“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 雨の巻 第十一帖 Kellyさん的解釈 

 今回も、雨の巻 第十一帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

日の出の神様お出ましぞ、日の出はイであるぞ、イの出であるぞ、キの出であるぞ、判りたか。
めんめめんめに心改めよと申してあろがな、人民と云ふ者は人に云はれては腹の立つ事あるものぢゃ、腹立つと邪気起るから めんめめんめに改めよと、くどう申すのぢゃぞ、智や学ではどうにもならんと云ふ事よく判りておりながら、未だ智や学でやる積り、神の国の事する積りでゐるのか。 判らんと申して余りでないか、何事も判った臣民 口に出さずに肚に鎮めておけよ、言ふてよい時は肚の中から人民びっくりする声で申すのざ、神が申さすから心配ないぞ、それまでは気(ケ)も出すなよ。
二十二日の夜に実地が見せてあろうがな、一所だけ清いけがれん所残しておかな足場なく、こうなってはならんぞ、カタ出さねばならんぞ、神国、神の子は元の神の生神が守ってゐるから、愈々となりたら一寸の火水で うでくり返してやる仕組ざぞ、末代の止(とど)めの建替であるから、よう腰抜かさん様 見て御座れ、長くかかりては一もとらず二もとらさず、国は潰れ、道は滅びてしもうから早う早うと気もない時から気つけてゐるのぢゃが、神の申すこと聞く臣民人民まだまだぞ。
此の道 難しい道でないから その儘に説いて聞かしてやれよ、難し説くと判らん様になるのぞ。 平とう説いてやれよ、難しいのは理屈入るのざぞ、難しい事も臣民にはあるなれど理屈となるなよ、理屈悪ざぞ。 霊術も言霊(ことだま)もよいなれど程々に、三分位でよいぞ、中行かな行かれんのざぞ、銭儲けて口さへすごして行けばよい様に今の臣民まだ思ってゐるが、それは四つ足の四つの悪の守護である位 判りておろがな。 
悪とは他を退ける事であるぞ、まつりまつりとくどう申してあること未だ判らんのか、今 外国よいと申してゐる臣民は外国へ行っても嫌はれるぞ、外国にも住むところ無くなるぞ、外国も日本もないのざぞ、外国とは我よしの国の事ぞ、神国は大丈夫ざが、外国や日本の国 大丈夫とは申されんぞ、と事分けて申してあろがな、日月の集団作り、境界作ってもならんが 
“亜” 一番最初の状態 愛(炁) 入れた集団作らなならんぞ、 霊=○、荷電粒子の場(フィールド) も作らず“亜” 一番最初の状態 愛(炁)  も入らずに力出ない位 判りておろがな、馬鹿正直ならんと申してあること忘れたのか、集団のつくり方知らしてあろが、盲(めくら)には困る困る。
人の苦労あてにして我が進んで苦労せん様な人民では神の気感(きかん)に適はんから、今度は苦労のかたまりの花咲くのざ、苦の花咲くのざぞ、二二に 九(コ)の花咲耶姫の神 祀りて呉れと申してあろがな、永遠にしぼまん誠の花咲く世来たぞ。
十二月七日、ひつくのか三。

 冒頭の文。
“日の出の神様お出ましぞ、日の出はイであるぞ、イの出であるぞ、キの出であるぞ、判りたか”

 この文言中の“日の出”は、今後=アセンション後のこと、そして“日の出はイであるぞ、イの出であるぞ、キの出であるぞ”の“イ”と“キ”の意は、
“イ”は、生気生命の発生力
“キ”は、天地の精気 モノの現れを示す音根、その表し得ざる心の素幸霊(スサノオ)自ら明津(アキツ、現津(あきつ)、観察され得る事象)させんにぞかし
であるから、個々の生命が観察しうる事象、その事象の変容、現在に対して相対的な変化、それはここまでの“日月神示”でたびたび登場している表記の“神烈しく(はげしく)”でもあり、たった今は悪霊との感応が盛んだから“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の活躍が台頭しているが、こういったことがなくなる、それは霊的成長度が高くなった心(靈)が創造する事象、霊的成長度が高くなった心(靈)が感じ(感じる磁性)得る事象でもあるが、それを示した文言である。

 次の文。
“めんめめんめに心改めよと申してあろがな、人民と云ふ者は人に云はれては腹の立つ事あるものぢゃ、腹立つと邪気起るから めんめめんめに改めよと、くどう申すのぢゃぞ、智や学ではどうにもならんと云ふ事よく判りておりながら、未だ智や学でやる積り、神の国の事する積りでゐるのか。 判らんと申して余りでないか、何事も判った臣民 口に出さずに肚に鎮めておけよ、言ふてよい時は肚の中から人民びっくりする声で申すのざ、神が申さすから心配ないぞ、それまでは気(ケ)も出すなよ”

この文言は自我の肥大を諌めた言い回し、それを具体的に述べているから“人に云はれては腹の立つ事あるものぢゃ、腹立つと邪気起る”、これは、誰かに自分の欠点を諌められたならば…であり、それはその誰かに腹を立てるが諌められたことに対して、自身が恭順ではないからであるし、諌められたこと自体が“上”の采配であるという認識がない、それを述べている。
そして、“智や学ではどうにもならんと云ふ事よく判りておりながら、未だ智や学でやる積り”も、自我由来の心(靈)の動きである保身のために“智や学”を利用する、だがそれでは霊的成長した心(靈)(ヒ)とはいえず、よって“めんめめんめに心改めよ” (“めんめ”は、面面、おのおの、一人一人、各自、めいめい、の意、雨の巻 第四帖でもこの表記は使われている)と述べられ、自分の心(靈)をよく観察して目下(めした)(動物の心(靈)の段階)の心(靈)を諌め得る人間ならば“何事も判った臣民 口に出さずに肚に鎮めておけ”、要は我を出さないという意味合いでもあるし、そういった人間は今後=アセンション後のことも理解が進んでいる、今後=アセンション後に移行すべく資質は自省(胸の磁性“十”)の出来た人間であるということを知っているものであり、だから時期が来るまで“肚に鎮めておけよ”ではあるが、時期が来たならば“言ふてよい時は肚の中から人民びっくりする声で申すのざ、神が申さすから心配ない”、これも“神烈しく(はげしく)”の事象、それを文中の“未だ智や学でやる積り、神の国の事する積りでゐるのか。 判らんと申して余りでないか”と称され、今後=アセンション後は“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応が盛んになる、神の思惑が顕現していく事象になることを示し、またそこでは“上”と感応しうる“一”=智性=1番目のオーラの霊的成長度の高い人間だけになる事象なのだということを示してもいる。
そしてそれを承知したならば、理解したならば、という意味合いで、
“何事も判った臣民 口に出さずに肚に鎮めておけよ、言ふてよい時は肚の中から人民びっくりする声で申すのざ、神が申さすから心配ないぞ、それまでは気(ケ)も出すなよ”
その時期(時間の進行と宇宙の進行は神のプログラムであり、それを人(日止、霊止)の心(靈)が認識したなら、時期になり、それは電磁波の吸収であるからこそ、磁気でもある)が来るまで、ひたすら内省して自分の在り方を観てそれを行動に移す、それが“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”であるが、これに努めよ、自我(“肚”)の肥大で他者を批判してもたった今の現状に文句を言ってもそんなことは自身の霊的成長にはつながらないのだ、
“神烈しく(はげしく)”の時期が到来したならば、内省して得た認識(悟り、幸取=さとり)、また自省(胸の磁性“十”)した心(靈)を持った人は、活躍するのだ、それを“言ふてよい時は肚の中から人民びっくりする声で申すのざ、神が申さすから心配ない”と称されている。

 次の文。
“二十二日の夜に実地が見せてあろうがな、一所だけ清いけがれん所残しておかな足場なく、こうなってはならんぞ、カタ出さねばならんぞ、神国、神の子は元の神の生神が守ってゐるから、愈々となりたら一寸の火水で うでくり返してやる仕組ざぞ、末代の止(とど)めの建替であるから、よう腰抜かさん様 見て御座れ、長くかかりては一もとらず二もとらさず、国は潰れ、道は滅びてしもうから早う早うと気もない時から気つけてゐるのぢゃが、神の申すこと聞く臣民人民まだまだぞ”

 冒頭の“二十二日”も日付のことではなく、“富士(二二)”=肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道、これに胸の磁性“十”が加わった表記で、霊的成長した心(靈)(ヒ)を指し、それはやはり自省(胸の磁性“十”)であるから“一所だけ清いけがれん所残しておかな足場なく”、これは“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”した心(靈)でなければ“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)と感応しえない=“清いけがれん所残しておかな足場なく”であるし、これに続く“こうなってはならん”は、先の“人民と云ふ者は人に云はれては腹の立つ事あるものぢゃ、…中略…智や学でやる積り、神の国の事する積りでゐるのか。 判らんと申して余りでないか”の自我の肥大ゆえのことを指し、これに続く“カタ出さねばならんぞ、神国、神の子は元の神の生神が守ってゐるから、愈々となりたら一寸の火水で うでくり返してやる仕組ざぞ”
文中の“カタ”は
“カ”は、幽れたる(かくれたる)生命と力(ちから)の音意
“タ”は、生命が現れ立つ、建く(たけく)高く成長の音義、進化=霊的成長、神格化に向かうこと
これも今後=アセンション後に移行すべく進化した心(靈)を指しているし、“神国、神の子は元の神の生神が守ってゐる”は、たった今の現状が悪霊との感応により想像されているからこそ今後=アセンション後は“神国”という相対的な言い回しをされており、その現津(あきつ)、観察され得る事象を想像する心(靈)は、“世の元からの生神”、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)を顕現すべく心(靈)、それを“神の子は元の神の生神が守ってゐる”と称されているものである。
 これに続く“愈々となりたら一寸の火水で うでくり返してやる仕組ざぞ”の“愈々”はあえて述べるまでもないが“神烈しく(はげしく)”の事象が到来する時期、“一寸の火水”の“一寸”は、先の“一所だけ清いけがれん所”と同義、“火水”は、下つ巻 第十帖の“縦横揃うて十となるぞ、十は火と水ぞ、縦横結びて力出るぞ”が理解しやすく、解釈は、
火=灬(よつてん、れっか、れんが)腹から“上”に向かうエネルギー
水=腹=“江戸と尾張”の“江”
よって、“縦横結びて力出るぞ” 、これは動物=四足獣から直立して手を使い出した人間への進化を示すもので、手と胸の磁性でシンクロトロンの構造になって行く事、それをまた“うでくり返してやる仕組”とも称されているものである。
 これに続く“末代の止(とど)めの建替であるから、よう腰抜かさん様 見て御座れ”はあえて解釈の要はない。 単に時期が迫り、霊的成長度の工程による区分けが行われるの意である。
 これに続く“長くかかりては一もとらず二もとらさず、国は潰れ、道は滅びてしもうから早う早うと気もない時から気つけてゐるのぢゃが、神の申すこと聞く臣民人民まだまだぞ”、時期が迫っているから間に合うように進化(霊的成長、神格化に向かうこと)せよ、あるいは進化を意識して自省(胸の磁性“十”)して“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”から脱却せよ、それを“長くかかりては一もとらず二もとらさず、国は潰れ、道は滅びてしもうから早う早うと気もない時から気つけてゐるのぢゃ”、お前たちにとって重要なことを述べているのだ=“一もとらず二もとらさず”であり、せっかく述べているのだから解れと称されている=“国は潰れ、道は滅びてしもうから早う早うと気もない時から気つけてゐる”。
だが、“上”と感応している人間はあまりにも少なすぎる=“神の申すこと聞く臣民人民まだまだぞ”である。

 次の文。
“此の道 難しい道でないから その儘に説いて聞かしてやれよ、難し説くと判らん様になるのぞ。 平とう説いてやれよ、難しいのは理屈入るのざぞ、難しい事も臣民にはあるなれど理屈となるなよ、理屈悪ざぞ。 霊術も言霊(ことだま)もよいなれど程々に、三分位でよいぞ、中行かな行かれんのざぞ、銭儲けて口さへすごして行けばよい様に今の臣民まだ思ってゐるが、それは四つ足の四つの悪の守護である位 判りておろがな”

 文中の“此の道”は、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)、それは現状の地球人の霊的成長度に当てはめたなら、自我の確立=固定化の段階から“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”して自省(胸の磁性“十”)の心を育て、“観自在”“直日”自省(胸の磁性“十”)の“行”をして、“自分を観察する自分の確立”をしていくことであるし、たった今は悪霊との感応が盛んだが、“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)との感応の条件は“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化、であるし、これそのものが“行”の意味と意義である。 これをまず理解せよ=“難しい道でない”“その儘に説いて聞かしてやれ”と称され、これに続く“難し説くと判らん様になるのぞ。 平とう説いてやれよ、難しいのは理屈入るのざぞ、難しい事も臣民にはあるなれど理屈となるなよ、理屈悪ざぞ”は、“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ)、いわゆる“日月神示”を金儲けの道具にしている程度の低い心(靈)の所業を指していると思われ、それは先の“未だ智や学でやる積り”の人間、自省(胸の磁性“十”)や“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化をしない人間のことを指していると思え、それだからこそ“(“役員づら”の)理屈悪ざぞ”と言われていると思える。
 これに続く“霊術も言霊(ことだま)もよいなれど程々に、三分位でよいぞ、中行かな行かれんのざぞ”、これは先の“此の道 難しい道でないから その儘に説いて聞かしてやれ”にかかる言い回しで、まず、“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”の意を知れ、そして実践せよ、さらに“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化を実践して“上”と感応せよ、それから“霊術も言霊(ことだま)も”理解していけばよい、という言い回し。
 これに続く“銭儲けて口さへすごして行けばよい様に今の臣民まだ思ってゐる”、これは先の“役員づら”の所業であり、“日月神示”の文言を利用して金儲けして間違った情報を流して雰囲気に酔わせることをする、それによって多くの人間の霊的成長の足を引っ張る、それ自体が“四つ足の四つの悪の守護である位 判りておろがな”、これは“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の目下(めした)(動物の心(靈)の段階)の心(靈)の動きなのだ、それくらい判れ、の意味合いである。

 次の文。
“悪とは他を退ける事であるぞ、まつりまつりとくどう申してあること未だ判らんのか、今 外国よいと申してゐる臣民は外国へ行っても嫌はれるぞ、外国にも住むところ無くなるぞ、外国も日本もないのざぞ、外国とは我よしの国の事ぞ、神国は大丈夫ざが、外国や日本の国 大丈夫とは申されんぞ、と事分けて申してあろがな、日月の集団作り、境界作ってもならんが 
“亜” 一番最初の状態 愛(炁) 入れた集団作らなならんぞ、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)   も作らず“亜” 一番最初の状態 愛(炁)  も入らずに力出ない位 判りておろがな、馬鹿正直ならんと申してあること忘れたのか、集団のつくり方知らしてあろが、盲(めくら)には困る困る”

 この文は逆から読むと理解しやすい。 まず“盲(めくら)には困る困る”だが、これは進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)を理解しえない、“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”をしないし当然のことながら“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化もしない、そして先に取り上げた“役員づら”の手法に酔っぱらっている程度の低い人間を指し、“集団のつくり方知らしてあろ”は、霊的成長度の違う人間は、“変圧”(アミの本で使われた概念。高い振動の霊的存在はいきなり低い心(靈)とは、感応共振しない)という法則性があるので、違和感を感じるものであり、当然のことながら低い認識(悟り、幸取=さとり)しか持ちえない人間は高い認識を理解できないし共有もできない。 よって“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)が求める“集団”は、今後=アセンション後に移行しうる資質を持つ霊的成長度がある程度高い人間の集まりと言え、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の“集団”は先の“盲(めくら)”である。
 そして“日月の集団作り、境界作ってもならんが 
“亜” 一番最初の状態 愛(炁) 入れた集団作らなならんぞ、 霊=○、荷電粒子の場(フィールド) も作らず “亜” 一番最初の状態 愛(炁) も入らずに力出ない位 判りておろがな”、この文中の“亜” 一番最初の状態 愛(炁) の意味はずいぶん前に作った画像で意味を示す。

太陽の象形文字の中の“亜”と“一”=智性 “日月神示”表記 


この画像の意味を踏まえてこの文を観ると、“日月の集団”は“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うこと、その“集団”=霊団(ローム太霊が述べた概念)、太陽凝視で心(靈)が進化した集まりといえ、“境界作ってもならんが “亜” 一番最初の状態 愛(炁) 入れた集団作らなならんぞ、 霊=○、荷電粒子の場(フィールド) も作らず “亜” 一番最初の状態 愛(炁) も入らずに力出ない位 判りておろがな”、これは、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)に“亜” の入った集団を作れと述べているから、“創造”の“主(ヌシ)”を意識せよ、感応せよ、そして太陽凝視せよ、さらにそういった太陽凝視をする人間は霊縁により集う(つどう)のだ、と、読み取れ、“ 霊=○、荷電粒子の場(フィールド) も作らず “亜” 一番最初の状態 愛(炁) も入らず”、この二つを合わせると太陽の象形文字になるので、意味合いを強調している。


日、太陽の象形文字 

 それと“境界作ってもならん”は、自分たちが意図して霊的成長度の高い低いにより区別や差別をしてはいけないが、それは自然に別れていく、先の“変圧”の過程があるからこそ程度の低いものは低いもので寄り集まり、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を目指すものは霊縁により、それはまた“上”の采配により、集まるものである、その意を述べている。
 それで冒頭の“悪とは他を退ける事であるぞ、まつりまつりとくどう申してあること未だ判らんのか、今 外国よいと申してゐる臣民は外国へ行っても嫌はれるぞ、外国にも住むところ無くなるぞ、外国も日本もないのざぞ、外国とは我よしの国の事ぞ、神国は大丈夫ざが、外国や日本の国 大丈夫とは申されんぞ、と事分けて申してあろがな”
これは、“上”と感応しえない心(靈)ばかりなので述べられているのであり、“上”と感応せよ=“まつりまつりとくどう申してあること”、そうでなければ外側(外国と幽界)の事象しか見ない=“今 外国よいと申してゐる臣民は外国へ行っても嫌はれるぞ、外国にも住むところ無くなるぞ”、いずれは自分自身が外側(外国と幽界)の事象にも存在できない、またそういった心(靈)は“外国とは我よしの国の事”、この場合の“国”はやはり心(靈)を指すものであるし、“外国”はまだ他者の批判ばかりしている自我の肥大中心の心(靈)といえ、“神国”は自省(胸の磁性“十”)して“上”と感応する心(靈)の意であり、よって“外国にも住むところ無くなるぞ、外国も日本もないのざぞ、外国とは我よしの国の事ぞ、神国は大丈夫ざが、外国や日本の国 大丈夫とは申されんぞ”は、自省(胸の磁性“十”)の“行”のため死んで地獄に行き閻魔の庁の浄玻璃の鏡(えんまのちょうのじょうはりのかがみ)を見させられる、の意味合いであると思えるし、それが冒頭の“悪”であり、自分たちと同程度の振動としか感応しない、よって“上”と感応共振しえないから“悪とは他を退ける事”と称され、これは○○○大先生が著書で取り上げたローム太霊の言葉、
自分自身に合ったるものだけを、完う(まっとう)すべく、合わせているだけである。そんなものでは、眞(真固止 まこと)なる自分という者を悟れないのである
これを思い起こさせるものでもある。

 次の文。
“人の苦労あてにして我が進んで苦労せん様な人民では神の気感(きかん)に適はんから、今度は苦労のかたまりの花咲くのざ、苦の花咲くのざぞ、二二に 九(コ)の花咲耶姫の神 祀りて呉れと申してあろがな、永遠にしぼまん誠の花咲く世来たぞ”

 自分が自省(胸の磁性“十”)もせず、頑張りもせず、漁夫の利、天の僥倖、棚からぼたもち、こればかりを求める、いわゆるローム太霊の言葉のぼたもち坊ちゃん(ローム太霊講話集316頁)、“役員づら”が使う手法のご利益を求めさせ雰囲気に酔わせ霊的成長の足を引っ張ること、これらすべてが“人の苦労あてにして我が進んで苦労せん様な人民”であり、そんなものは“上”は認めないから“神の気感(きかん)に適はん”、当たり前である。
 今後=アセンション後に移行すべく資質は“今度は苦労のかたまりの花咲く”“苦の花咲くのざ”、この文言に該当する努力を怠らなかったもの、“上”との感応のため厳しい“行”をする、自分の人生を振り返り自分の在り方を観る、そういった人間が次の事象の“創造”を託されるものであり、“二二に 九(コ)の花咲耶姫の神 祀りて呉れと申してあろがな”は、“富士(二二)”=肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道に、○ 九 十 の“九”、それは、“一”=智性=1番目のオーラと、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)、そして生命(生きる使命=存在理由)の究極の形(卆(そつ、卒業の卒の異体字))の意味合いを示し、“永遠にしぼまん誠の花咲く世来たぞ”、これまでの事象が“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)による不誠実な事象、欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとかが台頭しているからこそ、人の霊的成長と“上”との感応=“神烈しく(はげしく)”により、そんなものは消失し、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”もいなくなる、存在を許されなくなる、だからこそ“永遠にしぼまん誠”、という言われ方をされているものである。

 今回はこれくらいにしときまんねん。


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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
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2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
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発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
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この本に付いてはこちらを御覧下さい。


       




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Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 (15)
“日月神示” 上つ巻 (42)
“日月神示” 下つ巻 (38)
“日月神示” 富士の巻 (26)
“日月神示” 天つ巻 (30)
“日月神示” 地つ巻 (36)
“日月神示” 日月の巻 (68)
“日月神示” 日の出の巻 (23)
“日月神示” 磐戸の巻 (21)
“日月神示” キの巻 (17)
“日月神示” 水の巻 (36)
“日月神示” 松の巻 (30)
“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
“日月神示” 岩の巻 (11)
“日月神示” 荒の巻 (13)
☆ Kellyさん的“ローム太霊講話集”解釈 (107)
☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
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☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




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