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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” キの巻 第十七帖 Kellyさん的解釈

  今回も、キの巻 第十七帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

すり鉢に入れてコネ廻してゐるのざから一人逃れ様とてのがれる事出来んのざぞ、逃れようとするのは我れよしざぞ、今の仕事 五人分も十人分も精出せと申してあろがな、急ぐでないぞ、其の御用すみたら次の御用にかからすのざから、この世の悪も善も皆御用と申してあろが。
身魂相当の御用致してゐるのざぞ、仕事し乍ら神示肚に入れて行けば仕事段々変るのざぞ、神示声立てて読むのざと、申してあること忘れるなよ、その上で人に此の道伝へてやれよ、無理するでないぞ。
我捨てて大き息吹きにとけるのざぞ、神の息吹きにとけ入るのざぞ、「御みいづ」にとけ入るのざぞ、愈々神示一二三(ひふみ)となるぞ、一二三とは息吹ぞ、みみに知らすぞ、云はねばならぬから一二三として、息吹きとして知らすぞ。
神示よく読めば分ることぞ、神示読めよ、よむと神示出るぞ、此の巻は「キの巻」と申せよ。
富士は晴れたり キの巻十七帖 霊○、シンクロトロンの構造 小画像 (せかい)ばれ、岩戸あけたりキの巻十七帖 霊○、シンクロトロンの構造 小画像 ばれぞ。
三月二十日、ひつ九の神。


 まず冒頭の文。

“すり鉢に入れてコネ廻してゐるのざから一人逃れ様とてのがれる事出来んのざぞ、逃れようとするのは我れよしざぞ、今の仕事 五人分も十人分も精出せと申してあろがな、急ぐでないぞ、其の御用すみたら次の御用にかからすのざから、この世の悪も善も皆御用と申してあろが”

 これは、“日月神示”が今後=アセンション後に移行すべく人に対して述べられている“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)からのメッセージであることを鑑みれば、意味はすぐ解ることで、地球上の誰もが霊的成長度の高低において区分けされるアセンションから逃れられないから、
“すり鉢に入れてコネ廻してゐるのざから一人逃れ様とてのがれる事出来ん”
のであり、それは自我の肥大(“石屋の仕組み”)という心(靈)(ヒ)の動きを変えねばならず=“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”=自省(胸の磁性“十”)しなければならないのであるが、これを避ける、今のままでよいと錯覚している、改心して自省(胸の磁性“十”)したくない、その心(靈)(ヒ)の動きを指摘しているのが、
“逃れようとするのは我れよしざぞ”
であり、今までの形骸の価値や薄っぺらい幸福感に酔いしれ、(通貨としての)金と物と本能由来の低い欲望の達成や低い自尊人や功名心を満足させることしかしていない“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の霊的成長度の人間ではいかん、ということが述べられている。
だが、それも個々の進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)であり、霊的成長度には段階があることを示されているのが、
“この世の悪も善も皆御用”
であり、人間のやっている“善悪”(神格化と、動物化=心の本能化)も含め、自分たちが観察しうる事象におけるすべての存在が、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)していくから“この世の”であり、個々の霊的成長度により行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)は違う、“上”と“下”があるから“悪も善も皆御用”ということである。

 それで前後するが、
“今の仕事 五人分も十人分も精出せと申してあろがな、急ぐでないぞ、其の御用すみたら次の御用にかからす”
の“五人分も十人分”は、“五”が糸巻の象形文字、神経が密になる、“慈(しげる)”であり、“十”は胸の磁性“十”のことで、よってこの文を額面通り読んでは意味が通じず、今生きていること、今の事象で“観察と認識”をしていることを証して“今の仕事”、そして“御用”といわれ、それは生業(なりわい)の“行”と霊的成長のための“行”の意味があると思うが、それにより肉体(月(ツキ))と心(靈)(ヒ)が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)して、神経が“慈(しげる)”なら、肉体(月(ツキ))の秘密である円形粒子加速器の構造が強化されローレンツ力ローレンツ力 も強化され“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を止め(“日止、霊止”の表記の意義)、自我より“上”の心である“慈悲”と“慈愛”という心(靈)の発現と強化になり、それを示すのが“十”(シンクロトロンの構造)であり、そうなってくれという意味合いで“精出せともうしてあろがな”である。 
 それで“精出せと申してあろがな”は、文面を額面通り受け取れば今やっている生業(なりわい)としての仕事に精出せという意味合いにしか(霊的成長度の低い人は)取れないだろうが、そうではなく、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を意識し、その意義を知り、認識(悟り、幸取=さとり)として、生業(なりわい)の“行”と智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)の獲得のための“行”をして、霊的成長せよ、それが生命の存在の意義であり、自分たちは何のために生きているのかという疑問に対しての答えでもあるし、そのために“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことを教えているのだ、という、艮(うしとら)の金神を名乗る“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の思惑を感じ取れると思う。


 次の文。

“身魂相当の御用致してゐるのざぞ、仕事し乍ら神示肚に入れて行けば仕事段々変るのざぞ、神示声立てて読むのざと、申してあること忘れるなよ、その上で人に此の道伝へてやれよ、無理するでないぞ”

 この文も霊的成長の段階のことを“身魂相当の御用致してゐる”と示しているし、これに続く“仕事し乍ら神示肚に入れて行けば仕事段々変る”というのは、先に述べたように自分が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)していくなら生業(なりわい)の“行”も霊的成長のための“行”も進むのであるということが示され、たびたび“日月神示”に出て来る“肚”(はら)の表記は、自我という心(靈)(ヒ)であるし、“江戸と尾張”(腹の水=“江戸と尾張”の“江”、自我の確立=固定化の段階、そして腹の位相のサイクロトロン)と同義である。
 そして“神示声立てて読むのざと、申してあること忘れるな”も、この言い回しを額面通り受け取るようでは霊的成長度が低く、“声立てて読むのざ”は、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)であるということを読み取らなければならないし、自分が霊的成長を真に果たしたなら、自分より“下”の霊的成長度の人間に自分の認識を伝えよ、という意味合いのことが“その上で人に此の道伝へてやれ”ということ。


次の文。

“我捨てて大き息吹きにとけるのざぞ、神の息吹きにとけ入るのざぞ、「御みいづ」にとけ入るのざぞ、愈々神示一二三(ひふみ)となるぞ、一二三とは息吹ぞ、みみに知らすぞ、云はねばならぬから一二三として、息吹きとして知らすぞ。 
神示よく読めば分ることぞ、神示読めよ、よむと神示出るぞ、此の巻は「キの巻」と申せよ”
 
 この文の冒頭の“我捨てて”は、自我の肥大(“石屋の仕組み”)を自らが諌めよ、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心の動きを“悪(心の動きの本能化と低振動化)”と見做し、自分にそれを許してはならないという自覚を持てということであり、これに続く“大き息吹きにとけるのざぞ、神の息吹きにとけ入るのざぞ、「御みいづ」にとけ入るのざぞ”は、自分より“上”の振動=“大き息吹き”“神の息吹き”“「御みいづ」”と、感応せよ=“とけるのざ”“とけ入るのざ”“とけ入るのざ”ということである。
 そして“「御みいづ」”は、
上つ巻 第二帖の、
“神のやり方は日の光、臣民ばかりでなく、草木も喜ぶやり方ぞ、日の光は神のこころ、稜威ぞ”
の“稜威”(いつ)のことであり、その意味は、古代日本語で、“イチ”が変化した言い方、意味は、神霊の威力、みいつ、天子の威光、 類義語として、威霊、ということで、要は、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、あるいはそれを取り込んだ心(靈)(ヒ)(“天詞様”、真の意味の天皇)、それは霊的成長して“一”=智性=1番目のオーラが大きくなっている人間の認識(悟り、幸取=さとり)を、自分に取り込めよ=“とけ入るのざ”である。
 これに続く、
“愈々神示一二三(ひふみ)となるぞ、一二三とは息吹ぞ、みみに知らすぞ、云はねばならぬから一二三として、息吹きとして知らすぞ”
の、“愈々神示一二三(ひふみ)となる”は、先の“我捨てて”にかかる言葉であり、“上”と感応すれば自らの息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)である“一二三”のオーラは変容し、それが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)であり、天意を取り込んだ進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)ということを示唆しているし、先に解釈した“身魂相当の御用致してゐる”“神示肚に入れて行けば仕事段々変る”“神示声立てて読むのざ”“大き息吹きにとける”“神の息吹きにとけ入る”“「御みいづ」にとけ入る”は、すべて自分の霊的成長の段階とその段階における感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)のことであるから、それが自らの“一二三”のオーラに現れるのは当然のことであり、自らの進化の段階により=霊的成長するならば、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応は自分の霊的成長度において段々高い振動の取り込みになるという意味合いのことが、
“云はねばならぬ(“上”が人に進化の法則性を通信として送り贈る=発振、発信している)から(それと感応するならば自らの)一二三(のオーラ)として、息吹きとして知らす”と称されている。
 これに続く、
“神示よく読めば分ることぞ、神示読めよ、よむと神示出るぞ、此の巻は「キの巻」と申せよ”
も、文面を額面通り解釈していてはダメで“よく読め”は、感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)せよ、であり、その資質を作るのが“行”であり、“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化であることを今までの“日月神示”解釈で述べてきている。

 それで第十七帖の文を要約するならば、平均的地球人の進化過程である自我の確立=固定化は、自我の肥大(“石屋の仕組み”)であり、またそれは“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の事象しか生み出していないから恨みの連鎖の霊的干渉に満ち満ちた事象になっているが、それではダメであり、今後=アセンション後に移行し得る資格は当然のことながら持ちえないということ。
それで、“一二三”と述べられている通り、生命(生きる使命=存在理由)としての使命、神の思惑の顕現、というのは、霊的成長して“一”=智性=1番目のオーラを高めていかねばならず、そのために艮(うしとら)の金神を名乗る霊団は黒住教で朝日の日拝(にっぱい)(太陽凝視の入門、初心者向け)を教えたのであり、また、キの巻 第十一帖
の“一二三(ひふみ)とは限りなき神の弥栄”ということであり、そして“一であるぞ、二であるぞ、三であるぞ、ケであるぞ、レであるぞ、ホであるぞ、 渦巻き 左回転 であるぞ、 日足(ひたり)回転うず多い 小画像 であるぞ”ということでもある。 この詳細はリンク先を参照のこと。

キの巻 第十一帖 

また、この日足(ひたり)回転うず多い 小画像 の表記の意味が解らないようでは、人間の霊的成長の仕組みが理解できたとはいえない。

 それで原文の最後の、
“富士は晴れたりキの巻十七帖 霊○、シンクロトロンの構造 小画像 (せかい)ばれ、岩戸あけたりキの巻十七帖 霊○、シンクロトロンの構造 小画像 ばれぞ”
の 、これも第十一帖の
日足(ひたり)回転うず多い 小画像  同様、ここまでの“日月神示”で初めて登場した表記であり、これについては画像で意味を示すこととする。

キの巻 第十七帖 霊 〇 と、シンクロトロンの構造
 要は、“岩戸あけたり”=岩戸開き、“石”(帯電するミネラル)と“山”(脳の意味)で、“戸”(横隔膜)を開く=自省(胸の磁性“十”)した心(靈)(ヒ)ということであり、こういった心を持った存在ならば“(せかい)ばれ”=観察しうる事象は晴れるという意味合いであり、この文の冒頭の“富士(二二)”と“日本晴れ”については、今まで幾度となく述べて来たので割愛するが、この文とこの画像の意味を、このブログに霊縁あった方には、よくお考えいただきたいものである。

 今回はこれくらいにしときまんねん。



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 Kelly & ○○○大先生

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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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