“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 雨の巻 第二帖 Kellyさん的解釈 


 今回も、雨の巻 第二帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

天の大神様は慈悲深くて何んな偉い臣民にも底知れぬし、地の大神様は力ありすぎて、人民には手におへん見当取れん、そこで神々様を此の世から追い出して悪神の云ふこと聞く人民許りとなりてゐたのであるぞ。
七五三(しめ)は神々様をしめ込んで出さぬ為のものと申してある事これで判るであろがな、鳥居は釘付けの形であるぞ、基督(キリスト)の十字架も同様ぞ、基督信者よ改心致されよ、基督を十字架に釘付けしたのは、そなた達であるぞ、懺悔せよ、 
霊=○、荷電粒子の場(フィールド) とは外国の事ぞ、 ローレンツ力と ○ が神国の旗印ぞ、神国と外国との分けへだて誤ってゐるぞ。 
大き心持てよ、かがみ掃除せよ、上中下三段に分けてある違ふ血統(ちすじ)を段々に現すぞよ、びっくり箱あくぞ、八九
の次は 縦の磁性と水平磁場 雨 第二帖 であるぞよ。
何事もウラハラと申してあろが、ひとがひとがと思ってゐた事 我の事でありたであろがな、よく神示読んでおらんと、キリキリ舞ひせんならんぞ、日本が日本がと思って居た事 外国でありた事もあるであろがな、上下ひっくり返るのざぞ、判りたか。 
餓鬼までも救はなならんのであるが、餓鬼は食物やれば救はれるが、悪と善と取違へてゐる人民、守護神、神々様 救ふのはなかなかであるぞ、悪を善と取違へ、天を地と信じてゐる臣民人民なかなかに改心六ヶ敷いぞ。
我と改心出来ねば今度は止むを得ん事出来るぞ、我程偉い者ないと天狗になりてゐるから気を付ける程 悪ふとりてゐるから、こんな身魂は今度は灰ざぞ、もう待たれん事になったぞ。
十月の十四日、ひつ九のかみしるす。

 冒頭の文。
“天の大神様は慈悲深くて何んな偉い臣民にも底知れぬし、地の大神様は力ありすぎて、人民には手におへん見当取れん、そこで神々様を此の世から追い出して悪神の云ふこと聞く人民許りとなりてゐたのであるぞ”

 この文で伝えたい事柄は“神々様を此の世から追い出して悪神の云ふこと聞く人民許りとなりてゐたのである”であり、これはたった今の地球人の神に対する概念、固定観念とか一般常識とか既成概念とかと換言出来得るが、これが低すぎるし、その概念が間違っている旨の指摘である。

 そしてそれはこれに続く以下の文に繋がっている。
“七五三(しめ)は神々様をしめ込んで出さぬ為のものと申してある事これで判るであろがな、鳥居は釘付けの形であるぞ、基督(キリスト)の十字架も同様ぞ、基督信者よ改心致されよ、基督を十字架に釘付けしたのは、そなた達であるぞ、懺悔せよ”

 この“神々様をしめ込んで出さぬ為のものと申してある事これで判る”“釘付けの形”“釘付けしたのは、そなた達”、これが先に述べた固定観念や一般常識、既成概念、いわゆる程度の低い自分たちにとって都合の良い神の概念、“役員づら”が流布してそれを受け入れ容認して、“ほんとう”に神と人間の関係を考えない人間のことを指摘した言い回しであるし、それを改めよ、それはあらゆる宗教にいえ、ここで示されているのは神道、“鳥居”、そして“基督(キリスト)”ではあるが、すべての人間に対し“改心致されよ”“懺悔せよ”と述べられているものである。
 前後するが“七五三(しめ)”は、夜明の巻でカタカナ表記の“シメ”があったが、今回はひらがな(“創造”の“主(ヌシ)”に対して被造物である人間の視点)表記である。 それで、夜明けの巻 第二帖で以下の表記があったのでコピペ。

“海の水がシメであるぞ。 鳥居であるぞと申してあろうが、シメて神を押し込めてゐたのであるぞ”
この文の“海の水”は、錯体の意であり、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を止める要素でもある。 それが“シ”“メ”と記されている。
“シ”は、弱き光 と称され、それは次々に出る生命を育む(はぐくむ)意 “慈(しげる)”のシ
であり、
“メ”は、ムシ出された生命の芽 吾が心は目 その目に止まりてすべてのものはそれ現津するにあれ(“観察と認識”のこと)
であるので、生命(生きる使命=存在理由)が、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、“天津御空(あまつみそら)”、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を含んだ荷電粒子、を、取り込んで事象の“創造”をしているが、天意を顕現するほどの霊的成長度ではなく、何度も述べるが“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)であるからこそ“シメて神を押し込めてゐたのであるぞ”、お前たちの神の概念は低すぎるし、神の思惑通りに生きていないのだ、自分たちの在り方が間違っているのだ、という言い回しをされ、これは次の文に続いている。
“人民 知らず知らずに罪犯してゐたのざぞ。 毎日、日日(ひにち)お詫(わび)せよと申してあらうが、シメて島国日本としてゐたのざぞ”
要は自省(胸の磁性“十”)ということ。

 もうひとつ、夜明の巻第十帖からコピペ。

“シメは当分造りめぐらしてもよいぞ。
今までのシメは此の方等しめて、悪の自由にする逆のシメざから、シメ張るなら、元のシメ、誠のシメ張れよ”
この文中の“シメ”は、…中略…であるので、生命活動といい得る事象の“観察と認識”であり、その点で、“当分造りめぐらし”は、これからも進化して、自らの霊的成長度が高まっていったなら観察しうる事象は変容するの意であり、“今までのシメは此の方等しめて、悪の自由にする逆のシメざから”は、まっとうな進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を歩んでいる“此の方等”は、今大多数の人間(生命としての人間)が、低い振動としか感応していないのでこの事象は腐っており、その結果、“今までのシメは此の方等しめて、悪の自由にする逆のシメざから”となっていることを言い表しており、それではダメだの意で“シメ張るなら、元のシメ、誠のシメ張れよ”、これは先の“元津”そして“誠”、すべての生命、すべての事象に対して“誠”(言葉成る、意味は、自分が発振、発信した振動(言葉)が完成する)であれ、いうまでもなく“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の不誠実さを否定した言い回しでもある。

 次の文。
“七五三は逆ざぞ。 三五七ざぞ。 天地のいぶきぞ。 波の律ぞ。 風の律ぞ。 神々様のおんいぶきの律(なみ)ざぞ”
ここで示されている“三五七”の“三”は、“一二三”のオーラ。
“五”は、糸巻の象形文字、神経が密になった(羅)生命(生きる使命=存在理由)のこと。
“七”は、“一”=智性=1番目のオーラと乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)した人間の思想と行動といえるので、“七五三は逆ざぞ”は、神の思惑を顕現する“七”から述べるのは間違いで、人が“日止、霊止”になるには、先の“天津日嗣皇”、これを“ミコト”とする、“天のひつく”を行じて、“一”=智性=1番目のオーラを発現し、その過程で神経は密になり“羅(般若心経の“波羅密”の羅)”、その上で天意と感応してそれを事象に顕現するの意が“三五七ざぞ”であり、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)した“日止、霊止”と“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応は、神の思惑を息吹くの意が、これに続く“(これから、今後=アセンション後の)天地のいぶきぞ。 波の律ぞ。 風の律ぞ。 神々様のおんいぶきの律(なみ)ざぞ”である。
 それで第十帖を要約するならば、まっとうな進化(霊的成長、神格化に向かうこと)、神の思惑を顕現すべく“日止、霊止”というものを思い浮かべ、それを息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)として“天津日嗣皇”、“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行い、“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化して“タマの宮”を自らに構築して“上”と感応してまっとうな生命(生きる使命=存在理由)というものを顕現(“シメ”)せよ。


 上記の事柄を鑑みて、今回の表記の“七五三(しめ)”は、平均的地球人の神の概念、それは自我の確立=固定化の進化過程における神の捉え方、その認識の仕方の低さ(“海の水”による認識)であり、それに相対し、生命(生きる使命=存在理由)である人間が神を認識していく、霊的成長を果たして“ほんとう”の神の概念を認識(悟り、幸取=さとり)としていく過程が第十帖の
人が“日止、霊止”になるには、先の“天津日嗣皇”、これを“ミコト”とする、“天のひつく”を行じて、“一”=智性=1番目のオーラを発現し、その過程で神経は密になり“羅(般若心経の“波羅密”の羅)”、その上で天意と感応してそれを事象に顕現するの意が“三五七ざぞ”であり、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)した“日止、霊止”と“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応は、神の思惑を息吹くの意が、これに続く“(これから、今後=アセンション後の)天地のいぶきぞ。 波の律ぞ。 風の律ぞ。 神々様のおんいぶきの律(なみ)ざぞ”である
ということ。

 これに次く以下の文。
“ 
霊=○、荷電粒子の場(フィールド) とは外国の事ぞ、 ローレンツ力と ○ が神国の旗印ぞ、神国と外国との分けへだて誤ってゐるぞ”

 この“  
霊=○、荷電粒子の場(フィールド) とは外国の事”、 ローレンツ力と ○ から“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を取り込む仕組みであるローレンツ力 ローレンツ力  を差し引いたこの表記は、やはり自我中心の心(靈)が自我の肥大をして、自分と神の“ほんとう”の関係を考えない、自分にとって都合の良い神の概念しか持ちえない霊的成長度のことを示唆しているものであると思え、また自我という心(靈)の発現は、自分以外、外側(外国と幽界)の事象を認識していくものであるのでこの表記になっているものである。
 それに相対し“
ローレンツ力と ○ が神国の旗印ぞ”というのは、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の仕組み、人(丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)である生命)が“日止、霊止”(“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を止めるの意)になっていく仕組みは、肉体(月(ツキ))の磁束で発現するローレンツ力 ローレンツ力 であるし、それはまた“神国”、右翼傾向の強い程度の低い人が間違える表記であるが、“国”((囗)くにがまえ)と“玉(ぎょく)”、“玉(ぎょく)”は自省(胸の磁性“十”)の心(靈)の動きを示す、のであり、自省(胸の磁性“十”)が進んだ人間でなければ、“ほんとう”の神の認識は得られないのだという言い回しであるし、これに続く“神国と外国との分けへだて誤ってゐる”は、自我が肥大した自分にとって都合の良いことしか考えない人間、“役員づら”の手法が“うそ、ごまかし、にせもの、いつわり、まちがい”であることが判り得ない、あるいは少し判っていても自分の利益優先に捉えるからそれを容認する程度の低い人間、こういった程度の低い心(靈)が地球人の大半を占めているからこそ、先に述べた程度の低い神の概念である固定観念や一般常識、既成概念、いわゆる程度の低い自分たちにとって都合の良い神の概念が、自分たちの成長の妨げになっていることに気付け、の意味合いと、それを改めよ、気付いたなら先の“懺悔せよ”≒自分を恥じ自省(胸の磁性“十”)せよ、の意味合いであり、それはまた次の文に続いている。

“大き心持てよ、かがみ掃除せよ、上中下三段に分けてある違ふ血統(ちすじ)を段々に現すぞよ、びっくり箱あくぞ、八九の次は 
縦の磁性と水平磁場 雨 第二帖 であるぞよ”

 この文の“かがみ”は、自らが自らを観察せよ、それは厳しく(“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ“)観よ、自分の在り方を鑑みよ、その上で神と自分の関係を鑑みよ、それを“大きな心”と称し、またそれは先に述べた自分たちにとって都合の良い神の概念ではないのだ=“かがみ掃除せよ”、ということを強調した言い回しであり、これに続く“上中下三段に分けてある違ふ血統(ちすじ)を段々に現す”、これはたった今の人間の霊的成長度が土=2~3番目のオーラ中心、自我中心であり、肉体(月(ツキ))=“血統(ちすじ、肉体を受け継ぐの意、それに相対して霊統(れいとう)、霊的成長度を受け継ぐという概念もある)”としての“上”の部位からのオーラ、“一”=智性=1番目のオーラが足りないので、それを“創造”の“主(ヌシ)”の計画としてのアセンション後では、“一”=智性=1番目のオーラがしっかり発現した人間を“段々に現す”のであり、そうなったなら今とは“グレン”だからその意で“びっくり箱あくぞ”であり、“八九の次は 
縦の磁性と水平磁場 雨 第二帖 である”の意味合いは、
“八”は、“富士(二二)”=肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道と同義、そしてこの場合は右往左往と左往右往して進化していくの意味合いも感じ得る
“九”は、“一”=智性=1番目のオーラと、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)、そして○ 九 十の“九”、卆(そつ、卒業の卒の異体字)の意味合いを持つので生命(生きる使命=存在理由)としての最終段階
縦の磁性と水平磁場 雨 第二帖  ”は、原本を見ても漢数字の“十”が書かれていない、|(たてぼう、こん、縦の磁性))と横棒━(よこぼう、水平磁場)の組み合わせであるからシンクロトロン放射の意味合いであるし、“慈悲”と“慈愛”の発現と強化、第四密度、アナハタチャクラ、そしてクンダリーニの白光、これまで述べてきたこれらの概念全てが当てはまるものである。
 
 これに続く次の文。
“何事もウラハラと申してあろが、ひとがひとがと思ってゐた事 我の事でありたであろがな、よく神示読んでおらんと、キリキリ舞ひせんならんぞ、日本が日本がと思って居た事 外国でありた事もあるであろがな、上下ひっくり返るのざぞ、判りたか。
餓鬼までも救はなならんのであるが、餓鬼は食物やれば救はれるが、悪と善と取違へてゐる人民、守護神、神々様 救ふのはなかなかであるぞ、悪を善と取違へ、天を地と信じてゐる臣民人民なかなかに改心六ヶ敷いぞ。
我と改心出来ねば今度は止むを得ん事出来るぞ、我程偉い者ないと天狗になりてゐるから気を付ける程 悪ふとりてゐるから、こんな身魂は今度は灰ざぞ、もう待たれん事になったぞ”

 一読すれば意味は通じるが、この文言自体が、自分たちの自我の肥大を自分でよく認識せよ、自分を観察する自分の確立をせよ、“観自在”“直日”自省(胸の磁性“十”)の“行”せよ、自分を諌めよ、“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”せよ、の意味合いだからこそ、
“ひとがひとがと思ってゐた事 我の事でありたであろがな”
“日本が日本がと思って居た事 外国でありた事もあるであろがな”
と述べられ、それは自分たちの認識からしたら“何事もウラハラ”なのだということを知れ、これが判らない、この文言を理解しえない人間は“悪と善と取違へてゐる人民”“悪を善と取違へ、天を地と信じてゐる臣民人民なかなかに改心六ヶ敷いぞ”であり、それに感応しているその“人民”より少し“上”の存在は“悪と善と取違へてゐる…中略…守護神、神々様 救ふのはなかなかである”と称されている。
 それで霊的成長度の高低における区分けの時期は決まっている、それに間に合わない霊的成長度ならば、“我と改心出来ねば今度は止むを得ん事出来る”であり、それはその心(靈)が、その認識が“我程偉い者ないと天狗になりてゐるから気を付ける程 悪ふとりてゐる”からで、そのままでは“こんな身魂は今度は灰ざぞ、もう待たれん事になったぞ”と称されている。

 ちなみに文言中の “六ヶ敷い”は、むつかしいと読ませることは幾度となく説明してきたが、久々の登場なので意味を述べる。
“六”は陰爻=神の思惑と人(日止、霊止)の思惑、その両方の顕現、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を個々の霊的成長度で取り込み、敷=場(フィールド)の構築をして、“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)を認識(悟り、幸取=さとり)としていく意。

今回はこれくらいにしときまんねん。

Top

HOME

tuyukusanotuyu




 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
FC2ブログへようこそ!


Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
(クリックで拡大)

2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
(クリックで拡大)


発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
(クリックで拡大) 

お近くの書店にない場合は
たま出版のサイトでお買い求めください。

発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
(クリックで拡大)

お近くの書店に無いときは
たま出版のサイトでお買い求めください。

この本に付いてはこちらを御覧下さい。


       




初めての方は、
・・・その後の事と・・・これからの事。
からお読みください。

それぞれのカテゴリーをクリックすると
古い順に、記事が閲覧できます。

        

☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (104)
Kellyさんがこのブログに霊縁あった人(日止、霊止)に伝えたい事 (22)
Kellyさんと○○○大先生との会話 (7)
Kellyさんとチョ~極上ラブラブ中高年夫婦はんとの会話 (6)
Kellyさんとチョ~ベッピンはんのA野はんとの会話 (7)
Kellyさんと∪・ω・∪ ▼・。・▼ ▼・。・▽ U・。・U U。・ェ・。U たちとの会話 (33)
Kellyさんとメタボ研修医のYっちゃん先生との会話 (2)
Kellyさんとややメタボ内科医のYっちゃん先生との会話 (7)
Kellyさんと和風のベッピンはんのSはんとの会話 (2)
Kellyさんと農業好きの社長婦人K地M美はんとの会話 (12)
KellyさんとNominyan ∥*σ_σ*∥&Senyapoo λ*゜ο゜*λ との会話 (6)
☆ Kellyさん的“日月神示”解釈 (465)
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 (15)
“日月神示” 上つ巻 (42)
“日月神示” 下つ巻 (38)
“日月神示” 富士の巻 (26)
“日月神示” 天つ巻 (30)
“日月神示” 地つ巻 (36)
“日月神示” 日月の巻 (68)
“日月神示” 日の出の巻 (23)
“日月神示” 磐戸の巻 (21)
“日月神示” キの巻 (17)
“日月神示” 水の巻 (36)
“日月神示” 松の巻 (30)
“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
“日月神示” 岩の巻 (11)
“日月神示” 荒の巻 (13)
☆ Kellyさん的“ローム太霊講話集”解釈 (107)
☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
☆ 先生が撮るけったいな花の写真 (22)
☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



fxwill.com


2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
予約制 鍼(はり) 灸(きゅう) マッサージ治療 児玉療院
写真部の○○○大先生のページ
写真部に投稿した最新の写真
 ↓


powered by 写真部









○○○大先生の水草水槽記録
facebook 児玉登







このブログをリンクに追加する


自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




飢餓救済のホームページ

JWord クリック募金

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード