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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” キの巻 第十帖 Kellyさん的解釈

 今回もキの巻 第十帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

山の谷まで曇りてゐるぞ、曇りた所へ火の雨降るぞ、曇りた所には神は住めんぞ、神なき所 愈々ざぞ。 ひどい事あるぞ、神がするのでないぞ、臣民 自分でするのざぞ。
一日一日のばして改心さすやうに致したなれど、一日延ばせば千日練り直さなならんから、神は愈々鬼となって規則通りにビシビシと埒(らち)あけるぞ、もう待たれんぞ、何処から何が出て来るか知れんぞと申してあろがな。
花火に火つけよ、日本の国の乱れて来たのは来られんものを来らしたからぞ。 三千年の昔に返すぞ、三万年の昔に返すぞ、三十万年の昔に返さなならんかも知れんぞ。 家内和合出来ん様では、この道の取次とは申されんぞ、和が元ざと申してあろが、和合出来ぬのはトラとシシぞ、どちらにもメグリあるからざぞ、昼も夜もないのざぞ、坊主 坊主くさくてはならんぞ。
三月十三日、一二 ローレンツ力と ○

 一見、第十帖は“日月神示”によく見られる揶揄(やゆ)したような文章に見えるが、それだけでない部分もある。

 冒頭の“山の谷”は、○○○大先生の著書の読者なら理解できると思うが、山=大脳であり(<3>にこのことは述べてある)、よって谷は大脳のしわのことであるし、それが“曇りてゐる”のは、目上(めうえ)の心が台頭しておらず、目下(めした)(動物の心(靈)の段階)の心(靈)(ヒ)の動きが中心、そしてその息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)に感応する低い霊的存在と自分の心(靈)が同じような心(靈)の動きをしていることを指す表記が“曇りてゐる”であると思える。
 そしてこういう心(靈)の動きをしているなら、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意は、自らの心(靈)(ヒ)と感応しない、“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化も出来ていないから素通りするし、“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”という心の動きもあまりない=自我から“上”の心(靈)の発現があまりないので、自我の肥大(“石屋の仕組み”)がみられ、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”ということになるものである。
 それだからこそ、これに続く文では、“神の咎め”=“曇りた所へ火の雨降る”といわれ、さらに“曇りた所には神は住めん”は、先に述べたとおり、せっかく智性(神性)を発現させる大脳新皮質を持っているのにもかかわらず、目下(めした)(動物の心(靈)の段階)の心(靈)(ヒ)が台頭した“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が余りにも多いから、こう述べられているものである。
違ういい方をすれば、“曇りてゐる”のは目下(めした)(動物の心(靈)の段階)の心(靈)(ヒ)中心の思想と行動をする人であるし、それは“日月神示”表記の“ケダモノ”“獣”であり、以前解釈した下つ巻 第三十四帖の、
“臣民に神うつりてせねばならんのざから、まことの世の元からの臣民幾人もないぞ、みな曇りてゐるこれでは悪の神ばかりかかりて、だんだん悪の世になるばかりぞ、それで戦すむと思うてゐるのか、自分の心よく見てござれ、よく分るであろがな”
という文言を思い起こさせるものでもある。
 またこの文の“悪の世”は、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の台頭、その人たちの息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)により“創造”されていることも、今まで幾度となく述べてきた。
その意味のことを、今取り上げている文の続きで述べられているので()内に注釈を入れ以下に解釈を示す。
“曇りた所(目下(めした)(動物の心(靈)の段階)の心(靈)(ヒ)が台頭した脳)には神は住めんぞ(“上”の思惑は、程度の低い霊的成長度の心とは感応しない)、神なき所 愈々ざぞ(目下(めした)(動物の心(靈)の段階)の心(靈)(ヒ)が台頭していれば、智性(神性)由来の思想や行動が出来ないから、神の思惑を顕現することが出来ないのだという意味合い)。 
ひどい事(その思想や行動が“上”の思惑に沿っていない、“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)というものを無視しているから“神の咎め”がある)あるぞ、
神がするのでないぞ、臣民 自分でするのざぞ(すべての事象は自分の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)による“創造”であるが、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の“創造”は“世の元からの生神”=進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)に沿っていないからそのことを示す、教えるために“神の咎め”があるという意味合い)”

 次の文。
“一日一日のばして改心さすやうに致したなれど、一日延ばせば千日練り直さなならんから、神は愈々鬼となって規則通りにビシビシと埒(らち)あけるぞ、もう待たれんぞ、何処から何が出て来るか知れんぞと申してあろがな”

 “上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)は人の霊的成長を待っている、自我の肥大を諌め、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心の動きを自分にとって“悪(心の動きの本能化と低振動化)”であるという認識を持つ人を待っている、しかしアセンションの時期(時間の進行と宇宙の進行は神のプログラムであり、それを人(日止、霊止)の心(靈)が認識したなら、時期になり、は決まっているのでそれは電磁波の吸収であるからこそ、磁気でもある)は、決まっているので、“待たれん”と述べられている。
 そして“神は愈々鬼となって規則通りにビシビシと埒(らち)あける”“何処から何が出て来るか知れんぞ”は、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”、自我の肥大した人を諌める“神の咎め”で“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)を示すの意。
 いうまでもなく“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”というのは今後=アセンション後の“創造”を担う最低の条件、自分の在り方を自分に問うということであり、それが出来ないと次の転生を待たねばならないから“一日延ばせば千日練り直さなならん”と述べられている。

次の文。
“花火に火つけよ、日本の国の乱れて来たのは来られんものを来らしたからぞ。 三千年の昔に返すぞ、三万年の昔に返すぞ、三十万年の昔に返さなならんかも知れんぞ”
 
 冒頭の“花火に火つけよ”は揶揄した言い回しの感があるが、それは先の“曇りてゐる”を何とかしろ、くもり空に花火を打ち上げろ、という意味合いであると思う。 
それだから“日本の国の乱れて来た”と述べられ、この“国”の表記は今まで解釈してきたとおり(囗)くにがまえと“玉(ぎょく)”であるから自省(胸の磁性“十”)して霊的成長を目指す心(靈)のことであり、それが“乱れて来た”と述べられているのは、自我の肥大が低い霊的存在と感応して“曇りてゐる”心になっている、日(太陽)の本(縦の磁束と横の磁束+丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)+乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)+下の横棒(強調の意))ではない、そういった人間が多いからである。
これに続く“三千年の昔に返すぞ、三万年の昔に返すぞ、三十万年の昔に返さなならん”だが、“三千年の昔”は、おそらく、天皇が天意を受信して、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の思惑としての詔(みことのり)を述べていた時代で、天皇制が“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”に利用されるようになったのは、聖徳太子が現れたくらいの時期であり、そのままの天皇と政治の仕組みが台頭している今は政治(まつりごと)も天皇も形骸になっており、これは“世の元からの生神”=進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)に沿っていないので、まだまだ昔の方が良かったのだという揶揄した表記であると思うし、“三十万年の昔”というのは旧石器時代を指していると思うが、これはダメな文明は壊すしかないという言い回しであると思うし、それくらい現状はダメになっているのだということを読み取らなければならないものである。

次の文。
“家内和合出来ん様では、この道の取次とは申されんぞ、和が元ざと申してあろが、和合出来ぬのはトラとシシぞ、どちらにもメグリあるからざぞ、昼も夜もないのざぞ、坊主 坊主くさくてはならんぞ”

 “家内和合”というのは、個々の家族のことではなく、地球全体と読み取るべきで、恨みの連鎖の霊的干渉を生み出し増大させている経済の繁栄など、自我の肥大した心の“創造”の結果は子供の浮遊霊をどんどん増やし、それに感応する三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心を持った人たちはどんどん増えているが、これは地球人全体が幼稚である証拠であり、進化した宇宙人から観れば地球は、恨みの連鎖の霊的干渉の結果としての“痛みと悲しみの星”、そういった場(フィールド)に成り下がっているから“和が元ざ”といわれ、この“和”をカタカナ表記(“上”から視点)で解釈するならば、“ワ”、物を生む、生まれしものを和合する意、生命(生きる使命=存在理由)の調整の義、ということであるから、地球そのものが生命が霊的成長する場(フィールド)ではなくなっているのだということを述べていると思える。 またこの意味のことを強調する言い回しが“この道の取次とは申されん”であり、“この道”とは進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)のこと。
 そして“和合出来ぬのはトラとシシぞ、どちらにもメグリあるからざぞ”の“トラとシシ”は、目下(めした)(動物の心(靈)の段階)の頂点ともいえる肉食動物の頂点である“虎”と“獅子”のことで、これも揶揄した表記だが、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の頂点、形骸の地位と名誉を得た人間という意味合いのことでもあると思うし、そしてそれには恨みの連鎖の霊的干渉による因縁や憑依の現象化があるから“メグリある”と称されている。
幾度となく述べてきたことだが、恨みの連鎖の霊的干渉を生み出して増大させているのは自分たちの低い心(靈)、目下(めした)の心の動きである。
さらにこれに続く“昼も夜もないのざぞ、坊主 坊主くさくてはならんぞ”は、第十帖で述べてきている“曇りてゐる”と称されている心の動きをよく自己観察し、諌めよ、それが“一日一日のばして改心さすやうに致したなれど”の“改心”であり、最後の“坊主 坊主くさくてはならんぞ”は、今の仏教が形骸になっている、坊主は生臭坊主ばかりで、その生臭さは、は仏教で説いている三毒、貪、瞋、痴(とん、しん、ち、)の心が台頭しており、それに感応する霊的存在は極めて幼稚な存在であるという、まったく笑止な現状を“上”が諌めた言い方であると思う。

今回はこれくらいにしときまんねん。 

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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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智性無き心は
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

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