“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” キの巻 第十一帖 Kellyさん的解釈


今回も、キの巻 第十一帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

一二三(ひふみ)とは限りなき神の弥栄であるぞ、一(ひ)は始めなき始であるぞ、ケは終りなき終りであるぞ、神の能(はたらき)が一二三であるぞ、始なく終なく弥栄の中今(なかいま)ぞ。
一二三は神の息吹であるぞ、一二三唱えよ、神人共に一二三唱へて岩戸開けるのざぞ、一二三にとけよ、一二三と息せよ、一二三着よ、一二三食(お)せよ、始め一二三あり、一二三は神ぞ、一二三は道ぞ、一二三は祓ひ清めぞ、祓ひ清めとは弥栄ぞ、神の息ぞ、てんし様の息ぞ、臣民の息ぞ、けもの、草木の息ぞ。
一であるぞ、二であるぞ、三であるぞ、ケであるぞ、レであるぞ、ホであるぞ、 渦巻き 左回転 であるぞ、 日足(ひたり)回転うず多い 小画像 であるぞ。
皆の者に一二三唱へさせよ、五柱 御働きぞ、八柱 十柱 御働きぞ、五十連(いつら)ぞ、意露波(いろは)ぞ、判りたか。
三月十四日、ひつ九ノか三。

 この原文に何回も出て来る“一二三”、これの解釈がしっかりできていなければ、この文を読み解くことも出来ず、“日月神示”を書かせた霊団の思惑、何を伝えようとしているのかも解り得ないはずである。
 ここまで述べてきたように“一二三(ひふみ)”は1番目、2番目、3番目のオーラであり、動物から人間への進化(霊的成長、神格化に向かうこと)は1番目、2番目、3番目のオーラの強化と変容といい得る。
また、“一”=智性=1番目のオーラが大きくなれば神に近くなるのであるし、神の思惑、神の認識、天の御目(あめのおめ)を、自分の心(靈)に獲得していくものである。
そのための“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化が“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことであり、目上(めうえ)の脳のたんぱく質の高分子化による水平磁場の強化が、頭のシンクロトロン放射の強化になり、それは水平磁場の強化がシンクロトロンの荷電粒子の回転は加速につながるからである。
また荷電粒子の回転が加速すればするほど、高速回転すればするほど、高い振動と感応し、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を止める、それが“日止、霊止”の表記の意味であることを今まで述べてきた。
そして、この高い振動を止めることが出来ない肉体(月(ツキ))の持ち主の心(靈)は、目下(めした)(動物の心(靈)の段階)中心の心だから“日月神示”では“ケダモノ”“獣”などといわれているのである。
話しを戻し、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)したなら人間は“一”=智性=1番目のオーラが大きくなる。 そして天意を止め、神の思惑を顕現する人となっていくのであるが、それが弥栄の意味であり、弥栄の旧字は、彌、であるが、さらにこれの旧字が、弓偏(へん)と璽(しるし)という字であり、これには、深い意味があることを過去に画像で述べてきた。

弓と璽(しるし) 彌の旧字の解字

 また画像で示した通り、弓偏(へん)と璽(しるし)という字そのものが、チャクラ(荷電粒子の回転を示す)の意味を示すことも、○○○大先生は未刊行の著書の<7>で述べている。
 そして“日月神示”には回転の表記がよく出て来るが、荷電粒子の回転、それが心(靈)(ヒ)であること、そして“日月神示”の回転の表記の意味合いを今後=アセンション後に移行すべき人は良く知っておかねばならないと思う。

 以上のことを踏まえ本文の解釈に入ることとする。 まず冒頭の文。
“一二三(ひふみ)とは限りなき神の弥栄であるぞ、一(ひ)は始めなき始であるぞ、ケは終りなき終りであるぞ、神の能(はたらき)が一二三であるぞ、始なく終なく弥栄の中今(なかいま)ぞ”
 これは“一二三(ひふみ)”のオーラが、“神の弥栄(いやさか)”といわれているので、生命(生きる使命=存在理由)の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)が神の“思惑の顕現”=現象化であることを示しており、それは“限りなき”=無限、事象に限りはないのであり(事象に限りがあると思っているのは程度の低い霊的成長度の心の持ち主)、無限に続く(“道”時間の進行)ということである。 そしてこれに続く“一(ひ)は始めなき始”というのは、“創造”の“主(ヌシ)”の表記である“一”(亜から出ずる、アイ)が、“創造”の始まりであるといわれ、この“一”の表記の意味はこちら側、人から見て日足(ひたり)から砌(みぎり)に筆を動かして書かれるので“思惑の顕現”=現象化であり,それはア(“亜”)から、イ(出る(いずる)、泉)、であり、ひらがな表記の“(ひ)”は、人から視点の太陽、日、であり、また、すべての存在が心(靈)(ヒ)であるという意味合いのことであると思え、これは観察する側と観察される側の違いにより、カタカナ表記とひらがな表記の違いが生じ、個々の心が自分以外の心(靈)(ヒ)を観察してい認識したなら、ひらがな表記の“(ひ)”ということになり、“創造”の“主(ヌシ)”の表記の“一”も、心(靈)(ヒ)であるという意味合いを示していると思う。
 これに続く“ケは終りなき終りであるぞ”は、“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”から“ケ”を引用すれば、零霊(ぬひ)へ還元の音意と霊より現津(あきつ)への道程、下り魂(ニニゲ)と称されており、これも思惑=零霊(ぬひ)へ還元の音意と霊より、顕現=現津(あきつ)への道程、下り魂(ニニゲ)、よってこの文は、いわゆる神の“思惑の顕現”=現象化の意味を指すことである。
 これに続く“神の能(はたらき)が一二三であるぞ、始なく終なく弥栄の中今(なかいま)ぞ”は、そのまま読めば意味が通じそうなものだが、この文の“神の能(はたらき)”は、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、であり、それを止める、高い振動も低い振動も止める、それが“日止、霊止”の表記の意味合いであり、高い振動が素通りしている人間が霊的成長度の低い人間で、またそれは“一”=智性=1番目のオーラが小さいということも幾度となく述べてきた。 
その意味のことをよく理解していれば、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)は、“下”から始まり、だんだん“上”になる。 換言すれば3番目のオーラ、2番目のオーラは“上”に昇華し(大日如来の条帛(じょうはく)が意味するところ)、そして1番目のオーラになっていくという、今まで述べてきたことを納得してもらうことが出来ると思う。 
それを意味する表記が“神の能(はたらき)が一二三である”ということ。 そして神の代理とか神の“思惑の顕現”=現象化をするのが“日止、霊止”であるという意味合いのことでもある。
ここまでの文は、事象の“創造”をしていくのは自分たち人間であり、このこと自体が神の“思惑の顕現”=現象化であるという意味合いの表記である。
これに続く“始なく終なく弥栄の中今(なかいま)ぞ”は、“中今(なかいま)”は、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)と“創造”の真っ最中という意味合いのことであるし、それは人間が思う時間の概念を超えているから“始なく終なく”ということでもある。

 次の文。
“一二三は神の息吹であるぞ、一二三唱えよ、神人共に一二三唱へて岩戸開けるのざぞ、一二三にとけよ、一二三と息せよ、一二三着よ、一二三食(お)せよ、始め一二三あり、一二三は神ぞ、一二三は道ぞ、一二三は祓ひ清めぞ、祓ひ清めとは弥栄ぞ、神の息ぞ、てんし様の息ぞ、臣民の息ぞ、けもの、草木の息ぞ”
 この文の“神の息吹”とは、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を止めて1番目、2番目、3番目のオーラを発振、発信しているのが人間であるという意味。
“唱えよ”は、発振、発信の意。 
“神人共に一二三唱へて岩戸開ける”の“岩戸”は、岩戸開き、“石”(帯電するミネラル)と“山”(脳の意味)で、“戸”(横隔膜)を開く、マニピューラチャクラからアナハタチャクラ、自我中心の心から“慈悲”と“慈愛”の発現、第三密度から第四密度への意向ということ、“神人共に一二三唱へて”は、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を止めるのは“日止、霊止”であり、今半分ケダモノの平均的地球人が“日止、霊止”になるには、先に述べた、高い振動を止める“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化をする、“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことをする、ということであるし、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意の止め具合が、自分の心(靈)の霊的成長度であり、それは“一二三”のオーラに具現化するという意味。
“とけよ”は、同化、同調せよ、感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)せよ、の意。
“息せよ”は、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を止め、発振、発信せよ、の意。
“着よ”は、“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化できた肉体(月(ツキ))なら“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を止めることができるが、そうなれよ、の意。
“食(お)せよ”は、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を吸収出来得るようになれよ、それには“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化と自我の肥大(“石屋の仕組み”)を諌める“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”が必須、そして、胸の磁性“十”、胸、アナハタチャクラ、の、|(たてぼう、こん、縦の磁性))と横棒━(水平磁場)を強化せよ、そうすれば事象の見方も変わる、“慈悲”と“慈愛”という心の動きで自分の心(靈)を含めた事象の観察をするようになるということでもある。

(内面とか内側(心の中と感じている事)と外側(外国と幽界)の事象の観察ということ、だがこれは、すべて自分の心(靈)の中で感じているということでもある)

 これに続く“始め一二三あり”は、事象の“創造”の根拠たることが“一二三”のオーラであり、個々の心(靈)(ヒ)の発振、発信するオーラの相互干渉により事象を感じ(感じる磁性)、この世界とか自分とか自分の心(靈)の中とかという思い方をするが、すべての事象は振動の受発信により“創造”されているから、感じ(感じる磁性)るのであり、そこに“観察と認識”というものがなりたつもので、これはすべての存在が霊=○、荷電粒子の場(フィールド)であるからということでもある。
 そして神であろうが人であろうが悪魔であろうが、個々の心(靈)(ヒ)は、霊的成長度の“上”と“下”の違いがあり、その霊的成長度の違いにより、観察しうる事象は違う、“創造”しうる事象も違う、これは感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)する振動の違いということである。
 そして今述べた個々の心(靈)(ヒ)の“上”“下”により、自分たち人間が神と名付けたり悪魔と名付けたりしているが、これも“上”と“下”の違い、そして“思惑の顕現”=現象化の違い、を分類しているにすぎないが、すべての事象の“元”たる“一二三”のオーラの受発信は、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意の取り込みによるから、それをどう止め、どう発振、発信するか、どういった事象の“創造”をするか、ありていに言えばどう行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)するか、ということで、このこと自体が、事象の“創造”、そしてその“創造”の根拠は、個々の心(靈)(ヒ)の思惑、日足(ひたり)の極性、“どういうつもり”、により、成されているもので、その意味のことが“一二三は神ぞ、一二三は道ぞ”、この場合の“神”は、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意のことと、自分の心(靈)が思う“上”、これは“上”の振動そのものといえ、高い振動のことであるし、その振動を取り込んだ自分の心(靈)、あるいは他者の心(靈)(ヒ)、“上”と認識する、神と認識する、そう認識しうる“一二三”のオーラといういみあいのことで、それはまた時間の進行を創り得るものであるから(時間の進行は個々の心(靈)(ヒ)の中の認識であるから)“道”と称されているものである。
 これに続く“一二三は祓ひ清めぞ、祓ひ清めとは弥栄ぞ、神の息ぞ、てんし様の息ぞ、臣民の息ぞ、けもの、草木の息ぞ”は、個々の心(靈)(ヒ)、その“上”“下”のことを述べているのと、“一二三”のオーラが高くなればなるほど、“創造”の“理(ミチ)”、法則性を尊守した事象の“創造”をする、それは“悪(心の動きの本能化と低振動化)”ではなく、“善(神格化の方向性と智性の受信)”であるから、“一二三は祓ひ清めぞ、祓ひ清めとは弥栄ぞ、神の息ぞ、てんし様の息ぞ”と称され、ことに“祓ひ清めとは弥栄ぞ”に、人が神の“思惑の顕現”=現象化を託されていることに気付かねばならず、それは“上”からの振動の止め方、同“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化するか、同“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”するかにかかっているからこそ、“上”を示す表記の“神の息”“てんし様の息”と称され、この場合の“息”は自らの心(靈)(ヒ)という意味合いでもあるが、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)であることを指摘しておく。
 その自らの心(靈)(ヒ)ということ、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)ということを強調した言い回しがこれに続く“臣民の息ぞ、けもの、草木の息ぞ”ということで、“上”であろうが“下”であろうが、心の成り立ちや構造が違おうが(草木は動物と心(靈)(ヒ)の成り立ち方が違う)、すべては“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意の取り込みとその発振、発信で事象の“創造”をしているという意味合いの文である。
 
 次の文。
“一であるぞ、二であるぞ、三であるぞ、ケであるぞ、レであるぞ、ホであるぞ、 渦巻き 左回転 であるぞ、 日足(ひたり)回転うず多い 小画像 であるぞ”
 この文で示されている日足(ひたり)回転、“日月神示”を最初から読み解いてきて初めて出てきた表記の日足(ひたり)回転があるが、その違いを以下に拡大画像で示す。

日足(ひたり)回り “日月神示”表記 これまでとキの巻第十一帖の表記

 この渦が密になっている表記の意味は、荷電粒子の回転が水平磁場により加速され強化されている様子を示すものと確信する。 その加速と強化については先に述べたので割愛するが、これは霊的成長を果たした様であり、“一二三”のオーラの大きさの変容でもあるし、発振、発信するオーラの高振動化ということでもある。
 それで本文に述べられている“ケであるぞ、レであるぞ、ホであるぞ”のそれぞれのカタカナ表記については、靈によって“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”から引用して解釈を述べる。
“ケ”は、零霊(ぬひ)へ還元の音意と霊より現津(あきつ)への道程、下り魂(ニニゲ)、これは“上”の思惑を現津(あきつ)、観察され得る事象に顕現する、神の“思惑の顕現”=現象化の意味合いということ。

“レ”は、“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”に、稀に見ぬ心の持ち主 その持ち主は吾が心にそわずして また次座を訪れ 離れ離れて また元座道座(もとくらみちくら)に戻る それそれて またもとり 其のチカラ自らそれ ムレ クレ ヨレ ヒレフリの真澄心となりし其理 自ら幸取よかし 
と述べられていて、これは右往左往と左往右往と同義のことだと思え、個々の心(靈)(ヒ)が、“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)からそれたなら、それは“ほんとう”の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の方向性と“ほんとう”の時間の進行に戻る、それが“元座道座(もとくらみちくら)”と称されていると解釈でき得る。

“ホ”は 深き 高き 広き の意、それが備わったさま。(穂=禾(のぎへん)と恵)、神の思惑、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を取り込んだ“日止、霊止”が、事象の“創造”を“深き 高き 広き”とするという意味合い。
 
 また、この“ケ”“レ”“ホ”は、太祝詞(ふとのりと)の最後の方の“ホレケ”と意味が同じであると思うし、順番が反対なのは、“上”から視点の言い回しか、“下”である人間の観方なのか、の違いであると思う。
 そしてすべての事象の成り立ち先に述べた“一二三”のオーラの受発信であるから“一であるぞ、二であるぞ、三であるぞ”と称され、それは今解釈した“ケ”“レ”“ホ”であり、さらに神の“思惑の顕現”=現象化をするならば、自らの心(靈)(ヒ)の荷電粒子の回転は加速され強化され得るというのが、うずの多い、うずの密度が高い表記の 日足(ひたり)回転うず多い 小画像 であるということ。

 これに続く“皆の者に一二三唱へさせよ、五柱 御働きぞ、八柱 十柱 御働きぞ、五十連(いつら)ぞ、意露波(いろは)ぞ、判りたか”は、“唱えさせよ”は、受発信のこと、“五柱”の五は糸巻の象形文字、神経が密になった様、コイル線の巻数が多い様子、磁場の強化で、
(“慈(しげる)”の意味でもあり、心(靈)(ヒ)が“慈(しげる)”ならば、“慈悲”と“慈愛”、すべての事象を慈しみ悲しみ慈しみ愛しむ(いつくしみかなしみいつくしみいつくしむ)ということになる)
磁場の強化があってこそ“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を自らに止めて加速して発信するの意。
(それがまた“畐”の意味でもある)
(“畐”は、“創造”の“主(ヌシ)”の表記“一”を吸収する、取り込む意の口、そしてそれは頭で高い振動を止めるから、“田”(心、靈、の四つの場(フィールド)、大脳の新皮質)の表記がされている)

 そして“八柱”は、人が持つ“富士(二二)”=肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道のことを指し、“十柱”は、|(たてぼう、こん、縦の磁性))と横棒━(水平磁場)のこと、シンクロトロンの構造を指す。
 そして“五十連(いつら)ぞ”の、“五”と“十”は先に述べたことを強調するものであり、これは進化(霊的成長、神格化に向かうこと)した生命である“日止、霊止”という意味合いのことでもある。
 そして進化した生命が成すこと、それが“意露波(いろは)”で、“意”は、日に立つ心、太陽に立つ心の意、言うまでもなく太陽の振動を取り込むこと、“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことであるし、“露”は、天意が降り注ぐ意味合いの雨、
雨の象形文字 解字


そして路で構成されているが、路は、道のり、行程、あるいは、そこへ行く道、そこを通る道、の意味合いがあり、またそれは太陽の振動を取り込んで派生する“露”=水=錯体の意味があると思えるし、最後の“波”は振動の受発信のことを述べ、これらのことを一括して“意露波(いろは)”と称されているものである。

 今回はこれくらいにしときまんねん。



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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
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(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
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