“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 夜明けの巻 第二帖 Kellyさん的解釈 


 今回も、夜明けの巻 第二帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

神の国は神の肉体ぞと申してあるが、いざとなれば、お土も、草も、木も、何でも人民の食物となる様に出来てゐるのざぞ。 何でも肉体となるのざぞ。 なるようにせんからならんのざぞ。 それで外国の悪神が神の国が慾しくてならんのざ。 神の国より広い肥えた国 幾らでもあるのに、神の国が欲しいは、誠の元の国、根の国、物のなる国、元の気の元の国、力の元の国、光の国、真中(まなか)の国であるからぞ、何も彼も、神の国に向って集まる様になってゐるのざぞ。 神の昔の世は、そうなってゐたのざぞ。 磁石も神の国に向く様になるぞ。 北よくなるぞ。 神の国おろがむ様になるのざぞ。 どこからでもおろがめるのざぞ。 おのづから頭さがるのざぞ。 
海の水がシメであるぞ。 鳥居であるぞと申してあろうが、シメて神を押し込めてゐたのであるぞ。 
人民 知らず知らずに罪犯してゐたのざぞ。 毎日、日日(ひにち)お詫(わび)せよと申してあらうが、シメて島国日本としてゐたのざぞ、よき世となったら、身体(からだ)も大きくなるぞ。 命も長くなるぞ。 今しばらくざから、辛抱してくれよ。食物心配するでないぞ。 油断するでないぞ。皆の者喜ばせよ。 その喜びは、喜事(よろこびごと)となって天地のキとなって、そなたに万倍となって返って来るのざぞ。 よろこびいくらでも生まれるぞ。
七月二十一日、あめのひつくのかみ。

 この第二帖で登場する“神の国”、この表記の意味合いを深く鑑みるならば、“創造”の“主(ヌシ)”に対して被造物である生命である人(丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現))、あるいは“日止、霊止”(“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を止めるの意)、被造物である生命(生きる使命=存在理由)は、心(靈)(ヒ)であり、心だからこそ、現津(あきつ)、観察され得る事象の“観察と認識”をしていくのだが、その観察行為の対象は、“神の国”=すべての事象であるという意味合いであると思える。
 また、すべての事象は、外側(外国と幽界)の事象であろうが内面とか内側(心の中と感じている事)であろうが、それらすべて生命(生きる使命=存在理由)が行っている観察行為の対象である。
 さらに、すべての事象は振動で構成されており、振動との感応、振動の取り込み、それによって観察行為が成り立つものであるとの意味合いを含む(またそれは感じ(感じる磁性)る、電磁誘導でもある)ものであると思うし、“神”という字は、示す偏(へん)と呂であり、荷電粒子の回転を示しており(円形粒子加速機、発振、発信のための仕組み)、そして“国”は、(囗)くにがまえ)と“玉(ぎょく)”、“玉(ぎょく)”は自省(胸の磁性“十”)の心(靈)の動きを示すものでもあり、国の旧字は“國”であるが、これは、囗(かこい、場(フィールド))、或(ワク)、(或は、弋(くい)(積み重なったなにか)と、囗(かこい、場(フィールド)と横棒―(水平磁場、日足と砌(ひたりとみぎり))で領域を区切ることを意味するので、やはり進化した心(靈)を意味する表記である。
 もうひとつ、観察行為を行っている被造物である人(日止、霊止)と、観察されている対象の“神の国”は、ともに生命であり、心(靈)(ヒ)なのだという意味合いを持つと思う。
 ここまでの解釈は、先回の第一帖、
“イシはイにかへるぞ。 一(ヒ)であるぞ”
この意味合いである以下の要綱、

● “創造”の“主(ヌシ)”がその“思惑の顕現”=現象化として生命(生きる使命=存在理由)を創造した、あるいは創造している

● これを、被造物であり生命(生きる使命=存在理由)である人(“日止、霊止”)から観て認識するならば、“一”、これは“創造”の“主(ヌシ)”の表記であり、すべての物の根、心(靈)である“ヒ”と称されているものでもある

● カタカナ表記の“イシ”で、“創造”の“主(ヌシ)”の創造の過程と結果(思惑と顕現)を示し、それが“イにかえるぞ”は、被造物である個々の生命が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)していったならばそれは“創造”の“主(ヌシ)”と成りうる、独り神(ひとりがみ、日取り神)になるという意味合いを示唆している

このことを踏まえ、もうひとつ、第一帖の“あめつち”、人が認識しうる進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たした立派な生命(生きる使命=存在理由)、天意を取り込んで進化(霊的成長、神格化に向かうこと)して、現津(あきつ)、観察され得る事象の“創造”をしている生命の意、これらのことを考えた結果でもあるし、第二帖の以下の文は、第一帖の上記の意味合いを強調し補足を加えた文であると思える。 

“神の国は神の肉体ぞと申してあるが、いざとなれば、お土も、草も、木も、何でも人民の食物となる様に出来てゐるのざぞ。 何でも肉体となるのざぞ。 なるようにせんからならんのざぞ。 それで外国の悪神が神の国が慾しくてならんのざ。 神の国より広い肥えた国 幾らでもあるのに、神の国が欲しいは、誠の元の国、根の国、物のなる国、元の気の元の国、力の元の国、光の国、真中(まなか)の国であるからぞ、何も彼も、神の国に向って集まる様になってゐるのざぞ。 神の昔の世は、そうなってゐたのざぞ。 磁石も神の国に向く様になるぞ。 北よくなるぞ。 神の国おろがむ様になるのざぞ。 どこからでもおろがめるのざぞ。 おのづから頭さがるのざぞ”

 この文の冒頭“神の国は神の肉体ぞと申してある…中略…何でも肉体となるのざぞ。 なるようにせんからならんのざぞ”、ここで述べられている“神の肉体”の表記の意味は、観察しうる事象、被造物である人(日止、霊止)が観察の対象としている事象の意味合いであると思うし、先に述べた“神の国”の表記は日足(ひたり)の極性であり、その顕現である観察行為の対象、すべての事象が、“神の肉体”、これは砌(みぎり)の極性といい得る。
 すべての心(靈)が行っている観察行為の対象であるすべての事象は、“創造”の“主(ヌシ)”の振動を(その霊的成長度の高低において)取り込んでいる生命、心(靈)(ヒ)である人(日止、霊止)が“観察と認識”をしている、それは振動の取り込み(“日止、霊止”の表記の意味合い)であるから“何でも人民の食物となる様に出来てゐる”と述べられ、その振動の取り込み=“人民の食物”、食うことは単なる食事だけではなく“上”から“下”の一切の振動の取り込みを指すのであり、それそのものがすべての事象となっているからこそ“何でも肉体となるのざぞ”、この“肉体”は先に述べた観察しうる事象、被造物である人(日止、霊止)が観察の対象としている事象であり、さらにそこには、神の“思惑の顕現”=現象化としての“誠の元の国、根の国、物のなる国、元の気の元の国、力の元の国、光の国、真中(まなか)の国である”といわれていると思え、この表記の意味を一つ一つ解釈するならば、
“誠の元の国”は、時間の進行を感得しながら(儿部(じんぶ、にんにょう))肉体(月(ツキ))(二)を持った心(靈)は、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)を成す、それは“誠”(言葉成る、意味は、自分が発振、発信した振動(言葉)が完成する)であり、それが“ほんとう”の生命の“ほんとう”に目指す何か、達成する何かであるという意味
“根の国”は、“誠の元”が根本であるという意味
“物のなる国”は、心(靈)(ヒ)が事象を“創造”するの意味
“元の気の元の国”は、神の思惑、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、“天津御空(あまつみそら)”、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を含んだ荷電粒子、これがすべての事象の“元”であり、“元の気”であるの意味
“力の元の国”は、“力”は事象を“創造”するためのもの、またそれはすべて“創造”の“主(ヌシ)”の“力”でもあり、自分の贖い(あがない)によりすべての“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)の顕現は許可され得るものであるとの意味
“光の国”は、今より相対的に高振動で構成されるから光り輝くと観察され得るの意味
“真中(まなか)の国”は、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)すればするほど、事象の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)を認識し、体得して、今のように間違えた存在の在り方などしなくなるの意味合い

であるし、これらは進化(霊的成長、神格化に向かうこと)して行き、心(靈)(ヒ)が育ったなら観察しうるすべての事象(外側(外国と幽界)の事象であろうが内面とか内側(心の中と感じている事)であろうが)というのは変容する、換言するなら霊的成長度の高低における事象の観察には程度があり、霊的成長度が高ければ高いほど“神の国”と“神の肉体”を高く高く感得しうるという意味合いがあり、今の地球人よりも相対的に進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たしたならば、観察しうる事象は違ってくる(夜明け、今後=アセンション後のこと)、それがこの文の“誠の元の国、根の国、物のなる国、元の気の元の国、力の元の国、光の国、真中(まなか)の国”の表記が記された意味であると確信する。
 それで、
“それで外国の悪神が神の国が慾しくてならんのざ。 神の国より広い肥えた国 幾らでもあるのに、神の国が欲しいは”
というのは、少々揶揄(やゆ)した言い回しであるが、大事なのは自分たちは“創造”の“主(ヌシ)”の被造物である生命(生きる使命=存在理由)であり、まっとうな“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)を歩むべきであるが、“外国の悪神”=自分の心(靈)以外、外側(外国と幽界)の事象の心(靈)、憑依霊や悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ、操り人形)といえば分かりやすいが、それは単に自分の外側(外国と幽界)の事象であるということを知れ、乗っ取られるな、操られるな、それはまた“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の行いをするな、それをしていたならば、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)に操られ乗っ取られるのだ、を感じさせる言い回しである。
 そして、
“何も彼も、神の国に向って集まる様になってゐるのざぞ。 神の昔の世は、そうなってゐたのざぞ。 磁石も神の国に向く様になるぞ。 北よくなるぞ。 神の国おろがむ様になるのざぞ。 どこからでもおろがめるのざぞ。 おのづから頭さがるのざぞ”
これは北=大極=N極を指している、またそれは宇宙の中心と認識されうる場(フィールド)であり、“創造”の“主(ヌシ)”の発振、発信、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)の源、“元”を指す表記であるし、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑の顕現を認識していけばいくほど自分は神に近くなり、だからこそ“神の国おろがむ様になるのざぞ。 どこからでもおろがめるのざぞ。 おのづから頭さがるのざぞ”と述べられているものである。
 それは大概の地球人が神に対する認識がてんで低く、言葉でしか神を知らず、神と自分の関係すら知らず、ただただご利益を求めるだけの“ブタのけつを見ているアホ”が多いからでもある。
 
 これに続く次の文。
“海の水がシメであるぞ。 鳥居であるぞと申してあろうが、シメて神を押し込めてゐたのであるぞ”
この文の“海の水”は、錯体の意であり、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を止める要素でもある。
 それが“シ”“メ”と記されている。
“シ”は、弱き光 と称され、それは次々に出る生命を育む(はぐくむ)意 “慈(しげる)”のシ
であり、
“メ”は、ムシ出された生命の芽 吾が心は目 その目に止まりてすべてのものはそれ現津するにあれ(“観察と認識”のこと)
であるので、生命(生きる使命=存在理由)が、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、“天津御空(あまつみそら)”、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を含んだ荷電粒子、を、取り込んで事象の“創造”をしているが、天意を顕現するほどの霊的成長度ではなく、何度も述べるが“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)であるからこそ“シメて神を押し込めてゐたのであるぞ”、お前たちの神の概念は低すぎるし、神の思惑通りに生きていないのだ、自分たちの在り方が間違っているのだ、という言い回しをされ、これは次の文に続いている。

“人民 知らず知らずに罪犯してゐたのざぞ。 毎日、日日(ひにち)お詫(わび)せよと申してあらうが、シメて島国日本としてゐたのざぞ”
要は自省(胸の磁性“十”)ということ。

 そしてこれに続く以下の文。
“よき世となったら、身体(からだ)も大きくなるぞ。 命も長くなるぞ。 今しばらくざから、辛抱してくれよ。食物心配するでないぞ。 油断するでないぞ。皆の者喜ばせよ。 その喜びは、喜事(よろこびごと)となって天地のキとなって、そなたに万倍となって返って来るのざぞ。 よろこびいくらでも生まれるぞ”
これは、夜明け、今後=アセンション後のこと、恨みの連鎖の霊的干渉の影響で地球人は短命になり、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心で奪い合うから衣食住に不安を持ち、そんなものは生命の基本的な権利であるから必要以上に求めなければ与えられるのにきまっているという認識もなく、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の贅沢で恨みの連鎖の霊的干渉の増大をしていることを○○○大先生は著書で述べたが、これすら理解できる人は少なく、大概の人間は“ブタのけつを見ているアホ”であるから、“うそ、ごまかし、にせもの、いつわり、まちがい”の手法に乗せられて無駄な金を使い、金を使うこと、そのために働き、それ自体が飢餓貧困を産みだしたくさんの浮遊霊を増やしていることすら解っていない。
たった今の事象は今述べたこと自体を反映しているのだが、今後=アセンション後は人の在り方自体が変わるので、“よき世となったら…以下略…”と述べられており、さらに夜明け、今後=アセンション後の人は、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”では無いので、
“皆の者喜ばせよ。 その喜びは、喜事(よろこびごと)となって天地のキとなって、そなたに万倍となって返って来るのざぞ。 よろこびいくらでも生まれるぞ”
と称され、これはまっとうな行い(行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現))をする、またそれはローム太霊が説いた“世為人為”(S会=紫光会の経文、四空経録の中の言葉)ならば、因果応報、ブーメランの法則、“曲霊(まがつひ)”により、自分の進化にとって善いことだけが返ってくるの意味合いであるし、それが今より一歩、神の思惑に近付いた現津(あきつ)、観察され得る事象であるとの意味合いである。

 今回はこれくらいにしときまんねん。




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 Kelly & ○○○大先生

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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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ローム太霊の教え
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

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