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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 水の巻 第十帖 Kellyさん的解釈 “その二”


 今回は、水の巻 第十帖の以下の文を解釈しまんねん。 

今の臣民に判る様に申すならば御三体の大神様とは、
天之御中主神様、
高皇産霊神様、
神皇産霊神様、
伊邪那岐神様、
伊邪那美神様、
つきさかきむかつひめの神様
で御座るぞ。

 さて、この文は冒頭で“今の臣民に判る様に申すならば”と述べられている。 
 これは、今の地球人の霊的成長度で判る説明をしてやる、という言い回しである。
 そして“判る様に申す”は、解る、あるいは分る、ではなく、理解できないだろうが判断はできるであろう、という意味合いのことである。
 さらに“御三体の大神様とは”と述べられているが、ここで列挙されている神名は六つである。 
 今回は、これらについて解釈を述べる。
 
 古事記では“天之御中主神”が、天地開闢(てんちかいびゃく)の際に高天原に最初に出現した神であるとされ、その後“高皇産霊神”“神皇産霊神”が現れ、すぐに姿を隠したとされており、この三柱の神を造化三神と呼称し、またそれぞれが“独神”(ひとりがみ)であるとされ、別天津神(ことあまつかみ)であるとされている。 
(このあたりのことは、○○○大先生の著書の<1>の後半で述べられている)

 それで前回述べたように第十帖は、こちら側、“上”に対して“下”である人間の認識、“創造”の“主(ヌシ)”に対して被造物である人間の視点、を、述べている言い回しである。

 よって“天地開闢の際に高天原に最初に出現した神”である“天之御中主神”は、事象の“創造”をする、“創造”を行っていく思惑(日足(ひたり)の極性)であると解釈できる。
またそれは、“創造”の“主(ヌシ)”の“主(ヌシ)”の字、これは、“一二三”のオーラと|(たてぼう、こん、縦の磁性))、そして丶部(ちゅぶ)、いわゆる“日月神示”表記の であり、ローレンツ力ローレンツ力 をも示す。
 これは生命(生きる使命=存在理由)、そして靈、それは心(靈)(ヒ)、そのものといい得るのであるが、この進化、ダーウィンの進化論のようにただ生物を分類したのではない“ほんとう”の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)として、心(靈)(ヒ)が育つことを説明しているとても重要な意味を持つ。

主(ヌシ)の解字

 この画像は、ローム太霊が伝えた“主護霊”という表記を意味も考えずに、守る護る霊、守護霊と書き換えて商売している霊的成長度の低い人間、いわゆる“役員づら”、そしてその程度の低い解釈を信じ込んでいる程度の低い人間に、“ほんとう”のことを教えるために以前作った画像であるのだが、まったくこの意味が一般には伝わっていないし、御利益しか求めない自分に甘い人間は、守護霊、自分を守ってくれる存在などという勝手な解釈を信じたがるが、これは“ブタのけつを見ているアホ”である。

 話を戻し、人が“日止、霊止”になるというのは、独り神(ひとりがみ、日取り神)になるためのステップであるし、だからこそ心(靈)(ヒ)は肉体(月(ツキ))を持って生きる体験をして、その肉体の磁性、ローレンツ力で“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、“天津御空(あまつみそら)”=“上”からの振動=“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を含んだ荷電粒子、を、自らに止める、それが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)であり、古神道の“日止、霊止”の表記の意味合いである。

 そしてこれに続く“高皇産霊神”と“神皇産霊神”、この“産霊”という表記の意味が、神道研究家の解釈では、生産、生成、いわゆる“創造”の意味合いのことであるが、これも狭い視点での解釈であるとの思いを禁じ得ない、いわゆる神の“創造”が生命とこの事象、人をはじめとするすべての生命である心(靈)(ヒ)が観察しうる事象、その両方の“創造”に関与しているのが“産霊”である。
 その“産霊”、それは物質が持ちうる電荷による磁性で、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を止め、天意が“上”から注がれるからこそ現津(あきつ)、観察され得る事象、そして生命があるのだ、という解釈を、さきの「生産、生成、」という言葉では感じ取れない。
悪口みたいなことを述べたが、この「生産、生成、」を前提に、“高皇産霊神”と“神皇産霊神”の神名を見たら“ほんとう”の意味は通じないと思うからである。
 
 それで“高皇産霊神”は、高い=“上”、皇=白はシンクロトロン放射、王は、“一二三”のオーラの完成形と|(たてぼう、こん、縦の磁性))、これで“産霊”=霊を産む、というよりも新たな要素を取り込んで心(靈)(ヒ)を構成するのが“産霊”であり、それは示す偏(へん)と呂、神であり、呂は荷電粒子の回転の意である。
 同様に“神皇産霊神”の冒頭の表記の神は、“上”としての神、以下の意味は同じであると思う。
要は、“産霊”というのは、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑である“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を止める、感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)する、そして進化(霊的成長、神格化に向かうこと)していくならば、産みだすが如く心(靈)は成長するという意味合いであると思うし、この三体は、性別の無い独り神とされているが“神皇産霊神”は女神とされているので、“思惑の顕現”=現象化、砌(みぎり)の極性のことである。

 ここまでのことを鑑みて“伊邪那岐神”を解釈すればこれは“創造”の“主(ヌシ)”に対して被造物である生命(生きる使命=存在理由)の日足(ひたり)の極性であり、“伊邪那美神”は、その被造物としての生命が事象の“創造”をするの意、いわゆる砌(みぎり)の極性である。
 それで“つきさかきむかつひめの神”であるが、これに近い神名は、撞榊厳魂天疎向津姫命(つきさかきいつみたまあまさかるむかつひめ)であり、天照皇大神の荒魂(あらみたま)とされている。
荒魂は、神の荒々しい側面、荒ぶる魂とか、天変地異を引き起こし、病を流行らせ、人の心を荒廃させて争いへ駆り立てる神の働きであるとか、神の祟りは荒魂の表れ、と解釈されているようであるが、この解釈も重要な認識が足らず、これらすべて“神の采配”と人を諌める“神の咎め”であるという認識(悟り、幸取=さとり)を感じさせない。
 よってこれは霊的成長度の低い人が解釈した荒魂の説明である。

 それで先に述べたように、天照皇大神の荒魂というのは、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、が、低い事象である今の地球に注がれ、顕現する、それは高い振動に比べれば荒いのであり、低い振動であるから、荒魂と表現されているとの解釈を以前から持っており、それは、神の“思惑の顕現”=現象化であり、ただそれは今の地球では、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が活躍しているからこそ、“神の咎め”の事例が多いのである。

 それで第十帖では、“つきさかきむかつひめの神”と述べられている。
 これを先の、撞榊厳魂天疎向津姫命(つきさかきいつみたまあまさかるむかつひめ)の漢字をあてると、“撞榊向津姫神”となり、“撞”は、つく、つきあたる、さしさわる(差し障る)の意があり、“榊”は、神棚に供える植物であるが、神と人間との境界、境木(さかき)という意味があり、“向津”は、津が中心の意を持ちそれに向かうの意であり、“姫”は、女を指すから砌(みぎり)の極性である。
これらのことを鑑みると、神と人間の境界をつく、つきあたる、打が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)というのは中心と認識され得る“創造”の“主(ヌシ)”に向かうことであり、それに向かいつつあるのが、神の“思惑の顕現”=現象化である、“創造”の“主(ヌシ)”の砌(みぎり)の極性(事象への顕現)としての、生命(生きる使命=存在理由)としての人間であるとの解釈が成り立つ。
それで第十帖の表記の“つきさかきむかつひめの神”、先の撞榊厳魂天疎向津姫に対し、この抜けている部分の“厳魂天疎”(いつみたまあまさかる)は、“天”=“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意が、“疎”=まばらになる、低振動化、先の荒魂と同義だが、これが進化したならば、自分に“厳”心(靈)=“魂”となるとの意を感じさせるが、現時点、自分に厳しい、“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ”を持つ人間は少なすぎるので=“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”と、ケダモノの進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)の人が多いので、この漢字に当たるひらがなの表記を抜いて、地球人の進化程度を示唆している言い回しであるとの私見を持つものである。

 今回取り上げた文を要約すれば、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑は、生命(生きる使命=存在理由)の“創造”、そして事象の“創造”であり、それが“産霊”と呼称される。
そしてそれは“創造”の“主(ヌシ)”の“思惑の顕現”=現象化であるから、日足と砌(ひたりとみぎり)の極性があり、被造物である生命も日足と砌(ひたりとみぎり)の極性を持つ。

 そして、現時点の地球人は低いのだ、ということを、地球人自らがよく判断しろ、判ったならもっと進化(霊的成長、神格化に向かうこと)に対する理解を深めろ、ということに成り得る。

今回はこれくらいにしときまんねん。



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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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この本に付いてはこちらを御覧下さい。


       




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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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