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“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、46年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 雨の巻 第三帖 Kellyさん的解釈 

 今回も、雨の巻 第三帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

草木は身を動物虫けらに捧げるのが嬉しいのであるぞ。 種は残して育ててやらねばならんのざぞ、草木の身が動物虫けらの御身(みみ)となるのざぞ、出世するのざから嬉しいのざぞ、草木から動物虫けら生れると申してあろがな、人の身(み)神に捧げるのざぞ、神の御身(みみ)となること嬉しいであろがな、惟神のミミとはその事ぞ、神示よく読めば判るのざぞ、此の道は先に行く程 広く豊かに光り輝き嬉し嬉しの誠の惟神の道で御座るぞ、神示よく読めよ、何んな事でも人に教へてやれる様に知らしてあるのざぞ、いろはに戻すぞ、一二三(ひふみ)に返すぞ、一二三(ひふみ)が元ぞ、天からミロク様みづの御守護遊ばすなり、日の大神様は火の御守護なさるなり、此の事 魂までよくしみておらぬと御恩判らんのざぞ。
悪も善に立ち返りて御用するのざぞ。善も悪もないのざぞと申してあろがな、
ローレンツ力と ○ の国真中に神国になると申してあろがな、日本も外国も神の目からは無いのざと申してあろうが、神の国あるのみざぞ、判りたか。
改心すれば 
ローレンツ力 (たま)の入れかへ致して其の場からよき方に廻してやるぞ、何事も我がしてゐるなら自由になるのであるぞ。 我の自由にならんのはさせられてゐるからざぞ、此の位の事判らんで神の臣民と申されんぞ、国々所々に宮柱太敷キ立てよ、たかしれよ。 此の先は神示に出した事もちいんと、我の考へでは何事も一切成就せんのざぞ、まだ我出して居る臣民ばかりであるぞ。 従ふ所には従はなならんぞ、従へばその日から楽になって来るのざぞ、高い所から水流れる様にと申して知らしてあろがな。
十月の十五日、ひつ九のかみ。

 冒頭の文。
“草木は身を動物虫けらに捧げるのが嬉しいのであるぞ。 種は残して育ててやらねばならんのざぞ、草木の身が動物虫けらの御身(みみ)となるのざぞ、出世するのざから嬉しいのざぞ、草木から動物虫けら生れると申してあろがな、人の身(み)神に捧げるのざぞ、神の御身(みみ)となること嬉しいであろがな、惟神のミミとはその事ぞ、神示よく読めば判るのざぞ、此の道は先に行く程 広く豊かに光り輝き嬉し嬉しの誠の惟神の道で御座るぞ、神示よく読めよ、何んな事でも人に教へてやれる様に知らしてあるのざぞ、いろはに戻すぞ、一二三(ひふみ)に返すぞ、一二三(ひふみ)が元ぞ、天からミロク様みづの御守護遊ばすなり、日の大神様は火の御守護なさるなり、此の事 魂までよくしみておらぬと御恩判らんのざぞ”

 この文言中の、
“草木は身を動物虫けらに捧げるのが嬉しいのである”“草木の身が動物虫けらの御身(みみ)となるのざぞ、出世するのざから嬉しいのざぞ、草木から動物虫けら生れると申してあろがな”
ここまでは、すべての生命が行うべき贖い(あがない)を示した文である。 
それは、いかなる生命、進化程度が低かろうが高かろうが(下等な単細胞生物であろうが人間だろうが)、自らのエネルギーを贖いながら“上”に向かうのが生命であるし、植物は神格化はしないが、動物は(植物の集合意識という形態ではなく、自我を発達させて独り神(ひとりがみ、日取り神)になる)いずれ神格化するものであり(猿から進化したのが地球人であり)、人間は生業(なりわい)であろうが“行”であろうが、自らのエネルギーを贖いながら自らの欲するものを求め、実現させようとする。
それは“思惑の顕現”、自分が欲したもの、思ったこと、それらを現津(あきつ)、観察され得る事象への顕現を果たそうとする、あるいは果たしていくものであり、このこと事態が生命、生きる使命、生命の存在理由、であるの意。 
 それで、ことに人間の場合は、
“人の身(み)神に捧げるのざぞ、神の御身(みみ)となること嬉しいであろがな”
それは、人間の一生における生業(なりわい)や“行”、いわゆるエネルギーの贖い(あがない)は、すべて神格化へのステップであるの意であり、また進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たしていけばいくほど、“身(み)神に捧げるのざぞ、神の御身(みみ)(ひらがなの“みみ”は、“創造”の“主(ヌシ)”に対して被造物である人間の視点)となること嬉しい”、これは自分が観察している事象への奉仕であり、奉仕そのものが進化した生命の成すべきことでもあるし、それは事象への神の思惑の顕現、自分自身を介して神の思惑を実現する=“神の御身(みみ)”ということになる。
 またそれは、
“惟神のミミとはその事”
と称され、“惟神”=“上”との感応、“上”の思惑を自分の認識にした進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たした心(靈)は、“ミミ”(カタカナ表記は“上”からの観方)、これは、
“ミ”は生命の幹 その現実
これが二つ並んでいるので、日足と砌(ひたりとみぎり)、思惑にも、思惑を顕現した事象においても、すべて“惟神”=“上”の思惑を取り込んでいくものであるの意。
 この意を、
“此の道は先に行く程 広く豊かに光り輝き嬉し嬉しの誠の惟神の道で御座るぞ”
と称され、たった今の人間は“役員づら”の台頭により“誠の惟神の道”を知らないから、間違えるなの意味合いもあり、“上”と感応していくならば、
“神示よく読めよ、何んな事でも人に教へてやれる様に知らしてあるのざぞ”
あらゆる事象の意味合い、その事象の成り立ち、成因などの理由と根拠が解る、判る、ようになっていくものである。 このことを換言するならばやはり“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の思惑を取り込んで自らの心(靈)の認識(悟り、幸取=さとり)とした心(靈)になっていくのだといい得るものである。
 これに続く
“いろはに戻すぞ、一二三(ひふみ)に返すぞ、一二三(ひふみ)が元ぞ、天からミロク様みづの御守護遊ばすなり、日の大神様は火の御守護なさるなり、此の事 魂までよくしみておらぬと御恩判らんのざぞ”
この“いろは”は、
松の巻 第十帖でも“今度はいろはの世に戻す”の表記があり、その際に以下のように解釈した
 
この“いろは”は、ひらがな表記なので、“創造”の“主(ヌシ)”に対し被造物である人間の目線による“観察と認識”であり、“イ”“ロ”“ハ”それぞれの意味は、
“イ”は、生気生命の発生力
“ロ”は、根を纏めチカラを詰め固める意、咲き裂くの意ありて物を清め広め 神の奇霊(くしみたま)(“創造”の“主(ヌシ)”の振動の低振動化、“思惑の顕現”=現象化の意)
“ハ”は、生命発現成長の音義
なので、“創造”の“主(ヌシ)”が生命(生きる使命=存在理由)を“創造”し、その詳細、意味、生命の存在理由、人はなぜ生きているのか、神と人とは、の意味合いを認識しうる文言であるが、たった今はそうではなく=人間と神の関係性などを感じうる事象ではないので=“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が台頭し活躍する事象なので、“今度はいろはの世に戻す”、今後=アセンション後は違ってくるのだという意味合いである。

 また、
キの巻 第十一帖に“意露波(いろは)”の表記があり、それは以下のように解釈した。 

“意”は、日に立つ心、太陽に立つ心の意、言うまでもなく太陽の振動を取り込むこと、“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことであるし、“露”は、天意が降り注ぐ意味合いの雨、


雨の象形文字 解字 


そして路で構成されているが、路は、道のり、行程、あるいは、そこへ行く道、そこを通る道、の意味合いがあり、またそれは太陽の振動を取り込んで派生する“露”=水=錯体の意味があると思えるし、最後の“波”は振動の受発信のことを述べ、これらのことを一括して“意露波(いろは)”と称されている。

 これに続く
“一二三(ひふみ)に返すぞ、一二三(ひふみ)が元ぞ”の“一二三”は1番目、2番目、3番目のオーラであり、たった今の事象には“一”=智性=1番目のオーラが反映していない、“上”と感応している人が創っている事象ではない、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)と感応している“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が中心になって事象を“創造”しているからこそ、その意味において“一二三(ひふみ)に返すぞ、一二三(ひふみ)が元ぞ”と称されている。
 これに続く、
“天からミロク様みづの御守護遊ばすなり、日の大神様は火の御守護なさるなり、此の事 魂までよくしみておらぬと御恩判らんのざぞ”
これは“上”=“天から”“ミロク”、これは、
“ミ”は生命の幹 その現実
“ロ”は、根を纏めチカラを詰め固める意、咲き裂くの意ありて物を清め広め 神の奇霊(くしみたま)(“創造”の“主(ヌシ)”
“ク”は、亜のくぐもり(つづまり、結合) 奇霊(くしみたま) 炁空無光眞奇力存の奇(あらわれ)の意
なので、“創造”の“主(ヌシ)”の振動を顕現した生命、の意、を示した言葉であるが、それが“みづの御守護遊ばすなり”、この“みづ”は、稜威(“イツ” 古代日本語で、“イチ”が変化した言い方、意味は、神霊の威力、みいつ、天子の威光、 類義語として、威霊)のことであると思える。 
 そして“日の大神様は火の御守護なさるなり”=太陽からの振動は、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)と点二つ(回転を示す)で構成された“火”は、自らのローレンツ力
ローレンツ力で“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を止め肉体が持つ円形加速粒子機の構造で“一二三”のオーラを発振、発信して事象の“創造”をする、それが“火の御守護なさるなり”であるし、ここまでの、進化の仕組み、進化の理由と根拠、生命の存在の意義と意味、生命と“創造”の“主(ヌシ)”の関係、これらを“日月神示”で幾度となく述べられ、それをみずからのにんしきとせよ、という意味合いで“此の事 魂までよくしみておらぬと御恩判らん”と称され、この“判らん”に当たるのは、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の霊的成長度の心(靈)である。


 次の文。
“悪も善に立ち返りて御用するのざぞ。 善も悪もないのざぞと申してあろがな、 
ローレンツ力と ○ の国真中に神国になると申してあろがな、日本も外国も神の目からは無いのざと申してあろうが、神の国あるのみざぞ、判りたか。
改心すれば 
ローレンツ力 (たま)の入れかへ致して其の場からよき方に廻してやるぞ、何事も我がしてゐるなら自由になるのであるぞ。 我の自由にならんのはさせられてゐるからざぞ、此の位の事判らんで神の臣民と申されんぞ、国々所々に宮柱太敷キ立てよ、たかしれよ。 此の先は神示に出した事もちいんと、我の考へでは何事も一切成就せんのざぞ、まだ我出して居る臣民ばかりであるぞ。 従ふ所には従はなならんぞ、従へばその日から楽になって来るのざぞ、高い所から水流れる様にと申して知らしてあろがな”

 進化(霊的成長、神格化に向かうこと)、地球人における進化の段階は、自我の確立=固定化から“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の発現と強化、同時に智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)も高まっていかねばならないが、“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の発現に至るには自省(胸の磁性“十”)の“行”を行う=“悪も善に立ち返りて”、それはローム太霊の言葉なら左往右往、“日月神示”表記なら“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”だが、これをせねば、自分がどう在るべきか考え得るべく素地が心(靈)に無い、その素地が無いからこそ“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”は自分のことしか分かりえない、よって自分さえよければよい、というものであり、これら事態が進化過程の高低でもあるが、程度の低い心(靈)は程度の低い“思惑の顕現”=事象の“創造”をする、進化した心(靈)は進化したなりの“思惑の顕現”=事象の“創造”をする、どちらもこの第三帖の冒頭の“神の御身(みみ)となること”、神の思惑を顕現するべくエネルギーの贖い(あがない)には違いないので“善も悪もないのざぞと申してあろがな”と称されており、これに続く“ 
ローレンツ力と ○ の国真中に神国になると申してあろがな”、これは心(靈)=○がローレンツ力 ローレンツ力 により“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を止め進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たし、心(靈)が神格化していく意を“真中に神国になる”、真ん中は天之御柱(あめのみはしら)、肉体における“上”と“下”を貫く磁性、頭と尾骨までと言ってもよい、そして“国”は(囗)くにがまえ)と“玉(ぎょく)”、“玉(ぎょく)”は自省(胸の磁性“十”)の心(靈)の動きを示すものであり、それがあってこそ神に近付く=“神国になると申してあろがな”ということ。
 これに続く“日本も外国も神の目からは無いのざと申してあろうが、神の国あるのみざぞ、判りたか”は、“悪(心の動きの本能化と低振動化)”であろうが“善(神格化の方向性と智性の受信)”であろうが、“日本”=“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を止め自省(胸の磁性“十”)しながら進化(霊的成長、神格化に向かうこと)して内面とか内側(心の中と感じている事)を高めていくのであろうが、心(靈)が感じ得る外側(外国と幽界)の事象であろうが、一切が神、すべての事象が神、すべて神の手の内、の意味合いで“神の国あるのみ”と言われている。


 次の文。
“改心すれば 
ローレンツ力 (たま)の入れかへ致して其の場からよき方に廻してやるぞ、何事も我がしてゐるなら自由になるのであるぞ。 我の自由にならんのはさせられてゐるからざぞ、此の位の事判らんで神の臣民と申されんぞ、国々所々に宮柱太敷キ立てよ、たかしれよ。 此の先は神示に出した事もちいんと、我の考へでは何事も一切成就せんのざぞ、まだ我出して居る臣民ばかりであるぞ。 従ふ所には従はなならんぞ、従へばその日から楽になって来るのざぞ、高い所から水流れる様にと申して知らしてあろがな”

 先に述べたことと重複するが、たった今の地球人の進化過程は自我の確立=固定化で自我の肥大をして“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”ばかりの事象であるからこそ“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”して心(靈)(ヒ)の在り方を自らに問わねばならず=自省(胸の磁性“十”)の“行”をしていくのだが、それをしたならば、“上”からの振動も取り込む振動が違ってくる=“其の場からよき方に廻してやる”、この意味合いで“(天之御柱(あめのみはしら)“上”と“下”を貫く磁性によるローレンツ力) 
ローレンツ力 (たま)の入れかへ致して”と称されている。
 そして、
“何事も我がしてゐるなら自由になるのであるぞ。 我の自由にならんのはさせられてゐるからざぞ、此の位の事判らんで神の臣民と申されんぞ”
これは“上”と感応している心(靈)ならば神の思惑に沿っている、それは自分が思い実現しようとしたことが実際に事象に顕現する、これも神の思惑の顕現=“我がしてゐるなら自由になる”ということだといえ、それに対し、神は低い人間の思惑を無視して(当然のこと)、良いカタチの事象を“創造”しようとする、それを“我の自由にならんのはさせられてゐるからざぞ”、これは神が生命に対し、生命自身の幸福(“夭と屰”(ようとげき)、と、示す偏(へん)(神の意)と“畐”、“一”(“創造”の“主(ヌシ)”の振動)と口(吸収)と“田”(心、靈、の四つの場(フィールド)、大脳の新皮質))を実現させるという思惑があるからであるの意、この進化の程度の高低におけるケースバイケース、これくらいのことは分っておけ=“此の位の事判らんで神の臣民と申されんぞ”である。
 これに続く“国々所々に宮柱太敷キ立てよ、たかしれよ”、この“国々所々”は、やはり自省(胸の磁性“十”)して進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を目指す心(靈)(ヒ)のことであり、そこに“宮柱”=天之御柱の強化をして“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を取り込み顕現せよ=“太敷キ立て”、カタカナの“キ”は、
天地の精気 モノの現れを示す音根、その表し得ざる心の素幸霊(スサノオ)自ら明津(アキツ、現津(あきつ)、観察され得る事象)させんにぞかし
であるから、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を顕現せよの意味合いを強めているし、“たかしれよ”は、“たかしれ”(高知れ、立派に造る、立派に建てる、立派に治める)の意である。


 これに続く次の文。
“此の先は神示に出した事もちいんと、我の考へでは何事も一切成就せんのざぞ、まだ我出して居る臣民ばかりであるぞ。 従ふ所には従はなならんぞ、従へばその日から楽になって来るのざぞ、高い所から水流れる様にと申して知らしてあろがな”

 敢えて解釈の要は無い文ではある、ここまでの“日月神示”で述べてきたこと、進化の仕組み、神と人間の関係、これらの事柄を考えないとこの先(今後=アセンション後)は、何事も解らず、何も通用しない、その意味合いで、たった今の進化過程、平均的地球人の心(靈)の段階では“我の考へでは何事も一切成就せんのざぞ、まだ我出して居る臣民ばかりであるぞ”といわれ、これからは“神烈しく(はげしく)”なる、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、に、沿って生きねばならないので“従ふ所には従はなならんぞ、従へばその日から楽になって来るのざぞ”と称され、これがまっとうな事象の“創造”には必須の要綱、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を止めるために“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化する、“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことをする、そして自分の在り方を鑑みる=“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)と感応する素地を強化する、すべて“上”から注がれる振動、神の思惑を取り込むこと、なので、“高い所から水流れる様にと申して知らしてあろがな”と括られている。

 今回はこれくらいにしときまんねん。



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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
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2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


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太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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初めての方は、
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。



自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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