“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 雨の巻 第八帖 Kellyさん的解釈 


 今回も、雨の巻 第八帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

大難小難にと祈れと申してくどう知らしてあろがな、如何様にでも受け入れてよき様にしてやる様仕組てある神の心判らんか、天災待つは悪の心、邪と知らしてあるがまだ判らんのか、くにまけて大変待ちゐる臣民 沢山あるが、そんな守護神に使はれてゐると気の毒になりて来るぞ、よく神示読んで下されよ。
今の守護神、悪の血筋眷属であるぞ、悪も御役ながら奥表に出ては誠おさまらんぞ、悪結構な世は済みて、善結構、悪結構、卍(ホトケ)結構、基(ヤソ)結構、儒結構(コトゴトク)の世となりなる神の仕組 近くなって来たぞ。
世の元からの仕組、中行く仕組、天晴(アッパレ)三千世界結構であるぞ、心の不二も晴れ晴れとなるぞ、結構々々。 
甘くてもならんぞ、辛(カラ)くてもならんぞ、甘さには辛さいるぞ、天の神様許りではならんのざ、くどう申して此処迄知らしてゐるにまだ判らんのか、心さっぱり大河に流して神示読んで下されよ、何時迄も神待たれんぞ、辛さには甘さかげにあるのざぞ、此の道理よく判るであろがな、水の味 火の味 結構ぞ、恐い味ない様な結構な恐さであるぞ、喜びであるぞ、苦しみであるぞ、此の道理よく判りたか。 神の御恵み神の御心判りたか、御心とは三つの御心ぞ、一と十と 
ローレンツ力 とであるぞ、御心結構ぞ、世の元の神の仕組の現はれて三千世界光り輝く、あなさやけ。
十一月二十七日、ひつくのか三。

 この第八帖は、先回の第七帖の続きのような意味合いが多い、まず冒頭の文。
“大難小難にと祈れと申してくどう知らしてあろがな、如何様にでも受け入れてよき様にしてやる様仕組てある神の心判らんか、天災待つは悪の心、邪と知らしてあるがまだ判らんのか、くにまけて大変待ちゐる臣民 沢山あるが、そんな守護神に使はれてゐると気の毒になりて来るぞ、よく神示読んで下されよ”

 この文の“大難小難にと祈れ”、これも“役員づら”がご利益を求める信者に期待させ賽銭を求めようとしてよく使う手法の意味合いではなく、すべての事象に対し、常にこういう心構えでいろ、これからアセンション後に移行する際に伴う醜い事象に対し、少しでも軽く、また多くの人間が次の段階に移行するように祈れ、祈りは息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)だから息吹け、であるし、これを息吹くからこそ“上”と感応するのだ、でもあるし、さらにこれは先の第七帖の“神の心の判りた臣民から助ける御用にかかりて呉れよ、助ける御用とは清めの御用で御座るぞ”と同義のことである。

 それで“上”としては“如何様にでも受け入れてよき様にしてやる様仕組てある神の心”、たった今どんな状況であろうが、次の段階に移行すべく心(靈)の資質を最低限持っているならば“如何様にでも受け入れてよき様にしてやる”と述べられているし、これについて“判らんか”、“上”の思惑を判れ、と称している。

 これに続く“天災待つは悪の心、邪と知らしてあるがまだ判らんのか、くにまけて大変待ちゐる臣民 沢山あるが、そんな守護神に使はれてゐると気の毒になりて来るぞ、よく神示読んで下されよ”、この雨の巻が自動書記で書かれたときはおりしも終戦直後(昭和二十年十一月二十七日)であり、人の心(靈)は荒廃し投げやりになっていた時であろうが、その時の人間の心理は自分たちがダメになったのだからすべてダメになってしまえ、などと思いがち、それを諌めるために“天災待つは悪の心、邪と知らしてあるがまだ判らんのか、くにまけて大変待ちゐる臣民 沢山ある”と述べられており、これに続く“そんな守護神に使はれてゐると気の毒になりて来る”、これは人の霊的成長を望む“守護神”ではなく、神国だから戦争しても勝てるのだという勝手な思い込みをさせた程度の低い存在のことを揶揄している言い回しである。

 これに続く次の文。
“今の守護神、悪の血筋眷属であるぞ、悪も御役ながら奥表に出ては誠おさまらんぞ、悪結構な世は済みて、善結構、悪結構、卍(ホトケ)結構、基(ヤソ)結構、儒結構(コトゴトク)の世となりなる神の仕組 近くなって来たぞ”

 この“守護神”も前述した通り程度の低い存在なので“悪の血筋眷属である”と称され、そして戦争に負ける、これはローム太霊の言葉右往左往であるし、これを体験しなければ自分たちが今後どう生きるべきか、何を思うべきか、これを見出すことが出来なかったので“悪も御役ながら”と称され、しかしそれは“奥表に出ては誠おさまらん”、戦争を起こした心(靈)の動きは自我由来の縄張り意識(進化程度の低い心、自我の確立=固定化の進化の段階の地球人の認識)であるから、そんな心が台頭していては“誠おさまらん”のであり、この戦争の体験が澄んだならば=右往左往したならば、自分たちにとって“ほんとう”の“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)を見出そうとするし、自分たちの行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)と心(靈)の動き、何が“善(神格化の方向性と智性の受信)”で何が“悪(心の動きの本能化と低振動化)”か、それが解るという意味合いで“悪結構な世は済みて、善結構、悪結構、卍(ホトケ)結構、基(ヤソ)結構、儒結構(コトゴトク)の世となりなる神の仕組 近くなって来たぞ”と称され、人間が区別している既成の宗教(“卍(ホトケ)結構、基(ヤソ)結構、儒結構”)は形骸の権威を示すだけだが、そこには“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)の思惑があるからこそ“結構”と述べられ、既成の宗教に捉われるな、何が自分たちにとって“上”か、そして“善(神格化の方向性と智性の受信)”なのか“悪(心の動きの本能化と低振動化)”なのか、“悪”の理解がなければ“善”の理解も無い、また既成宗教の中のどんな教えが自分たちを進化(霊的成長、神格化に向かうこと)に導くか=“善結構、悪結構、卍(ホトケ)結構、基(ヤソ)結構、儒結構(コトゴトク)の世となりなる神の仕組”、それを見出せ、の意味合いの文であると思える。

 次の文。
“世の元からの仕組、中行く仕組、天晴(アッパレ)三千世界結構であるぞ、心の不二も晴れ晴れとなるぞ、結構々々”

 文中の“世の元からの仕組”は、たびたび登場した“世の元からの生神”と意味合いが同義、それは、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性、のことであり、その“中行く仕組、天晴(アッパレ)”その“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)に沿って進化せよであり、“三千世界結構である”の“三千世界”は以前、
地つ巻 第四帖で述べたとおり“すべての現津(あきつ)、観察され得る事象をさす表記”であり、今後=アセンション後の事象に位置しうる資質を持つ心(靈)は“心の不二も晴れ晴れとなる”、この“不二”は、二つとないこと、無二、二つに見えるが、実際は一つであること、対立していて二元的に見える事柄も、絶対的な立場から見ると対立がなく一つのものであるということ、の意味合いであり、先の“善結構、悪結構”、この両方を解った心(靈)だからこそ、進化を見出すのだ、の意味合いであると思える。 よって“結構々々”である。

 これに続く次の文。 
“甘くてもならんぞ、辛(カラ)くてもならんぞ、甘さには辛さいるぞ、天の神様許りではならんのざ、くどう申して此処迄知らしてゐるにまだ判らんのか、心さっぱり大河に流して神示読んで下されよ、何時迄も神待たれんぞ、辛さには甘さかげにあるのざぞ、此の道理よく判るであろがな、水の味 火の味 結構ぞ、恐い味ない様な結構な恐さであるぞ、喜びであるぞ、苦しみであるぞ、此の道理よく判りたか”

 この文の要旨は“喜びであるぞ、苦しみであるぞ、此の道理よく判りたか”であり、それを“甘くてもならんぞ、辛(カラ)くてもならんぞ、甘さには辛さいるぞ”と称され、辛い(からい)は、辛い(つらい)であり、文中の“苦しみである”の意、それに相対して、甘いは、文中の“喜びである”の意である。
 心(靈)が育っていくには、苦痛や苦悩は必須、そしてそれから逃げてはいけない、真摯に向き合わねばならない、そして苦痛や苦悩の意味や意義を考え認識(悟り、幸取=さとり)を獲得する、それをして心(靈)の在り方を学んでいき、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たしていくものであるが、その意味合いを感じさせるのは“辛さには甘さかげにあるのざぞ、此の道理よく判るであろがな”、苦痛や苦悩を体験したならば、そこには霊的成長があるからこそ、その霊的成長は“ほんとう”の喜び(“日月神示”表記の“うれしうれし”“大歓喜”)になっていくからこそ、こういった言い回しがされてると思われる。
 それと順不同になっているが“天の神様許りではならんのざ、くどう申して此処迄知らしてゐるにまだ判らんのか”は、“役員づら”の手法により、てんで低い神の概念、御利益しか求めない、こんな既成概念を多くの人が持っているが、それではダメだ、の意であり、苦痛や苦悩を体験して育っていくなら喜びに到達するのだ、それを知れ、を強調した言い回しであるし“心さっぱり大河に流して神示読んで下されよ、何時迄も神待たれんぞ”は、自分たちが持っている天で低い神の概念を捨て去れ、そして“上”と感応せよ=“神示読んで下され”であり、“何時迄も神待たれん”は、認識を改めないと次の段階には移行できないぞ、の意味合いである。
 それと“水の味 火の味 結構ぞ、恐い味ない様な結構な恐さであるぞ”、この“水”と“火”の意味合いは、
日月の巻 第三十二帖の解釈から以下に引用する。

“火あって水動くぞ。水あって火燃ゆるぞ。 火と水と申しておいたが、その他に隠れた火と水あるぞ。”
 この文の“火”は、(これまでも同様の解釈をしてきたように)肉体(月(ツキ))の“腑”で取り込んだものを酸素とともにエネルギーに変える肝臓のこと、そしてそれは肝=“いきり立つ心(奴と心)”であり、事象の“創造”=行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)のエネルギーとなるもの。
 そして“水”は体液、錯体のこと。
 それで“その他に隠れた火と水あるぞ”の文が示唆することは、自我を構成する肝臓と腹の水のことだけではなく、腹から“上”にも(思惑という情報を伝えるための)錯体である体液はあるしそれは循環しているのであり、そして自らの思想(思惑)を構築する目上(めうえ)の脳にも日足と砌(ひたりとみぎり)の極性があり、砌(みぎり)の極性(事象への顕現)は“いきり立つ心(奴と心)”であるということで、それは“思惑の顕現”=現象化をするということでもある。


 よって“水の味”は、錯体が運ぶ“いきり立つ心(奴と心)”、事象に対し行動を起こす心(靈)の動き、“火の味”は、“いきり立つ心(奴と心)”そのものといえ、自分が育っていくために実際に行動する、その時々の霊的成長度において“思惑の顕現”=現象化をする、それは右往左往であるし、失敗を体験して認識を変えていく、それを“恐い味ない様な結構な恐さ”、やってみなければわからない=体験をしなければ認識は変わらない、失敗を恐れ都合の良いことばかり考える人間は成長の素地が足らない、こういったことを示唆する言い回しであると思える。

 次の文。
“神の御恵み神の御心判りたか、御心とは三つの御心ぞ、一と十と  
ローレンツ力 とであるぞ、御心結構ぞ、世の元の神の仕組の現はれて三千世界光り輝く、あなさやけ”

 文中の“御心とは三つの御心ぞ、一と十と
ローレンツ力   とであるぞ”、これは“三つの御心”が“一二三”のオーラ、1番目、2番目、3番目のオーラ、“一”は智性、1番目のオーラ、“十”は胸の磁性“十”、“慈悲”と“慈愛”、そして“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を止めるローレンツ力ローレンツ力  、これが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たした心(靈)であるの意であるし、それは“世の元の神の仕組の現はれ”=生命(生きる使命=存在理由)が進化を果たす“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)、その顕現であると称され、そうなったならばすべての事象=“三千世界”は、“あなさやけ”(あな清明)、これは、夜明の巻 第十二帖から引用する。

“あら楽(たぬ)し、あなさやけ”は、古事記において天照大神が岩戸から出てきた際の文言、「天晴れ(あっぱれ)、あな面白(おもしろ)、あな手伸し(たのし)、あな清明(さやけ)おけ」を、艮(うしとら)の金神は引用したものであると思え、これらはたった今の事象に対して相対的な言い回し、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の台頭によるたった今の事象は、“上”から観たら、あるいは霊的成長をある程度果たした者から観たら、先の“輝く御代”でもなく、“あら楽(たぬ)し”でもなく、“あなさやけ”、清くも明るくも無い、と読み取るべき。

 今回はこれくらいにしときまんねん。

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 Kelly & ○○○大先生

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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

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