“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 夜明けの巻 第一帖 Kellyさん的解釈 


 今回から、夜明けの巻(曰アけの○キ)の解釈に入るのだが、松の巻第二十七帖で述べた“曰アけ”を念頭に置いて解釈しないと夜明けの巻は読み解けないと思うので、以下にコピペしておく。

“曰”=口(息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)の意)+乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)
“ア”は、天より地に降った生命の初声、究極生命の符音、事の初め、アはそれ生之雷(イノチ)に至らす、であり、またそれは、“亜”(人の心(靈)が認識しうる)根元の何か、究極微粒子)
“け”は、ひらがな表記なのでこちら側視点(“創造”の“主(ヌシ)”に対し被造物である人間の視点)であるが、“ケ”は、零霊(ぬひ)へ還元の音意と霊より現津(あきつ)への道程、下り魂(ニニゲ)、いわゆる人間をはじめとした進化しうるすべての生命のこと
であるので、“曰アけ”を要約するならば、高い振動を取り込んだ生命(生きる使命=存在理由)の顕現と解することが出来る


 まず、第一帖の原文は以下の通り。

イシはイにかへるぞ。 一(ヒ)であるぞ。
 (ム)であるぞ。 井であるぞ。 イーであるぞ。  
夜明け第一 霊=○&井 であるぞ。  夜明け第一 霊=○&イ であるぞ。 キと働くのざぞ。 わかりたか。
今までは悪の世でありたから、己殺して他人助けることは、此の上もない天の一番の教といたしてゐたが、それは悪の天の教であるぞ。 己を活かし他人(ひと)も活かすのが天の道ざぞ、神の御心ぞ。 他人殺して己助かるも悪ぞ、己殺して他人助けるも悪ぞ、神無きものにして人民生きるも悪ぞ。 神ばかり大切にして人民放っておくのも悪ぞ。 神人ともにと申してあろが。 神は人に依り神となり、人は神によって人となるのざぞ。 まことの神のおん心わかりたか。 今までの教へ間違っていること段々判りて来るであろがな。 
天地和合して
夜明け 第一 灯台表記   となった姿が神の姿ざぞ。 御心(みこころ)ざぞ。 天(あめ)と地(つち)ではないぞ。 あめつちざぞ。 あめつちの時と知らしてあろうが、みな取違ひ申して済むまいが。 神示よく読めと、裏の裏まで読めと申してあろが。
七月の二十一日、あめのひつぐのかみ。

 冒頭の文。
“イシはイにかへるぞ。 一(ヒ)であるぞ。
  (ム)であるぞ。 井であるぞ。 イーであるぞ。 
夜明け第一 霊=○&井  であるぞ。  夜明け第一 霊=○&イ であるぞ。 キと働くのざぞ。 わかりたか”

 カタカナ表記の意味をまず述べる。

“イ”は、生気生命の発生力
“シ”は弱き光 と称され、それは次々に出る生命を育む(はぐくむ)意 “慈(しげる)”のシ
“ヒ”は その音霊こそすべての物の根、ヒフミヨイムナヤコト=一二三四五六七八九十のヒ。 心(靈)(ヒ)、日、火
“ム”は、生命は自ら多岐に分かれ、ムシ出すチカラこもれる(篭る)ヒ(靈)のチカラを…中略…次々に異なれる生命生まれ出る理
“キ”は、天地の精気 モノの現れを示す音根、その表し得ざる心の素幸霊(スサノオ)自ら明津(アキツ、現津(あきつ)、観察され得る事象)させんにぞかし

 よって“イシはイにかへるぞ。 一(ヒ)であるぞ”というのは、“創造”の“主(ヌシ)”がその“思惑の顕現”=現象化として生命(生きる使命=存在理由)を創造した。 
それは“イ”(生命発生の力)であり、その思惑は“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、“天津御空(あまつみそら)”、創造”の“主(ヌシ)”の思惑を含んだ荷電粒子、であるから“シ”(弱き光と観察される。“慈(しげる)”のシ)である。

(また、カタカナの“イ”は、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)が“下”=地、生命(生きる使命=存在理由)、人(日止、霊止)に下降するという意味合いもある)

 そしてこのことを、被造物であり生命(生きる使命=存在理由)である人(“日止、霊止”)から観て認識するならば、“一”、これは“創造”の“主(ヌシ)”の表記であり、

(ア(“亜”)から、イ(出る(いずる)、泉)、そしてそれは“創造”の“主(ヌシ)”の表記である“一”、“一”はまた向かって(被造物である人間視点)日足(ひたり)から砌(みぎり)に筆を動かすので“思惑の顕現”=現象化の意味もある)

すべての物の根、心(靈)である“ヒ”と称されているものであると思える。
 それで、カタカナ表記の“イシ”で、“創造”の“主(ヌシ)”の創造の過程と結果(思惑と顕現)を示し、それが“イにかえるぞ”は、被造物である個々の生命が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)していったならばそれは“創造”の“主(ヌシ)”と成りうる、独り神(ひとりがみ、日取り神)になるという意味合いを示唆している。
 これに続く次の文。
“  (ム)であるぞ。 井であるぞ。 イーであるぞ”
この文の“  (ム)”は、“日月神示”では実際に空欄になっていて何も書かれていない、その後に“(ム)”と示されているが、これは先の“シ”、弱き光、を強調した意味合いで、肉眼で見えない(物質の振動の範囲ではない)、中々感知されない、だからこそ高振動は、“無”と認識され得るという意味合いでもある。
 だがそれは実在であるから“ム”(生命が多岐に…以下略…)であると思う。
 そして“井”は、井戸の井、水を汲みとるそれ、であるが、これは錯体である体液の意味、“創造”の“主(ヌシ)”、“上”からの荷電粒子を止めておく働きのこと。 錯体である体液があるから“上”からの振動をとめる、それが“日止、霊止”であり生命(生きる使命=存在理由)であるという意味合い。
次の“イー”は、原文では縦書きなので“イ”と“|”であり、これは“イ”が、“下”に下降する、降り注ぐ、要は“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、“天津御空(あまつみそら)”“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を含んだ荷電粒子、そのものを指す表記である。
 これに続く次の文。
“ 
夜明け第一 霊=○&井 であるぞ。  夜明け第一 霊=○&イ であるぞ。 キと働くのざぞ。 わかりたか”
この〇の表記は、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)、生命(生きる使命=存在理由)であり、それは○+井、肉体内の錯体により心(靈)(ヒ)は進化(霊的成長、神格化に向かうこと)していくの意があり、〇+イは、取り込んだ荷電粒子を発振、発信する、息吹く、事をするのが生命(生きる使命=存在理由)であり、それが“キと働く”、“キ”は天地の精気 モノの現れを示す音根、自ら明津(アキツ、現津(あきつ)、観察され得る事象)を“観察と認識”していく、それが“創造”の“主(ヌシ)”と生命(生きる使命=存在理由)の共通の行為である観察行為なのだという意味合いである。

 これに続く以下の文。
“今までは悪の世でありたから、己殺して他人助けることは、此の上もない天の一番の教といたしてゐたが、それは悪の天の教であるぞ。 己を活かし他人(ひと)も活かすのが天の道ざぞ、神の御心ぞ。 他人殺して己助かるも悪ぞ、己殺して他人助けるも悪ぞ、神無きものにして人民生きるも悪ぞ。 神ばかり大切にして人民放っておくのも悪ぞ。 神人ともにと申してあろが。 神は人に依り神となり、人は神によって人となるのざぞ。 まことの神のおん心わかりたか。 今までの教へ間違っていること段々判りて来るであろがな”

 この文の、
“己殺して他人助ける…中略…悪の天の教であるぞ”
これは“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)が流布している思想そのものである(思想と呼ぶには能わないが…)。
 それで、“己殺して”に相当することとしては、御利益をもらいたいがため莫大なお布施を収めたりする“ブタのけつを見ているアホ”の信者、また神や仏を利用して形骸の権威を示す、それはまた、
“神無きものにして人民生きるも悪ぞ。 神ばかり大切にして人民放っておくのも悪ぞ”この文言からも、“ほんとう”の神の認識がない“役員づら”のことを指摘しているのだということを感じ取る、また形骸の信仰を流布して自分たちの利益の追求をしている人間のことを“神ばかり大切にして人民放っておく”と揶揄されている言い回しをされている。
 “ほんとう”の神と人間の関係、“ほんとう”の“上”と“下”を認識し始めている人は、この文言の内容に気付くべきでもある。
 だが、こうやって神や仏の認識を低くしてただ利用するだけの宗教団体など、こういったものは今、多すぎるし、さらにたった今の事象は低すぎるからこそこういったものが悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ、操り人形)として活躍しているのだが、それは、一般の人達の霊的成長度が低すぎるからこんなものをなんとなく容認していたりもするという情けない現状なのだということを、考えざるおえない…。
 また霊的成長度の低さを判りやすい表記としての“他人殺して己助かるも悪ぞ”、これは“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の考えであることはあえて言うまでもなく、さらに、たった今問題になりつつあることでもあるが、戦争をしてまで自国の権利や利益を守る、これは結論から言えば守ることにならないものであり、傷つけられたら傷つける、殺されたら殺す、こういった恨みの連鎖は拡大するだけであるし、それをする人間、その当事者たちには恨みの連鎖の霊的干渉があり、ますます戦争は拡大するだけである。

(この辺の実際の事柄はローム太霊がローム霊訓講話で述べているので、
死の前後 天災、戦争による集団死の場合 Kellyさん的解釈“その三”
をよく読んでいただきたい)

 今の事象の大半の人間は霊的成長度が低く、自分たちのことしか考えていない、だからその思惑で生きてきた結果というのを味合うことをして自省(胸の磁性“十”)しなければ成長しないので、これはどう反対運動が起きたとしても必ず起きるものだと思われるが、それに巻き込まれるだけではいけないので、艮(うしとら)の金神は、
“己を活かし他人(ひと)も活かすのが天の道ざぞ、神の御心ぞ”
そして、
“神人ともにと申してあろが。 神は人に依り神となり、人は神によって人となるのざぞ。 まことの神のおん心わかりたか”
と述べておられるのであり、これはローム太霊がローム霊訓講話で述べた(ローム太霊講話集第二話)
何とかしてこの地球を、凡ての人間が不幸から救われて愉快にたのしく暮らせる楽土にしたいという、神自身の本当の気持ちではないかと思う
に相当することであるし、さらにローム太霊は人間の在り方として以下のよう述べていらっしゃる。
この神の気持ちは人間の心の中にもありながら、それを出す時が余り少ないのであって、その半分も無理であろうが、自分のできる範囲でこの神の心を出せばよいのである
この太霊の文言の“自分のできる範囲でこの神の心を出せばよい”、これは自分と神の関係というものをしっかり認識していなければならない、それは“役員づら”に刷り込まれた宗教観でもなく、御利益を求める心でもなく(ぼたもち坊ちゃん(ローム太霊講話集316頁)の表記)、“創造”の“主(ヌシ)”は被造物である生命を育てている、だから辛い目にも合わせる、頑張ることをさせる、という認識ぐらいは持っていなければならない。
 それを、
“神人ともにと申してあろが。 神は人に依り神となり、人は神によって人となるのざぞ。 まことの神のおん心わかりたか”
の文言から感じ取れるし、さらに平均的地球人が持っている既成概念、一般常識としての神と人間の概念、そして腐り果てている宗教、えせスピリチュアルなど、低い認識すべてに対して、
“悪の天の教”
“今までの教へ間違っていること段々判りて来るであろがな”
と述べているものでもある。

 これに続く次の文。

“天地和合して 
夜明け 第一 灯台表記 となった姿が神の姿ざぞ。 御心(みこころ)ざぞ。 天(あめ)と地(つち)ではないぞ。 あめつちざぞ。 あめつちの時と知らしてあろうが、みな取違ひ申して済むまいが。 神示よく読めと、裏の裏まで読めと申してあろが”
この 
夜明け 第一 灯台表記 の表記は地図記号の灯台である。 
 よって“天地和合して”“上”と“下”が感応しあって事象を照らす、それが灯台の意味合いであることが解る。 それはまた今の地球人より高い心(靈)だからこそ“御心(みこころ)”である。
 それで“天(あめ)と地(つち)ではないぞ。 あめつちざぞ”というのは、ただ単に天地ということではない、“上”と“下”でもない、それは“あめつち”がひらがな(“創造”の“主(ヌシ)”に対して被造物である人間の視点)表記であるが、“ア”“メ”“ツ”“チ”は、

“ア”は、天より地に降った生命の初声、究極生命の符音、事の初め、アはそれ生之雷(イノチ)に至らす
“メ”は、ムシ出された生命の芽 吾が心は目 その目に止まりてすべてのものはそれ現津するにあれ(“観察と認識”のこと)
“ツ”はつづまる(約まる)集う(つどう) 物をまとめ次々その形を変えて次なる新たななる生命を咲かすの意
“チ”は、まず“タ”の行が、命が現れ立つ、建く高く成長する音義の意があり、“チ”はチカラ(力)意で、それは様々に現津(あきつ)(顕現)して世を成すもの(事象の“創造”をするの意)

なので、人が認識しうる進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たした立派な生命(生きる使命=存在理由)、天意を取り込んで進化(霊的成長、神格化に向かうこと)して、現津(あきつ)、観察され得る事象の“創造”をしている生命の意であることが理解できる。
 それが“あめつちの時”これはまた、夜明け=次の事象、アセンション後、の生命(生きる使命=存在理由)と、その生命が“創造”していく事象を指すものであることも理解できる。

 これに続く、
“みな取違ひ申して済むまいが。 神示よく読めと、裏の裏まで読めと申してあろが”、
殆どの人間の神と人間に対する認識は“取り違ひ”であるし、“日月神示”ですら“役員づら”の金儲けに利用されているが、それではダメ、“神示よく読めと、裏の裏まで読め”、“日月神示”で述べている神と人間の関係、霊的成長の事柄、人間の在り方などを、しっかり認識せよ、という言い回しである。

 今回はこれくらいにしときまんねん。



Top

HOME

tuyukusanotuyu




 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
FC2ブログへようこそ!


Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
(クリックで拡大)

2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
(クリックで拡大)


発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
(クリックで拡大) 

お近くの書店にない場合は
たま出版のサイトでお買い求めください。

発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
(クリックで拡大)

お近くの書店に無いときは
たま出版のサイトでお買い求めください。

この本に付いてはこちらを御覧下さい。


       




初めての方は、
・・・その後の事と・・・これからの事。
からお読みください。

それぞれのカテゴリーをクリックすると
古い順に、記事が閲覧できます。

        

☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (104)
Kellyさんがこのブログに霊縁あった人(日止、霊止)に伝えたい事 (22)
Kellyさんと○○○大先生との会話 (7)
Kellyさんとチョ~極上ラブラブ中高年夫婦はんとの会話 (6)
Kellyさんとチョ~ベッピンはんのA野はんとの会話 (7)
Kellyさんと∪・ω・∪ ▼・。・▼ ▼・。・▽ U・。・U U。・ェ・。U たちとの会話 (33)
Kellyさんとメタボ研修医のYっちゃん先生との会話 (2)
Kellyさんとややメタボ内科医のYっちゃん先生との会話 (7)
Kellyさんと和風のベッピンはんのSはんとの会話 (2)
Kellyさんと農業好きの社長婦人K地M美はんとの会話 (12)
KellyさんとNominyan ∥*σ_σ*∥&Senyapoo λ*゜ο゜*λ との会話 (6)
☆ Kellyさん的“日月神示”解釈 (480)
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 (16)
“日月神示” 上つ巻 (42)
“日月神示” 下つ巻 (38)
“日月神示” 富士の巻 (26)
“日月神示” 天つ巻 (30)
“日月神示” 地つ巻 (36)
“日月神示” 日月の巻 (68)
“日月神示” 日の出の巻 (23)
“日月神示” 磐戸の巻 (21)
“日月神示” キの巻 (17)
“日月神示” 水の巻 (36)
“日月神示” 松の巻 (30)
“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
“日月神示” 岩の巻 (11)
“日月神示” 荒の巻 (27)
☆ Kellyさん的“ローム太霊講話集”解釈 (107)
☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
☆ 先生が撮るけったいな花の写真 (22)
☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



fxwill.com


2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
予約制 鍼(はり) 灸(きゅう) マッサージ治療 児玉療院
写真部の○○○大先生のページ
写真部に投稿した最新の写真
 ↓


powered by 写真部









○○○大先生の水草水槽記録
facebook 児玉登







このブログをリンクに追加する


自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




飢餓救済のホームページ

JWord クリック募金

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード