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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”上つ巻 第二十七帖 Kellyさん的解釈





今回も、上つ巻 第二十七帖を解釈しまんねん。
原文は以下の通り、



何もかも世の元から仕組みてあるから神の申すところへ行けよ。
元の仕組は富士(二二)ぞ、
次の仕組はウシトラ三十里四里、
次の仕組の山に行きて開いて呉れよ、
今は分るまいが、やがて結構なことになるのざから、
行きて神祀りて開いて呉れよ、
細かく知らしてやりたいなれど、それでは臣民の手柄なくなるから、
臣民は子ざから、
子に手柄さして親から御礼申すぞ。
行けば何もかも善くなる様に、
昔からの仕組してあるから、
何事も物差しで測った様に行くぞ。
天地がうなるぞ、上下引繰り返るぞ。
悪の仕組にみなの臣民だまされてゐるが、
もう直ぐ目さめるぞ、
目さめたらたづねてござれ、
この神のもとへ来てきけば、何でも分かる様に神示で知らしておくぞ。
秋立ちたら淋しくなるぞ、
淋しくなりたらたづねてござれ、
我(が)を張ってゐると、
いつまでも分らずに苦しむばかりぞ。
この神示も身魂により何んなにでも、
とれるやうに書いておくから、取り違ひせんやうにして呉れ、
三柱と七柱揃うたら山に行けよ。
七月一日、ひつくのか三。



まず、冒頭の文章は、

“何もかも世の元から仕組みてあるから神の申すところへ行けよ。”

この中の、
“世の元から仕組みてある”・・・は、
霊的進化の法則性とか、生命の存在の理由とか・・・
その事でしか無く、
それは、
生命の存在の理由は、霊的進化で、
霊的進化は神格化で、
それが神の思惑で有り、
当然そこには、法則性が認識され得る。
又、
法則性が認識出来んとアカンって事でもあるな。
認識出来へん人ほど霊的成長度が低いって事やな。

そやからそれは、神さんの思惑・・・それを、
人(日止、霊止)が認識するなら、
造物主と被造物・・・その事自体が、
“上”の存在の創造って行為そのものであり、
そして、
人が認識する創造の仕組みって言うのんは、
神の思惑と生命の思惑、創造主と被造物の思惑、
それぞれ、
オーラの発振、発信でもあり、
発振、発信する電磁波(振動)の相互干渉って仕組みがある。

そして、この文章の中の言葉、

“神の申すところへ行けよ。”・・・は、

自分達が思う・・・理想とか・・・良いカタチとか、
それは、
生命の発生から段々心(靈)が発現し、
最初は=霊的に低ければ、
その思う理想や良いカタチの実現は、自己奉仕者としての行動になり、
段々“上”の心(靈)の発現をして行くならば、
それは結果として
“神聖な事象”を思い、
そして自分達の思い(心、靈、の四つの場(フィールド)、大脳の新皮質)として、
発振、発信し、創造し・・・そやから人(日止、霊止)が成す事って言うのんは、
その実現でしかない。

それは、
時間の進行=儿部(じんぶ、にんにょう)を認識する心(靈)が、
自分達が構築する場(フィールド)を持つ事により=認識する事により、
“下”の心(靈)の発現から“上”に向かい、
更に色々、
感じ(感じる磁性)て行き、
自分達が求めるよいカタチを、
想像し、
そして、
創造し、
それを達成する為に、私達は幸福の概念を持ち始めた。

そやから何回も言うてる事やけど、
より高い幸福の概念は神格化に繋がるって事でしかなく、
今、間違った幸福の概念が地球では多いからこそ、
こんな事も言われてるって事やし、
ほんでから間違った幸福の概念には、
甘い(亜、魔、出ずる、泉)考えが入り込んでるけど、
それ自体が甘いとかの認識を持ってる人がほとんど居て無いみたいなもんや。
それは、
自己奉仕者由来の発想とかの認識が、
自己奉仕者の心(靈)の発現の段階=自我の確立=固定化の人と、
自己奉仕者の行動をとっている人こそ、
自己観察が出来ない=自分の心(靈)の中の、
“上”と“下”を見出せないでいる。

そして、
創造の法則性を見出して無いとか、
神聖な事象の創造に伴う自分自身の成長の、
その法則性ゆえの、自分に対する厳しさを持っていないとか・・・

そう言う事が判らへんって事やし・・・
そんな概念すら無い。

そやから、霊的進化程度の低い人ほど、
自分の心(靈)の動きって言うのんが、
目先の欲望の充足が自分の心(靈)のほとんどになってるとか・・・
それを自分で判断出来ん・・・そやから自己奉仕者になる。
その判らへん事自体が、
心(靈)の発現の段階が自我の確立=固定化の段階でしかなく、
それ以上の価値感とかは、
そう言う人には理解出来ないって事でもあるし、
それ以上・・・自我より“上”の振動を獲得するチャクラが、
覚醒して機能していない。
それは、
心(靈)が“上”を向いていないって事と同義でんねん。
ほんでから、
自分の心(靈)が“上”を向いてるのか、
“下”を向いてるのかは、
“日月神示”で言われてる、
“善(神格化の方向性と智性の受信)”の回転=日足(ひたり)回り”と、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の回転=砌(みぎり)回り、

その違いでんねん。

それは儿部(じんぶ、にんにょう)=時間の進行と共に、
自分の心(靈)と、
肉体と観察され得る、
それぞれの事象を形成して行く事になり、
その事を指した言葉が、
仙道の概念=東洋医学の言葉の“気血栄衛(營)”でもあるな。

ほんでから、
心(靈)の方向性の“上”と“下”、
それは現時点の自分より、
相対的な事(相対的な観察から得られる認識)でしかなく、
その事を理解したら、
自分の在り方を判断する指標になるんやろけど・・・

自我より“上”の心(靈)の発現が出来て無いか、
或は、
“慈悲”と“慈愛”を少し持ってても、
その心(靈)の動きを自分で無視する・・・
そやからそれは、
相対的に観て霊的成長度が低い=霊的に幼いって事でもある。
そやからそう言う人達と、
少し“上”の心(靈)の発現をした=“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の発現をした人達を、
一緒にしておいては、良い世界の創造は出来へん。

そやから分けんならん=アセンションと認識される事を体験せんならん。

そして何回も言うけれど、
自我の確立=固定化の段階の人がやる事=その段階の創造は、
(通貨としての)金と、
物欲と目先の快楽と・・・八戒やな。
そしてそれも、
その為にエネルギーを贖わないで、
楽に事を済まそうとする傾向が強い。
その事自体がそれは、
心(靈)と肉体の創造にたいして繋がらん。
ほんでからそう思う事自体が、
人の霊的成長を望まない存在の思惑で、
その具体例が、
比較的簡単に利益を生み出そうとする発想を、
人にさせ=通信を送り、
そしてその思いの発振、発信で霊的干渉させ、
その事自体も又、
金を使ってみたかった・・・金に憧れを持っている低級な動物霊の憑依や、
甘い夢を達成出来なかったり、
金に執着を持ってる浮游霊の憑依を招く。
そして今、そう言う人達が経済を動かしている。
そう言う人達がもてはやされてる。
そやから、
どんなに金持ちになったとしても、
その(通貨としての)金の使い方って言うのんは、
ほとんどが目先の欲望の為であり、
低い功名心の為であり・・・それが、
大多数の金持ちの心(靈)の発現の程度を示してる。

ほんでから前後するけど、

自分がエネルギーを贖わないで、
沢山の利益を産む事を望む甘い(亜、魔、出ずる、泉)発想の、
株とか投機とか投資信託とか先物取引とか・・・
アフィリエイトなんかもそうやな。
ほんでから、水商売とか風俗とか・・・
泥棒とか・・・人を騙す事とか・・・
こんな事は例を挙げてたらきりが無いけれど・・・

“上”の認める仕事って言うのんは、
自分がどれ位エネルギーを贖い、
更に、
霊的成長=神格化を認識した上での、
法則性に則って(のっとって)いるのか・・・

そう言う仕事をせんと、
それは、
“上”に認められない。

この事は、
今までの“日月神示”の文章でも言われてて、
今後も沢山出てくる。
そやから通貨としての金、
それにかかわる目先の欲望、自分がエネルギーを贖わない・・・
その意味を・・・
それは“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の、
思惑なんやけど、
その事を良く知ってほしいもんやな。


蛇足として・・・

“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の、
思惑の顕現は、
人を堕落させ何も生み出さん娯楽とか、
テレビのバラエティとかお笑い番組とか・・・
ダイエットとかサプリメントとか美容や美白とか・・・
そう言うものにも現れてるし・・・
こんな事も例を挙げたならきりが無いくらい、
いっぱいある・・・
ほんでからにそれが、
心(靈)の発現の段階が低い人こそ、
見せ掛けの何かって気が付かへんのやな。

そやから話を戻し、
自分がほんまに成長の法則性を自分が見出し、
自分の心(靈)が“上”に向かう。
それ自体が、
ほんまの意味での“正しい”って事でんねん。
ほんでから“正しい”って言う字は、
“上”と“下”が繋がった字でもある。


・・・かなり話が横道に逸れたやんか。

要は、人(日止、霊止)が目指すべき、
何かを示してるって事なんやけど・・・


ほんでから、次の文章は、

“元の仕組は富士(二二)ぞ、
次の仕組はウシトラ三十里四里、
次の仕組の山に行きて開いて呉れよ、”


この文章の、

“ウシトラ三十里四里”

カタカナの“ウシトラ”は、
漢字で書けば=人が感じ(感じる磁性)る認識(悟り、幸取=さとり)としては、
“艮”で、
その字の意味は、前のブログからコピペしときまんねん。
(エピローグ 神の思惑の顕現・・・神聖な事象)

     ↓
“艮(うしとら)”って言うのんは、
目と、反対側を向いた人とを、
合わせた字で、
反目するとか、逆らうの意味がある。
ほんでからに、
とどまるとか、かたいとか・・・押しが強いとか・・・
そう言う意味もある。
これは試練や苦難に対する言葉やって先生は思うてる。


     ↑
以上でんねん。

ほんでから、
“元の仕組は富士(二二)”
・・・の、
“富士(二二)”と、
“三十里四里”に付いては、
以前、
“日月神示”上つ巻 第二十一帖 Kellyさん的解釈
・・・で解釈した事を、
コピペしときまんねん。

     ↓

“三十里四里”は、
距離の事ではなく、
“富士”も、地名としての富士山とか富士市の事では無い。

“富士”=“二二”で、
それは肉体の持つ左右の極性でもあると思える。
この事はこのブログの初めの頃の文章で説明したな。

ほんでから、
“三十里”は、
“三”は三つのオーラで、
“十”は何回も言うたから敢えて説明しませんねん。
そやから、
“三”と“十”を足すと、
人(日止、霊止)の完成された様子を示す“王”に成る。

ほんでから“四里”は、
“四”は、発振、発信する様で、
(Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 参照)

“里”は、
この間、上つ巻 第二十帖の“十理(トリ)”の解釈で言うた様に、
“田”と“土”で構成された字でもある。
思想と行動=発振、発信・・・それによる、
現津(あきつ)=観察され得る事象の創造でも有り、
それは人(日止、霊止)の思惑と顕現でもあるって事でんねん。
人の思惑と顕現には“上”の思惑を足さんとアカンって事でんねん。
“上”の思惑を認識する肉体の器官は、
“田”に示される大脳新皮質・・・目上(めうえ)の脳って事でんねん。
これもいちいち説明するととても長くなるから、
霊的干渉“目上(めうえ)と目下(めした)”を、
よく読んで欲しいねん。

そやから、
“三十里”と“四里”は、
すべて“里”に掛かる言葉で、
それは“富士”と、一体ではない・・・そう言う表現がエエのか知らんけど、
“上”の思惑が肉体のオーラと一体ではなく、
その肉体のオーラの発振、発信が“上”の思惑通りでは無いからこそ、
“上”からの通信を受けた認識が、
人の創造し得る事象に生かされて無いからこそ、

“富士から三十里四里離れた所へ祀りて呉れよ、
富士にも祀りて呉れよ、”

・・・って言葉になる。
“上”の思惑と、
人(日止、霊止)の思惑が一体では無いって事を指し示し、
そやからこそ、
“祀りて呉れよ”=受信して自分に体得して、
それを、
大脳で感じる認識(悟り、幸取=さとり)にしてくれ・・・って、
事でもあると思えるな。

ほんでから次の言葉も、今言うた事と同義、

“富士はいよいよ動くから、
それが済むまでは三十里離れた所へ、仮に祀りて置いて呉れよ。”

“富士”=“二二”で、それは、肉体の左右の極性。
“上”の思惑が、富士=左右の極性に活き、
人(日止、霊止)の思惑と“上”の思惑が一体になり、
そして事象の創造をして行く事を示す言葉で、
それがアセンションの時期に遭遇する、
フォトンベルト=大日如来の条帛(じょうはく)で、
条帛(じょうはく)そのものが、
“呂”=“上”と“下”の口 + 丿部(へつぶ)、
それは、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)を示し、
左往右往を示す事でも有り、
腹のエネルギーの上昇する様子でもある。
そして人(日止、霊止)は、
“慈悲”と“慈愛”の心(靈)を発現する。


     ↑

・・・長かったけど、以上でんねん。

そやから、“ウシトラ三十里四里”
試練に立ち向かう心(靈)の動き、
それは左往右往の段階での、
砌(みぎり)のエネルギー=“いきり立つ心(奴と心)”(肝)とも言え、
それは前回の上つ巻 第二十六帖の、
替へ身魂わ と ○=心(靈)  の、
心(靈)の動きでもある。

それは、Kellyさん的には、
“左往右往の中の、
砌(みぎり)=よいカタチの事象を思いながらの創造のエネルギー”
・・・って解釈をした。
そして、左往右往、その時の心(靈)の発現が、
“慈悲”と“慈愛”で、
それは重複するけど、
“三”と、
胸の磁性“十”と
“里”=田と“土”=2~3番目、肉体のオーラと、
“四”=発振、発信の意味と、事象の創造を示し、
(Kellyさんが“日月神示”の解釈をして行くに当たって 参照)

今起きている事やこれから起きる苦難、
それを体験し、そして自分の在り方を思い=“観自在”“直日(なおひ)”自省(胸の磁性“十”)の行をして、
そして今後の創造を自分達が思い、
良いカタチの創造を自分達で実現する。
そう言う事でんねん。
そやからその意味に掛かる言葉として、
次の言葉、

“今は分るまいが、やがて結構なことになるのざから、
行きて神祀りて開いて呉れよ、”

・・・そう言う事でんねん。

ほんでから、
“神祀りて開いて呉れよ”は、
“祀り”と“祭り”・・・その違い。
それも人が高い心(靈)を発現して“上”の思惑を取り込み、
自分の心(靈)にするのが“祀り”で、
それを事象に実現する事自体が、
“祭り”・・・
今までも言うた事やけど、敢えて言うて置きまんねん。


ほんでから次の言葉は、簡単な意味やけど、

“細かく知らしてやりたいなれど、それでは臣民の手柄なくなるから、
臣民は子ざから、
子に手柄さして親から御礼申すぞ。”

自分達でエネルギーを贖って、
苦難を霊的成長の為の試練と捉え、
ローム太霊さんの言葉、
苦に苦を重ね苦を求め更に苦を求めるのだ、楽を求めてはいかん
・・・や、
S会=紫光会の交霊会でよく言われた言葉、
神は乗り越えられない困難は与えない

その意味が解るなら、
この文章は良く理解出来る。

そやからそれは、
贖い(あがない)、
霊的進化せんと、
認識(悟り、幸取=さとり)は得られない。

“上”の心(靈)の発現由来の認識は、
自我より“上”の心(靈)の発現が無いと得られない。
それを言うてるだけやねん。

ほんでから、

“行けば何もかも善くなる様に、
昔からの仕組してあるから、
何事も物差しで測った様に行くぞ。”

これも、進化の法則性を示し、
自我の心(靈)の発現の段階やからこそ、
今の地球の事象は、
痛みと悲しみの星になってて、
恨みの連鎖でいっぱいになってる。

それに対し、相対的な比較としての言い方でもあるな。
そやからそれは“日月神示”の表現ならば、
“うれしうれし”とか“大歓喜”って事になる。

そやからこの文自体が、冒頭の言葉の、
“世の元から仕組みてある”=霊的成長の結果は、
そう言う事って事でんねん。

ほんでから、次の言葉も、

“天地がうなるぞ、上下引繰り返るぞ。
悪の仕組にみなの臣民だまされてゐるが、
もう直ぐ目さめるぞ、”

・・・言うまでもなく、
今、盛んになっている形骸の価値感の現象化と、
それをもてはやす自己奉仕者の心(靈)の動きの事を言うてる。
さっきも言うたけど、
見せ掛けの癒しとか、
簡単に金を儲けるとか、
自分が気をつけんならん事を避け、
サプリメントで健康を維持しようとか、
見せ掛けの美・・・ブランドとかファッションとか、
美容や美白の概念で太陽を避け、骨の結晶化をさせないとか・・・

・・・余談やけど、
先生は前のブログで、
線維筋痛症や慢性疲労症候群は、
美白や美容の価値感で、
人(日止、霊止)が太陽を避けるようになった結果なんだって文章を、
作ったんやけど・・・ボツにしましてん。
それは・・・
補足説明をもう少ししっかりして、違う機会に紹介するかもしれませんねん。

話を戻し・・・今、言うた事なんかも含め、
それらすべてが低い心(靈)の発現の段階での価値感、
外側(外国と幽界)の事象の観察ゆえの価値感で、
ほんでからその事が、
形骸で、
それは、
真実=真固止ではない。

そやから、
“悪の仕組にみなの臣民だまされてゐる”
“もう直ぐ目さめるぞ、”
・・・って事でんねん。

そやから、本当の事を知りたいとか、
価値のある何かを獲得したいとか、
それは幸福=神格化でしかないって事で、
それに目覚めたなら=少し“天の御目”を自分の心(靈)に、
持ったならば、

以下の言葉、

“目さめたらたづねてござれ、
この神のもとへ来てきけば、何でも分かる様に神示で知らしておくぞ。”

“目さめたら”=“天の御目”って基準を獲得するには、
“慈悲”と“慈愛”・・・
左往右往の体験により胸の段階の心(靈)の発現があるからこそ、
言うまでもなく次の言葉は、
季節の“秋”の事ではなく、

“秋立ちたら淋しくなるぞ、
淋しくなりたらたづねてござれ、
我(が)を張ってゐると、
いつまでも分らずに苦しむばかりぞ。”

この文章の中の“秋”・・・

“秋”に付いては、
“日月神示” 上つ巻 第八帖 Kellyさん的解釈で、
前に解釈したからコピペしときまんねん。

     ↓

“秋が立ちたち、”
これは上つ巻 第六帖と同じで、
単なる時代背景の事を言うてるとはとても思えへん。

Kellyさんがそう思う根拠は、
“秋”・・・禾(のぎへん)と、火で構成された字やからや。

そやからそれは、
禾(のぎへん)が、
丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と木部で構成されてる。
木部って言うのんは、
胸の磁性“十”の下に、儿部(じんぶ、にんにょう)を足した字やって言う事で、
そやからそれは、禾(のぎへん)自体が、
丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現) + 胸の磁性“十” + 儿部(じんぶ、にんにょう、人が歩く様子に象るの意味=時間の進行)で、
それは時間を伴う霊的進化そのものを表してる。
言い換えれば、
時間って言う振動の変化を吸収しながら、
(時間の認識を持ち)心(靈)は育っていく。
そういう事を表してるように思えるやん。
ほんでからにそれは、禾(のぎへん)と、
火=灬(よつてん、れっか、れんが)と共に書かれてるから、
火=灬(よつてん、れっか、れんが)は、
幽界の“幽”、
幽か(かすか)の左右の糸を外した山みたいな字と、
火=灬(よつてん、れっか、れんが)は同じで、
人(日止、霊止)の心(靈)の発現が、
(“上”から観て相対的に)幽かな時は、
自分の外側しか見ないって事でもある。
ほんでから、“日月神示”内の表現としては、
幽界=外国で、
そやからそれは自我の確立=固定化の進化過程やし、
その時の心(靈)の動きは、
本能、情動、功名心、自我、愛(炁)、創造、知恵、智慧、智性という振動の、
本能、情動、功名心、自我・・・迄やから、
目先の欲望や低い自尊心や功名心や・・・それが中心の心(靈)になる。
そしてその心(靈)の動き由来の行動=発振、発信をする。
そう言う創造をして来たのが今の世界でもあるやん。

ほんでから“幽”の左右の糸、
左右の極性、砌(みぎり)と日足(ひたり)、
その砌(みぎり)と日足(ひたり)の極性で、
心(靈)は・・・(霊的)進化過程の心(靈)の発現って言うのんは、
腹=下三つのチャクラから、
胸=アナハタチャクラの覚醒って事になる。
そやからそれは一言で言えば、
心(靈)が“上”に向かって行く。
段々、アナハタチャクラ由来の心(靈)の発現をして、
“慈悲”と“慈愛”を発現して行く。
この事が解り難かったなら、
前のブログ、
思惑と顕現 “その三~八”までを読んで欲しいねん。
その中で特に“摩多羅神”の所は、
人(日止、霊止)の心(靈)の発現の進化過程が、
解り易いと思いまんねん。

心(靈)の発現・・・
“上”に向かうから、
段々神さんに近付いて行こうとするから、“慈悲”と“慈愛”を自分の心(靈)に持つ。
そう言う意味で、禾(のぎへん)と火になり、
それは丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)=“上”の振動を獲得し、
胸の磁性“十”をしっかり構成する為の事でもあると思えるやん。
又、別の表現をすれば、
それは心(靈)が“慈(しげる)”・・・
そしてそれは自省=左右の磁性でもある。
帯電するミネラルが固まっていく様が、
心(靈)が“慈(しげる)”事でもあり、
固まってない=水の中の帯電するミネラルの段階が、
腹=水=江戸の“江”の段階の心(靈)の発現ゆえの価値感、
“石屋の仕組み”でもあると思えるやん。

そやから丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)=“上”から垂れた振動を、
人(日止、の振動を取り込み、
胸の磁性“十”をしっかり作って行き、
その時の心(靈)の発現が、
“慈悲(いつくしみ、かなしむ)”と、
“慈愛(いつくしみ、いつくしむ)”になって行く。

そやからそれは“秋”と書かれてると思う。

そしてもう一つ、
“秋が立ちたち”・・・立ちたちって二回立つって言うてる。
これも、
左右の極性の事としか思えへんって事でんねん。
そしてこの間先生と行った、
瀧原宮の瀧原竝宮(たきはらならびのみや)の、
“竝(ならぶ)”と同義やと思える。

そやから動物から人(日止、霊止)への進化って言うのんは、
心(靈)の発現が段々“上”に行く。
その為に、その時に、
前足が手になったとも言い得るやん。

手が構成する磁束は、
肉体のシンクロトロンの構造を持つ土台みたいなもんや。
それは、進化って言うのんは、
“上”の振動を取り込まんならんのやし、
より“上”の振動と感応共振する為の変化=ほんまの進化の意味、
神格化への道程でもあると思えるやん。
そやからこそ現時点、地球上で起きてる事象でその具体的な事としては、
失敗を体験して自省する=右往左往から左往右往でもあるし、
その時点時点で感応共振する霊的干渉でもあるし、
特に、左往右往=自省・・・その時の霊的干渉の中心になるのは、
やはり、
一番身近な霊的成長度の先輩としての主護霊って事になるやろ。
そやからそれは、
どんなに失敗してどん底であろうが、
その結果が不幸な死であろうが、
共々にいく”って事になる。

ほんでから、
左往右往に入る前に、
自分自身の低い心の発現由来の思惑の顕現をしようとする。
それが砌(みぎり)の“行”、右往左往やけど、
その時に起きる霊的干渉は、
目先の欲望とか甘い思いとかの発振、発信に感応共振する霊的存在やし、
それは左往右往の時期に入るまで主護霊は見守る・・・
それは、自分が間違った事をしてるって自分で気が付く為には、
失敗の体験は必要って事になる。
そやから自省する・・・自省(胸の磁性“十”)の“行”でもあるし、
“直日(なおひ)”=自分を振り返る事でもあるし、
“観自在”=自分の在り方を観察するって事になる。

そう言う意味でも、
“秋が立ちたち”・・・
腹の段階の心(靈)の発現から、
左右の神経を使い、
それは心(靈)が“慈(しげる)”・・・
この字の構成は
茲(やしないそだてる、いつくしみ)と心(靈)で、
ほんでからに茲(やしないそだてる、いつくしみ)の左右の糸の“上”にあるのは、
クサカンムリやし、
それは芽生えるって事でんねん。


     ↑


“秋”に付いては大事な事やと思うから、
ちょっと長かったけど・・・そのままコピペしましてん。

要は、
自己奉仕者の心(靈)の発現と、
その心(靈)の動きを自分で理解して、
自己観察し、
それが、その心(靈)の動き=発振、発信と行動が、
事象に及ぼす、
“善(神格化の方向性と智性の受信)”なのか、
或は、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”なのか、
それを理解せんならんからこそ、
次の言葉、

“我(が)を張ってゐると、
いつまでも分らずに苦しむばかりぞ。”

・・・って言われてると思えるな。

そう言う点でも・・・次の以下の言葉は、
心(靈)の発現の段階によって、
自分の受け取り方=認識は違う事を、
指し示しているやん。

“この神示も身魂により何んなにでも、
とれるやうに書いておくから、取り違ひせんやうにして呉れ、”

そやから、
間違えたらあきまへんで~って事でんねん。
霊的に低い人は低い解釈しか出来ん=低い振動しか持ってないし、
低い思惑=低振動の荷電粒子しか、
自分の心(靈)に取り込む事が出来ない。
ほんまに価値のある貴い何か・・・
それは、
心(靈)の発現の低い段階の人が大多数の地球上では、
商売に利用されたり、
低い功名心を満たすことに利用されたり・・・なんでも形骸になってる。

そのうちで特に・・・先生が懸念してる事の一例を挙げれば、
心(靈)の発現の段階の低い人が太陽凝視をすれば、
単なる不食を目指す事になり、
太陽凝視は不食の達成の為にあるものだと思い込み、
更に、
アセンションの解釈や、
“身魂磨き”や“身魂掃除”や“身魂洗濯”や、
“鏡を磨く”・・・“日月神示”内の言葉を、
とんでもなく低い解釈にする。
そしてそれをネットで広める・・・それが、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の、
目的=思惑って気が付かん。
それは、
“われよし”=自己奉仕者の人には解らへんって事でんねん。

そやから、
解る人(日止、霊止)にしか、
判らへんって事なんやけど・・・

話を戻し、以下の文章・・・

“三柱と七柱揃うたら山に行けよ。”

この言葉も我田引水な解釈をすれば、
“柱”って字を構成している木部は、
胸の磁性“十”と、
丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)。
ほんでから、柱の木部を外した字は“主”って字やけど、
ローレンツ力 +“王”って字に観える。

  柱の解字 そやから“三柱”・・・
“三”と柱は、三つのオーラの事を指し、
それは頭と、胸と両腕と、腹と腰と骨盤と足・・・
その三つの磁性を指し、
そして、
“七柱”は、
肉体内の七つのチャクラ、七つの磁性による回転を指し示してると思える。
それが揃ったなら、
“山に行けよ。”

この解釈も何回も言うたけど、
山=脳って事でんねん。
肉体の発振、発信である“三”=三つのオーラと、
荷電粒子を取り込み発振、発信する仕組み=チャクラは、
すべて自分の思想になり、
それは思いって字に表され
心=靈、
思い=心(靈)の四つの場(フィールド)=田、
そしてそれは、大脳の新皮質の機能を指し示し、
そしてそこで行われてる心(靈)の発現自体が、
相対的に高い心(靈)の構築になる。

そやから、“三柱と七柱揃うたら山に行けよ。”は、
人の完成の仕組み、
霊的進化の仕組みを示した言葉でんねん。

今回はこれくらいにしときまんねん。

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 Kelly & ○○○大先生

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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
(クリックで拡大)

2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
(クリックで拡大) 

お近くの書店にない場合は
たま出版のサイトでお買い求めください。

発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




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