞ、
シッカリ身魂みがいて置いて呉れよ、
身魂みがき第一ぞ。
この道開けて来ると、
世の中のえらい人が出て来るから、
どんなえらい人でも分らん神の道ざから、
よくこの神示読んで置いて何んな事でも教へてやれよ、
何でも分らんこと無いやうに、
この神示で知らして置くから、
この神示よく読めと申すのぞ。
この道はスメラが道ざ、
すめるみ民の道ぞ。
みそぎせよ、はらひせよ、
臣民 早くせねば間に合はんぞ。
岩戸開くまでに、まだ一苦労あるぞ、
この世はまだまだ悪くなるから、
神も仏もこの世には居らぬのざといふところまで、
とことんまで落ちて行くぞ。
九月に気をつけよ、九月が大切の時ぞ。
臣民の心の鏡凹(くぼ)んでゐるから、
よきことわるく映り、
わるきことよく映るぞ。
今の上に立つ人、一つも真の善い事致しては居らん、
これで世が治まると思ふてか、
あまりと申せばあまりぞ。
神は今まで見て見んふりしてゐたが、
これからは厳しくどしどしと神の道に照らして神の世に致すぞ、
その積りでゐて呉れよ。
神の申すこと、ちっともちがはんぞ。
今の世に落ちてゐる臣民、
高い所へ土持ちばかり、
それで苦しんでゐるのざ。
早う身魂洗濯せよ、
何事もハッキリと映るぞ。
六月二十六日、ひつくのかみ。



冒頭の、

“岩戸開く役と岩戸しめる役とあるぞ。”

“岩戸”・・・この解釈。
これは、先生の我田引水な意見・・・先生の認識(悟り、幸取=さとり)。
“岩戸”という言葉そのものに、
霊的進化と、
霊的進化を早める意味での太陽凝視と、
(不食=太陽凝視という認識ではなく・・・との意味。)
もう一つ、アセンションの意味とその解釈・・・

先生とKellyさん的解釈は、
自分達の霊的進化により、
自分達が位置する場(フィールド)を創造し、
自分達の心(靈)の発現が、言い換えれば、霊的進化程度が、
自分達の創造する場(フィールド)の高低を、
(自分達で)決めて行く。

そう言う解釈が無いと、
さっぱり意味不明になるんや無いんかいな。

そやからそれは、前のブログ、
“エピローグ 神の思惑の顕現・・・神聖な事象”
・・・に、
先生の“岩戸”・・・“天の岩屋戸”の解釈は説明してある。
それを読んで貰わんと、
それは“岩戸”の解釈が出来てへんと、
理解不能って事になるし・・・

ちょっとだけ説明しとくなら、
人(日止、霊止)の霊的進化=心(靈)が成長して、
神に近付く為の、肉体の構造って言うのんは、
岩は、
山=脳と、
石=帯電するミネラルを指す。

そやから帯電するミネラルは、
肉体内の水、
“日月神示”の表現なら、“江戸と尾張”の“江”
これまで何回も“水”の事は言うたから、
この解釈を知りたい人は、前の記事を読んで欲しいねん。

そやから、
“岩戸開く役”
“岩戸しめる役”

この二つの、現津(あきつ)=観察され得る事象・・・
そう言う人達・・・
今ここに居てる人すべてが、
そのどちらかでしかないって事なんやけど・・・

そやから、
アセンションに向かい、
やる事や考える事が違う人が出て来て、
その結果の事象が、
今起きだしてる醜い事象やからこそ、
“岩戸しめる役”=心(靈)が“上”に向かわん人、
自我と情動と本能の心(靈)の発現でこの世界の創造をしてる人、
いわゆる自分に対する愛しか持ってない低い愛(炁)の顕現の人、
こんな事も何回も言うた。
そやから敢えて説明せんけど・・・

そう言う人達の創造の結果、それがもう出始めてて、
それがもっと今後はっきりして行く。
そやから、次の言葉、

“一旦世界は言ふに言はれんことが出来るぞ、”


霊的成長度の低い=心(靈)の発現の段階の低い人、
自我までしか発現して無い人。
心(靈)の発現が低いからこそ、
経済優先とか、物欲とか、自分だけ良ければいいとか、
そやから、
欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとか・・・
そう言う事を上手くやる。

又、それを・・・
自分でその心(靈)の動きが低いって自覚を持ったとしても、
その事に付いて、
自省(胸の磁性“十”)をせんとか、
目先の欲望に負けてしもてるとか・・・
今さえ良ければいいとか・・・
そう言う考え方をする人、
それは、心(靈)が“下”に向かってる人やな。

そやから、今まで何回も言うた、
心(靈)の発現の低い人が創った結果、
それが戦争や無差別殺人や・・・飢餓貧困や・・・
恨みの念の現象化の災害とかになる。
それらには霊的干渉って事があり、
その霊的干渉を知る・・・絶対に知っとかな、
次の創造は出来へん。

そやから、自分達は、
肉体=物質を纏った心(靈)であり、
生きていようが死んでいようが、
自分達は永遠の存在であり、
そやからそれは、心(靈)は不滅で有り、
その心(靈)の動きに自分の霊的進化程度を知る。
自分で自分の心(靈)の動きの高低を認識する。
それらを理解せんと、
今より相対的に良い世界の創造は出来ん。

そやからこそ、
“一旦世界は言ふに言はれんことが出来るぞ、”

醜い事象・・・それを観んならんやん。
人の心(靈)の低さ・・・その心(靈)の動きが引き起こす、
醜さと、
結果を、
知らんならんやん。


そやからこそ、今、
(一般的な視点で)どんどん訳の解らん事が起きていく。
訳が解らん様ではアカンって事でもあるけれど、
その醜い事象の裏に、
“下”の霊的干渉があるって事を見抜ける人(日止、霊止)は、
ごく小数でしか無いな。

そやからこそ、次の言葉、

“シッカリ身魂みがいて置いて呉れよ、
身魂みがき第一ぞ。”

身魂磨き=心(靈)と体の結晶化、
そうせんと“上”の存在は、
その人に憑依出来んし、通信も送れない。
そやからこそ自分の肉体の磁性を強化して、
それは、
生体内電流の強化=“行と修行”を求め、
肉体のどの部分が結晶化して行く事が霊的成長に結びついて行くのか・・・
それに付いては前のブログで先生が言うたから、
敢えて説明しませんねん。
その具体的方法としては、
自分に“上”の心(靈)の発現を求める・・・
そのつもりで=その心(靈)の動きで=その発振、発信で、
太陽凝視をする。
その事を知っておいて欲しいもんやな。


そやから、次の言葉

“身魂みがき第一ぞ。”

“上”の思惑を理解する為の、
自分の認識(悟り、幸取=さとり)にする為の、
“身魂磨き”=結晶化であり、
“上”=天意を受けた自分達は、
自分の持っている基準や行動の指標が、
“上”の思惑に沿ったものになる。

そうならんとそれは、アセンションでは無い。

そうなってくれ・・・それは、
今までの“日月神示”の文章には出てない言葉やけど、
特別神憑り=太陽凝視。
これも先生は・・・その解釈以外に無いって思うてる。
そして肉体の・・・特に骨の結晶化をして行く。
同時に神経も発達する=“波羅密”でもある。

そやから、
“身魂磨き”が、
お掃除や片づけや部屋の鏡を磨く事と、
“上”の思惑を受信する肉体と心(靈)の変容と・・・
どっちがほんまの“身魂磨き”なのか・・・
よう考えて欲しいねん。

ほんでから次の言葉、

“この道開けて来ると、
世の中のえらい人が出て来るから、
どんなえらい人でも分らん神の道ざから、
よくこの神示読んで置いて何んな事でも教へてやれよ、”

これは霊的成長度の高い人が出てくる事を言うてる。
それが、
“この道開けて来ると、
世の中のえらい人が出て来る”

・・・でも有り、
それは今までの形骸の価値感でのし上がった人を指す次の言葉、
“どんなえらい人でも分らん神の道”
・・・でも、あるやん。

ほんでから、上つ巻は、
“日月神示”としてはまだ最初の部分やからこそ、
次の言葉、

“何でも分らんこと無いやうに、
この神示で知らして置くから、
この神示よく読めと申すのぞ。”

・・・でもあると思うやんか。

ほんでから、次の言葉、

“この道はスメラが道ざ、
すめるみ民の道ぞ。”

“スメラ”

この言葉は、
“道ひらき”の“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”から引用すれば、
統一の意味がある。
何に統一するのかって言うのんは、
創造の法則性、
高い愛(炁)の顕現ゆえの創造、
そやから今後、現状に比べ、
自己奉仕者はいなくなる。

ほんでから低い心(靈)の動き由来の言葉、

(数分の)太陽凝視してまっせ~とか、
自分は不食を目指しまっせ~とか、
程度の低い霊的干渉でも、
五次元のハイヤーセルフでっせ~とか、
お掃除して片付けて鏡磨いて水かぶって、
身魂磨きしてまっせ~とか、
そんな程度の低い解釈をする人も、
そやからアセンション後は、
そんな程度の事をアッピールする人もいなくなる。

今言うた事は・・・悪口みたいに聞こえるやろけど、
自分達の心(靈)の動きがどんな程度なのか?
それを自分で判断出来へんのは、
只、霊的に幼い・・・

そやから敢えて指摘させて貰いましてん。

話を戻して・・・

“スメラ”=皇(すめら)は、
天皇の皇、
天皇は天の白い“王”、
これも何回も言うたけど、
ひふみ=“一”“二”“三”・・・
人(日止、霊止)が持ってる三つの磁性、
それを(たて棒、コン)で繋ぐ。
そやから、
(たて棒、コン)は、縦の磁性、
それは、頭の磁性と、
もう一つ、“日月神示”内の表現なら、
“尾張”=尾骨の磁性、
そして、
手と胸の磁性で構成される横の磁性、
そして“上”から“下”への磁性は、
強固な物になり、
そしてサイクロトロンやシンクロトロン、
肉体の粒子加速器の構造の強化にもなり、
高い振動の発振、発信に成る。
その結果、当然オーラは大きくなり、
振動も高い物になって行く。

先生は霊眼が発現してた時、
それを、その事を、
太陽凝視を教えてくれたKさんに見出した。
そして、
先生自身の認識(悟り、幸取=さとり)としたからこそ、
34年半、長時間の太陽凝視をしてる。
多分・・・死ぬまでやるつもりやろ。
そやから今、太陽凝視をしてるって言う人なら、
それくらいの事なんや!!
・・・って、思うて欲しい事やな。

話が逸れてるから・・・戻して・・・

身魂磨き=結晶化、
そして、
“上”の思惑=高い振動の受発信をする。
それは感応共振の法則があるからでもある。
簡単に言えば、
高い心(靈)の発現をしていない人は、
高い存在と感応共振出来ん。
これも振動の法則でもある。

現時点、高い存在と感応共振出来る人(日止、霊止)はいないから、
色んな宗教や宗教の言葉なんかが形骸になってる。
その事も先生と話したんやけど・・・
そやから低い心(靈)の発現の人が、
“上”から“下”に垂れた価値のある言葉を観ても、
その意味が理解出来ない=“上”との感応共振が無い。
そやから大半の人は、
言葉だけしか知らんって事になる。

それは言い換えれば、
自分の持ってる基準でしか理解出来ん。
自分の今まで獲得した認識(悟り、幸取=さとり)の範囲でしか、
解釈が出来ん。
そやからお経も祝詞も真言も・・・“上”から“下”に垂れた言葉を、
その意味を解釈出来ん。
特に、
先生と太陽凝視を教えてくれたKさんの解釈の、
般若心経の言葉、
“波羅密”は、霊的進化そのものの事を言うてる。
そやけど程度の低い人は、
般若心経の写経をすればその気を吸い取りエネルギーを頂くなんて思い込む。
それも多少あるやろけど・・・程度の低い霊的干渉もあるやろけど、
そんな事ではたいした霊的進化にはならん。

“波羅密”は写経によるそんな程度の事を言うてる訳では無いし・・・
特に両眼の事を言うてる訳やし、
そやから、
“波羅密”
光を、振動を吸収して、
生体内電流に変換し、その結果、
自分の磁性にし、
そして心(靈)と肉体が造り変わっていく。
結果それは、
振動の強弱と振動の種類により、
“上”を求めれば、
苦痛と試練・・・ローム太霊さんの言葉、


苦に苦を重ね苦を求め更に苦を求めるのだ、楽を求めてはいかん。

・・・で頑張れば、
“上”の思惑の受信になる。
そやから“上”の思惑を受信出来るって言うのんは、
霊的進化した証明であり、
そやからこそ様々な事象を観て感じる事って言うのんは、
その人の霊的成長度によって相違がある。
話が飛躍したけど・・・それが神格化への道でもある。

そして現時点、
横の磁性を持ち出したのが地球人の進化過程でもある。
それに呼応して、“一”=智性=1番目のオーラのオーラが発現しだした段階が、
地球人でもある。
そやから・・・その程度やからこそ地球人は、
何にも“上”の思惑を理解していない。

それを今後、
“上”の思惑に、
“スメラ”=皇(すめら)・・・統一するって事やねん。

そやからそれまでは、
言い換えれば、今までは・・・って事やけど、
失敗を体験させる事をせんと、
人(日止、霊止)の認識(悟り、幸取=さとり)って言うのんは、
霊的成長の方向性を知らん。
ぜんぜん解ってへん。
そやからこそ、
右往左往で醜い事象がおき、
それを観察して、
自省(胸の磁性“十”)する人が、次の世界の創造を担う資格を持つ。
それだけの事やねん。

そやから、次の言葉、

“みそぎせよ、はらひせよ、
臣民 早くせねば間に合はんぞ。”

禊ぎも祓いも単なる宗教儀式になってるけど、
そんな儀式の事や無く、
自分の発振、発信=呼吸、息吹、気吹、生吹、が、
現津(あきつ)=観察され得る事象の創造に関わる事を知って、
そやからこそ、
自分の心(靈)の在り方を自分で知る。

そして、
自分の心(靈)の動きに応じての霊的干渉がある。
言い換えれば自分の心(靈)の発現の程度と、
心(靈)の方向性が、
“上”に向かってるのか=“慈悲”と“慈愛”に向かってるのか、
“下”に向かってるのか=本能化して、目先の欲望の為に生き・・・、
それと平行して自我より“下”の、
“情動”で何でも見てしまう・・・
そやから感謝とかありがとうとか・・・
永遠の幸福とか無限の愛とか・・・
そんな甘い(亜、魔、出ずる、泉)言葉ばかり使う。
又、それを吹聴する=低い功名心の発現でもある。

そやから、今言うた事は、
自分の心(靈)に応じてしか霊的干渉は無いって事になる。
ほんでから、
自分の心(靈)が“下”に向かい・・・今、大半の人がそうなんやけど、
低い霊的存在・・・貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心(靈)の浮游霊とか、
(進化程度の低い)動物霊が、
沢山憑けば憑くほど、
それを・・・その事自体を、
“罪(つみ)”と言い、その意味は、
罪=積み=何層も低い霊に取り付かれ、
自分の心(靈)が“上”から通信を受けない事でもある。
それは、先生の主護霊の言葉を引用すれば、

動きが取れない

・・・でもある。
(良い発振の為に 参照)

そやから自分の心(靈)の動きを自分で判断する。
それが“観自在”でもあるし、
自省(胸の磁性“十”)やし、
“直日(なおひ)”でもある。
そやからそれが、
“観自在”“直日(なおひ)”自省(胸の磁性“十”)の“行”が、
自分の心(靈)の動きになり、
貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の低級な浮游霊の憑依を招かないし、
それは“下”の心(靈)の発振、発信=呼吸、息吹、気吹、生吹、
・・・では無いし、
そやからアセンション後=今後の世界は、
自分の在り方を考える人ばかりやからこそ、
自分を観察しても、
貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心は、
進化過程で誰でも持ってる心(靈)の動きやって事を、
充分知ってるし、
それを自分で観察し、智性で制御出来るから、
そう言う人は、
死んでもその心(靈)の動きで彷徨ったりしない。
それは、
そんな浮游霊は存在出来ない場(フィールド)になるって事で、
そやから低い霊的干渉による事件なんかは無くなる。
精神病なんかも無くなる。
そやから、そう言う世界は、
自分達の心(靈)の動きで創って行かんならんって事でもあるな。

もう少し補足説明しておけば、
心(靈)の発現の進化程度の低い動物を殺せば、
家畜の恨みの連鎖を招く事も今後の世界では、
常識になるから、肉を食わんようになる。
そんな事は当たり前の事になるって事でんねん。

そやから低い心(靈)の動き・・・それは自分自身も、
自分の外側(外国と幽界)の事象にも無い・・・
そういう世界になる事も示してる言葉やし、
それを、
その事を知らんと、現状の心(靈)の動きの儘行けば、

“間に合わんぞ”・・・って言うてる。

そやからそれは、
必ず、宇宙的プログラムで、
時間の進行と共に決められてる事やからこそ、

“間に合わんぞ”・・・は、
間に合ってくれ!!・・・って事でもある。
これは“上”の思惑の愛(炁)の顕れた言葉でもあるって事でんねん。


そして、アセンション後の世界を構築するまでの事を、

“岩戸開くまでに、まだ一苦労あるぞ、
この世はまだまだ悪くなるから、
神も仏もこの世には居らぬのざといふところまで、
とことんまで落ちて行くぞ。”

これもさっき言うた、
心(靈)の発現の低い人(日止、霊止)の創造した事象=結果の事を、
強調して言うてる。

ほんでから、次の言葉、

“九月に気をつけよ、九月が大切の時ぞ。”

この“九月”の解釈も、
只、季節の九月ではなく、
“九”と“月”=肉体。

神さんの最後の仕事である、
神さんの創造の最終段階としての九、
それは、人(日止、霊止)の事でしかない。
何回も言うたけど、
九は、翡翠の翆の羽と卒=卆、
それを○ 九 十と言い表してる。

神の思惑の最終段階=九月・・・
それは、神の器と成り得る人(日止、霊止)が現れたって事でんねん。
そうなってくれ・・・って事でんねん。

ほんでから次の言葉、

“臣民の心の鏡凹(くぼ)んでゐるから、
よきことわるく映り、
わるきことよく映るぞ。”

この“鏡”の解釈も、
“メグリ”(帀)の真ん中のラインでしかない。
これも、前のブログ、
“エピローグ 神の思惑の顕現・・・神聖な事象”
・・・を、読んでもらって、
八咫鏡(やたのかがみ)の事を良く理解して欲しいねん。


ほんでから、形骸の価値で動いてる世界やからこそ、
“よきことわるく映り、
わるきことよく映るぞ。”・・・って言うてる。

それは、
惑わされてる人が多いし・・・間違ってる人も多い。
その自覚が無いって事でもある。

それに対し・・・
例えば先生の解釈・・・それは、
先生の34年半の太陽凝視で得られた認識で、
太陽凝視を教えてくれたKさんの家族を除いたら、
30年以上の太陽凝視をした地球人って言うのんは、
多分、地球史初の事でんねん。
そやから、前のブログやこのブログでも、
一般には、あまりにも受け入れがたい解釈が多いと思うんやけど、
それが・・・この言葉の意味でもあったり・・・も、するな。

そやから・・・
形骸の価値感しか持って無い人には、あまりにも高い事は理解出来ん。
そやけど先生は、公開出来そうな事しか言うて無い。
そやからネットで公開出来る事って言うのんは、
先生の認識(悟り、幸取=さとり)の一部でしかない。
もっと突拍子も無い認識もあるけれど・・・

今言うてる事かて、まあ・・・人(日止、霊止)の見方によっては、
単なるキチガイやけど、
あまりにも“気”が違いすぎると・・・
何かの見方=観察と認識って言うのんは、相対的なもんやし、
誰でも、自分の理解出来る範囲内の事からしか解らへん。
自分の心(靈)の発現と自分が獲得して来た認識(悟り、幸取=さとり)でしか、
何かを観察して認識=受信する事しか出来ん。
その事も先生は、
今まで色んな人と話をして身に染みてる。

そやから、先生の言葉、
“人(日止、霊止)は、
自分の持っている認識より、
少し“上”の事しか理解出来ない。”

それは、
受信と感応共振出来へん変圧の過程があるからでもあり、
誰でも理解出来んって言うのんは、
認識(悟り、幸取=さとり)の違い=霊的成長度の違いでもあり・・・
ほんでから今、いきなり高い世界には移行出来へんからこそ、
心(靈)の発現の程度の低い人と、
次の創造を担える人(日止、霊止)は、
分けられ始めてる。

何回も言うけど、それがアセンションでもある。


ほんでから次の言葉、

“今の上に立つ人、一つも真の善い事致しては居らん、
これで世が治まると思ふてか、
あまりと申せばあまりぞ。”

これはさっき言うた事と重複してるから、
敢えて説明しませんねん。

ほんでから次の言葉、

“神は今まで見て見んふりしてゐたが、
これからは厳しくどしどしと神の道に照らして神の世に致すぞ、
その積りでゐて呉れよ。”

・・・と、

“神の申すこと、ちっともちがはんぞ。”


この文章二つは、
神の思惑通りの世界になるって事を言うてるし、
それに適う人(日止、霊止)・・・
そう言う霊的成長を目指す人(日止、霊止)に成って欲しいって事でんねん。
そやからこそ、次の言葉、

“今の世に落ちてゐる臣民、
高い所へ土持ちばかり、
それで苦しんでゐるのざ。”

“高い所へ土持ちばかり、”・・・この言葉、
それは、“土”=2~3番目のオーラの価値感だけで生きてる・・・
そう言う心(靈)の発現しかしていない。
そやからそこには、
“一”=智性=1番目のオーラの大きい人が無いからこそ、
その程度の霊的成長度の人が、
“高い所へ”・・・“上”と思い込んでいるって事やし、
権力や物欲や目下(めした)の思いで行動し、
そして“力”を得て、示す事が、
勝利とか幸福とか思う。
その・・・(神格化に対し)程度の低い認識の人達を指して、
“土持ち”・・・
“王”から“一”=智性=1番目のオーラを外した、
現時点での霊的成長度の人達、
神から見れば、2~3番目のオーラの拡大は、
動物の進化過程でしかないから、
それが、
“それで苦しんでゐるのざ。”
・・・っていう結果になる。

そやからそれは、
自分が獲得した“力”(力、知恵、知識・・・学問・・・能力、そして霊能力を含む)を、
自分達がどう使って行くのか・・・
そこには“一”=智性=1番目のオーラが無いと、
創造の法則性に則った行動は取られへんって事でも有り、
その事を言うてると思えるな。

そやからこそ次の言葉、

“早う身魂洗濯せよ、
何事もハッキリと映るぞ。”

身魂掃除でも身魂洗濯でも、
それは自分の心(靈)の動きであるし、
それは、
本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動と、
認識され得る言葉を考えていけばエエ事やし、
それで自分の心(靈)の動きや行動を判断し、
それが、“上”か“下”か、
“善(神格化の方向性と智性の受信)”か、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”か・・・

自分の心(靈)を対象に観察し、
自分の心(靈)の動きそのものを、
判断し、
認識する人(日止、霊止)を望んでる。

そやからこそ前のブログでも今のブログでも・・・
先生とKellyさんがいいたい事。

進化とか神とか霊とかオーラとか、
幸福とか愛とか・・・

その事が理解出来てへん人が多い・・・
そやからこそ、
太陽凝視とかアセンションとか、
五次元とかハイヤーセルフとか、
身魂磨きや身魂掃除・・・
言葉だけ使ってても、何にも解ってない人ばかりって事やねん。

ほんでから・・・今言うた事に関連して、
先生は、
○○○療院のホームページに次の文章を追加しましてん。
それは、
あまりにも心(靈)の発言が低い人が目立つ・・・
ほんでから、
心(靈)の発現が低い人が、
太陽凝視やアセンションって言葉を使ってるからこそ、
先生自身がそう言う見方をされ、
先生は業を煮やし・・・その結果が次の文章でんねん。

そのままコピペしときまんねん。  ↓




最近、
太陽凝視や霊的干渉等に付いて訊ねられる事も多くなってきました。
これは結構な事だと思います。

人(日止、霊止)の進化は、
心(靈)を意識し出し、
意識し始め、
現状、一般的にようやく霊を認識し始めた段階だと思います。

霊を認識しだした・・・
その上で、因縁や醜い事象や事件や災害や戦争・・・etcに、
霊的干渉が有る事を見出して行き、
それを観察し、
そしてそこから自分が感じた認識(悟り、幸取=さとり)として、
結果、自分の在り方を強く意識し、
(“観自在” 自省(胸の磁性“十”)の“行” “直日(なおひ)”)
段々心(靈)が“上”に向かい、
(“慈悲”と“慈愛”)
そして、神格化に結びついて行く・・・
それが、
“太陽凝視を行っている鍼灸師の話”の総括の一部でも有ります。

しかし・・・現時点、
低い功名心で、只、目立ちたいとか自分を褒めそやしたいとか・・・
自我の肥大による心(靈)の動きのサイト・・・
太陽凝視やアセンションや心霊現象や宇宙人の来訪や“日月神示”の解釈などに対しても、
只々、
そう言う低い心(靈)の発現由来の解釈が多く、
その下らない一例が、
テレビの興味本位の番組作り・・・霊能力バラエティや只々現象だけを紹介する。
そう言う類のものの影響で、
アタシのサイトに対してもそう言う見方しかされていない人が多く・・・
それは、
今まで色々質問を受けましたが、少数列挙すれば、
“太陽凝視にはどんなご利益がありますか?”
“先生の太陽凝視は何秒ですか?”
“犬が大好きで飼っていますが、私の主護霊は犬ですか?”
・・・とか、

自分が乗り越えなければいけないから与えられている試練に対し、
その事も何回も書いてはいるのですが、
“因縁から逃れるのはどうしたらいいのですか?” ・・・とか、

まるで、
ご利益で人を釣る現世利益の形骸の商売宗教のような事を求められたり、
又、
チャクラに対し、
それは人(日止、霊止)の霊的成長の為のものであり、
それは肉体内の生体内電流と磁性の現象であり、
その解説も沢山したのですが・・・
“先生はチャクラをご存知ですか?”・・・とか・・・


あまりにも程度の低い質問ばかり・・・
それは、
アタシのブログのタイトルしか見ていない・・・

そう云う事を感じましたので、
情けない事ではありますが、この文章を追加する事としました。

特に太陽凝視に関しては、
“太陽凝視”で検索し、すべて太陽凝視は同じだと思う・・・

これも、
人(日止、霊止)の進化程度により、解釈がまちまちになる。
認識の程度の低い人は=霊的成長度の低い人は、
何を観ても、
程度の低い解釈しかしない。

その事も強く伝えたい事では有ったのですが・・・
まったくそういう事を読み取っていらっしゃらない・・・
特に、太陽凝視に関し、
“日月神示”の、 春の巻 第二帖の言葉を引用すれば、
“誰でも霊かかりであるぞ。
石でも木でも土でも霊かかりぞ。
これは一般かみかかりであるぞ、
特別神かかりは神の御力を強く深く集める行がいるのぢゃ。
九分通りしくじるのぢゃ。
太陽の光集めること知っているであらうが。”

この一文の前の言葉として、
“自分のためばかりで祈れば迷信、
われよしの下の下ぞ。”

“われよし”・・・これは、
低い心(靈)の発現の自己奉仕者の事でも有り、
それは、
時期=アセンションが迫っているからこそ、
自己奉仕者の創造の程度の低さを示さなくてはいけない事でもあり、
そして、
程度の低い解釈のサイトが多くなる事も示しており、
低い自己奉仕者の霊能力者が活躍する事も示しており、
それは以下の言葉に示されています。

“世、迫って、
霊かかりがウヨウヨ出ると申してある時来ているのぢゃ。
悪かみかかりに迷ふでないぞ。”

・・・ですから、
自我の確立=固定化の段階の心(靈)の発現・・・
低い功名心と低い自尊心、
それに問題が有る事を示す言葉でもあり、
その事を理解する事も、
今後の世界の創造に関わる事なのですが・・・
そして、
今多くなってきた程度の低い太陽凝視・・・
太陽凝視は不食の為に行うとか・・・
朝日や夕日の太陽凝視だけ・・・とか、
それは、“九分通りしくじるのぢゃ。”でもあり、
そして、
アセンションを、自分達の都合の良い物に思ってしまう・・・
その一例は、“日月神示”内の表現、
“身魂掃除”や“身魂磨き”の解釈を、
部屋の片付けとか掃除とか部屋の鏡を磨くとか・・・
そんな程度の事にしてしまい、
そしてそれを、ネット上に広め、
大多数の人の、
太陽凝視やアセンションや霊的成長の概念を、
とてつもなく低いものにしてしまう・・・
それは、
人(日止、霊止)の進化を阻む、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の、
思惑そのものだと思います。

アタシが現時点、34年半行ってきた太陽凝視は、
低い功名心と自尊心・・・そう言う動機のものでは無く、
自分の生き方を真剣に求め、
そして、何回も倒れ・・・
様々な苦難に遭遇し、自分の在り方を考え、
その上で行ってきた事でも有り、
そう言う低い心(靈)の動きのサイトと同一視されては困ります。
従って、
疑問があり、何かお訊ねになりたいのであれば、
基本的には答えたいと思っていますが、
今列挙した、程度の低い心(靈)の発現で、
太陽凝視や霊的な能力や心霊現象やアセンション等に対し・・・
低い解釈をしてそれを広めたい・・・そう言うサイト。

アタシ自身はアタシの太陽凝視や霊能力等に対し、
そんな考えを持っているのでは無く、
ブログを始めた動機は、
太陽凝視や霊に対する認識・・・特に主護霊に対する一般の認識が、
あまりにも低いからでもあり、
よって、
低い功名心や低い自尊心由来の物の見方をしておりません。

ですから・・・質問をされる方は、アタシの意図を理解してから・・・
それはせめて、ブログを読んでからお訊ねになってください。
それが又、本当の事を知りたいと思う姿勢でもあると思いますし、
質問をするには質問をする資格も必要である・・・
興味本位の質問はお断りしたいと言う事でもあります。

以下、
“日月神示”春の巻 第二帖の全文を紹介しておきます。

       ↓
“カミヒトと申すのは、
神の弥栄のため、
世の弥栄のため祈り、
実践する人のことであるぞ。
神のため祈れば神となり、
世のため祈れば世と一体となるのぢゃ。
自分のためばかりで祈れば迷信、
われよしの下の下ぞ。
誰でも霊かかりであるぞ。
石でも木でも土でも霊かかりぞ。
これは一般かみかかりであるぞ、
特別神かかりは神の御力を強く深く集める行がいるのぢゃ。
九分通りしくじるのぢゃ。
太陽の光集めること知っているであらうが。
神の理(ミチ)をよりよく、
より高く集める理(ミチ)がマコトの信仰であるぞ。
理(ミチ)であるぞ。
世、迫って、霊かかりがウヨウヨ出ると申してある時来ているのぢゃ。
悪かみかかりに迷ふでないぞ。
サニワせよ。
外はウソが多いぞ。
内の声ウソないぞ。

旧、元旦、
日月神。”

2008年7月2日 ○○○大先生


・・・ちゅう事でんねん・・・

今日はこれくらいにしときまんねん。

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このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




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