“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“ローム太霊講話集” 第八話 死の前後 病死と事故死の場合 Kellyさん的解釈“その二”


 前回告知した通り、今回は“電車や汽車に轢かれたり撥ねられたり…”について。
まず、死に対して無知な平均的地球人が知らねばならない情報のピックアップとして、一部、以下に列挙する。
 
恐らく半年前から予告されている筈であるが、本人がそれを知らないのはその背後の霊が強力でない
そして
これら戦死でも不慮の死でも、凡そ一と月から半年前には必ず何等かの形で知らされている筈である
それと
仮令(たとい)首や手足が無くなっても臍を中心とした幽体はその儘そこに残っていて、五時間程でまた元の形になる
一遍に肉体が無くなると、幽体は直ぐには人間の形にならず、ただ円いものに変るのであるが、それから段々に首や手足が出来てきて、五時間後には全部が揃った幽体になる

この情報について、なぜ太霊がその情報を伝えようとしているのか、に対しての解釈を、述べることとする。

 前回の、第八話解釈“その一”を読まれた方はすぐ理解できると思うが、“恐らく半年前から予告…”“凡そ一と月から半年前には必ず何等かの形で…”という“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の通信、なぜそれが行われるのか、なぜそれを“上”は行っているのかは、前回述べた通り、

“上”としては、自分の死についてよく知っておけ、だからこそ死の時期(時間の進行と宇宙の進行は神のプログラムであり、それを人(日止、霊止)の心(靈)が認識したなら、時期になり、それは電磁波の吸収であるからこそ、磁気でもある)を教えようとしているのであるし、仮にこのことを知っていたならば、第七話に述べられているように“自分は死んだのではないかと気が付く位になっていれば、余程確りした霊である”の、“自分は死んだのではないかと気が付く”ということになる。
 この言い回しの裏を返せば“死んだのではないか”という自覚を持つ霊が少ないということでもあるし、大概の平均的地球人は自分が死んだことに対してしっかり自覚を持ちえない、死んでいる自分ということに対する認識が足りない、だから地縛霊なり浮遊霊になったりもして恨みの連鎖の霊的干渉を成す霊団の一員になったりもする、いわゆる悪霊の類に成り果てるからであり、そうならないために、多くの人間に悪霊になって欲しくないからこそ、太霊は、死について説いておられるのである


ということである。

 そして“半年前から予告されている筈であるが、本人がそれを知らないのはその背後の霊が強力でない”というのは、“背後の霊”と“本人”が、密に連絡が取れていない、これは双方の霊的成長度の低さ=“その背後の霊が強力でない”という要因と、もうひとつ、その“本人”にたくさんの憑依霊が憑いていて、通信が送りにくい、届かない、ということを示していると思う。 
 それら“上”の通信を妨害している憑依霊は、いうまでもなく悪霊であり、それら悪霊とその悪霊の霊団の親分的存在は、その“本人”が死んだとき“死んだのではないか”という自覚を持たせない=悪霊のたぐいにしたいからであり、そういった思惑を持った存在であるということを、太霊の言葉から類推して考えるべきであるし、ここまでのことを鑑みるべきであるとも思う。
 
 それで、この“上”からの通信を妨害している憑依霊に対し、古神道では、祓えたまえ清めたまえ、禊をしろ、ということが説かれているが、これも今はほとんどが儀式にしかなっていないし、その儀式は“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の思惑、いわゆる“役員づら”による金儲けにしかなっていない。 
 またそれをまねたインチキスピリチュアルまがいの何かも、今の事象に台頭しているものである。

 よって、実際には悪霊は祓われていない=“本津宮”(もとつみや)に帰っていない=悪霊自身の心(靈)が自省(胸の磁性“十”)をしていない、それどころか大概の悪霊は自分自身の死すら自覚していないだろう。 
 これは、神主がいくら祓いを行っても、神主自身がたいして“行”やっていないので、祓いの祝詞を唱えても“上”は力を貸すわけにいかない、“行”やっていない人間に“上”は力を顕現させるということをしないという当たり前の事情もある。

(これは多くの既成宗教に携わっている人、ほとんどが“ほんとう”の“行”をやっていないので、神社での祓いや僧侶の供養は、今、全く人間の霊的成長にとって役に立っていない、そして、死んだ霊的存在にとっても、役に立っていないということでもある。 ちなみにこれらのことは○○○大先生が著書で述べたこと)

 それで仮に、祓いがうまくいっていたなら=地球上に無数に存在する恨みの連鎖の霊的干渉の結果増え続けている悪霊のたぐいの影響を受けなかったとしたら、“上”の通信は“本人”に届き、自分が死んだときに死を自覚するものである。
 またこれは先に述べた「双方の霊的成長度の低さ」という条件であっても、通信が届きやすい環境を作りうるものであるし、このことが本来の宗教の目的、宗教の存在の意義の大事な要件であると思うが、その大事な要件は見失われ、見誤られているものである。

 次に“仮令(たとい)首や手足が無くなっても…”“一遍に肉体が無くなると、幽体は直ぐには人間の形にならず…”について。

 この太霊の言葉にある“臍を中心とした幽体はその儘そこに残っていて、五時間程でまた元の形になる

ただ円いものに変るのであるが、それから段々に首や手足が出来てきて、五時間後には全部が揃った幽体になる
というのは、まず“臍を中心とした幽体”という言い回しに、“幽体”というのは、第八話解釈の“その一”で述べたように

いわゆる平均的地球人の霊、それは心(靈)(ヒ)であるが、“臍の方の繋がり”が中心、これは“日月神示”ならば“江戸と尾張”、それは、腹の水=“江戸と尾張”の“江”、自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロン、その部分の荷電粒子の回転=霊(心)が、幽体の構成であるという私見を持つ。 これが平均的地球人の進化の段階である

この“平均的地球人の進化の段階”ということ、“幽体”というのは、自我中心の心(靈)(ヒ)、“臍を中心”=腹(“江戸と尾張”)で取り込んでいる“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、で構成された心(靈)(ヒ)であることを、知るべきである。

 そして、人間の霊が“人間の形”をしていることについては、第七話の解釈の総括で、以下のように述べた。

「“完全な人間は年を重ねて死期が近付くと、いわゆる老衰の状態に入いる…中略…その期間中は本人が眠っている間に背後の霊が肉体から離脱する幽体の仕上げに努力されている…中略…最後の時が来ると、普通の場合は額と臍(へそ)との二ケ所で肉体と幽体とを繋いでいる二本の線が断ち切られるのであるが、これが切られると、幽体は大体手足の方から抜け始める。それをこちら (霊の側) で見ていると、一時間ほどで頭部が真白な状態で浮かび上がり、四、五時間たつと幽体が全部出来上がって暫(しばら)く死体の上に留(とど)まってから、多くはその左側に横たわるのである
の“幽体は大体手足の方から抜け始める”の理由は、生物の進化が縦の磁束の発現から始まり、脊索が脊椎(骨に進化)になり、縦の電磁石となり、そして足が発達して、手が発達してきたという“改”で述べた経緯があるからで、それは手足が水平磁場の構成に関わり、縦の磁束だけではサイクロトロンという不安定な荷電粒子の回転にしかならないが、進化した肉体(月(ツキ))が持つ手足はそれ自体が電磁石の構造を持ち、それでサイクロトロンがシンクロトロンになるということを未刊行の<6>で述べたが、このことを考えれば太霊が説明されたことが納得のいくことでもある

これは、人間の心(靈)(ヒ)が、手足と頭無くしては、本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性、という心を発現できないことを示唆した○○○大先生の見解があってこその解釈であるし、動物、生物としての人間の進化は、頭と手足の磁束の発現による“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意の取り込みがあることをも、示している。
 そしてその振動の取り込みによって、心=霊、荷電粒子の回転である、幽体、霊体、神体、が構成されるものであるし、今の地球人は先に述べたように腹での荷電粒子の取り込みが主体で心(靈)(ヒ)を構成しているから、自我中心ということでもある。

 それで太霊は、第八話で以下のようにも述べていらっしゃる。

一遍に体の無くなった人間は、それがどんな正当な理由があるにせよ自覚は遅い

これは当然のことながら“不慮の死”であり、その場合は“自覚は遅い”のであり、この“自覚は遅い”霊を増やしたいのが悪魔の思惑であり、その“思惑の顕現”=現象化、その結果としては、恨みの連鎖の霊的干渉の増大ということになっている。

 それで、そのままでは、その霊は“自覚”しにくい、いうなれば悪霊のまま長い時間を過ごすということになるので、“ただ円いものに変るのであるが、それから段々に首や手足が出来てきて、五時間後には全部が揃った幽体になる”=幽体でも、“首や手足”による“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意の取り込みが必須である。
 それはまた“臍を中心とした幽体”=自我中心から、自我より“上”の心(靈)の発現をして、“観自在”“直日”自省(胸の磁性“十”)の“行”していく、それが古神道の“本津宮”(もとつみや)の意味合いでもあるのだが、それは“慈悲”と“慈愛”という心の発現が、自我より“上”の進化であるということでもあり、だからこそ“臍を中心とした幽体”であっても“首や手足”が、自身の霊の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)に必要ということを、太霊は述べておられる。

 次回は第八話で太霊が述べられている“地縛(じばく)になっている霊”について解釈を述べることを告知して、今回はこれくらいにしときまんねん。

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 Kelly & ○○○大先生

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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
予約制 鍼(はり) 灸(きゅう) マッサージ治療 児玉療院
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○○○大先生の水草水槽記録
facebook 児玉登







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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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