“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 雨の巻 第十三帖 Kellyさん的解釈 


今回も、雨の巻 第十三帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

世界中から神示通りに出て来て足元から火が付いても、まだ我張りてゐる様では今度は灰にするより方法(ほか)ないぞ。 恐しなっての改心では御役六ヶ敷いぞ。 因縁あるミタマでも曇りひどいと、御用六ヶ敷い事あるぞ、神示頂いたとて役員面(やくいんづら)すると鼻ポキンぞ、と気付けてあろがな、五十九柱いくらでもあるのざぞ、かへミタマあると申してあろがな、務めた上にも務めなならんぞ、因縁深い程 罪も借銭も深いのざぞ、岩戸閉めにもよき身魂あるぞ、岩戸開きにも悪きあるぞ、気付け合ってよき御用結構ざぞ、勇んで務め下されよ。
心から勇む仕事よき事ぞ、此の方の好く事ざぞ。木の葉落ちて冬となれば淋しかろがな、紅葉(もみじ)ある内にと気付けおいたが紅葉の山も落ちたであろがな、他で判らん根本のキのこと知らす此の方の神示ぢゃ、三千世界のこと一切の事 説いて聞かして得心させて上げますぞや。 落ち付いて聞き落しのない様になされよ、悔しさ目に見へておろがな、どぶつぼに我と落ち込む人民許り出て来て、神の国 臭くて足の踏場もないぞ、なれども見て御座れ、三千世界一度にひらいて世界一列一平一つのてん詞(四)で治めるぞ。
地の世界に大将なくなって五大州引繰り返りてゐると申すことまだ判らんのか、目に見せても耳に聞かしても、まだ判らんか、尻の毛まで悪魔に抜かれてゐて まだ判らんのか、あんまりな事ぢゃなあ。 是までは高し低しの戦でありたが、是からは誠の深し浅しの戦(いくさ)ざぞ、誠とはコトざぞ 口でないぞ、筆でないぞ コトざぞ、コト気付けと申してあろがな。 コト、コト、コト、ざぞ。 
始めウタあったぞ、終もウタぞ、今も昔もウタざぞ、人民も動物もウタ唄ふのざぞ、終の御用の始はウタぞ、ウタの集団(つどひ)とせよ。 此の神示ウタとして知らす集団とせよ、ウタの集団 始ざぞ、表ざぞ、裏の裏ざぞ、表の表ぞ、道開く表の終の御用ぞ、江戸の御用すみたから、尾張の御用と申してあろがな、カイの御用も忘れてならんのざぞ。
食物(おしもの)の集団も作らなならんぞ、カイの御用の事ぞ、此の集団も表に出してよいのざぞ、時に応じてどうにでも変化(へんげ)られるのがまことの神の集団ざぞ。 不動明王殿も力あるに、あそこ迄落してあるは神に都合ある事ぞ。
世に落ちて御座る守護神と 世に落ちてゐる神々様と 世に出てゐる神々様と 世に落ちて出てゐる守護神殿と 和合なさりて物事やって下されよ、二人でしてくれと申してあろがな、判りたか。
十二月十八日、ひつくのかみ神示。

 冒頭の文。
“世界中から神示通りに出て来て足元から火が付いても、まだ我張りてゐる様では今度は灰にするより方法(ほか)ないぞ。 恐しなっての改心では御役六ヶ敷いぞ。 因縁あるミタマでも曇りひどいと、御用六ヶ敷い事あるぞ、神示頂いたとて役員面(やくいんづら)すると鼻ポキンぞ、と気付けてあろがな、五十九柱いくらでもあるのざぞ、かへミタマあると申してあろがな、務めた上にも務めなならんぞ、因縁深い程 罪も借銭も深いのざぞ、岩戸閉めにもよき身魂あるぞ、岩戸開きにも悪きあるぞ、気付け合ってよき御用結構ざぞ、勇んで務め下されよ”

 この文言の要旨も、幾度も“日月神示”の文言の要旨として述べられていること、自我の肥大を諌めよ、これを強調している。 
それは、たった今の地球人の進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)が、ヨガでいうところのマニピューラチャクラからアナハタチャクラへの開き、心(靈)の動きでいえば自我の強化から“慈悲”と“慈愛”の心(靈)の発現と強化、“日月神示”表記なら“江戸と尾張”から“秋立つ”、あるいは“身魂掃除”“身魂洗濯”、そしてこの文で述べられている“改心”、これらすべて自省(胸の磁性“十”)を指しており、自省(胸の磁性“十”)していく過程で“自分を観察する自分の確立”という要素が必須、それをまた般若心経では“観自在”、自分の在り方を観る、同様の意味合いで神道では“直日”という文言があり、これらは“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)が霊的成長の指針として、各々の宗教や“日月神示”で教えたものである。
 こうやって自分の心(靈)を観る、自分の心(靈)の動きと、その顕現である行動を鑑みる、これこそがたった今の地球人の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)には必須、なので、たった今も今後ももっと“神烈しく(はげしく)”の事象に移行する、その際の変容、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の形骸の権威や薄っぺらい価値観由来の行動や“力”は、どんどん馬脚を現し、さらに恨みの連鎖の霊的干渉はどんどん現象化しているが、それにただ戸惑うとかではダメであり、だからこそ、
“世界中から神示通りに出て来て足元から火が付いても、まだ我張りてゐる様では今度は灰にするより方法(ほか)ない”
“恐しなっての改心では御役六ヶ敷い”
(“御役”=次の事象の“創造”、“六ヶ敷い”は、むつかしい)
こう述べられているが、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の心(靈)の動き、それは恨みの連鎖の霊的干渉の原因、理由と根拠たるものだが、これをよく知り、その理由たる自らの低い心(靈)を諌めうる人間ならば次の事象の“創造”を担うことができるし、要は自省(胸の磁性“十”)の“行”ができていない人間は次の段階に移行する資質がない、と断言されているに過ぎない。 
さらに
“因縁あるミタマでも曇りひどいと、御用六ヶ敷い事あるぞ、神示頂いたとて役員面(やくいんづら)すると鼻ポキンぞ、と気付けてあろがな”
この“因縁あるミタマ”は、次の事象の“創造”に多少でもかかわる心(靈)の意味合いであるが、それでも慢心するな、自我の肥大を諌めよ、それを“曇りひどいと、御用六ヶ敷い事ある”と述べられ、“上”からの“神示”を(自動書記や物理霊媒などの現象で)伝えた、それを世に流布した、ある程度理解できた、ほんの少し“上”と感応した、であったとしても、常に自分の心(靈)を見張り自我を諌めよ、いい気になるなよ、ということが
“神示頂いたとて役員面(やくいんづら)すると鼻ポキン”
と述られているものである。
 これに続く“五十九柱いくらでもあるのざぞ、かへミタマあると申してあろがな、務めた上にも務めなならんぞ”、この“五十九柱”は、“五”が糸巻の象形文字、これは進化した生物の神経線維が密になる様子を示し神経線維が密になればなるほど肉体(月(ツキ))の磁性は強化と変容する(肉体(月(ツキ))のローレンツ力 
ローレンツ力 の強化と変容になる)、そして自我の確立=固定化からの進化は胸の磁性“十”、その時の心(靈)の発現が先の“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”“観自在”“直日”自省(胸の磁性“十”)の“行”、その意味合いで“十”、そして“九”は“日月神示”表記の ○ 九 十 (まこと)の“九”、これは“一”=智性=1番目のオーラ+丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)+乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)でもあり、生命の最終の段階を示す卆(そつ、卒業の卒の異体字)に霊=○、荷電粒子の場(フィールド)が付いた表記でもあるが、これは自省(胸の磁性“十”)の素地を持つ人間が多いのだ、という意味合いで“五十九柱いくらでもある”と述べられ、先の“因縁あるミタマでも曇りひどいと、御用六ヶ敷い事あるぞ、神示頂いたとて役員面(やくいんづら)すると鼻ポキンぞ”の意味合いを強調した言い回しでもあり、先に述べたことと重複するが、“上”の示した事柄を理解した、“上”と感応した、としても慢心するな、常に自分を諌めよ、これを“務めた上にも務めなならんぞ”と称されており、そうでなければ“かへミタマあると申してあろがな”と述べられ、こういった事柄に関して最近○○○大先生は昭和のころの物理霊媒が活躍した時の様子を述べてある記事をネット上で発見し、それに対しfacebookで、
心霊現象に対する認識の低さ、自分たちが心霊現象にかかわっているから、低い功名心で満足している…雰囲気に酔っぱらっているだけ…そんな心の動きを感じてしまいました
と批判的なことを述べたが、“上”が何のために心霊現象を起こしたか、その意図、それを解析もしないで、ただただ自分たちは心霊現象を見る機会があったのだ、そんなことばかり吹聴しているのは、全く持って“役員づら”でしかないとしか言いようがないものである。
結果それは“因縁あるミタマ”には違いないだろうが、大した“御役”ではなく、そんな程度では“かへミタマ”にとってかわられるぞ、と、この文言で示されているものと思うし、こういった“低い功名心で満足している…雰囲気に酔っぱらっているだけ”という人間はあまりにも多すぎる感がある。

(ちなみにカタカナ表記の“ミタマ”は、
“ミ”は、生命の幹 その現実
“タ”は、生命が現れ立つ、建く(たけく)高く成長の音義、進化=霊的成長、神格化に向かうこと
“マ”の行は、有形生命、または正しき生命の音意の音根、まこと神のマ(真固止)
なので、現津(あきつ)、観察され得る事象に顕現するまっとうな生命(生きる使命=存在理由)と解することができうる)

本題に戻り、これに続く“因縁深い程 罪も借銭も深いのざぞ、岩戸閉めにもよき身魂あるぞ、岩戸開きにも悪きあるぞ、気付け合ってよき御用結構ざぞ、勇んで務め下されよ”
この文の“罪も借銭も深い”は、一生のうちにどれくらい霊的認識(悟り、幸取=さとり)を獲得し成長させるか、それは“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)が課した試練、いわゆるすべての因縁、その因縁には“善(神格化の方向性と智性の受信)”もあるが“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の因縁もあり、それを“岩戸閉めにもよき身魂あるぞ、岩戸開きにも悪きあるぞ”と称され、自我の確立=固定化までの進化過程においても“よき身魂ある”、それは低い進化においても“善(神格化の方向性と智性の受信)”の過程はあり、それに相対し、自我の確立=固定化から“慈悲”と“慈愛”の発現に至る際、“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の事象を乗りこなす、それを“岩戸開きにも悪きある”と称されている。
その“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の事象、悪因縁と認識されうるそれは、恨みの連鎖の霊的干渉の現象化であることは○○○大先生が著書で証明したが、その課された試練をいかに乗りこなし自分が成長するか、が、S会=紫光会の交霊会で語られた“神は乗り越えられない試練は与えない”でもあり、ローム太霊の“苦に苦を重ね、苦を求め、更に苦を求めるのだ。楽を求めてはいかん”でもある。
 こうやって生きてこそ先の“務めた上にも務めなならん”でもあり、たくさんの認識を獲得して自分の在り方をしっかり理解したならば“気付け合って(認識(悟り、幸取=さとり)の獲得)よき御用結構ざぞ、勇んで務め下されよ”でもある。

 次の文。
“心から勇む仕事よき事ぞ、此の方の好く事ざぞ。 木の葉落ちて冬となれば淋しかろがな、紅葉(もみじ)ある内にと気付けおいたが紅葉の山も落ちたであろがな、他で判らん根本のキのこと知らす此の方の神示ぢゃ、三千世界のこと一切の事 説いて聞かして得心させて上げますぞや。 落ち付いて聞き落しのない様になされよ、悔しさ目に見へておろがな、どぶつぼに我と落ち込む人民許り出て来て、神の国 臭くて足の踏場もないぞ、なれども見て御座れ、三千世界一度にひらいて世界一列一平一つのてん詞(四)で治めるぞ”

 冒頭の“心から勇む仕事”は人間の生業(なりわい)のことを述べているのではなく、先の“因縁深い程 罪も借銭も深い”これを“気付け合ってよき御用結構ざぞ、勇んで務め下されよ”のことであり、それをしっかりなすこと事態を“此の方の好く事”=“上”が認めうるのだ、の意味合い。
 これに続く“木の葉落ちて冬となれば淋しかろがな、紅葉(もみじ)ある内にと気付けおいたが紅葉の山も落ちたであろがな”は、たびたびここまでの“日月神示”の文言に登場した“秋立つ”、いわゆる自省(胸の磁性“十”)の“行”のこと、次の事象の“創造”に間に合うように自省(胸の磁性“十”)しておけよ、の意味合いが“紅葉(もみじ)ある内にと気付けおいたが”であり、間に合わないことを暗に“紅葉の山も落ちたであろ”と述べられている。
 これに続く“他で判らん根本のキのこと知らす此の方の神示ぢゃ、三千世界のこと一切の事 説いて聞かして得心させて上げますぞや”、これは自らが観察しうる一切の事象=“三千世界のこと一切の事”、この仕組み、それは事象の“創造”の法則性、自らの息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)によること、自らの心(靈)の動きが現津(あきつ)、観察され得る事象を創り上げているし、それぞれの霊的成長度の高低により観察しうる事象そのものは違うのだ、またそれがアセンションの真実ともいえ、霊的成長度が低いと“上”が判断しうる“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”は、次の事象の“創造”に参加する資格がない、それを“説いて聞かして得心させて上げますぞや”と述べられ、事象の“創造”の仕組み、自らの息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)、それは自分の在り方によることであるということを“他で判らん根本のキのこと知らす此の方の神示”という文言で感じ取らせようとしている。
ちなみに“キ”は
“キ”は、天地の精気 モノの現れを示す音根、その表し得ざる心の素幸霊(スサノオ)自ら明津(アキツ、現津(あきつ)、観察され得る事象)させんにぞかし
なので、神の思惑を自らの霊的成長度により止めて、それそのものが霊的成長度の高低を示すものであるが、その息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)により、事象を想像するのだ、が、“風止麻邇言霊学(ふとまにことだまがく)”の“キ”の意味合いである。

 次の文。
“地の世界に大将なくなって五大州引繰り返りてゐると申すことまだ判らんのか、目に見せても耳に聞かしても、まだ判らんか、尻の毛まで悪魔に抜かれてゐて まだ判らんのか、あんまりな事ぢゃなあ。 是までは高し低しの戦でありたが、是からは誠の深し浅しの戦(いくさ)ざぞ、誠とはコトざぞ 口でないぞ、筆でないぞ コトざぞ、コト気付けと申してあろがな。 コト、コト、コト、ざぞ”

 …まったく“上”の嘆きみたいな文言であるが、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”ばかりのこの世界=“地の世界”は、その低い心(靈)の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)により動いており、その低さそのものを“五大州引繰り返りてゐると申すことまだ判らんのか、目に見せても耳に聞かしても、まだ判らんか、尻の毛まで悪魔に抜かれてゐて まだ判らんのか、あんまりな事ぢゃなあ”と述べられ、霊的成長度の低い人間はやはりダメなのだ、みたいなことを述べられている。
 これに続く“是までは高し低しの戦でありたが、是からは誠の深し浅しの戦(いくさ)ざぞ”の“高し低しの戦”とは、形骸の権力や地位を示威することが力を示すことだと思っている程度の低い人間の行い、それを“是までは”と称され、今後=アセンション後は“是からは誠の深し浅しの戦(いくさ)ざぞ”は、人間の誠実さみたいなことから考えればわかりやすい、程度の低い心(靈)は対外的に、欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとか、をして自分の利益を得ようとするが、これこそが他者に対しても自分自身に対しても不誠実であるということを今述べれば、一笑に付されるのが今の世界である。
 またその意味を強調した言い回しが“口でないぞ、筆でないぞ”であり、これはローム太霊講話集の189p、
世間には真心(まごころ)がなくただ巧言を持って人を籠絡している者も沢山いるが、人間は真というものを良く知り抜いて、自分の真の上にほかの人のよいところの真を付け加えて、初めて自分の最大の力を発揮することが出来るのである。 そこをよく見通して、神から与えられた想像(創造に通ずる)の力をますます伸し、その考えの現われを現界に残してゆくのが、凡ての人間に課せられた義務と思わなければならない
と全く同じ意味合いである。
 それで“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の行動である、欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとか、こんなことはいつまでも許されない、それが“神烈しく(はげしく)”の事象に移行するということでもあるし、誠実さ、“誠”(言葉成る、意味は、自分が発振、発信した振動(言葉)が完成する)、その程度の深さそのものが、どれくらい神に近づいたか、の証明になるのだ、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)とはそういったことなのだ、ということを述べられている。
 ちなみにカタカナ表記の“コト”は、
“コ”は、停滞して働く意と細分の音義、物の凝り集まりに固まる意
“ト”は、止まると云う心
なので、どれくらい自分が成長したか、“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化できたか、これらによるところの“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意との感応、それによって自分の心(靈)は構成されうるのだ、という意味合いを示した表記である。

 次の文。
“始めウタあったぞ、終もウタぞ、今も昔もウタざぞ、人民も動物もウタ唄ふのざぞ、終の御用の始はウタぞ、ウタの集団(つどひ)とせよ。 此の神示ウタとして知らす集団とせよ、ウタの集団 始ざぞ、表ざぞ、裏の裏ざぞ、表の表ぞ、道開く表の終の御用ぞ、江戸の御用すみたから、尾張の御用と申してあろがな、カイの御用も忘れてならんのざぞ。
食物(おしもの)の集団も作らなならんぞ、カイの御用の事ぞ、此の集団も表に出してよいのざぞ、時に応じてどうにでも変化(へんげ)られるのがまことの神の集団ざぞ。 不動明王殿も力あるに、あそこ迄落してあるは神に都合ある事ぞ”

 文中の“ウタ”は、
“ウ”は、生物を生み出す力と説明されている。 産土の太神の“ウ”に相当するもの
“タ”は、生命が現れ立つ、建く(たけく)高く成長の音義、進化=霊的成長、神格化に向かうこと
なので生命(生きる使命=存在理由)の発現と進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を示しており、これを踏まえて“始めウタあったぞ、終もウタぞ”は、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)しうる生命(生きる使命=存在理由)を“創造”の“主(ヌシ)”は“創造”したし、その存在目的は神格化=“終もウタ”の意で、“今も昔もウタざぞ、人民も動物もウタ唄ふのざぞ”、これはあらゆる生命が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)するのだの意、“終の御用の始はウタぞ”は、進化の最終段階は神格化をめざし意識して“行”する、それを“終の御用”と称し、その“御用の始はウタ”とは、やはり生命(生きる使命=存在理由)は進化すべきものなのだ、を、強調した言い回しである。
 これに続く“ウタの集団(つどひ)とせよ。 此の神示ウタとして知らす集団とせよ、ウタの集団 始ざぞ、表ざぞ、裏の裏ざぞ、表の表ぞ、道開く表の終の御用ぞ”、これは進化を意識して存在する“集団(つどひ)”となれ、の意味合い、それが生命、生きる使命、その存在理由なのだの意味合いで“ウタの集団 始ざ”と称され、たった今の平均的地球人の低い認識から観ればそれは“表ざぞ、裏の裏ざぞ、表の表ぞ、道開く表の終の御用ぞ”、しっかりその意味合い、生命とはなにか、自分たちはどういった存在なのか、それをしっかり鑑みよ、鑑みることが“上”との感応になるからこそこういった言われ方をされていると思う。
 これに続く“江戸の御用すみたから、尾張の御用と申してあろがな、カイの御用も忘れてならんのざぞ”は、自我の確立=固定化の進化過程である“江戸の御用”の段階は終わり、次の段階は縦の磁性の強化による“上”との感応であるし、“上”の思惑を“下”に顕現するには“下”の磁束の強化が必須の意味合いで“尾張の御用”、これは頭蓋骨から尾骨までの磁束を示しているし、そこにはまた“カイの御用”があり、先の第十二帖でも述べたが、“カイ”は、
“カ”は、幽れたる(かくれたる)生命と力(ちから)の音意
“イ”は、生気生命の発生力
なので、進化に伴う変容、あるいは進化過程(霊的成長の過程=普遍的に実在する創造主のオーラとの感応共振の段階)の高低による変容の意味合いもあるが、その変容には“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)が必須、そして、進化に伴い“力”を顕現するの意味合いである。

 次の文。
“食物(おしもの)の集団も作らなならんぞ、カイの御用の事ぞ、此の集団も表に出してよいのざぞ、時に応じてどうにでも変化(へんげ)られるのがまことの神の集団ざぞ”
 
 この文の“食物(おしもの)の集団も作らなならん”は、先の“カイの御用”における“気血栄衛(營)”(取り込んだ振動で心(靈)と体が創り変わる)のことであり、このことは先の第十二帖でも述べられているし、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意の取り込みをして“行”をする“集団”を創らせるのが“上”の思惑であると暗に示されていると思えるし、それは“上”が認めうるからこそ“此の集団も表に出してよいのざ”と称されていると思う。
 これに続く“時に応じてどうにでも変化(へんげ)られるのがまことの神の集団”、これは第十三帖の冒頭の文、
“世界中から神示通りに出て来て足元から火が付いても、まだ我張りてゐる様では今度は灰にするより方法(ほか)ないぞ。 恐しなっての改心では御役六ヶ敷いぞ”
いつまでも我を張っている、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”である、それは“神烈しく(はげしく)”の事象に遭遇しても自分を変えない、自分の在り方を考えない、自省(胸の磁性“十”)しない、だが“まことの神の集団”、進化しうる素地を持つ人間の集まりは、“時に応じてどうにでも変化(へんげ)られる”、“神烈しく(はげしく)”の事象の意味、その理由と根拠を知っているからこそ臨機応変に対応して、その中から自らの認識を高め、霊的成長の糧となしていくのだ、の意味合いである。

 次の文。
“不動明王殿も力あるに、あそこ迄落してあるは神に都合ある事ぞ。 世に落ちて御座る守護神と 世に落ちてゐる神々様と 世に出てゐる神々様と 世に落ちて出てゐる守護神殿と 和合なさりて物事やって下されよ、二人でしてくれと申してあろがな、判りたか”

 これは“役員づら”により、“上”が“上”ではなくなっている、見せかけの“上”になっている、そして、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の認識や概念も形骸になっているが、そのことを“不動明王殿も力あるに、あそこ迄落してある”と称されてはいる。
だが、これも人間自体に“ほんとう”の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を教えるための神の計画であり、“役員づら”の台頭があるからこそ“ほんとう”の“上”とその思惑を知ることができるのだ、の意味合いを“世に落ちて御座る守護神と 世に落ちてゐる神々様と 世に出てゐる神々様と 世に落ちて出てゐる守護神殿と 和合なさりて物事やって下され”という文言で示しているし、これに続く“二人でしてくれと申してあろがな、判りたか”の“二人”(二つ、二種類と、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現))は、高い低い、“善(神格化の方向性と智性の受信)”と“悪(心の動きの本能化と低振動化)”、そして日足と砌(ひたりとみぎり)、これら相対的な比較をしないと“ほんとう”を理解しない、認識しえないからこそ、こういった言われ方をされているのだと思える。

 今回はこれくらいにしときまんねん。




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 Kelly & ○○○大先生

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神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
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