“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 松の巻 第二十八帖 Kellyさん的解釈 

 今回も、松の巻 第二十八帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

保食(うけもち)の神祀らづに、いくら野山拓いたとて、物作ることは出来ないぞ。 煎(ゐ)り豆 花咲く目出度い時となってゐるのに何して御座るのぞ。 いくら人民の尻叩いて野山切り拓いても食物三分むつかしいぞ。 
神々まつれと申してあろが、野拓く時は野の神まつれ。 物作る時は保食の神まつれ。 産土の神様にもお願ひしてお取次願はな何事も成就せんぞ。 
人民の学や智ばかりで何が出来たか。 早よ改心第一ぞ。 山も川も野も人民も草も木も動物虫けらも何もかも此の方の徳であるぞ。 それぞれの御役あるのざぞ。 学や智捨てて天にむかへ。 地にむかへ、草にむかへ、生物にむかへ、木にむかへ、石もの云ふぞ。 草もの云ふぞ。
七月十八日、あめのひつくのかみ。

 第二十八帖で最も大事な意味合いを持つ表記として“野山拓いた”が挙げられる。 
そしてこれを文字通り、野と山、それを“拓いた”(ひらいた、開拓の意)と解釈してはならないと思う。
 それで“野”に関しては以前、
富士の巻 第十七帖の解釈で、以下の画像を作成した。



野の解字 (富士の巻 十七帖) 



 画像を見れば意味は解ると思うが、“野”は目上(めうえ)の脳と土=2~3番目のオーラを偏(へん)で指し示し、旁(つくり)はそれが伸び広がる、これは進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を指す表記である。
さらに“山”は、高い心霊が使う脳、そして自凝(おのころ)を果たしていったタンパク質の高分子化を指すものであるから、“野山”は、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)すべき生命(生きる使命=存在理由)と解するのが妥当である。
 また、今読み解いている松の巻の、〇つ、この表記そのものが、これまでの進化過程とは違う新たな生命となった心(靈)である。

 このことを理解した上でないと、当然のことながらこの第二十八帖も読み解くことが出来ないものであると思う。


 まず以下の文から解釈する。

“保食(うけもち)の神祀らづに、いくら野山拓いたとて、物作ることは出来ないぞ。 煎(ゐ)り豆 花咲く目出度い時となってゐるのに何して御座るのぞ。 いくら人民の尻叩いて野山切り拓いても食物三分むつかしいぞ”
 この文の“保食(うけもち)の神”は、ここまでの“日月神示”で初めて登場する表記であり、またこの表記そのものは日本書紀の神産みの段の第十一の一書に記され、古事記にはこの神名の表記が無い。
 その日本書記では、以下のように記されている。
「天照大神は月夜見尊に、葦原中国にいる保食神という神を見てくるよう命じた。月夜見尊が保食神の所へ行くと、保食神は、陸を向いて口から米飯を吐き出し、海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出し、それらで月夜見尊をもてなした。月夜見尊は「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」と怒り、保食神を斬ってしまった。それを聞いた天照大神は怒り、もう月夜見尊とは会いたくないと言った。それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。
天照大神が保食神の所に天熊人(アメノクマヒト)を遣すと、保食神は死んでいた。保食神の屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。天熊人がこれらを全て持ち帰ると、天照大神は喜び、民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした」(Wikipediaから引用)


 これに近い表記として古事記では、大宜都比売(おおけつひめ)がある。
 これについては以前、
“日月神示”日月の巻 第三十帖 Kellyさん的解釈 “鳥之石楠船神(とりのいわくすつねのかみ)、天鳥船神(あめのとりふねのかみ)、大宜都比売神(おほけつひめのかみ)、大宜都比売神(オホケツヒメノカミ)、”の意義
において、以下のように解釈した。

“大”は人が手足を広げた様、これも脊椎動物の進化の果て、生命の完成に至る過程の最終段階の表記である“日月神示”表記の、○ 九 十 の、“九”と同義でもある。 そして“宜”は、ほどよくかなっている様、よろしい、道理、の、意味がある。 “都”は栄えるとか繁栄の意味と、宮(みや)処(こ)に在るという意味もあり、“宮”は宀(うかんむり、頭の意味)と“呂”で、“呂”はエネルギーの“上”と“下”の回転を示すってことでもあり、よってこの場合の“都”の意味を深読みすれば、智性(“一”、1番目のオーラ)の発現すら感じさせる。 
そして“比売”は、先の“媛”と同義で、砌(みぎり)の極性(事象への顕現)を示している=心(靈)に対しての肉体(月(ツキ))の意味。 
ちなみに古事記で“大宜都比売(おおけつひめ)”は、高天原を追放された須佐之男(“素盞鳴尊(スサナルノミコト)”(日月の巻 第二十九帖の表記))が大宜都比売(おおけつひめ)を訪れたさい、大宜都比売(おおけつひめ)は、みずからの鼻と口と尻からさまざまな美味なものを出しそれを料理した。 それを須佐之男が見て、汚物と思い、怒って大宜都比売を殺し、そうすると大宜都比売の死体の頭から蚕、目から稲、耳から粟、鼻から小豆、陰部から麦、尻から大豆が発生した。 そして神産巣日神(神皇産霊尊)がそれらを取って種にしたのが農業と養蚕の起源とされているが、この話も“臓腑”の“腑”の電磁誘導が進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)において異物の取り込みから捕食、そして“臓腑”の進化において捕食も変化していくことを感じ、また大宜都比売(おおけつひめ)が、保食神 (ウケモチノカミ)とされているのが、“腑”の電磁誘導であるという私見を持つものである。


 要は生物が行っている行為、捕食、物を食うこと、そしてそれによる“腑”の電磁誘導、この事柄による肉体(月(ツキ))の作り変わり、それは肉体の成長といってもよい。
 だが着目しなければならない重要なこととして、ことに“行”においての作り変わり、またそれは高い振動の取り込みによる“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)、これを示唆した意味合いで“保食(うけもち)の神”という表記が使われていると思える。
 それは、厳しい“行”を行うこと、長時間の“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うこと、捕食して“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化して“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を取り込み進化=霊的成長、神格化に向かうこと、を、果たしていくのが進化していくべき生命、それは“日止、霊止”であるという意味合いで、
“保食(うけもち)の神祀らづに、いくら野山拓いたとて、物作ることは出来ないぞ。 煎(ゐ)り豆 花咲く目出度い時となってゐるのに何して御座るのぞ”
といわれており、この文の“保食(うけもち)の神祀らづに”は、食うことは進化(霊的成長、神格化に向かうこと)にとって大事なのだ、食わねば厳しい“行”は出来ないのだ、という意味合いである。

 ちなみに○○○大先生がS会=紫光会の交霊会において、本人に直接言われたのではないが以下のような言葉を聴いている。

人間が霊力を得る“行”を行じるにおいて、羅漢(らかん)のようにやせ細ってしまっていては、大した“行”は出来ないものである

 厳しい“行”は、先も述べたが肉体(月(ツキ))も心(靈)(ヒ)も“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)するし、大変なエネルギーを贖う(あがなう)ものである。

 よって自分が自分の完成を目指すための“行”をするならば、食うことの大切さをよく認識し、それに反する太陽凝視=不食、というのは、低い功名心と自尊心に感応する悪魔の思惑で人間を進化させない、“行”させないのだということを見ぬくべきでもある。

 話を戻し、これに続く
“いくら野山拓いたとて、物作ることは出来ない”
は、ちゃんと食って“行”せよ、でもあるし、先に述べた“野山”、心(靈)(ヒ)の進化だけでは、砌(みぎり)の極性(事象への顕現)、事象の“創造”が難しい=“物作ることは出来ない”という意味合いであるし、これに続く、
“煎(ゐ)り豆 花咲く目出度い時となってゐるのに何して御座るのぞ”
は、ちゃんと“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化のために、“上”からは高い振動を送り、肉体の作り変えのために食物は与えてあるのだ、という意味合いであるし、これに続く、
“いくら人民の尻叩いて野山切り拓いても食物三分むつかしいぞ”
頑張って“野山切り拓いても”=心(靈)(ヒ)を進化させようとしても“食物三分むつかしい”=ちゃんと食って“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)せよ、ということである。


 これに続く次の文。

“神々まつれと申してあろが、野拓く時は野の神まつれ。 物作る時は保食の神まつれ。 産土の神様にもお願ひしてお取次願はな何事も成就せんぞ”
 これは“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)と感応せよ、“神々まつれ”であり、心(靈)(ヒ)を進化させるには、そういった高い振動の神、“野拓く時は野の神まつれ”、要は“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、と感応せよ、であり、自分の肉体(月(ツキ))と自分自身が観察しうる事象を感得するにあたっては先の“保食(うけもち)の神”が大事、そして、肉体(月(ツキ))と心(靈)(ヒ)がこの事象に産みだされるにあたっては“産土の神”であり、“産土の神”を通じて“上”と感応するのだということをよく知っておけ、と、述べられている。


 これに続く以下の文は、これまでの進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)での事象の“創造”は、程度が低いし、それは“上”が認めないから存続できない、という意味合いである。

“人民の学や智ばかりで何が出来たか。 早よ改心第一ぞ”
要は、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”は自分の低さに気付き、自省(胸の磁性“十”)せよ、“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”しろよ、ということである。


 次の文は、自分が観察しうる事象というのは、すべて“神の采配”であり、すべてに意味合いがあるのだ、それを悟れ、ということである。

“山も川も野も人民も草も木も動物虫けらも何もかも此の方の徳であるぞ。 それぞれの御役あるのざぞ”


 次の文は、進化していくならば物事の見方は変わる、また変わらなければならないことを示唆した言い回しである。

“学や智捨てて天にむかへ。 地にむかへ、草にむかへ、生物にむかへ、木にむかへ、石もの云ふぞ。 草もの云ふぞ”
この文の文末、“石もの云ふ”は、肉体(月(ツキ))を構成する帯電するミネラルが、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)にとって大事、“草もの云ふ”は、“草”という字が、艸部(そうぶ)艹、クサカンムリ)、芽吹くの意、それは“日”、太陽の振動の意と、胸の磁性“十”の意味合い、そして“もの云ふ”は、“石”(帯電するミネラル)が結晶化(“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化)して、自省(胸の磁性“十”)の心で発振、発信、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)という意味合いである。

 今回はこれくらいにしときまんねん。


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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

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