“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” キの巻 第十三帖 Kellyさん的解釈


今回も、キの巻 第十三帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

世に落ちておいでなさる御方(おんかた)御一方(おんひとかた)竜宮の音姫殿 御守護遊ばすぞ、この方、天晴れ表に表れるぞ、これからは神徳貰はんと一寸先へも行けんことになったぞ、御用さして呉れと申してもメグリある金(かね)は御用にならんぞ、メグリになるのざ。
自分の物と思ふのが天の賊ぞ、これまで世に出ておいでになる守護じん九分九厘迄 天の賊ぞ。 偉い人 愈々とんでもないことになるぞ、捕はれるぞ、痛い目にあわされるぞ、今に目覚めるなれど其の時では遅い遅い。 おかみも一時は無くなるのざ、一人々々何でも出来る様になりて居りて呉れと申してあること近うなりたぞ、ひ(火)の大神 気付けて呉れよ、どえらいことになるぞ。
一厘のことは云はねばならず云ふてはならず、心と心で知らしたいなれど、心でとりて下されよ、よく神示読んでさとりて呉れよ、神たのむのざぞ。
三月十六日、ひつぐの神。
 
 冒頭の
“世に落ちておいでなさる御方(おんかた)御一方(おんひとかた)”
というのは、“世の元からの生神”=進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)のこと、あるいはそれを顕現すべき人=“御方(おんかた)御一方(おんひとかた)”、顕現すべき人ということならば、それは、平均的地球人よりはるかに霊的成長度の高い人ということである。 
そして“世に落ちておいでなさる”という言い回しがされているのは、平均的地球人の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)で“創造”されている低い次元、低い事象、いわゆる“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心の動きによって創られているこの事象では、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)、そしてそれを実践する人はたいして活躍していない、活躍できていない、活躍させてもらえる場(フィールド)ではない、ということで、言い回しを変えるならば、今の事象で神の思惑というものは顕現していないのだという意味合いのこと。
 これに続く
“竜宮の音姫殿 御守護遊ばすぞ、この方、天晴れ表に表れるぞ、これからは神徳貰はんと一寸先へも行けんことになったぞ”
の“竜宮”については以前解釈した日の出の巻 第十八帖から以下にコピペ。

“竜宮の乙姫”の“竜宮”は竜の如く“下”のエネルギーが“宮”に上っていく(昇り竜)、宮は宀(うかんむり、頭の意味)と“呂”で、これは頭と腹のエネルギーの回転を示す表記、頭と腹は、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)によって結ばれている表記だが、この意味のこと、さらに“竜”の表記は呂と立つ、あるいは太陽に昇る竜、ちなみに月に昇る意味合いは龍
 それで日の出の巻 第十八帖とは違い、キの巻 第十三帖では“音姫”の表記になっており、“音”というのは日に立つであると思うし、“姫”は砌(みぎり)の極性(事象への顕現)を指す女を意味した表記である。 
よってこれは“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことをして霊的成長を果たし、その認識(悟り、幸取=さとり)、思想、これは平均的地球人より高いから、今後=アセンション後の事象に必要であるから顕現させねばならず、それには今までとはレベルの違う“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の援護があるという意味合いのことを述べた表記であると思うし、顕現させるからこそ、“世の元からの生神”=進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)を示すからこそ、“この方、天晴れ表に表れる”そして“これから(今後=アセンション後)は神徳貰はんと一寸先へも行けんことになった”といわれ、いよいよ神の思惑を顕現させる、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の霊的成長度の心(靈)の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)では作れない事象を“創造”するという意味合いの表記である。
 そしてそれを強調するのが“神徳(智性(神性))貰はんと一寸先へも行けん”であるし、さらに自己奉仕者の“創造”を諌める言い回しとして“御用さして呉れと申してもメグリある金(かね)は御用にならんぞ、メグリになるのざ”といわれており、この“メグリある金(かね)”と“メグリになる”は、恨みの連鎖の台頭している“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)の顕現が、その代価が(通貨としての)金であり、じゅんいち君の登場する記事で述べているように“恨んだり恨まれたりという心の動きの中で金の精は存在し、活躍をする”という現状であるし、それは神の“思惑の顕現”=現象化ではなく、“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の思惑であるから、“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の現象だから、“御用”では無いということ。
 今述べた恨みの連鎖=“メグリ”を引き起こしている形骸の地位や名誉を得た人を戒める言い回しが、
“自分の物と思ふのが天の賊ぞ、これまで世に出ておいでになる守護じん九分九厘迄 天の賊ぞ。 偉い人 愈々とんでもないことになるぞ、捕はれるぞ、痛い目にあわされるぞ、今に目覚めるなれど其の時では遅い遅い。 おかみも一時は無くなるのざ”
であり、これまでも述べている通り“これまで世に出ておいでになる守護じん”というのは、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の霊的成長度における程度の低い“上”ということ。 そしてそんな段階の人とその“上”では、“愈々とんでもないことになるぞ、捕はれるぞ、痛い目にあわされる”=“改心”のための事象として“神の咎め”があるぞといわれ、早く“改心”白という意味合いで“今に目覚めるなれど其の時では遅い遅い”と述べられ、形骸の地位や名誉は全く霊的成長にとって意味が無い、あるいは人の霊的成長ということの足を引っ張るからこそ“これまで世に出ておいでになる守護じん九分九厘迄 天の賊”“おかみも一時は無くなる”といわれているに過ぎない。

 これに続く
“一人々々何でも出来る様になりて居りて呉れと申してあること近うなりたぞ、ひ(火)の大神 気付けて呉れよ、どえらいことになるぞ”
の“一人々々…”というのは、今後=アセンション後の事象ではそこに存在しうる霊的成長度の人ならば、いい方を変えればこれからの世では、“世の元からの生神”=進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)をだれもが認識としているから、そこにおける事象の“創造”に関して“一人々々何でも出来る様になりて”ということになり、今の世のように、政治や経済などあり得ないし、誰もが良いカタチの事象の“創造”に携わっているという意味合いのことであるし、その時期は近いのだということも述べており、それは“ひ(火=荷電粒子の回転を指す点二つと、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現))の太神”を、“気付けて呉れ”というのは、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を取り込め、そういった心(靈)(ヒ)になれという意味合い。
 さらに今述べたことをしました言い回しが
“一厘のことは云はねばならず云ふてはならず、心と心で知らしたいなれど、心でとりて下されよ、よく神示読んでさとりて呉れよ、神たのむのざぞ”
であり、この文の表記の“一厘”というのは荷電粒子の大きさを指した表記のこと。
それは以前、キの巻 第九帖で以下のように解釈した。

“たき火ともしは皆 日の大神様から頂く”は、“上”からの振動の太陽からの荷電粒子を示し、“御水と御火と御土でこの世の生きあるもの生きてゐる”の“御土”は肉体のことをいっている。 これが生命の構成要素であり、そしてそれは大概の人間が気が付かない、そういう認識を持っていないから小さいの意味合いの“一厘”といういいまわしをされ、さらにそれは荷電粒子は小さいことを示している言い回しである
引用終わり。
 また、“ほんとう”に価値のあること、神の思惑が顕現した事象は真実=真固止であるが、今の世にはそれは目立たないしはっきり分かっていないから小さいと認識され得るという言い回し、それが“一厘”でもあると思うが、この文の“心と心で知らしたい”“心でとりて下され”の“心”の表記を、心(靈)(ヒ)にすれば解りやすい。 
それは、感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)であり、オーラの相互干渉であり、感じ(感じる磁性)ることであり、それは心(靈)(ヒ)、対、心(靈)(ヒ)で行われることであり、その個々の心(靈)(ヒ)に“上”と“下”の違いがある、霊的成長度の違いがある、神と認識され得る、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)と認識され得る、“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)と認識され得る、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)と認識され得る、の、違いが生じるものでもあるが、それは、個々の心(靈)(ヒ)の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)をどう感じ(感じる磁性)るかによることである。
 要は物ではなく、振動である、また振動が事象の“創造”の根源であるということでもある。
 そして
“よく神示読んでさとりて呉れよ、神たのむのざぞ”
の“神示”は、神の思惑を顕現するの意であるから、それを“さとりて呉れ”=悟、五つの口が心(靈)(ヒ)にはあり、それは五感であることを○○○大先生は著書で述べたが、感じ(感じる磁性)ること自体が電磁誘導による新たな電流の発現であり、そこに“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化の秘密があり、“上”からの振動の取り込みが、個々の心(靈)(ヒ)には神と認識され得るのであるから“神示(神が贈り送る荷電粒子の振動を自分の認識とする)読んで(荷電粒子の振動に含まれた情報を認識とする)さとり(幸取、さとり、)て呉れ”であり、そういった人が増えて欲しい、それが神の計画としてのアセンション、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”がいない事象を“創造”するから、それが神の思惑であるからこそ“神たのむのざ”ということである。

 今回はこれくらいにしときまんねん。



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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

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四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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智性無き心は
悪を容認する


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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
予約制 鍼(はり) 灸(きゅう) マッサージ治療 児玉療院
写真部の○○○大先生のページ
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○○○大先生の水草水槽記録
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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