“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 雨の巻 第十二帖 Kellyさん的解釈 


 今回も、雨の巻 第十二帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

上面(うわっつら)洗へばよくなるなれど、肚の掃除なかなか出来んぞ、道広める者から早う掃除まだまだであるぞ、今度 神から見放されたら末代浮ぶ瀬ないぞ。 
食ひ物大切に家の中キチンとしておくのがカイの御用ざぞ、初めの行ざぞ。 出て来ねば判らん様では、それは神力無いのぞ、軽き輩(やから)ぢゃぞ、それで神示読めとくどう申してゐるのざぞ、神の申す事 誠ざと思ひながら出来んのは守護神が未だ悪神の息から放れてゐぬ証拠ざぞ、息とは初のキであるぞ、気であるぞ。
悪神は如何様にでも変化(へんげ)るから、悪に玩具にされてゐる臣民人民 可哀想なから、此の神示読んで言霊高く読み上げて悪のキ絶ちて下されよ、今の内に神示じっくりと読んで肚に入れて高天原となっておりて下されよ。 未だ未だ忙しくなって神示読む間もない様になって来るのざから くどう申してゐるのざぞ、悪魔に邪魔されて神示読む気力も無くなる臣民 沢山出て来るから気付けておくのざ。
まだまだ人民には見当取れん妙な事が次から次にと湧いて来るから、妙な事 此の方がさしてゐるのざから、神の臣民 心配ないなれど、さうなった神の臣民 未だ未だであろがな、掃除される臣民には掃除する神の心判らんから妙に見えるのも道理ぢゃ。
天の様子も変りて来るぞ。 何事にもキリと云ふ事あるぞ、臣民 可哀想と申してもキリあるぞ、キリキリ気付けて下され、人に云ふてもらっての改心では役に立たんぞ、我と心から改心致されよ、我でやらうと思ってもやれないのざぞ、それでも我でやって鼻ポキンポキンか、さうならねば人民得心出来んから やりたい者はやって見るのもよいぞ、やって見て得心改心致されよ、今度は鬼でも蛇(ぢゃ)でも改心さすのであるぞ。
これまでは夜の守護であったが、愈々日の出の守護と相成ったから物事誤魔化しきかんのぞ、まことの人よ、よく神示見て下され、裏の裏まで見て下され、神国の誠の因縁判らいで、三千年や五千年の近目ではスコタンぞ、と申してあろがな、天四天下平げて、誠の神国に、世界神国に致すのざぞ、世界は神の国、神の国 真中の国は十万や二十万年の昔からでないぞ、世の元からの誠一つの神の事判らな益人とは申されんぞ、神の申すこと一言半句も間違ひないのざぞ。 
人民は其の心通りに写るから、小さく取るから物事判らんのさぞ、間違ひだらけとなるのざ、人民が楽に行ける道作りて教へてやってゐるのに、我出すから苦しんでゐるのざ、神が苦しめてゐるのでないぞ、人民 自分で苦しんでゐるのざと申してあろがな。
十二月七日、七つ九のか三神示。


 冒頭の文。
“上面(うわっつら)洗へばよくなるなれど、肚の掃除なかなか出来んぞ、道広める者から早う掃除まだまだであるぞ、今度 神から見放されたら末代浮ぶ瀬ないぞ”

 これは“観自在”“直日”自省(胸の磁性“十”)の“行”、あるいは“自分を観察する自分の確立”をして、自分の自我を諫めよ=“肚の掃除なかなか出来ん”。
それは、自分にとって都合の良いことばかり考える傾向があるならば“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心(靈)であり、自我を諌めることができない人間は“上”に認められない=“道広める者から早う掃除まだまだ”であり、今後=アセンション後にはそんな人間は不要だから“今度 神から見放されたら末代浮ぶ瀬ない”と言われている。

次の文。
“食ひ物大切に家の中キチンとしておくのがカイの御用ざぞ、初めの行ざぞ。 出て来ねば判らん様では、それは神力無いのぞ、軽き輩(やから)ぢゃぞ、それで神示読めとくどう申してゐるのざぞ、神の申す事 誠ざと思ひながら出来んのは守護神が未だ悪神の息から放れてゐぬ証拠ざぞ、息とは初のキであるぞ、気であるぞ”

 文中の“食い物”は一般に言う食事(物質の段階の振動の取り込み)だけのことではなく、“上”から“下”までのあらゆる振動の取り込み、その吸収と“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)を指し、“家の中”は、“家”が、宀(うかんむり、頭の意味)と豕部(しぶ、ぶた、家畜の意味)なので、智性を持った進化した動物=人(日止、霊止)の意である。
要約すれば“上”と“下”の振動を取り込んで“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)しているのが生命であり、単細胞生物から人間に至る進化において生命すべてに当てはまるので“カイの御用ざぞ、初めの行ざぞ”と称されており、カタカナ表記の“カイ”の意味は、
“カ”は、幽れたる(かくれたる)生命と力(ちから)の音意
“イ”生気生命の発生力
なので、進化に伴う変容、あるいは進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)の工程による変容の意味合いもあるが、その変容には“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)が必須、そして、進化に伴い“力”を顕現するの意味合いである。
 これに続く“出て来ねば判らん様では、それは神力無いのぞ、軽き輩(やから)ぢゃぞ”の“出て来ねば”は、先に述べた進化に伴う変容と“力”の顕現のことであり、人間が人間を観る、あらゆる生命を観る、そこに“神性”を感じ(感じる磁性)うるのか、あるいはそうではないのか、それは“日月神示”表記には“ケダモノ”“獣”先の第十一帖には“四つ足の四つの悪の守護”という表記もあったが、進化は、霊的成長であり、神格化に向かうことであり、人としての進化は“神性”(“一”=智性=1番目のオーラ)の獲得と顕現であるし、たった今の事象は“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)の“思惑の顕現”=現象化が台頭しているからこそこういわれており、だからこそ先の“カイ”の顕現、それが無いのは“神力無い”“軽き輩(やから)ぢゃ”と称されているし、“軽き”の表記に、低分子のタンパク質で構成された肉体(月(ツキ))、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、の高い部分と感応しえない肉体、それに伴う心(靈)であるという意味すら感じうる。
 これに続く“神の申す事 誠ざと思ひながら出来んのは守護神が未だ悪神の息から放れてゐぬ証拠ざぞ、息とは初のキであるぞ、気であるぞ”、これは自分が自我の肥大をしていたならば進化の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)に対して恭順ではない=“神の申す事 誠ざと思ひながら出来ん”、またその段階の心(靈)に感応する“上”はまだまだ低い=“守護神が未だ悪神の息から放れてゐぬ証拠ざぞ”である。
これに続く“息とは初のキであるぞ、気であるぞ”は、息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)の説明、これが理解できないと感応共振(同調と、取り込んだ振動の増幅)のことがわからないから述べられているものである。


次の文。
“悪神は如何様にでも変化(へんげ)るから、悪に玩具にされてゐる臣民人民 可哀想なから、此の神示読んで言霊高く読み上げて悪のキ絶ちて下されよ、今の内に神示じっくりと読んで肚に入れて高天原となっておりて下されよ。 未だ未だ忙しくなって神示読む間もない様になって来るのざから くどう申してゐるのざぞ、悪魔に邪魔されて神示読む気力も無くなる臣民 沢山出て来るから気付けておくのざ”

 これは進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を妨げる存在の思惑と感応するな、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)の行いは狡猾であり巧妙であり、悪魔のささやきは人の低い功名心を煽る(あおる)、それに注意せよ=“悪神は如何様にでも変化(へんげ)る”、これをよく解り判れ、の意味合い。
そして“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)との感応を避ける、進化を目指す生命は“上”と感応すべきだ、の意味合いで“此の神示読んで言霊高く読み上げて悪のキ絶ちて下されよ、今の内に神示じっくりと読んで肚に入れて高天原となっておりて下されよ”であるし、カタカナ表記の“キ”、これは、

“キ”は、天地の精気 モノの現れを示す音根、その表し得ざる心の素幸霊(スサノオ)自ら明津(アキツ、現津(あきつ)、観察さあきつ)、観察され得る事象)させんにぞかし

なので、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)との感応による自分の心(靈)の動き、その息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)はたった今の低い事象の“創造”をしていることに気づけ、低い心(靈)の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)は低い事象しか創り得ないのだ、自分の高い心(靈)、目上(めうえ)の心(靈)で“上”と感応して高い事象を創造せよ=“神示じっくりと読んで肚に入れて高天原となっておりて下され”である。
そしてこの二点をしっかり“肚に入れて”、たった今の現状が“悪に玩具にされてゐる臣民人民”ばかりである、“悪魔に邪魔されて神示読む気力も無くなる臣民 沢山出て来る”これは、悪魔のささやきと“役員づら”の手法に乗せられてている、また醜い事象ばかりにとらわれて大騒ぎするだけの人間、これらは、自分がどう在るべきか考えることをしない、“観自在”“直日”自省(胸の磁性“十”)の“行”ができないので“未だ未だ忙しくなって神示読む間もない”=悪魔のささやきばかりと感応し、“役員づら”の手法を受けいてる自分にとって都合の良い思い方をする、またこの事象はそんなものばかりが台頭しているから、多すぎるからこそ“忙しくなって”と称されて、結果それは“上”と感応する心(靈)の資質を失うことになる。
重複するがそんな人間は“悪魔に邪魔されて神示読む気力も無くなる”=“上”と感応しない人間になってしまうの意味合い。

次の文。
“まだまだ人民には見当取れん妙な事が次から次にと湧いて来るから、妙な事 此の方がさしてゐるのざから、神の臣民 心配ないなれど、さうなった神の臣民 未だ未だであろがな、掃除される臣民には掃除する神の心判らんから妙に見えるのも道理ぢゃ”

 これも平均的地球人から見た相対的な言い回しを説いている。
今後=アセンション後に移行すべく資質を持った人間、心(靈)がある程度育った人間は、“人民には見当取れん妙な事”、これまでの一般常識や既成概念とは違う思い方や行動をする、平均的地球人の低い認識から観ればそれは“妙な事”に観えるだろうが、それこそが“妙な事 此の方がさしてゐるのざから、神の臣民 心配ない”、それと自分たちの認識を変えていくには“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”から始まるもの、これは“上”との感応によることであるから“掃除される臣民には掃除する神の心判らんから妙に見えるのも道理ぢゃ”とまで言われている。
しかし、価値観や既成概念を変えただけ、“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化をしていないならば“さうなった神の臣民 未だ未だであろがな”とは称されている。 

 次の文。
“天の様子も変りて来るぞ。 何事にもキリと云ふ事あるぞ、臣民 可哀想と申してもキリあるぞ、キリキリ気付けて下され、人に云ふてもらっての改心では役に立たんぞ、我と心から改心致されよ、我でやらうと思ってもやれないのざぞ、それでも我でやって鼻ポキンポキンか、さうならねば人民得心出来んから やりたい者はやって見るのもよいぞ、やって見て得心改心致されよ、今度は鬼でも蛇(ぢゃ)でも改心さすのであるぞ”

これも“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”のことを強調して述べている。 平均的地球人の低い心(靈)を変えようとする“上”の思惑は、これからどんどん“神烈しく(はげしく)”になり“上”からの振動も自省(胸の磁性“十”)させるための振動に変わっていくものである=“天の様子も変りて来る”。 
そして自分の心(靈)を変えるには、“上”と感応していく資質を獲得するには、“人に云ふてもらっての改心では役に立たんぞ、我と心から改心致されよ”であるし、自我の肥大を戒めよの意味合いで“我でやって鼻ポキンポキン”といわれているが、自分が得心するまで自我の肥大で心(靈)を動かし行動(現津(あきつ)、観察され得る事象に対する思惑の顕現)することは自分の認識の変容となる(右往左往と左往右往)なので“やりたい者はやって見るのもよいぞ、やって見て得心改心致されよ”といわれ、これが必須であるからこそ“今度は鬼でも蛇(ぢゃ)でも改心さす”と言われている。
ちなみにカタカナ表記の“キリ”は、

“キ”は、天地の精気 モノの現れを示す音根、その表し得ざる心の素幸霊(スサノオ)自ら明津(アキツ、現津(あきつ)、観察され得る事象)させんにぞかし
“リ”は、生命根源の、張り、広がり

なので、生命がその生命たる存在の意義として現津(あきつ)、観察され得る事象の“観察と認識”を行うものであるが、それ事態=“キリ”が“神烈しく(はげしく)”に伴う時間の進行(“道”)により変わる意味合いで“何事にもキリと云ふ事あるぞ、臣民 可哀想と申してもキリある”“キリキリ気付けて下され”と言われている。

 次の文。
“これまでは夜の守護であったが、愈々日の出の守護と相成ったから物事誤魔化しきかんのぞ、まことの人よ、よく神示見て下され、裏の裏まで見て下され、神国の誠の因縁判らいで、三千年や五千年の近目ではスコタンぞ、と申してあろがな、天四天下平げて、誠の神国に、世界神国に致すのざぞ、世界は神の国、神の国 真中の国は十万や二十万年の昔からでないぞ、世の元からの誠一つの神の事判らな益人とは申されんぞ、神の申すこと一言半句も間違ひないのざぞ”

 これも今後=アセンション後に移行すること、その“神烈しく(はげしく)”に伴う変容について述べられている=“これまでは夜の守護であったが、愈々日の出の守護と相成ったから物事誤魔化しきかん”。
 今後=アセンション後の事象に移行すべき資質を持つ人ならば、“上”と感応せよ=“まことの人よ、よく神示見て下され、裏の裏まで見て下され”、そこには進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)が示されていることを理解せよ=“神国の誠の因縁判らいで、三千年や五千年の近目ではスコタンぞ、と申してあろがな”、分かりにくいから注釈を入れるが、“神国の誠の因縁”は進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)そのもののことである。
 これに続く“天四天下平げて、誠の神国に、世界神国に致すのざぞ”は、“上”の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)=“天四”(“四”は発振、発信の意味合い)、これを人間が観察している現津(あきつ)、観察され得る事象に広げる=“天下平げて”、これ自体が今後=アセンション後の変容であり、神の“思惑の顕現”=現象化と、その神の思惑と感応する人が“創造”する事象を“誠の神国に、世界神国に致す”のであり、何度も述べるがたった今の事象は程度の低い心(靈)が“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)と感応して“創造”されている事象なのでこういう言い回しがされているものであるし、これに続く“世界は神の国、神の国 真中の国は十万や二十万年の昔からでないぞ”は、たった今の事象と、それを創っている心(靈)が“下”になっているから、自分たちは“上”と“下”、そして自分という認識を持て=“真中の”であり、すべての事象における“観察と認識”、“善(神格化の方向性と智性の受信)”であろうが“悪(心の動きの本能化と低振動化)”であろうが、霊的成長度の高低であろうが、すべては神である、神の“創造”のうちであるが、その中で自分の心(靈)=“国”((囗)くにがまえ)と“玉(ぎょく)”、“玉(ぎょく)”は自省(胸の磁性“十”)の心(靈)の動きを示す))を見いだせ、これ自体が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)と進化に伴う事象の“創造”なのだ、の意味合いで“真中の国(“上”と“下”を認識した心(靈))は十万や二十万年の昔からでない”、これは生命の“創造”が始まった時からの“理(ミチ)”、法則であるから“十万や二十万年の昔からでない”と述べられ、この“理(ミチ)”が理解できない、認識できないならば“世の元からの(進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性))誠一つの神の事(これも進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性))判らな益人((アセンション後に位置して行く今より霊的進化を果たした)奉仕者)とは申されん”と言われている。

 次の文は十二帖の締めくくりとして、低い心(靈)は低い何かしか認識できない、間違った解釈をするのだと述べられている。
“人民は其の心通りに写るから、小さく取るから物事判らんのさぞ、間違ひだらけとなるのざ、人民が楽に行ける道作りて教へてやってゐるのに、我出すから苦しんでゐるのざ、神が苦しめてゐるのでないぞ、人民 自分で苦しんでゐるのざと申してあろがな”

 この文の“人民が楽に行ける道作りて教へてやってゐる”=“上”は進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)示しているのだが、それ事態を低い認識で勝手な解釈をする=“其の心通りに写る”“小さく取るから物事判らんのさぞ、間違ひだらけとなる”、これをすること事態が自分の低さであり=“我出すから苦しんでゐる”“我出すから苦しんでゐる”のである。
よって“上”の思惑に恭順になれ、自分が観察する事象において、それが自分にとって都合がよいものは少ない、都合の悪いことは“上”の試練、自分が解決すべき課題である、とかの思い方をして、真摯に自分の在り方を自分に問う、それは、“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”でもあり、自己観察(“観自在”“直日”自省(胸の磁性“十”)の“行”、“自分を観察する自分の確立”)でもあり、それをして“上”と感応せよ、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心(靈)の動きを戒め、自分を諌めよ、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)と感応するな、その低い心(靈)の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)をするな、の意味合いである。

 今回はこれくらいにしときまんねん。

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 Kelly & ○○○大先生

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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
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