“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 風の巻 第六帖 Kellyさん的解釈 

 今回も、風の巻 第六帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

江戸の仕組 江戸で結ばんぞ。 この道開くに急いではならんぞ、無理して下さるなよ、無理急ぐと仕組壊れるぞ。 まだまだ敵出て来るなれど、神心になれば敵、敵でなくなるぞ、敵憎んではならんぞ、敵も神の働きぞ。
神は六ヶ敷いこと云はんぞ、神に心皆任せてしまうて、肉体慾 捨ててしまふて、それで嬉し嬉しぞ。 
神が限りなき光り、よろこび与へるのざぞ。 いやならいやでそなたのすきにしてやりてござれ、一旦天地へ引上げと申してある通りになるぞ。 一度の改心六ヶ敷いからくどう申してあるのざぞ。 今までほかで出て居たのは皆 神示先(ふでさき)ぢゃ、ここは神示(ふで)ぢゃ、何時もの如く思って居ると大変が足元から飛び立つのざぞ、取返しつかんから気付けてゐるのぢゃ。
何れは作物(つくりもの)取らしておくから、沢山取れたら更に更に愈々ざと心得よ。 神の国治めるのは物でないぞ、まことざぞ、世界治めるのもやがては同様であるぞ、人民マコトと申すと何も形ないものぢゃと思ってゐるが、マコトが元ざぞ。 タマとコト合はしてまつり合はして真実(マコト)と申すのぢゃ。   
霊=○、荷電粒子の場(フィールド) ローレンツ力   をまつりたものぢゃ、物無くてならんぞ、タマなくてならんぞ、マコト一つの道ざと申してあろがな、わかりたか。 ミタマ相当にとりて思ふ様やりてみよ、行出来ればその通り行くのぢゃ、神に気に入らん事スコタンばかりぢゃから、引込み思案せずに堂々とやりて下されよ。 
こんな楽な世になってゐるのぢゃ、屁(へ)も放(ひ)れよ、沈香もたけよ、ふらふらして思案投首この方嫌ひぢゃ。 光る仕組、中行く経綸(しくみ)となるぞ。
二月十六日、一二の 
ローレンツ力と ○ 

 冒頭の文。
“江戸の仕組 江戸で結ばんぞ。 この道開くに急いではならんぞ、無理して下さるなよ、無理急ぐと仕組壊れるぞ。 まだまだ敵出て来るなれど、神心になれば敵、敵でなくなるぞ、敵憎んではならんぞ、敵も神の働きぞ”

 文中の“江戸”は幾度となく述べてきたように地名のことではなく、腹の水=“江戸と尾張”の“江”、自我の確立=固定化の段階、腹の位相のサイクロトロン、のことであり、“江戸の仕組”=自我の強化と確率という霊的成長度の段階は、腹の水、チャクラ(荷電粒子の回転を示す)でいえば、ムラダーラチャクラ、スワディスターナチャクラ、マニピューラチャクラ、この三つの荷電粒子の回転だけでは成り立たず、その上、アナハタチャクラの“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ“と、ヴィシュダチャクラの事象の“創造”の意志、そして事象を見渡し意味と意義を見出すアジナーチャクラ、更に智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)に最も関わるサハスララチャクラ、これらが未熟ながら備わっているのが現地球人であり、智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)の強化の“行”が“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことであるが、このチャクラで示された進化の法則=文中の“この道開く”であり、心(靈)の発現というものそのものが神格化への道であり、これを理解しているならば“江戸で結ばんぞ”は、腹までの心(靈)では自我の固定化にならないと解することが出来得る。
先に述べたように“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ“、“創造”の意志、事象を観察する高い視野、智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)の発現、これが弱く、更に自我自体がまだ虚弱な段階は、自我が野放図であり、具体的に言えば“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”であり、また最近(昨年末)Yahooニュースで取り上げられていた「自分大好き人間」の増加と台頭も同様の進化過程といえるが、自分勝手、自分さえよければよい、自分の都合しか考えない、利用出来そうなものは自分の利益のために使う、他者を思いやるなんてことはなく、人が不幸になっても死んでも金儲けしか考えない、そんな風でも自分の考えと行動は正しいのだと思い込んでいる、こういった人間は自我が弱いからこそ自我の肥大が進化には必須ではあるし、これを示しているのが文中の“無理して下さるなよ、無理急ぐと仕組壊れるぞ”で、自我の肥大の台頭は自らを滅ぼし、この事象における今まで“創造”されたものすべてを破壊することになるという意味合い。
その心(靈)の発現の段階、その進化過程では、次の段階に移行しうる霊的成長度ではないからこそ“結ばんぞ”である。
これに続く“まだまだ敵出て来るなれど”は、自我が虚弱で肥大した人間は、自分に起きた不都合がすべて“敵”と思え、こういった人間にS会=紫光会でよく言われた“神は乗り越えられない試練は与えない”などという文言の意味合いは理解できないものであり、これに続く“神心になれば敵、敵でなくなるぞ、敵憎んではならんぞ、敵も神の働きぞ”は、自分の心(靈)を育てるための“上”の采配を“敵”と思うようならばそれは、霊的成長度も低いし当然認識も低い。 それが進化し、智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)が強化されたならば=“神心になれば”、試練、“敵”を自らの霊的成長のための“上”の采配と理解しうるの意味合いである。

 次の文。
“神は六ヶ敷いこと云はんぞ、神に心皆任せてしまうて、肉体慾 捨ててしまふて、それで嬉し嬉しぞ”

 これは“神に心皆任せてしまうて”、自我の肥大ゆえの考えを捨て去れ、それが自らを進化(霊的成長、神格化に向かうこと)に導き、“ほんとう”の心(靈)の満足を得るのだの意で、自我の肥大ゆえの“肉体慾”、これは本能由来の、食いたい、やりたい(性的な事)、それと低い功名心と自尊心由来の形骸の権威を求めたりそれを誇示したりする、そして(通貨としての)金への執着、そんなものは低い幸福の概念であるの意味合い。

 次の文。
“神が限りなき光り、よろこび与へるのざぞ。 いやならいやでそなたのすきにしてやりてござれ、一旦天地へ引上げと申してある通りになるぞ。 一度の改心六ヶ敷いからくどう申してあるのざぞ。 今までほかで出て居たのは皆 神示先(ふでさき)ぢゃ、ここは神示(ふで)ぢゃ、何時もの如く思って居ると大変が足元から飛び立つのざぞ、取返しつかんから気付けてゐるのぢゃ”

 冒頭の“神が限りなき光り”、これは“創造”の“主(ヌシ)”そのものが高い振動であるの意、その思惑を増幅して贈り送ってきているのが生命体としての太陽で、その振動を積極的に取り込むのが“ひつく”“日津久”、そして光を取り込む器官は眼球であり、またこれが五つの振動を心(靈)(忄(りっしんべん))に取り込むの意の悟る(忄(りっしんべん)と五つの振動を取り込む口)、でもあり、地球で最も高い振動を取り込む“行”、それが太陽凝視の“ほんとう”の意味と意義であるし、“日月神示”を岡本天明に書かせた艮(うしとら)の金神は朝日の日拝(にっぱい)(太陽凝視の入門、初心者向け)を黒住教で教えた経緯がある。 
 しかしながらそれを承服しない、もっと違う効率の良い“行”があるのではないか、あるいは“行”などしなくても幸福は得られるという程度の低い進化過程の人間の方が圧倒的多数なのがたった今の地球の現状だが、そういった人間はその進化過程で得られる認識というものがあり、いきなり高い“行”は出来ないのだから“いやならいやでそなたのすきにしてやりてござれ”である。
 しかし神の計画としての霊的成長度の高低における区分けであるアセンション=“一旦天地へ引上げと申してある通りになる”、この文中の“天地”これ自体が“上”と“下”の意であり、“引き上げ”は“上”の視点による区分けという意味合いで、これは必ず起きるものである。 
だからこそ“一度の改心六ヶ敷いからくどう申してある”、自分の思想と行動、そのすべてにおいて自省(胸の磁性“十”)せよ、それが次の“創造”に参加しうる最低の条件であり、先に述べた“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の自分にとって都合の良い考えなどは通用しないことをしっかり認識としておけよ、の意味合い。
 これに続く“今までほかで出て居たのは皆 神示先(ふでさき)ぢゃ、ここは神示(ふで)ぢゃ、何時もの如く思って居ると大変が足元から飛び立つのざぞ、取返しつかんから気付けてゐるのぢゃ”、これは仏や神道、キリスト教など既成宗教のことだと思え、“上”が感応して教祖に教えられた教義は価値のあるものではあるが“役員づら”が腐らせているし、その教義そのものは智性(神性)の獲得に至る教えではないし、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)のための“行”は、智性(神性)の獲得が目的でなければならない、この意味合いが“今までほかで出て居たのは皆 神示先(ふでさき)ぢゃ、ここは神示(ふで)ぢゃ”、この“神示先(ふでさき)”、神が示した本の先っぽと、“神示(ふで)”神が示すことそのもの、その表記の差である。
 だから既成宗教が進化のためのものであるという認識、“何時もの如く思って居ると”であるならば“大変が足元から飛び立つのざぞ、取返しつかんから気付けてゐる”と称されている。

 次の文。
“何れは作物(つくりもの)取らしておくから、沢山取れたら更に更に愈々ざと心得よ。 神の国治めるのは物でないぞ、まことざぞ、世界治めるのもやがては同様であるぞ、人民マコトと申すと何も形ないものぢゃと思ってゐるが、マコトが元ざぞ。 タマとコト合はしてまつり合はして真実(マコト)と申すのぢゃ。  
霊=○、荷電粒子の場(フィールド)   と ローレンツ力 をまつりたものぢゃ、物無くてならんぞ、タマなくてならんぞ、マコト一つの道ざと申してあろがな、わかりたか”

冒頭の“何れ”(いずれ)、これは、はっきりとは定めずまたはわからないままに物事を言い表すのに使う語であり、“作物(つくりもの)取らしておく”は、現段階の霊的成長度で得られる認識を“作物(つくりもの)”と称し、それはは高いものではないが、少しづつ進化(霊的成長、神格化に向かうこと)していくならば、“更に更に愈々ざ”、少しづつしか“上”に進まないの意であるし、現段階の認識が低いからこそこれに続く“神の国治めるのは物でないぞ、まことざぞ、世界治めるのもやがては同様であるぞ”と称されており、これはたった今の“創造”による事象がてんで低いの意でもあるし、その“創造”に携わっている心(靈)の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)も低いのだの意味合いで、こんな連中にすら、智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)の獲得の“行”を教えてはいるが、それは先の“六ヶ敷い”(むつかしい)、これに相当するのだと言いうる。
それで教えねばならぬからこそ“まことざぞ”、これはひらがな(“創造”の“主(ヌシ)”に対して被造物である人間の視点)表記であるし、これに続く“人民マコトと申すと何も形ないものぢゃと思ってゐるが、マコトが元ざぞ”、これはカタカナ表記で“上”が言い顕わす表記になっており、それでは“マコト”の意味は何か、それは
“マ”の行は、有形生命、または正しき生命の音意の音根、まこと神のマ(真固止)
“コ”は停滞して働く意と細分の音義、物の凝り集まりに固まる意
“ト”は、止まると云う心
神の思惑に沿った進化(霊的成長、神格化に向かうこと)、その思惑、思惑そのものが“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、“天津御空(あまつみそら)”、“創造”の“主(ヌシ)”の思惑を含んだ荷電粒子、であるが、それを固め止める、それがカタカナ表記の“マコト”であり、更にそれは“日月神示”表記の、“○ 九 十”



○ 九 十(まこと)の解字 



生命の最終形態でもあり、“誠”(言葉成る、意味は、自分が発振、発信した振動(言葉)が完成する)、いわゆる不誠実ではない、でもあり、ローム太霊が伝えた“真の人間”(まことのにんげん)でもあり、冥王星のオコットの情報を受け取った半田広宣氏の著書で述べられている“真実の人間”の意味合いでもあるが、これらすべて“真固止の人間”、“上”の思惑(荷電粒子)を真に固く止める人(日止、霊止)、これを言い顕わしたものであり〈半田広宣氏はこの言葉の意味に言及していないようである〉、天意を止めを自分の認識として(“天詞様”)次の事象の“創造”をするのが、今述べた表記の人間であり、その意味合いで“タマとコト合はしてまつり合はして真実(マコト)と申すのぢゃ。   霊=○、荷電粒子の場(フィールド) と ローレンツ力 をまつりたものぢゃ”と称され、文中の“タマ”は、
“タ”は、生命が現れ立つ、建く(たけく)高く成長の音義、進化=霊的成長、神格化に向かうこと
“マ”の行は、有形生命、または正しき生命の音意の音根、まこと神のマ(真固止)
なので、神の思惑にそった進化した生命そのものであり、“コト”は、
“コ”は停滞して働く意と細分の音義、物の凝り集まりに固まる意
“ト”は、止まると云う心
なので、“タマとコト合はしてまつり合はして真実(マコト)と申す”、これは神の思惑に沿った生命(生きる使命=存在理由)は“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を固く止めているのだ、またそれは、心(靈)=
霊=○、荷電粒子の場(フィールド)  に、ローレンツ力ローレンツ力  、これで止めよ、“上”と感応せよ=“まつりたものぢゃ”という意味合いであるし、その生命(生きる使命=存在理由)の“創造”は、“物無くてならんぞ、タマなくてならんぞ、マコト一つの道ざと申してあろがな、わかりたか”、文中の“物”はこの事象、現界であり、そこには進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の仕組みである“タマ”がなければならない、天意を止めよ、であり、今後=アセンション後の事象は“マコト一つの道ざ”ということになるものである。
 
 次の文。
“ミタマ相当にとりて思ふ様やりてみよ、行出来ればその通り行くのぢゃ、神に気に入らん事スコタンばかりぢゃから、引込み思案せずに堂々とやりて下されよ”

 たった今の地球は“上”から観て霊的成長度の低い人間が大多数、“玉石混交(淆)”であるが、低い者はその低い認識からやってみるしかしょうがない、それが“ミタマ相当にとりて思ふ様やりてみよ”ではあるが、これに続く“行出来ればその通り行くのぢゃ”、この“行”はすでに教えてある、それは“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことによる“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化と“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”=心(靈)の在り方、自省(胸の磁性“十”)の“行”であるが、それが“出来ればその通り行くのぢゃ”と称され、これに続く“神に気に入らん事スコタンばかり”、これはたった今の地球の現状と地球人の霊的成長度のことであり、それに相対し“行出来れば”の人間は臆することなくやれよ、周囲からどんな目で見られようがそんなものは意に介さずに“引込み思案せずに堂々とやりて下され”である。

 次の文。
“こんな楽な世になってゐるのぢゃ、屁(へ)も放(ひ)れよ、沈香もたけよ、ふらふらして思案投首この方嫌ひぢゃ。 光る仕組、中行く経綸(しくみ)となるぞ”

 文中の“中行く経綸(しくみ)”を間違える人間は多いと思うが、これは中庸と意味合いがほぼ同じ、それは“中”が偏らないの意であり、人間は様々な事象に遭遇するが、その事象の意味合いを鑑みるにあたって、自分にとって都合の良い考え方をしたりせず、正鵠(せいこく)な判断をすることであり、“庸”は、平常也(朱子の解釈)、あるいは常也(鄭玄の解釈)である。 決して真ん中とか平均とかの意味合いではないし、自分が自分の成長にとって正鵠な判断するをする、その視点を持て、であり、その視点を持とうとする息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)には“上”が感応するものである。
 また文中の“光る仕組”は、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を取り込んで自らの“一二三”のオーラにそれを生かす、それはオーラの拡大になるの意でもあるし、それ自体が“光る仕組、中行く経綸(しくみ)となる”=智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)が高まれば、中庸を認識(悟り、幸取=さとり)としていくということである。
 前後するが“こんな楽な世になってゐるのぢゃ、屁(へ)も放(ひ)れよ、沈香もたけよ、ふらふらして思案投首この方嫌ひぢゃ”、これは先の“引込み思案せずに堂々とやりて下され”にかかる文言で、自分が“行”を知り、それが自分の霊的成長にとって“ほんとう”に価値のあることだと認識して“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことをして“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”していくならば、神の思惑に沿っているのだから誰の意に介さず、だれの批判も気にせずに“屁(へ)も放(ひ)れよ、沈香もたけよ”であり〈沈香は、ジンチョウゲ科の樹木から作られたもの〉、たった今“マコト”を目指す行を行っている人間はたびたび“日月神示”に登場する表記の“落ちぶれていなさる”ではあるが、それこそが神意に適っているのだ、ということをよく知っておけよ、堂々としろよ、の意味合いの文言である。

 今回はこれくらいにしときまんねん。


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 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
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Kellyさんと○○○大先生は、
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四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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智性無き心は
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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
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2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


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目上(めうえ)と目下(めした)


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ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


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太陽凝視を行っている鍼灸師の話
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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
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