“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

Kellyさんが“日月神示”磐戸の巻の解釈を終えてから…感じた事“その三” カタカナ表記(“上”から視点の表記)の意味とそこから(“下”である人間が)思わなければならないこと

 磐戸の巻の前半を中心に重要な意味を示唆するカタカナ表記(“上”から視点の表記)が多かったが、最も重要なカタカナ表記は“マコト”で、それは“その一”でのべたように“マ”の行は、有形生命、または正しき生命の音意の音根、“コ”は停滞して働く意と細分の音義、物の凝り集まりに固まる意、“ト”は、止まると云う心、天意を止め“修理固成”(しゅうりこせい)して(コ)“上”が認める=正しき(正しいは“上”と“下”が重なった表記、神の思惑通りの生命という意味合い)進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を目指す生命(生きる使命=存在理由)、これが神の思惑を顕現するべき霊的成長した生命である“日止、霊止”(“上”からの荷電粒子=思惑を止める)ということである。
 それで今の地球人は進化程度の低い人が大半、上記の意味で述べたように天意を止めるどころか、目下(めした)(動物の心(靈)の段階)の心(靈)(ヒ)中心で行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)している人がほとんど。
その心(靈)(ヒ)の動きが台頭しているので“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”となり、“石屋の仕組み”(帯電するミネラルが固まっていない=真固止ではない=腹の水(“江戸と尾張”の“江”)=自我の肥大という心の動き(息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信))で、恨みの連鎖の霊的干渉を生み出し増大させ、この事象を腐らせている。
だからこそ霊的成長度においての区分けであるアセンションがあるのだが、人は神に近くなればなるほど、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の行動にみられる“うそ、ごまかし、にせもの、いつわり、まちがい”の無い事象を“創造”するものであり、同様に、心(靈)(ヒ)の動きは“誠”(言葉成る、意味は、自分が発振、発信した振動(言葉)が完成する)、誠実さが台頭するから“見せかけ”の何かというものは無くなっていくものである。 
そして先に述べたことと重複するが、平均的地球人の進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)は、自我の確立=固定化、そして自我の肥大(“石屋の仕組み”)、それが“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”して、自省(胸の磁性“十”)して、その意味合いの“日月神示”表記が“秋立つ”であったり、磐戸の巻 第一帖の“十理(とり)”=胸のシンクロトロン放射(縦の磁束と横の磁束)と、法則性である“理(ミチ)”、要は“慈悲”と“慈愛”という心の動きで事象の“創造”をすることになり、そこでは進化程度の低い心の動き、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の野放図な欲望や利己的な思想は台頭することなく、きちんとした法則性に則った事象になり、当然そこには悪と感じうる何かは無くなっていき、また“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”がいないからこそ、その場(フィールド)では万人が何不自由なく暮らし、生活に困るという今の地球における苦難や試練は消失して誰もが神格化のための智性(“一”、1番目のオーラ)(神性)を獲得するための“行”を行い得る事象になるものである。

 今述べたことにおける今後=アセンション後の事象は、常々述べている岩戸開き、“石”(帯電するミネラル)と“山”(脳の意味)で、“戸”(横隔膜)を開く、このことが必須であり、それは腹の水=“江戸と尾張”の“江”…自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロンから、胸の磁性“十”、“慈悲”と“慈愛”の心の発現と動き、自我から上の心が台頭してくるならば先に述べた万人が不自由することなくその場(フィールド)に位置する心は生業(なりわい)における苦難や試練は無くなっていき誰もが神格化を意識した“行”と生活を送るようになる。
その、場(フィールド)の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)としての関門が“岩戸開き”=自我の確立=固定化固定化の進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)から“慈悲”と“慈愛”という進化に至ることである。
 
今述べた、平均的地球人が通り越すべき進化である、腹から胸、岩戸開き、自我の肥大(“石屋の仕組み”)を諌めること、これらのことが述べられて手いるカタカナ表記をまずピックアップする。

まず、第一帖の“イワトの巻かき知らすぞよ、イワトひらくには神人共にゑらぎにぎはふのざぞ、カミカカリして唱ひ舞ふのざぞ、ウズメノミコトいるのざぞ”の、“イワト”は先に述べたとおりの意味。
“カミカカリ”は、自分の心の発現による息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)が“上”になり、“行”をして肉体(月(ツキ))の磁束の強化が行われ、ことに頭の水平磁場、“一”=智性=1番目のオーラが大きくなれば、高い存在と感応して、その感応で通信を受けることは自分の思想が“一”=智性=1番目のオーラの質(振動の高さ)と量(オーラの大きさ)という要素で、だんだん“上”の存在と感応し、それが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)であり、自分の思想は神に近くなっていくことを知らなければならず、その具体的な“行”が“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことであり、それが“ほんとう”の意味での“天詞様”、天皇であり天皇という字の一つ一つは、“天”は、“一”=智性=1番目のオーラ+自省(胸の磁性“十”)+人(日止、霊止)と、“白”はシンクロトロン放射(クンダリーニの白光)と、完成された人の様である三つのオーラと縦の磁束の表記の“王”で構成されているものである。 
そして進化した心(靈)(ヒ)、いわゆる目上(めうえ)の脳、“上”との感応に必須なのが“ウズメ”、漢字表記なら鈿女、それは金と“田”(心、靈、の四つの場(フィールド)、大脳の新皮質、目上(めうえ)の脳)と、砌(みぎり)の極性(事象への顕現)を意味する女。 要は、天意を自分の思想とした人が“思惑の顕現”=現象化を行うこと、いわゆる神の“思惑の顕現”を行う“日止、霊止”になることが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の目的であるといえるものであるし、生命の存在理由はそこにしかないものである。

 第二帖の“キつけてくれよ、キがもとざぞ、キから生れるのざぞ、心くばれと申してあろが、心のもとはキざぞ、総てのもとはキであるぞ、キは ローレンツ力と ○ (よろこび)ざぞ、臣民みなにそれぞれのキうへつけてあるのざぞ、うれしキは うれしキことうむぞ、かなしキは かなしキことうむぞ、おそれはおそれうむぞ、喜べば喜ぶことあると申してあろがな、天災でも人災でも、臣民の心の中にうごくキのままになるのざぞ。 この道理わかるであろがな”の“キ”は、気、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)、炁空無光眞奇力存(きくうむこうしんきりきぞん)の炁(愛の元字)と表れの意である奇、そして、磐戸の巻の解釈が終わってから気付いたことだが、“道”(時間の進行)によって遭遇する事象、それは来るの意としての“来”でもあると思う。 
 それで、すべて自分たちの心が観察しうる現津(あきつ)、観察され得る事象というのは、“創造”の“主(ヌシ)”の振動、ア(“亜”)から、イ(出る(いずる)、泉)、炁空無光眞奇力存(きくうむこうしんきりきぞん)の“炁”、これを個々の心がローレンツ力ローレンツ力 で取り込み生命は存在している(“心のもとはキ”)が、心(靈)(ヒ)そのものが霊=○、荷電粒子の場(フィールド)であり、ローレンツ力由来の円形加速粒子機の構造を持つから心(靈)は発振、発信する、それが息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)であり、その息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)に反応して現津(あきつ)、観察され得る事象はやって来るもの、それは物質世界においての物であろうが人の縁であろうが霊的干渉による現象であろうが心霊との縁であろうが、すべて荷電粒子の取り込みと自分の心の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)によることであることを知らなければならず(“総てのもとはキである”)、それが因果応報、ブーメランの法則、“曲霊(まがつひ)”の根拠たることであり、自らが遭遇する事象はすべて自分に責任がある(“うれしキは うれしキことうむぞ、かなしキは かなしキことうむぞ、おそれはおそれうむぞ、喜べば喜ぶことあると申してあろがな、天災でも人災でも、臣民の心の中にうごくキのままになるのざぞ”)ことを知りうる根拠となる、そのことを感じさせる表記が“キ”。 また磐戸の巻の次の巻は、キの巻であり、“キ”についてはそこでまた解釈を述べることする。
 
 第四帖の“この方この世のあく神とも現はれるぞ、閻魔とも現はれるぞ、アクと申しても臣民の申す悪ではないぞ、善も悪もないのざぞ、審判(さばき)の時来てゐるのにキづかぬか、其の日 其の時さばかれてゐるのざぞ”
“この世のあく神とも現はれるぞ、閻魔とも現はれるぞ、アクと申しても臣民の申す悪ではないぞ”=今までの平均的地球人の価値観や幸福感を打破する役目を担っているの意。 
それともう一つ“生かすとは神のイキに合すことぞ、イキに合へば悪は悪でないのざぞ”の“イキ”、これは息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)であると解釈するのが妥当で、自分の心の動きが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)して“上”と感応する事象になっていけば、進化程度の低い人間が“神の咎め”を受け、そのことを悪だと自分に都合の良い解釈をすることも示唆しているが、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)は違えることなくその程度の低い人間が自省(胸の磁性“十”)して進化(霊的成長、神格化に向かうこと)させるものでもあるし、それが自分がしてきたことに対する正当な報酬としての“神の咎め”でもある。 よって“神のイキに合す”と“イキに合へば悪は悪でない”の意味は、天意、あるいは“創造”の“主(ヌシ)”の発振、発信と、自分の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)が同調するの意であると理解できると思う。

第七帖の“この神の申すこと、天のミチぞ、地のミチぞ、人のミチざぞ。今度の岩戸ひらきの大望(たいもう)すみたとて、すぐによいことばかりではないのざぞ、二度とないことであるから臣民では見当とれんから、肚の底から改心して、すなほに、神の申す通りにするのが何より結構なことざぞ”の“ミチ”は“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)。 それが“創造”の“主(ヌシ)”の計画、霊的成長度においての区分け、“役員づら”が述べている意味合いのことではなく真実のアセンションのことだが、それを通り越しても(時間の進行としての“道”)、“今度の岩戸ひらきの大望(たいもう)すみたとて、すぐによいことばかりではない”=自分たちが今までとは違う息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)で事象の“創造”をするのであるからすぐに良いカタチにはならないということを述べられている。

第十三帖の“コトちがふから、精神ちがふから、ちがふことになるのざぞ、コト正しくすれば、正しきこととなるのざぞ”
 この“コト”という表記は“コ”は停滞して働く意と細分の音義、物の凝り集まりに固まる意、と、“ト”は、止まると云う心、の意味合いがあり、何が停滞して働くのか、何が止まるのかはこれまで述べてきているように“創造”の“主(ヌシ)”の思惑=“上”からの荷電粒子(天意)であり、それを真に固く止めるのが真固止であり、天意を自らの思想とする神の雛形として進化した生物(人、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現))の要素を示した“日月神示”表記の ○ 九 十 でもあり、天意=“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)からの荷電粒子を止めるという表記が“日止、霊止”でもある。 そして天意を自分の思想としている人を他者が“観察と認識”したらその行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)は“誠”(言葉成る、意味は、自分が発振、発信した振動(言葉)が完成する)、を感じ得るものとなっていくのが、進化=霊的成長、神格化に向かうことの必然でもあるが、“上”からの荷電粒子の止め方の違い、止まり方の違い、いうならばそれは心の発現と心の動きの違い、それはこの文の“精神ちがふ”でもあるが、それが(アセンション後に位置して行く今より霊的進化を果たした)奉仕者と“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の違い、要は霊的成長度の違い、自我より“上”の心がきちんと発現しているのかであるが、それを述べているのが“コトちがふから、精神ちがふから、ちがふことになる”であるし、心の“上”と“下”(正しい)が纏まっているならば=“コト正しくすれば”、そうなるならばという意味合いの表記だが、そうすると“正しきこととなるのざぞ”であるし、人が事象を観て正しいと感じ得るということに他ならない事象を創り得るものである。

第十六帖の“神からさづかってゐるミタマの命令に従ふて、肉体心すてて了ふて、神の申す通りそむかん様にすること”の“肉体心すてて了ふて”は、同じく十六帖の“人間心すてて仕舞て”と同様の意味であり、自我の肥大を諌めて、天意を受信する仕組みである“ミタマ磨き”=“身魂磨き”、(生体内電流による)肉体組織の結晶化(自凝(おのころ))をよく理解して実行し、“上”と感応することが“神からさづかってゐるミタマの命令に従ふ”“神の申す通りそむかん様にすること”の表記の意味合い。

 ここまでのことをよく理解すれば、自我の確立=固定化、自我の肥大から、その低い心を諌め自省(胸の磁性“十”)し“慈悲”と“慈愛”という心の動きが台頭することそのものが人の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)であるということが理解できると思う。

次に、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)した生命のことを指す表記を以下に列挙する。

第一帖の“タマ”
“タ”は、生命が現れ立つ、建く(たけく)高く成長の音義、進化=霊的成長、神格化に向かうこと、“マ”の行は、有形生命、または正しき生命の音意の音根。

第三帖の“マケ”と“ハルマゲドン”
“春マケ、夏マケ、秋マケ、冬マケてハルマゲドンとなるのざぞ、早う改心せんとハルマゲドンの大峠こせんことになるぞ”の“マケ”の表記の意味であるが、“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”では、“マ”の行は、有形生命、または正しき生命の音意の音根、“ケ”は、零霊(ぬひ)へ還元の音意と霊より現津(あきつ)への道程、下り魂(ニニゲ)と記されているので、やはり、神の子としての生命(生きる使命=存在理由)である人が事象の“創造”をするの意がある表記だと思えるし、これに春夏秋冬が当てられてるのは、地球の公転により四季があるのであるから、宇宙の中心(“創造”の“主(ヌシ)”の場(フィールド))と、黄道十二宮などの天体、そして太陽と地球、これら位相の変化により“上”からの荷電粒子の取り込みに変化があることを指し示しているし、そうやって生命(生きる使命=存在理由)である心(靈)(ヒ)は育っていることを指したのが春夏秋冬と“マ”と“ケ”の表記の意味であると思える。 
“ハ”は同じく“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”から引用すれば、“ハ”は、生命発現成長の音義、“ル”は、霊流凝(ひるこ)の如き生命素を集め、凝す(こらす)、と記されているから、これはタンパク質の高分子化による磁極性の強化ということだと確信する。 
“マ”は前述した通りの意味、“ゲ”は“ケ”に濁点が付いており、濁点が付いているのはその意味合いが強調されていることである。
“ド”は“ト”に濁点であるが、“ト”は、止まると云う心と“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”に述べられているし、これは“日止、霊止”の止める、“上”からの荷電粒子を止める、太陽の振動を止める、の“ト”であり、濁点が付いているから強調されている。 “ン”は“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”に何も記されていないが、これは○ 九 十の“九”と同義、完成、あるいは完成に至る雛形の意味である

第五帖の“ミタマ”
“ミ”は、生命の幹 その現実 ヒフミのミ
“タ”は、生命が現れ立つ、建く(たけく)高く成長の音義、進化=霊的成長、神格化に向かうこと
“マ”の行は、有形生命、または正しき生命の音意の音根、まこと神のマ(真固止)
ということになり、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)に沿った心(靈)(ヒ)、生命が、観察する現実(“ミ”)(現津(あきつ)、観察され得る事象)という解釈が成り立つ。

第六帖の“北の宝はシホミツざぞ、南の宝はシホヒルざぞ”
“シ”は弱き光 と称され、それは次々に出る生命を育む(はぐくむ)意 “慈(しげる)”のシ。
“ホ”は 深き 高き 広き の意、それが備わったさま。(穂=禾(のぎへん)と恵)
“ミ”は生命の幹 その現実。
“ツ”はつづまる(約まる)集う(つどう) 物をまとめ次々その形を変えて次なる新たななる生命を咲かすの意。
 よって“シホミツ”は“創造”の“主(ヌシ)”の振動“シ”が生命(生きる使命=存在理由)と現津(あきつ)、観察され得る事象に止まるように降りるの意であると思う。
 次に“シホヒル”
“シ”は弱き光 と称され、それは次々に出る生命を育む(はぐくむ)意 “慈(しげる)”のシ。
“ホ”は 深き 高き 広き の意、それが備わったさま。(穂=禾(のぎへん)と恵)
“ヒ”は その音霊こそすべての物の根、ヒフミヨイムナヤコト=一二三四五六七八九十のヒ、ヒト(“日止、霊止”のヒ)。 心(靈)(ヒ)、日、火。
“ル”はチカラの止まり 物の流れ 走る を表す音根 この音根を綴る言霊こそ悉にその終わり又は止まりを示す あるいは霊流凝(ひるこ)の如き生命素を集め凝らすの義。
 よって“シホヒル”は“創造”の“主(ヌシ)”の振動が生命に降りて凝る(自凝(おのころ))している様、またそれは神格化のプロセスの重要な要素のたんぱく質の高分子化による肉体(月(ツキ))の磁極性の強化と変容の結果である“上”との感応といい得る。

第七帖の“神のミコトにきけ”
“ミ”は生命の幹 その現実。
“コ”は停滞して働く意と細分の音義、物の凝り集まりに固まる意。
“ト”は、止まると云う心。
“神のミコトにきけ”は、天意を受信した智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)で“観察と認識”して自らの心で思い判断せよという意味合いのこと。
もう一つ“この道はマナカゆく道とくどう申してあること忘れるなよ”の“マナカ”は
“マ”は、有形生命、または正しき生命の音意の音根。
“ナ”は、生命の殖え栄ひ進展の意含む。
“カ”は、幽れたる(かくれたる)生命と力(ちから)の音意。
であるから、生命(生きる使命=存在理由)の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)と繁栄、そして生命(生きる使命=存在理由)が創造するその力とそれで創られた現津(あきつ)、観察され得る事象の正しさ、それは先の第五帖“ミタマ”“タマ”の“マ”、誠実さや真実=真固止を感じ得ることが大事”と述べたとおり、“上”から観て、あるいは進化した人(日止、霊止)の心から観て、正しき事象でなければならないし、そうなっていくのが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)である。

 磐戸の巻のカタカナ表記は今の人間の在り方、自分の在り方(“観自在”)、敢えて言うならば心(靈)の動きの在り方を示唆し、そして進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)を指す表記、神格化に至る意味合いのことがたくさん述べられていた。
 そのことをあえて指摘して、次回のこのカテゴリーは先に述べたように、キの巻 の解釈に入っていくことを告知して、今回はこれくらいにしときまんねん。

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 Kelly & ○○○大先生

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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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