“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

Kellyさんが“日月神示”風の巻の解釈を終えてから…感じた事。



 風の巻、カ千の○キ、この“カ千”の表記の意味は以下のとおりである。 
“カ”は、幽れたる(かくれたる)生命と力(ちから)の音意
“千”は、丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と“十”(シンクロトロン放射)
これは、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)をある程度果たした生命は神の思惑を顕現するが、その際の発振、発信は胸の磁性“十”と頭のシンクロトロン、智性(神性)(“一”、1番目のオーラ)(日を知る性質)であり、これ自体が平均的地球人の霊的成長度より“上”を示すものである。
そして“○キ”は、その心(靈)、霊○と、
“キ”は、天地の精気 モノの現れを示す音根、その表し得ざる心の素幸霊(スサノオ)自ら明津(アキツ、現津(あきつ)、観察され得る事象)させんにぞかし
である。
 よって“カ千の○キ”は、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たした生命、“慈悲”と“慈愛”と自省(胸の磁性“十”)の心(靈)を持った存在が“力”を示し、事象の“創造”、“上”と感応しながら現津(あきつ)、観察され得る事象を顕現していくの意である。
 このことそのものを示す表記が先回の第十四帖、“新しき世とは神なき世なりけり人神となる世にてありけり”、今後=アセンション後は、今までのような“上”の介入が必要な事象ではない、例えば“神の咎め”を受けて自分の在り方を問うということもなく、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)した生命(生きる使命=存在理由)が事象の“創造”をするにあたっては“力”(力、知恵、知識…学問…能力、そして霊能力を含む)の行使は“善(神格化の方向性と智性の受信)”でしかないし、そこにおいても“上”があえて“力”を加える必要もない、いうなれば人間自身が神の思惑を顕現していく、だからこそこの文言中の“神なき世”であり、“人(自体が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たして)神となる世にてありけり”である。

 今述べた風の巻の要旨、この点で印象に残っている文言を以下にピックアップする、解釈の詳細についてはそれぞれの帖をご覧いただきたい。

 まず、人間が神の思惑を顕現していく、霊的成長を果たす、そういった表記が、第一帖、
“ 
風 第一 (おう) (おう)の世 風 第一 (王の世ローレンツ力) (おう)の世にせなならんのざぞ、今は 風 第一 (をう、わう) (をう)の世ざぞ、 風 第一 (をう、わう) (わう)の世  風 第一 (おう) の世となりて、 風 第一 (おう)  (おう)の世に ローレンツ力 入れて 風 第一 (王の世ローレンツ力) (おう)の世となるのざぞ…中略…  風 第一 (王の世ローレンツ力) の世輝くと夜明け 第一 灯台表記   となるのざぞ、夜明け 第一 灯台表記   と申して知らしてあろがな。 役員それぞれのまとひつくれよ、何れも長(おさ)になる身魂でないか”

風の巻 第一(おう、をう、わう、ローレンツ力) 

これは“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことをして人間自身が太陽の振動をこの事象に顕現せよであり、同じく第二帖の以下の表記、

風の巻 第二帖 

これは自我の確立=固定化から“慈悲”と“慈愛”自省(胸の磁性“十”)、という心(靈)になって“一”=智性=1番目のオーラの発振、発信が大きく盛んになるさまを示している。

 そして第三帖においては、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を取り込んで心(靈)と肉体が変容するさまを“愈々の大建替は国常立の大神様、豊雲野の大神様、金の神様、竜宮の乙姫様、先づ御活動ぞ。 キリギリとなりて岩の神、雨の神、風の神、荒の神様なり、次に地震の神様となる”と称し、それは進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の法則であるから“今度の仕組は元のキの生き神”(“世の元からの生神”=進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性))なのだ、そして進化した生命が次の事象を“創造”するのだ、と言われている。

 次の第四帖では
“岩戸開けたり(自我の確立=固定化から“慈悲”と“慈愛”自省(胸の磁性“十”)の心(靈)となり)御光の、二二(ふじ)(“富士(二二)”=肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道)に九(こ)(○ 九 十 の“九”)の花どっと咲く、…中略… 光の道を進めかし。ウタ(進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たした生命を生み出しさらに進化して池)のまどひつくれ”
と言われている。

 第五帖では、たった今の人間と今後=アセンション後の生命との対比を示した文言があり、それは
“神々様に届く行で申せよ。こんなよき世は今迄になかりたのぢゃ、膝元(ひざもと)に居ても言葉ばかりの願ひ(程度の低い心(靈)の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)は)聞こえんぞ、口と心と行と三つ揃った行い、マコトと申して知らしてあろが”、
この文言中の“マコト”
“マ”の行は、有形生命、または正しき生命の音意の音根、まこと神のマ(真固止)
“コ”は、停滞して働く意と細分の音義、物の凝り集まりに固まる意
“ト”は、止まると云う心
“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意を止めるならば、それは真固止であり、他者から進化した生命を観るならば“誠”(言葉成る、意味は、自分が発振、発信した振動(言葉)が完成する)であり、これは不誠実ではないという意味合いも含み、さらに“日月神示”表記の○ 九 十 これは画像で意味を示す。

○ 九 十(まこと)の解字 

 それで第六帖ではこの“マコト”をひらがな(“創造”の“主(ヌシ)”に対して被造物である人間の視点)表記にしてその意を強調した表記があり、たった今の人間の認識の低さ、それを自覚せよ、と示されているものである。
“神の国治めるのは物でないぞ、まことざぞ、世界治めるのもやがては同様であるぞ、人民マコトと申すと何も形ないものぢゃと思ってゐるが、マコトが元ざぞ。 タマとコト合はしてまつり合はして真実(マコト)と申すのぢゃ”

 次の第七帖では、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の認識の低さを以下のように指摘している。
“神にすがり居りたればこそぢゃと云ふとき、眼の前に来てゐるぞ。 まだ疑うてゐる臣民人民 気の毒ぢゃ、我恨むより方法ないぞ。 神の致すこと、人民の致すこと、神人共に致すこと、それぞれに間違ひない様に心配(くば)りなされよ。慢心鼻ポキンぞ、神示よく読んで居らんと、みるみる変って、人民心ではどうにもならん、見当取れん事になるのざぞ、…中略… 天の神も地の神もなきものにいたして、好き勝手な世に致して、偽者の天の神、地の神つくりてわれがよけらよいと申して、我よしの世にしてしまふてゐた事 少しは判って来たであらうがな”

 第八帖では、
“世界中自在に別け取りしてゐた神々様、早う改心第一ぞ。 一(ひとつ)の王で治めるぞ。 てん詞様とは天千様のことぞと申してあろがな、この方シチニの神と現はれるぞと申してあろがな、天二(てんぷ)様のことざぞ”
と言われており、“別け取りしてゐた神々”、これを“世界中自在に”というのは、“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、この感応が、低い霊的成長度の心(靈)は低い振動としか感応しない、“行”やって“身魂磨き”=(生体内電流による)肉体組織の結晶化して、高い振動と感応する素地を持った心(靈)は高い振動を止められる、の意である。
それは“神々”=“上”からの振動、これを“世界中自在に別け取りしてゐた”=個々の霊的成長度の高低において感応していたの意であり、そして“自在に”は、自由自在の意味合いではなく、自分の存在の意において=個々の霊的成長度の高低において、あるいは霊的成長度の高低における自分の在り方によって、“上”からの振動と感応するその度合いが違うのだ、の意味合いである。 
そう思う根拠としては“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意、を、だれもが均一に止めていない、だからこそ霊的成長度の高低があり、低い心(靈)の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)は低い事象しか想像しえない、それがたった今の事象であることは幾度となく述べてきているが、 それを“早う改心第一”と述べられているからであり、“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”は“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”から(アセンション後に位置して行く今より霊的進化を果たした)奉仕者への移行のステップで、これが出来ないのは次の事象に移行する資質がないからこそ霊的成長度の高低における区分け、いわゆるアセンションという事象がやってくるのだが、アセンション後は、たった今の“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”と(アセンション後に位置して行く今より霊的進化を果たした)奉仕者が混在した事象、世界ではなく、ある程度進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たした心(靈)だけの場(フィールド)になるからこそ、“一(ひとつ)の王で治めるぞ”であり、この“一(ひとつ)の王”は、今後=アセンション後における指導者的立場の心(靈)と解することもできるが、やはり“一”=智性=1番目のオーラ、これを備えた心(靈)、たった今の人間は“一”=智性=1番目のオーラが小さく、智性(神性)の顕現が大したことがないので、今後=アセンション後は智性(神性)で統括された事象になるの意であると思え、これに続く“てん詞様とは天千様のことぞと申してあろがな、この方シチニの神と現はれるぞと申してあろがな、天二(てんぷ)様のことざぞ”の、“てん詞様”=“上”と感応して高い振動を止める心(靈)を備えた人間の意、これをまた“天千様”、“天”=“上”と感応して丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と胸の磁性“十”で構成された“千”が当てられており、“天二(てんぷ)様”は、“上”と感応するべく肉体、それを“二”で示していると思う。 そして“この方シチニの神と現はれる”のカタカナ表記は、

“シ”は弱き光 と称され、それは次々に出る生命を育む(はぐくむ)意 “慈(しげる)”のシ
“チ”は、まず“タ”の行が、命が現れ立つ、建く高く成長する音義の意があり、“チ”はチカラ(力)意で、それは様々に現津(あきつ)(顕現)して世を成すもの(事象の“創造”をするの意)
“ニ”は、物を固らし縮め、またやわす 物を固めるにその固めしを、また、ゆるめにもそれ用いしぞ (その形を変え調いへる言霊の霊引となす)

なので、生命の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)をはぐくむ高い振動は弱い光かのように感じる、たった今は“上”(宇宙の中心と太陽)からの荷電粒子の振動、天意の低い部分としか感応していない心(靈)が台頭して息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)、それによってこの事象は成り立っているのだが今後=アセンション後はそうではなく、今に比べ弱い光化のように感じられる高い振動、これを止めた心(靈)が事象の“創造”を、“ニ”の、物を固らし縮め、またやわす 物を固めるにその固めしを、また、ゆるめにもそれ用いしぞ こうやってちょうど良い調整を行いながら事象の“創造”を果たしていくの意である。

 第九帖では“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の愚かさを指摘する文言があった。
“土地分け盗りばかりか、天まで分け盗って自分のものと、威張ってゐるが、人民の物一つもないのぢゃ。 大引上げにならんうちに捧げた臣民 結構ぞ”
“人民 神に仕へて下さらんと神のまことの力出ないぞ、持ちつ持たれつと申してあらうがな、神まつらずに何事も出来んぞ、まつらいでするのが我よしぞ、天狗の鼻ざぞ。 まつらいでは真暗ぞ、真暗の道で、道開けんぞ。 神は光ぞと申してあらうが、てん詞(し)様よくなれば、皆よくなるのざぞ。 てん詞(し)様よくならんうちは、誰によらん、よくなりはせんぞ、この位のことなぜにわからんのぢゃ、よくなったと見えたら、それは悪の守護となったのぢゃ”

 第十帖では、今後=アセンション後のことが示されている。
“これからは、人民磨けたら、神が人民と同じ列にならんで経綸(しごと)致さすから、これからは恐ろしい結構な世となるぞ”
そこに移行しうる資質を獲得せよの意で、
“肉体あるうちには、中々改心は出来んものぢゃから、身魂にして改心するより外ない者 沢山あるから、改心六ヶ敷いなれど、我慢してやりて下されよ”

 第十二帖では、人の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を阻む存在のことを述べている。
“日本(“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことをして、自省(胸の磁性“十”)(“本津宮”(もとつみや))すること)の人民 餌食(えじき)にしてやり通すと、悪の神申してゐる声 人民には聞こへんのか”

 第十三帖では、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”が生み出した恨みの連鎖の霊的干渉について述べている。
“人の殺し合ひで此の世の建替出来ると思ふてゐるのも悪の守護神ざ。 肉体いくら滅ぼしても、よき世にならんぞ。 魂は鉄砲では殺せんのざぞ。 魂はほかの肉体にうつりて、目的たてるのざぞ、いくら外国人殺しても、日本人殺しても、よき世は来ないぞ”
 同じく第十三帖では、風の巻のここまでの文言を観たならば自分はどう在るべきか、どう生きていくべきか、何を自分の思想の指標とするべきか、について、
“善一筋の、与へる政治で見事建替へてみせるぞ。和合せんとまことのおかげやらんぞ”
この“善一筋”、この意味が何を示すのか、“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の霊的成長度の人間がいない世界が次の事象だが、そこには自分の損得のために欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとかをする人間はいないし、恨みの連鎖の霊的干渉の消失していくから事件や事故や災害や病気などもなくなる、こういったことがたった今の事象と比較して“日月神示”表記の“うれしうれし”“大歓喜”であることは幾度となく述べてきた。
 それでたった今の人間の善と悪の認識は低すぎる…というか自分たちにとって都合の良いものに成り果てているものであり、そんな認識では次の事象に移行しえないから、第一帖では
“同じ名の神 二柱あるのざぞ、善と悪ざぞ、この見分けなかなかざぞ、神示よめば見分けられるように、よく細かに解(と)いてあるのざぞ、善と悪と間違ひしてゐると、くどう気付けてあろがな”
と述べられているものであり、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)をしていけばいくほど“善一筋”になっていくものであることを知るべき。

 それで進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たした生命が“創造”する事象、これは重複するが、冒頭で述べた第十四帖の以下の文言、
“新しき世とは神なき世なりけり人神となる世にてありけり”
これ自体を目指すべく、このブログに霊縁あった方は真摯に自分の心(靈)を観てその高さと低さを判別し、“身魂掃除”“身魂洗濯”“改心”して、さらにできるようならば“ひつく”“日津久”=太陽凝視を“行”として行うことをする、ことに○○○大先生の読者会のメンバーの方々には、厳しい“ひつく”“日津久”=太陽凝視を頑張っていただきたいものである。

 次回からは、岩の巻 (一八の○キ)の解釈に入ることを告知して、今回はこれくらいにしときまんねん。



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 Kelly & ○○○大先生

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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
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