“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示”上つ巻 第二十八帖 Kellyさん的解釈




今回も上つ巻 第二十八帖を解釈しまんねん。
原文は以下の通り、



世界中まるめて神の一つの詞(王)で治めるのぞ。
それが神のやり方ぞ、
百姓は百姓、
鍛冶は鍛冶と、
今度はとことはに定まるのぞ、
身魂の因縁によりて今度はハッキリと定まって動かん神の世とするのぞ、
茄子の種には瓜はならんぞ、
茄子の蔓に瓜をならすのは悪の仕組、
今の世はみなそれでないか。
これで世が治まったら神はこの世に無いものぞ。
神とアクとの力競べぞ。
今度はアクの王も神の力には何うしてもかなはんと心から申す所まで、
とことんまで行くのざから、
アクも改心すれば助けて、
よき方に廻してやるぞ。
神の国を千切りにして膾(ナマス)にするアクの仕組は分りて居る、
アクの神も元の神の仕組を九分九厘までは知ってゐて、
天地ひっくり返る大戦となるのぞ。
残る一厘は誰も知らぬ所に仕かけてあるが、
この仕組、
心で取りて呉れよ、
神も大切ざが、この世では臣民も大切ぞ。
臣民この世の神ぞ、と言ふて鼻高になると、ポキン折れるぞ。
七月一日、ひつ九のか三。


“世界中まるめて神の一つの詞(王)で治めるのぞ。”

これは、
場(フィールド)の構築の法則性っていう事を、言うてると思いまんねん。

前回の、上つ巻 第二十七帖でも、
すべての事象や、
自分達の存在の理由とか、
生命(生きる使命=存在理由)の進化=霊的成長の法則性とかを、
感じさせる言葉やった。
それは、以下の言葉、
“何もかも世の元から仕組みてあるから神の申すところへ行けよ。”
この言葉の印象は、
根元の・・・とか、私達の存在の理由とか根拠とか・・・
そういう事を思わせる言葉やった。
(前回の記事を読んで欲しいねん。)

それに対し、今回の二十八帖はさっきも言うた通り、
ちょっと違う事を言うてる。


Kellyさんがそう思う根拠は、文中の言葉、

“神の一つの詞(王)”・・・“治めるのぞ。”・・・“世界中まるめて”

その中の“詞(王)”
まず、詞って言う字は、
読みは、
音読みで、シ、ジ、
訓読みで、ことば、
辞書を観るとその意味は、
言葉の最小単位で“虚字”(それ自体に意味の無く、文法的な役割をはたす語)とか、
“次々とつなぐ言葉の意”って言う事でんねん。
そやから、副詞、動詞、形容詞、名詞、代名詞・・・って使われ方をする。

要は、この冒頭の文章の中の“詞”そのものに
何か特定されるべき意味は無く、
その後に書かれてる(王)に意味があると思えるな。
そやからそれは音読みの“ことば”とか、
“次々とつなぐ言葉の意”って事が、要点やと思える。

そやからまず、“ことば”って言うのんは、
今まで何回も言うたけど、
“誠”=言葉成る、
言葉成る・・・の“言葉”の意味は、
自分が発振、発信した振動が完成するって言う事を思わせるし、
それは 上つ巻 第三帖の中の言葉、
“善言(よごと)は神、”
“善(神格化の方向性と智性の受信)”の発振、発信は神って事でもある。

ほんでから“(王)”
“王”=三つのオーラを縦に繋いだカタチ、人の完成された様。
霊的進化の法則性って言うのんは、
段々人(日止、霊止)が完成に近づくって言うのんは、
人が神格化に近付くって言うのんは・・・
前のブログでもこのブログでも何回も言うたけど・・・

今の地球人の進化過程って言うのんは、
“王”=霊的進化した存在から観察すれば、
“土”=2~3番目のオーラの進化過程が中心でもある。
そやからそれは、
“一”=智性=1番目のオーラのオーラがあまり無い段階。
ほとんどの地球人はそう言う霊的成長度って事でんねん。

しかしそれでは、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の思惑に、
支配されやすいし・・・
それは低い心(靈)の発現しかしていないからこそ、
自我の確立=固定化の進化過程の心(靈)=○ やからこそ、
同程度の心(靈)の発現の霊的存在・・・いわゆる悪霊と認識される霊的存在。
それは“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の霊って事で、
その悪霊に心(靈)の動きを乗っ取られてる人が沢山居てる。
そして今、沢山の現象が起きてる・・・これからどんどん増えて行くやろな。
そやからそれは、上つ巻 第二十五帖の文章のように、
“一日に十万、
人死にだしたら神の世がいよいよ近づいたのざから、
よく世界のことを見て皆に知らして呉れよ。”

・・・これくらいの悪霊の憑依現象の結果を、
人が観察して体験して・・・認識して、
それからでないと、
今の世界は、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の傀儡の世界で、
失敗の世界で、
右往左往の世界やって事に気が付かん。


こんなことも何回も言うた事やし・・・
心(靈)が“上”に向かって無いとか、
“上”の心(靈)の発現をしていない人(日止、霊止)には判らへん。

まあエエわ。

そやから今説明した“詞(王)”・・・に対しての事が、
次の言葉、

“それが神のやり方ぞ、
百姓は百姓、
鍛冶は鍛冶と、
今度はとことはに定まるのぞ、”

これも只単に、
百姓=農業と、
鍛冶屋=金属を加工する商売の事を言うてるとは思えへん。

Kellyさん的に思う“百姓”は、

“一” + 丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現) + 日=太陽・・・

そやからそれは、“日月神示”内の表現で言えば、

“神のやり方は日の光、
臣民ばかりでなく、草木も喜ぶやり方ぞ、
日の光は神のこころ、稜威ぞ。”

・・・これは、上つ巻 第二帖の言葉でんねん。
最初からこう言う事を“日月神示”は言うてまんねん。

ほんでからそれと別の解釈として、

“一”+ 白=(クンダリーニの白光)・・・そう言う解釈も出来る。
クンダリーニの白光はシンクロトロン放射で、
両腕と胸の磁性と=横の磁性と、
頭と、腹、骨盤と足による縦の磁性、
その両方によって起きるのが、
○ 九 十の、“十”に示されるシンクロトロン放射の成り立ち、
シンクロトロン放射だからこそ白い光を出す。
先生は太陽凝視を教えてくれたKさんのオーラを、
一番最初に観た時に、
それを観測した。
(クンダリーニの白光 参照)

ほんでからそれは人(日止、霊止)の霊的進化過程の段階でもある、
“土”=2~3番目のオーラの拡大の過程から、
“王”・・・智性を持った人(日止、霊止)になる為の事でもある。

ほんでから“百姓”の“姓”は、
“女”って言う字の解釈は前のブログでも言うたけど、
丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現) + 乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)
+ “一”=智性=1番目のオーラ + 丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)。

そやからそれは、
神の思惑の顕現と人の思惑の顕現が重なって、
そして人が獲得する神性と智性・・・
そう認識され得る心(靈)の動きが、“一”=1番目のオーラに示される。
そうやって事象は創造され、
言い換えれば自分達の1番目のオーラの大きさにより、
事象として観察される事を示してる。

そやから前後するけど、その事を言うてるのが、
“世界中まるめて神の一つの詞(王)で治めるのぞ。”

霊的に進化した人たちの、
場(フィールド)の構築って事やと思える。

そやから・・・それに対し、
今の地球の平均的霊的成長度では、
1番目のオーラが宇宙的に観て小さい。
今現在は、“土”=2~3番目の“行”ばっかりの世界やからこそ、
右往左往の事象ばかりやからこそ、
この世界は崩壊しかかってる。
様々な物が形骸になってる。
低い価値感を低いと認識出来へん世界でもある。
それは、霊的に進化していない=智性を持ってへんからや。
又、それは、
智性=神性を獲得する“行”=左往右往と自省(胸の磁性“十”)の“行”を、
やってはる人は、
(地球上では)相対的にごく少数って事でんねん。
その事を示してるのが又、上つ巻 第二十五帖の文章を引用すれば、

“一日一握りの米に泣く時あるぞ、着る物も泣くことあるぞ、
いくら買溜めしても神のゆるさんもの一つも身には附かんぞ、
着ても着ても、食うても食うても何もならん餓鬼の世ざ。”

・・・右往左往の失敗を示してるし、それに対し、

“早う神心にかへりて呉れよ。
この岩戸開くのは難儀の分らん人には越せんぞ、
踏みつけられ踏みつけられている臣民のちからはお手柄さして、
とことはに名の残る様になるぞ。”

・・・左往右往して、
“観自在”して自省(胸の磁性“十”)して、“直日(なおひ)”して、
そして智性を獲得する人(日止、霊止)=“王”の事を言うてる。


ほんでから“百姓”の“姓”の“女”=事象の現象化、思惑の顕現、砌(みぎり)と、
そして生む=丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)、
生から丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)を外した字は、
上つ巻 第一帖で言うたけど、
そのKellyさん的解釈の対象の文章は、

“二二は晴れたり、日本晴れ。
神の国のまことの神の力をあらはす代となれる、”

・・・で、これも大事な事やと思うからそのままコピペしときまんねん。


     ↓



“二二”が晴れる、そして“日本晴れ”って表現されてる。
これは、晴れは、日と青。
青は、
三=三つのオーラと(たて棒、コン)と、月・・・
そやけどこれは辞書を見ると月部(げつぶ、にくづき)ではなく、
“丹”って言う字らしく、
それは地中にある鉱物って言う意味らしいやん。
そやからそれはストレートに帯電するミネラルって事を思わせる・・・
ほんでからに、“青”の上半分は、
生きるって言う字の、
丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)を外した物らしいやん。
ほんでからにその、“青”の上半分は、
芽生えるって言う意味でもあるって辞書に書いてあった。
ほんでからにこれも、
三つのオーラを縦に繋いで、
ほんでからにそれは“一”の上に出てる・・・
それは“上”に向かう意志やねん。
そしてこの字そのものが、
“土”=2~3番目 + “一”って言う事やと思いまんねん。
更にこれは、先生と話した事やけど・・・
生きるの丿部(へつぶ)を外した残りは、
乚部(いんぶ)で、乙で、
この事は前回のアップでも言うた事や。
“七”の象形文字のところを読んで欲しいねん。
そやからそれは、
日足(ひたり)“上”から横に砌(みぎり)“上”に移行し、
そして、
砌(みぎり)“上”から日足(ひたり)“下”に移行し、
そして、
日足(ひたり)“下”から砌(みぎり)“下”に移行し、
最後に“上”にはねる。

・・・複雑な言い回しをしたんやけど・・・
生きるの丿部(へつぶ)を外した残りは、
こう表現するのが妥当やと思いまんねん。

     ↑


・・・以上でんねん。


ほんでから、もう一つ文中の中の“鍛冶屋”・・・
鍛えると、治めると、
屋=“尸(しかばね、かばね)”と、
“一”と、
ム部(しぶ)と、
土=2~3番目のオーラの意味と肉体の意味・・・その両方を持つと思えるやんか。

前後するけど、鍛えるって言うのんは、
金へんと段、金属の段階、
肉体に持っている、
“力(ちから)の根(ね)”=肉体内の鉄分子が持つ磁性の事でも有り、
ほんでから、帯電するミネラルの結晶化は、
生体内電流による磁性で行われる。
その事そのものが“行と修行”の目的と意義でもある。
そして帯電するミネラルの結晶化は相対的に高い振動と感応共振し=同調し、
増幅し、発振、発信する。
そして他者にオーラの発振、発信として影響を与えて行く。
そう言う話を先生とした。
それそのものが、
霊的成長を果たした人(日止、霊止)が構築する、
場(フィールド)になって行くって事でんねん。
ほんでから先生は、
自分の太陽凝視と電気行に対し、
その認識をしっかり持ってはるからこそ・・・一応頑張ってはる・・・
そやけど・・・最近はジジイになってきて、
体力が無くなってきて段々踏ん張りが効かんようにもなってきたらしいけど・・・
それは、
肉体の顕現=この世界で心(靈)が物質を纏いながら、
“行”をするって言うのんは、
特別な許可が無いと永遠には出来へんやろって先生は思うてはる。
それは先生自身が、
年齢に伴う肉体の崩壊=死を意識し始めてるって事でも有るんやろけど・・・
無くなってきた体力の中で、
やはりしっかり“行”をするって事が大事で、
それも自分の体力=贖うべきエネルギーがあり、
その中でも若い頃に比べだんだん“行”が・・・
特に電気行がレベルが上がらんようになってきてるけど・・・
それでもやめんと頑張る事が大事。
それはローム太霊さんの言葉でもある、
不断の祈りと間断なき行”って事でもある。

・・・話が逸れてしもた。

ほんでから次の言葉、

“身魂の因縁によりて今度はハッキリと定まって動かん神の世とするのぞ、”

まず、“身魂の因縁によりて”
これは、
“身魂”=肉体と心(靈)、
但し、この事象での心(靈)は魂と呼ぶのが妥当、
ほんでから、
“因縁”=結果とか、因果、ブーメランの法則、“曲霊(まがつひ)”、
それは・・・やって来た事の結果って事で、
それは言い直せば霊的成長度によりやって来た事、
更に言い直せば、
自分の心(靈)の動きゆえの事象の観察=創造、発振、発信、
それには“上”と“下”があるって事で、
その“上”と“下”を認識(悟り、幸取=さとり)せんならんからこそ、
この世界=地球上での事象は、
“玉石混交(淆)”って事になる。
ほんでからに相対的に、
それは神の視点からして、
“下”の心(靈)の発現=帯電するミネラルが結晶化していない人が起こす事象=“石屋の仕組み”・・・
それは、
低い心(靈)の動きゆえの欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとか・・・
そう言う世界を構築してきた。
それにより、以下の言葉、

“今度はハッキリと定まって動かん神の世とするのぞ、”

アセンションと認識され得る事象により、
“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”
と、
そう言う大多数の地球人に対し、
次の世界の創造を担えるだけの智性=神性を獲得し、
それゆえの自分の目下(めした)の心(靈)の動きに対する“厳しさ”を持った人、

・・・ちょっと複雑な言い回しをしたけど、
そやから後者の創造する場(フィールド)は、
真実=真固止、
○ 九 十、
誠=言葉成る、言葉の意味は自分が発振、発信した振動が完成する・・・
そう言う場(フィールド)になって行く。

その事を示してるのが次の言葉、


“茄子の種には瓜はならんぞ、
茄子の蔓に瓜をならすのは悪の仕組、
今の世はみなそれでないか。
これで世が治まったら神はこの世に無いものぞ。”

本当の事をはぐらかすのが、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の仕組み。

本当のことって言うのは、
真実=真固止、
○ 九 十、
誠=言葉成る、言葉の意味は自分が発振、発信した振動が完成する・・・

今まで先生とKellyさんはそう言う表現をした。
それは、
右往左往して左往右往して獲得する認識でもあるし、
それは“身魂磨き”=肉体の組織・・・
特に骨の結晶化で、
段々普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)の、
高い振動と、
自分の心(靈)が感応共振し、
それ自体が、
相対的に“上”の心(靈)の発現になり、
自我の確立=固定化=腹の段階の心(靈)の発現より、
“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の発現になって行く。

そうなるべく人は、
その前提に於いて、
自分の心(靈)を意識して行くべきなんやろけど・・・

腹の段階の心(靈)の発現・・・
見せ掛けの幸福感、見せ掛けの癒し、
自分がエネルギーを贖わないで幸福になれると思わせる事、
今まで色んな言い方をして来たけど、
それは霊的進化の法則性に則って(のっとって)いない。
その具体例が、
インチキ宗教、ヨガを低い解釈で商売にしてしまっている事とか、
占いとか、何とかセラピーとかオーラソーマとか・・・
悪霊払いとか浄化とかがうたい文句のインチキ霊感商法とか、
サプリメントを売る為に人の不安を煽る健康番組とか、
お笑い番組、グルメ番組、霊能力バラエティとか、
例を挙げると話にならんくらい沢山ある。

それらに共通する事は、
それぞれに低い霊的干渉と低い心(靈)の発現と、
金に対する執着と、
低い功名心と・・・それらすべてが“石屋の仕組み”・・・
腹の段階の心(靈)の発現って分析が出来るんやけど、
ほとんどの人がそう言う段階の人やからこそその事が理解出来て無い。
そやから価値のあるものは形骸になり、
見せ掛けの価値感で人は騙されその裏で甘い汁を吸っている人がいて、
それは新たな恨みの連鎖の霊的干渉の種になる。
そやから・・・
“茄子の種には瓜はならんぞ、
茄子の蔓に瓜をならす”・・・この言葉の印象は、
そういう事を感じさせる言葉やな。

ほんでから、
今、この文章を打ち込んでいる時に受信した事やから、
敢えて・・・伝えて置くんやけど・・・
茄子=紫の果実、
赤 橙 黄 緑 青 藍 紫からして、
相対的に高い振動の実り。
ほんでから、
“蔓”=つる、かずらって事なんやけど、
回転して“上”に向かう様を表し、
それには、
瓜=甘い(亜、魔、出ずる、泉)果実は実らず、
そして大体、
甘いものって言うのんはすぐ腐る=崩壊する・・・
それは出来上がった何かを“亜”に戻す、
朽ちる・・・
そやから“悪”アクって事でんねん。

そう言う意味の事も含め次の言葉、

“神とアクとの力競べぞ。
今度はアクの王も神の力には何うしてもかなはんと心から申す所まで、
とことんまで行くのざから、
アクも改心すれば助けて、
よき方に廻してやるぞ。”

このカタカナの“アク”は“上”から視点やからカタカナで表現されてる。
そして“アクの王”は、
“悪”の権力者とか王様とか“悪”の神さんとかではなく、
人が霊的進化して段々高い振動を身につける様が、
“王”って言う字に示され、
その進化過程においても、簡単に、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)は、
入り込む。
それは“土”=肉体を持っているからこそ、
八戒の“行”があり、
それ故の低級な欲って言うのんは、無くなる事は無い。
それは心(靈)を構成するものやし、
普遍的に実在する創造主のオーラ(宇宙背景放射)の低い部分でもあるし、
低い部分の振動の獲得から生物は進化して行ったからでもある。
そやからそれは、
先生がよく引用したミミズ、ヒル、ゴカイ君達のように、
低い本能しか発現していない生物を観察すると良く解るけど、
低い本能でしか行動していない人間も沢山いてるな。
その事を私たちはよく観て自分の認識にせんと、
それを教訓にして行動しよい世界の創造は出来ないって事でんねん。
そやから、
低級な欲を自制するのが、智性・・・
智性=神性=“上”の心(靈)の発現・・・
それは、
“一”=1番目のオーラって事でもある。

そして“悪”の仕組みっていうのは巧妙でも有り、
甘い囁きとか低い功名心を煽るとか・・・
どんなに自分が霊的進化したと思っても、
それに踊らされる事がある。
それは先生にも体験があった事でもある。
自分が恨みを持った人の娘を猛烈に好きになり、
それを思わせた存在は恨みを晴らしたかったって言う思惑が有り、
先生自身にもそう言う心(靈)の動きがあり、
そしてその上で霊能力を発揮してその娘のプライベートな事を夢で見させた。

その時の先生自身の心(靈)の動き・・・先生がその事に気が付き、
そして自分の心(靈)の“下”の部分を、
自分で区別して、その醜さに自分で呆れ・・・
結果それは、
人の心(靈)には、
“上”と“下”があるって事を教訓として教えられた体験やったって事なんやけど・・・
その事も一部・・・前のブログに書いてある。

・・・思い出してしもたから、敢えていうときまんねん。

ほんでから“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の仕組み、
真実=真固止と認識され得るのは、
幸福=神格化=霊的成長でしかなく、
その事をはぐらかすのが低い価値感ゆえの事象でもある事を示す・・・
次の言葉、

“神の国を千切りにして膾(ナマス)にするアクの仕組は分りて居る、”

説明が中途半端やったからもう一度言うけど、
生命は生きる使命、
そしてそれは存在理由で、その前提で幸福を考えたなら、
幸福の概念って言うのは今も言うたけどひとつしか無い。
それに対し、
低い心(靈)の発現で=低級な欲の振動を獲得している人達の価値感で、
見せ掛けの事を言ったり、
甘い言葉を囁いたり、
重箱の隅をつつくような事を追求させたり、
人の不安を煽って商売をしたり・・・こんなことも今まで何回も言うたから、
細かく例を列挙するのはやめておきまんねん。

そやから幸福=神格化、
それは厳しく・・・自分がどう在るべきなのか常に思わんならんのやけど、
それを思わせん事が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の仕組みで、
それは何回も言うたけど、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”に対し、
“善(神格化の方向性と智性の受信)”を思い、
その事を思わせないのが、
人の霊的成長を阻む・・・そう言う存在の思惑でもある。
そしてそれは、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の思惑も、
やはり振動=情報を持った荷電粒子やから、
自分の“下”の心(靈)と感応共振する。
それを見極める・・・自分で自分の心(靈)の動きを見極めて、
自分がどう思い、
どう行動=発振、発信するのかって事が、
“身魂掃除”“身魂洗濯”って事でんねん。


ほんでから次の言葉も今言うた事と重複する・・・

“アクの神も元の神の仕組を九分九厘までは知ってゐて、
天地ひっくり返る大戦となるのぞ。”

霊的進化して行く過程には、
必ず功名心の高揚とか、自我の肥大とかがあって、
それは簡単に言えば、
エエ気になるとか、調子こく・・・とか、
その事自体が、
自分の心(靈)の中の低い分部って認識をしっかり持たんと、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の思惑が、
入りやすい。
そして今、悪魔の傀儡の世界で、
悪魔の傀儡が活躍してる世界やからこそ、
その事が素晴らしいと思い込んで勘違いしている人が大多数やからこそ、
そんなことばかり目立つ世界やからこそ、
“天地ひっくり返る大戦となるのぞ。”
・・・って事になる。

ほんでから次の言葉、

“残る一厘は誰も知らぬ所に仕かけてあるが、
この仕組、
心で取りて呉れよ、”

一厘は、“一”=智性=1番目のオーラと厂(がんだれ)と里・・・
厂(がんだれ)は、
广(まだれ)・・・とこれは岩屋を示す部首でそれに対し、
厂(がんだれ)は切り立った崖の形とか、
その下に人が住む住居とかの意味がある。
そやから厂(がんだれ)は、广(まだれ)から、
ローレンツ力  ローレンツ力を外した表現でもある。
ほんでから广(まだれ)は、
頭骸骨の意味があるって前のブログで先生が説明した。
これに付いては、

“太陽凝視 广(まだれ)”って検索Wordで、
ググったらええと思いまんねん。

ほんでから、
“里”は今までも言うた事があるけれど、
田=思い(心、靈、の四つの場(フィールド)、大脳の新皮質)の心(靈)を外した物と、
“土”=2~3番目のおーら、肉体、
そやからこそ、
思惑の顕現そのものが、
“里”って言う字に示されてる。

そやから“一厘”・・・

もう一度言えば、
“一”=智性=1番目のオーラと、
厂(がんだれ)=頭骸骨と、
里=四つの場(フィールド)、一靈四魂と大脳の新皮質と、
“土”=2~3番目のオーラと、肉体を示す。

・・・まあ、相対的に、
霊的進化して次のアセンション後の創造を担う人が、
とても少ないからこそ、
“一厘”って表現されてる・・・そういう事も感じられる事やな。

ほんでから次の言葉、

“神も大切ざが、この世では臣民も大切ぞ。
臣民この世の神ぞ、と言ふて鼻高になると、ポキン折れるぞ。”

この文は、神と人間の関係・・・
人は神の子・・・進化すれば神格化する・・・
ここまで“日月神示”を解釈してきても、
そういう事を感じさせる言葉は沢山有り、
その肉体と心(靈)の仕組みの事も、
霊的に進化してへん人には=心(靈)が“上”に向かっていなくって、
認識が狭い人には、
言葉しか分からんやろけど、霊的進化と霊的成長の事を沢山言うてる。

そやからそれを知り、
そして自分がいずれ神格化するって事を知った上で、
常に自分の在り方を思い、
謙虚に事象を観察し、
その上で、
認識(悟り、幸取=さとり)を獲得せよって事でんねん。

さっきも言うた事やけど・・・決してエエ気になってはいかんって事でも、
ありまんねん。

今回はこれくらいにしときまんねん。

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 Kelly & ○○○大先生

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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

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〈4〉
智性無き心は
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目上(めうえ)と目下(めした)


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発売中の二冊目は


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〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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初めての方は、
・・・その後の事と・・・これからの事。
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☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (104)
Kellyさんがこのブログに霊縁あった人(日止、霊止)に伝えたい事 (22)
Kellyさんと○○○大先生との会話 (7)
Kellyさんとチョ~極上ラブラブ中高年夫婦はんとの会話 (6)
Kellyさんとチョ~ベッピンはんのA野はんとの会話 (7)
Kellyさんと∪・ω・∪ ▼・。・▼ ▼・。・▽ U・。・U U。・ェ・。U たちとの会話 (33)
Kellyさんとメタボ研修医のYっちゃん先生との会話 (2)
Kellyさんとややメタボ内科医のYっちゃん先生との会話 (7)
Kellyさんと和風のベッピンはんのSはんとの会話 (2)
Kellyさんと農業好きの社長婦人K地M美はんとの会話 (12)
KellyさんとNominyan ∥*σ_σ*∥&Senyapoo λ*゜ο゜*λ との会話 (6)
☆ Kellyさん的“日月神示”解釈 (480)
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 (16)
“日月神示” 上つ巻 (42)
“日月神示” 下つ巻 (38)
“日月神示” 富士の巻 (26)
“日月神示” 天つ巻 (30)
“日月神示” 地つ巻 (36)
“日月神示” 日月の巻 (68)
“日月神示” 日の出の巻 (23)
“日月神示” 磐戸の巻 (21)
“日月神示” キの巻 (17)
“日月神示” 水の巻 (36)
“日月神示” 松の巻 (30)
“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
“日月神示” 岩の巻 (11)
“日月神示” 荒の巻 (27)
☆ Kellyさん的“ローム太霊講話集”解釈 (108)
☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
☆ 先生が撮るけったいな花の写真 (22)
☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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