“日月神示”上つ巻 第十九帖 Kellyさん的解釈
今回も、上つ巻 第十九帖を解釈しまんねん。
原文は以下の通り、
神の国
の山に
祭りて呉れよ、
祭るとは神にまつらふことぞ、
土にまつらふことぞ、
人にまつらふことぞ、
祭り祭りて嬉し嬉しの世となるのぞ、
祭るには先づ掃除せねばならんぞ、
掃除すれば誰にでも神かかるやうに、
日本の臣民なりて居るぞ、
神州清潔の民とは掃除してキレイになった臣民のことぞ。
六月二十七日、一二
。
冒頭の言葉の、
“神の国
の山に
祭りて呉れよ、”
“神の国”は“上”からの振動を受け、
“国”は、
(囗)くにがまえと“玉(ぎょく)”で、
自分の発振した振動で構成される場(フィールド)が、
“国”って事で・・・
それは、人の腹のエネルギーが上昇する様を表す、
“玉(ぎょく)”構成された場(フィールド)でもある。
ほんでから人(日止、霊止)は、
霊的成長し、
自身の完成を目指す事そのものが、
自分に対する崇高な愛(炁)でもあり、
(自己奉仕者の低級な愛の発現とは違い・・・って事でんねん。)
そやからそれは、
“上”の思惑を取り込む脳・・・それが、
“
の山”・・・
山は脳を示し、思想を示す。
こんな事は前にも何回も言うた事やねんな。
そしてそれは・・・今言うた事を理解する為には、
・・・この解釈が出来て無いと意味が通じんと思うんやけど・・・
そやからそれは、
前のブログでもこのブログを始める時にも言うたんやけど、
○は、
○ 九 十(まこと)の○で、
それは荷電粒子で構成された場(フィールド)でも有り、
それが霊でもあり、心(靈)でもある。
は、ローレンツ力を示し、
それは“曲霊(まがつひ)”でも有り、
それは○=心(靈)の中での回転も示す。
心(靈)が感じ(感じる磁性)る何かって言うのんは、
荷電粒子の振動であり、
それが感覚になり、
認識になる。
感覚器官から脳に伝わり、
脳を介して心(靈)が感じ(感じる磁性)る過程は、
只、
生体内電流でしかないとも言い得るし、
それは現時点の医学で説明が出来る事でも有るんやけど・・・
要は、
現津(あきつ)=観察され得る事象そのものは、
自分の認識って事をあまり意識して無い。
言い換えれば、
自分の心(靈)の中で認識されてるって事なんやけど・・・
このブログに縁のあった人(日止、霊止)は、
その事を良く考えて欲しいもんやな。
話を戻して・・・
そしてその荷電粒子には“上”から“下”が有り、
神の思惑も有り、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の、
思惑も有り、
それを自分が、感じ(感じる磁性)る事は、
霊的成長度と心(靈)の方向性により、
チャンネルを合わせ、
振動=思惑を取り込んで、
荷電粒子の粒子加速器の構造を持つ肉体で、
自分の取り込んだ振動=電磁波=様々な存在の思惑を、
自分の認識や思想や・・・そう言う心(靈)の動きにして行き、
そして、発振され、
現津(あきつ)=観察され得る事象を構成するのが、
ある意味、オーラでもある。
それが先生のオーラに対する考えでもある。
そして荷電粒子を取り込み、
場(フィールド)=○=心(靈)を構成する・・・
それは現津(あきつ)=観察され得る事象=場(フィールド)を認識するには、
磁性が必要でもあり、
その磁性の変化が、生物の進化でもあり、
一足飛びに飛躍した結論を言えば、
磁性の強化が、
神格化への“道”でもあるっていうのが先生の考えでもある。
そやからこそ、生体内電流の強化と高振動化で、
肉体の磁性を増して行く事そのものが、
“行と修行”でもある。
そして、取り込むべき荷電粒子・・・
神の思惑を仲介して送ってくる太陽からの振動・・・それを取り込む。
それが太陽凝視でもある。
しかし・・・
太陽凝視をどういうつもりでするのか?
どういう認識を太陽凝視自体に持つのか?
それが、
自分の心(靈)の発振、発信でもあり、
太陽から送られてくる“上”から“下”の振動の、
どの部分に、
自分のチャンネルを合わせるのか=どういうつもりで太陽凝視するのか。
この事は何回も言うた事やし、先生が懸念してる事でもある。
また話が逸れたけど、
思惑=電磁波・・・荷電粒子の振動。
それを取り込み、そしてそれは、
自分の心(靈)の中で回転をするからこそ、
それは、
・・・○=心(靈)とローレンツ力でもある。
そやから・・・こういう物理学の言葉でも、
それは、
自分達の存在って何なのか?
霊って何なのか?
心(靈)って何なのか?
神って何なのか?
事象=次元って何なのか?
・・・そういう事を認識する為の、
智慧(日を知る事=智性の恵み=慧)の受信でもあると思うんやけど、
大概の人は、
只、霊とか神とか騒いでるだけに等しい。
何の意味も意義も感じて無い。
それは言葉を知っただけに等しい。
そやから・・・
すべての事象が神と自分達の創造の結果なんやから、
自分達が神の子であったなら、
それは、
自分達の思いついた=“上”から受信した、
智慧(日を知る事=智性の恵み=慧)とか“力”とかで、
分析と判断が出来る様にならんとアカンのやけど・・・
その事そのものが、
自分を知り、
神を知り、
そして自分達はどう在るべきなのかを考えて行く事になる。
“上”はそれを、強く期待していると・・・思えるやん。
又々話が逸れたやん。
そやから・・・ひと昔前は科学もそんなに発達してなかった。
そして、
物理も段々、物質の構成を探るようになった。
素粒子を発見したり、量子論も人は理解しだしたとも言い得る。
それは、それを知る為に、
エネルギーを贖った人が獲得した=“上”から受信した、
“力”(力、知恵、知識・・・学問・・・能力、そして霊能力を含む)でもある。
そやけど・・・“上”からの受信・・・
その分析も一般には無い。
誰でも自分が思いついたならそれは、
自分の利益の為にしか使いたくない
そう言う心(靈)の発現の段階が、
地球人の進化過程の低さを示している事なんやけど・・・
まあエエわ・・・そんな事は・・・
話がどんどん違う方向に言ってしまいよるから、
別の機会に考える事として・・・
次の言葉は、受信の事を言うてる。
“祭るとは神にまつらふことぞ、”
“人にまつらふことぞ、”
“祭り祭りて嬉し嬉しの世となるのぞ、”
この言葉、
“祭り”と“まつらふこと”・・・
“祭り”って言うのんは前にも言った事があるけど、
“上”の思惑と、
肉体(月部(げつぶ、にくづき)と又=四肢)を持った自分自身(の、心(靈))が、
一体になった様を示している字でんねん。
前の記事で詳細に説明してまんねん。
(“日月神示” 上つ巻 第四帖 Kellyさん的解釈 参照)
そやから“まつらふこと”は、
思惑の受信でもあり、その思惑の受信の選択は、
自分の(心(靈)の)在り方でしかない。
そやから、
“神にまつらふこと”
“人にまつらふこと”
その受信は=心(靈)の在り方は、
自分の(心(靈)の)中の、
“善(神格化の方向性と智性の受信)”と、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の、
(時間の進行による)両方の方向性があるからこそ、
次の言葉、
今とてつもなく低い解釈をされてる言葉、
“祭るには先づ掃除せねばならんぞ、”
身魂掃除は、
自己観察し、自分の心(靈)の動きに、
“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)が有る事を知り、
その方向性は、
自分で選択している事を知り、
それゆえの行動と創造をするべき・・・
そうやないと、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の心(靈)には、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の霊の憑依があり、
“善(神格化の方向性と智性の受信)”の発振、発信には、
人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在の憑依が有り、
それぞれ通信を受ける。
これも“祭り”でんねん。
そやからこそ、
霊=心(靈)の動きの事を知ったなら、
それが理解出来んとアカンし、
すべての事象には複雑な霊的干渉がある事が理解出来たなら、
この言葉自体にそう言う意味が有る事を、
見抜ける人(日止、霊止)にならんと、次の創造は任されん。
それが見抜けん人こそ、“日月神示”内の表現で言えば、
“身魂の曇った人”でもあるな。
そやから“上”から観て、
次の創造をする資格を持たんならん・・・
持って欲しいって事でんねん
そして、
身魂掃除=心(靈)の善悪を知り、
自分の在り方を考える人は、
そう言う発振、発信をするからこそ、
“掃除すれば誰にでも神かかるやうに、日本の臣民なりて居るぞ、”
この“日本の臣民”は只単に日本人って言う意味の事ではなく、
日の本の臣民、
太陽を自分の胸の磁性“十”に取り込み、
そして儿部(じんぶ、にんにょう)と、“十”の下に横棒を書く。
これも前に言うた事やな。
そう言う行い=“行”をすると良いって事でんねん。
それが、
“日本の臣民なりて居るぞ、”やと思いまんねん。
決して、日本人だから・・・って、事やおまへんねん。
それは程度の低い物の見方でんねん。
そして、次の言葉、
“神州清潔の民とは掃除してキレイになった臣民のことぞ。”
只単に、
外側(外国と幽界)をキレイにしたって事ではなく、
仮に、
外側(外国と幽界)と認識する事象だけキレイにする事が、
アセンションならば、
お掃除を生業にして商売してる人は、
とっくにアセンションしてる=次の創造を担える人(日止、霊止)の、
霊的成長度を獲得してるって事になる。
こんな・・・アホくさい言い方をせんならん様な事を、
敢えて言いたくは無いけど・・・
あまりにも最近そう言うサイトが多いので言わせて貰いまんがな。
そやから、この文の中の、
“神州清潔”の“州”は、
辞書を見ると中州や国っていう意味がある。
中州って言うのんは川の中にある陸地、
それはKellyさん的に解釈すれば、
“上”から“下”に流れてる振動で固まった自分・・・
それは州の象形文字を見ると理解出来る・・・けど、
ちょっと我田引水かな?

ほんでからに川の流れって言うのんは、
“日月神示”の表現、“江戸と尾張”の“江”でもある。
腹の段階の心(靈)=軍荼利明王、荼枳尼真天の“荼”でもあり、
同位相の右往左往と左往右往=サイクロトロンの構造でもある。
そやからそれは、(物質の世界の)創造のエネルギーでもある。
これも先生と前に話した事でんねん。
そしてもう一つ前に話した事を言うとけば、
腹の段階だけの心(靈)の発現が、
帯電したミネラルが固まっていなくて、
それは“玉(ぎょく)”になっていなくて、
その段階の心(靈)の創造が、
“石屋の仕組み”でもありまんねん。
そやからそれは、自我の肥大って事でんねん。
そやからそれは、現時点での地球人の心(靈)でもある。
そして“国”って言うのんは、
何回も言った(囗)くにがまえと“玉(ぎょく)”でもある。
ほんでから・・・
人(日止、霊止)が“宝玉(ほうぎょく)”になる・・・
これは先生の言い回しやけど、
太陽凝視を少しでもしてはる人は、
前のブログも読んで貰ってこの事も考えて欲しいもんやな。
そやから、“神州清潔”は、
神=“上”から“下”に垂れた思惑=振動で、
○=心(靈)が出来上がった。
今後、その(現時点、程度の低い)心(靈)=○は、
“神にまつらふこと”で、
事象を創造する=アセンション後の世界を自分達で構築する。
そう言う事やと思いまんねん。
・・・ちゅう事で、
せめてこのブログに霊縁有った人には、
今多なった、
程度の低い解釈に流されんようにして欲しいもんでんねん。
今日はこれくらいにしときまんねん。
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