“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” キの巻 第七帖 Kellyさん的解釈


 今回も、キの巻 第七帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

物、自分のものと思ふは天の賊ぞ、皆てんし様の物ざと、クドウ申してあるのにまだ判らんか。
行(おこない)出来て口静かにして貰ふと、何事もスラリとゆくぞ、行(ぎょう)が出来ておらんと何かの事が遅れるのざぞ、遅れるだけ苦しむのざぞ。
神の国の半分の所にはイヤな事あるぞ、洗濯出来た臣民に元の神がうつりて、サア今ぢゃと云ふとこになりたら、臣民の知らん働きさして悪では出来ん手柄さして、なした結構な事かとビックリ箱あくのざぞ。
天と地との親の大神様のミコトでする事ぞ、いくら悪神じたばたしたとて手も出せんぞ、この世 三角にしようと四角にしようと元のこの方等の心のままぞ。
後から来た守護神 先になるから、今の役員さうならん様に神示で知らしてあるのざから、よく裏の裏まで読んで肚に入れて、何一つ分らん事ない様にして呉れよ、今に恥づかしい事になるぞ。
元の大和魂の誠の身魂揃ふたら、人は沢山なくても この仕組成就するのざと申してあろが、末代動かぬ世の元の礎きづくのざから、キマリつけるのざから、気つけおくぞ。 
キが元と申してあろがな、上は上の行、中は中、下は下の行ひ、作法あるのざぞ、マゼコゼにしてはならんぞ、この中からキチリキチリと礼儀正しくせよ。
三月十一日、ひつ九の神。

 第七帖は、第五帖、第六帖で述べられていることと共通している。
それは第五帖で解釈した
“キが元ざ”=“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を取り込んだ自分の心(靈)の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)が、(自分の心(靈)が感じ(感じる磁性)認識しうる)すべての、現津(あきつ)、観察され得る事象の根拠となることをよく知っておけ、ということ。
そして第六帖の“神示よく読めよ、肝腎のこと判りては居らんぞ、一のことぞ。 一
ローレンツ力ローレンツ力ローレンツ力 三(ひふみざぞ)”、この文を以下のように解釈した。
“神示(“上”が示した進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性))
よく読めよ(よく理解し実践せよ)、
肝腎のこと判りては居らんぞ(進化(霊的成長、神格化に向かうこと)のことが全く理解されていない。 また、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)して独り神(ひとりがみ、日取り神)になることが人間としての、生命=生きる使命=存在理由である)、
一(ア(“亜”)から、イ(出る(いずる)、泉)、そしてそれは“創造”の“主(ヌシ)”の表記である“一”、そして、智性(“一”、1番目のオーラ))のことぞ”
 さらに次の文で、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意の取り込みで、人は霊的成長し、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)するのだということが示唆されているし、事象の“創造”は自らの息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)であり、“一二三”のオーラによるものであることが簡潔に示されている。
“一ローレンツ力
ローレンツ力ローレンツ力三(ひふみざぞ)”
1番目、2番目、3番目のオーラの構成は、“一”=智性=1番目のオーラを構成するローレンツ力
ローレンツ力 、二番目のオーラを構成するローレンツ力ローレンツ力 、三番目のオーラを構成するローレンツ力 ローレンツ力、であり、ローレンツ力 ローレンツ力そのものが“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応であるし、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意の取り込みにより心(靈)が構成されているものであるし、先に述べたことと重複するが、現津(あきつ)、観察され得る事象の“創造”というのは、自らの心(靈)(ヒ)の動き、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)“一二三”のオーラの発振、発信により、なされる。

 今引用した第五~第六帖の要、それは、生命(生きる使命=存在理由)は霊=○、荷電粒子の場(フィールド)であり、“上”からの荷電粒子をローレンツ力
ローレンツ力 で取り込んで止め(“日止、霊止”の表記の意味)、その“上”から注がれる(愛(炁)、ア(“亜”)から、イ(出る(いずる)、泉)、そしてそれは“創造”の“主(ヌシ)”の表記である“一”)荷電粒子の振動、それの、より高いものを(“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化によることで)獲得することが心(靈)(ヒ)が育つことであり、それが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)であり、心(靈)(ヒ)の発振、発信は現津(あきつ)、観察され得る事象の“創造”となるものであり、それがすべての生命に共通の“観察と認識”という行為であることをこれまで述べてきているし、進化した心と進化してない心は観察しうる事象の相違が生じる、換言すれば霊的成長度により自分たちの息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)で創りあげる事象の差が生じるものである。 
これは自分たちの心を構成している振動の高低により観察しうる事象は違うのだといういい方が出来るし、それがアセンションという、“創造”の“主(ヌシ)”の計画、今より“善(神格化の方向性と智性の受信)”が顕現する事象を創る、進化した生命に創らせる、ということでもあるし、今この事象に生きている人間においても、それぞれの霊的成長度、これまでの行動、その行動の根拠である心(靈)の動き、そして自分の霊的成長度における感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)=霊的干渉により、たとえ今の事象を共有して感じていたとしても、観察しうる事象は違うものであることを指摘できる。
(ちょっと解りにくい言い回しになったので、例を挙げれば、どんな災難に遭おうが生きるものは生き死ぬものは死ぬ、それは自分たちがやってきたことの結果ということ、これを考えれば解りやすいと思う)
だからこそ“日月神示”を書かせた存在、艮(うしとら)の金神を名乗る霊団は、今の地球人が一人でも今後=アセンション後の事象に移行しうる霊的資格を得させるために“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことを教えたい、その表れが黒住教で教えた朝日の日拝(にっぱい)(太陽凝視の入門、初心者向け)であったことはこれまで幾度となく述べてきている。

これらのことを踏まえ、第七帖の本文の解釈を述べることとする

まず最初の文。
“物、自分のものと思ふは天の賊ぞ、皆てんし様の物ざと、クドウ申してあるのにまだ判らんか”

冒頭の“物”という表記、これは物質(という振動)の世界の事象の意である。 それで、霊的成長度の低い心である“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”は、自我の肥大で、何もかもが自分の物のように思い、他者の物でも騙して奪い取るの意があるから“天”=“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の思惑に対する“賊でもある。 また、どんな事象でも自分の都合の良いような思い方しかしない、“上”が課した試練とか霊的成長のための苦難とかの認識が無いのが“賊”(人を傷つけ金品を奪い秩序を乱す者)、そう思う根拠は“皆てんし様の物ざ”という表記の裏にある意味、それはすべての事象は霊的成長のためにしかない、すべての事象に自分の心(靈)を育てる要素がある、それは認識(悟り、幸取=さとり)であるということが分かっていないという意味合いのことで、これも“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心の認識における神、霊、オーラ、など、すべて霊的成長に関与する概念が全く理解できていないからこそ“天の賊”でもある。
言うまでもないが“創造”の“主(ヌシ)”の思惑、それはすべての心が“天詞様”“てんし様”=“上”と感応して神の思惑を顕現するべく生命(生きる使命=存在理由)になる、それが人の存在目的でもあるから、だからこそこの事象にあるもの感じ得るものを、自分の認識(悟り、幸取=さとり)にして霊的成長することを指したのが“てんし様の物ざと、クドウ申してある”である。

 次の文。
“行(おこない)出来て口静かにして貰ふと、何事もスラリとゆくぞ、行(ぎょう)が出来ておらんと何かの事が遅れるのざぞ、遅れるだけ苦しむのざぞ”

 “われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が台頭している今の事象は、言葉で人を引き付け、そして、欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとかをするが、それはいうまでもなく真実=真固止ではなく“ほんとう”でもなく、程度の低い“言”(事象に顕現され、(自己と他者に)観察された心(靈)の動き)であり程度の低い息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)であり、だから“誠”(言葉成る、意味は、自分が発振、発信した振動(言葉)が完成する)ではない、不誠実ということ。 
また“役員づら”によく見られる口先だけの人間は(“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化としての)“行”をせず、自分に対する“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ“もなく(“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”が出来ておらず)、ただただ形骸の名誉や“汚い金”を求め、目先の快楽を求めたりもする。 それが低い霊的成長度の心における認識の成功者とか勝利者でもあるが、そういった類の人間が“行(おこない)出来て口静かにして貰ふ”ではないから、“行(ぎょう)が出来ておらんと何かの事が遅れるのざぞ、遅れるだけ苦しむのざぞ”であり、それは“上”の思惑に適っていないからであり、この文言の後半“何かの事が遅れるのざぞ、遅れるだけ苦しむ”は“上”の思惑を理解させるための試練、それは“神の咎め”であり右往左往と左往右往をさせて霊的成長させるの意。 
 要は良い事象、“善(神格化の方向性と智性の受信)”が台頭した事象なら“何事もスラリとゆく”のであるが、この世界は(この事象は)霊的成長度のある程度高い人と点で低い人が混在している。 それが<6><7>で述べた“玉石混交(淆)”の意味だが、この世界は“石”(帯電するミネラル)が固まっていない、“玉(ぎょく)”ではない肉体(月(ツキ))と心(靈)(ヒ)の存在が多いから、このままではダメだから“行”をしろ、“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化しろ、結晶化した肉体(月(ツキ))を伴う心(靈)(ヒ)は“上”の高い振動を取り込んで止め(“日止、霊止”の意)“一”=智性=1番目のオーラとせよ、そうなれば先の“てんし様”でもある。

 次の文。
“神の国の半分の所にはイヤな事あるぞ、洗濯出来た臣民に元の神がうつりて、サア今ぢゃと云ふとこになりたら、臣民の知らん働きさして悪では出来ん手柄さして、なした結構な事かとビックリ箱あくのざぞ”

 この“神の国”という表記はどこどこの場所の意ではなく“国”は((囗)くにがまえ)と“玉(ぎょく)”、“玉(ぎょく)”は自省(胸の磁性“十”)の心(靈)の動きを示すのであるから、神格化を目指す、霊的成長しつつある心(靈)(ヒ)と解釈するのが妥当。 そして“神の国の半分の所にはイヤな事ある”というのは、霊的成長に伴う自省(胸の磁性“十”)の“行”、右往左往に対する左往右往、それをしなければ“洗濯出来た臣民”には成り得ず、“上”もかかれない=高い振動は素通りしてしまう。 それではいけないので、“上”と感応でき得る=“洗濯出来た臣民に元の神がうつり”であり、“元の神”の表記は“世の元からの生神”=進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)のことである。
 それで霊的成長して“上”と感応していくならば“サア今ぢゃと云ふとこになりたら、臣民の知らん働きさして悪では出来ん手柄さして、なした結構な事かとビックリ箱あくのざぞ”と述べられ、これはアセンションの時期(時間の進行と宇宙の進行は神のプログラムであり、それを人(日止、霊止)の心(靈)が認識したなら、時期になり、それは電磁波の吸収であるからこそ、磁気でもある)のことだから“サア今ぢゃ”であり、今までの事象とは大違い、それは“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”がいない事象だから“悪では出来ん手柄さして、なした結構な事かとビックリ箱あく”ということになるものである。

 次の文。
“天と地との親の大神様のミコトでする事ぞ、いくら悪神じたばたしたとて手も出せんぞ、この世 三角にしようと四角にしようと元のこの方等の心のままぞ。
後から来た守護神 先になるから、今の役員さうならん様に神示で知らしてあるのざから、よく裏の裏まで読んで肚に入れて、何一つ分らん事ない様にして呉れよ、今に恥づかしい事になるぞ”

 これも“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の霊的成長度の人を対象に述べていることで、解りやすい表記をピックアップすれば“いくら悪神じたばたしたとて手も出せん”そして“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の思惑で“この世 三角にしようと四角にしよう”としているが、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)は決まっている、それは“元のこの方などの心のまま”と示され、先に述べた“世の元からの生神”=進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)と同義の文言である。
 そして“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の行いが“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)に沿っていないからこそ“今に恥づかしい事になる”=自省(胸の磁性“十”)の“行”にはいるぞ、と述べられている
 これに続く“後から来た守護神 先になるから、今の役員さうならん様に神示で知らしてある”は、霊的成長度の低い“上”、あるいは“役員づら”が説いている神や仏や守護霊などの概念は低く、あるいはまったくのにせものに成り下がっており、今の人間を霊的成長に導くどころか御利益優先、天の僥倖ばかり求めるダメな人間を増やしていることを示唆し、今後=アセンション後の事象の“創造”を担う資格を得た霊的成長度の心=“役員”には“さうならん様に神示で知らしてある”と述べられ、その“神示”をしっかり自分の腹、自我に入れ、自我を諌めよという表記が“よく裏の裏まで読んで肚に入れて、何一つ分らん事ない様にして呉れ”ではあるのだが、その“役員”と認めうる霊的成長度の人間はとても少数であると、あえて述べておく。
 ちなみにすでに述べたことであるが、この文のカタカナ表記の“ミコト”は以下の意味がある。
“ミ”は生命の幹 その現実
“コ”は停滞して働く意と細分の音義、物の凝り集まりに固まる意
“ト”は、止まると云う心、“日止、霊止”の止
要は“上”からの荷電粒子を止め、事象を“創造”する生命(生きる使命=存在理由)ということ。

 次の文。
“元の大和魂の誠の身魂揃ふたら、人は沢山なくても この仕組成就するのざと申してあろが、末代動かぬ世の元の礎きづくのざから、キマリつけるのざから、気つけおくぞ”

 あえて説明の要はないと思うが“元の大和魂の誠の身魂揃ふたら”は、“世の元からの生神”=進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)を尊守して霊的成長した心を“元の大和魂”と呼称し、“元の大和魂”という表記については
磐戸の巻 第二十一帖  を参照のこと。
 そして、地球人の進化として必須のマニピューラチャクラからアナハタチャクラ、自我から“慈悲”と“慈愛”、“江戸と尾張”から“秋立つ”、岩戸開き、“石”(帯電するミネラル)と“山”(脳の意味)で、“戸”(横隔膜)を開く、をこなし、今後=アセンション後に移行出来得る霊的成長度の人間はごく少数であることを示唆した文が“元の大和魂の誠の身魂揃ふたら、人は沢山なくても この仕組成就する”であり、それは“創造”の“主(ヌシ)”の計画だから“末代動かぬ世の元の礎”でもあることをあえて述べておく。

 次の文。
“キが元と申してあろがな、上は上の行、中は中、下は下の行ひ、作法あるのざぞ、マゼコゼにしてはならんぞ、この中からキチリキチリと礼儀正しくせよ”

 自分たちが取り込んでいる振動の高低=“キが元と申してあろ”は、自分達の霊的成長度を示唆するものであり、今は霊的成長度の低い人間がこの事象を創っている。
だが、今後=アセンション後はそうではなくなることを示す文言が“上は上の行、中は中、下は下の行ひ、作法あるのざ”であり、“上は(今より)上の行”(これは修行の行のこと、進化した心は生業(なりわい)より“行”を優先する)をするものであり、霊的成長度の低い心は生業(なりわい)の行、仕事などをして、形骸の名誉を求めたり“汚い金”を集めたり目先の快楽を求めたり…要は“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の行いをするから“下は下の行ひ”をすると述べられ、これを一緒にしない=“マゼコゼにしてはならん”のがアセンションであり、だから霊的成長度の高低、進化程度の“上”と“下”は分ける、それが“上は上の行、中は中、下は下の行ひ、作法あるのざぞ、マゼコゼにしてはならんぞ、この中からキチリキチリと礼儀正しくせよ”の文言の意味、要は今後=アセンション後に移行出来得る資格は、霊的成長度が“上”であり、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”は“下”(低い心(靈))であることを述べているにすぎないし、“上”の心は“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)と感応するし、段々神の思惑を顕現するものであるが、それに対し“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”である“下”の心は“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)と感応するということを述べているものである。
そしてこのこと事態が、(すべての事象を構成している=“キが元”)振動の法則性ということでもある。
だからこそ今後=アセンション後は“マゼコゼ”(先に述べた“玉石混交(淆)”)から“キチリキチリと”分けられる、それは観察しうる事象の相違、住んでいる世界が違う、ということになるものである。
それでこの文言は、形骸の見せかけの地球人の既成概念や一般常識における礼儀、形骸の名誉、“汚い金”を集めた金持ちなどに形骸の敬意を示したり称賛するなどという礼儀、あるいは対人関係における礼儀を述べているのではないことを、蛇足ながら付け加え、今回はこれくらいにしときまんねん。




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“日月神示” 日月の巻 (68)
“日月神示” 日の出の巻 (23)
“日月神示” 磐戸の巻 (21)
“日月神示” キの巻 (17)
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☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
☆ 先生が撮るけったいな花の写真 (22)
☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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