“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 岩の巻 第二帖 Kellyさん的解釈 



 今回も、岩の巻 第二帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

三千年の昔に返すと申してあらうがな。 よい御用いたす身霊(みたま)ほど苦労さしてあるのぢゃ。 他から見ては、わからんなれど、苦労に苦労さして、生き変り、死に変り、鍛へに鍛へてあるのぢゃぞ。 肉体の苦労も霊の苦労も、どちらの苦労にも、まけん人民臣民でないと、眼先のことで、グレングレンと引繰りかへりて、あわてふためく様なことでは、どんな事あっても、びくともせん、ミタマでないと、御用六ヶ敷いぞ。
こんどの苦の花は真理(ふじ)に咲くのみざぞ。 不二に九(こ)の花咲くや媛(ひめ)まつれと申してあるが、九(こ)の花、おのもおのもの心の富士にも咲くのざぞ。 九(こ)の花咲けば、此の世に出来んことないぞ。 まことの 
渦巻き 左回転 かかりぞ。
この先もう建替出来んギリギリの今度の大建替ぢゃ。 愈々の建替ざから、もとの神代よりも、も一つキの光輝く世とするのぢゃから、中々に大層ざぞ。 人民 苦しからうが、先楽しみに御用見事つとめ上げて下されよ。 
二つづつある神様を一つにするのであるから、嘘偽(うそいつわり)ちっともならんのぢゃ。 少しでも嘘偽あったら、曇りあったら、神の国に住めんことになるのざぞ。 途中から出来た道では今度と云ふ今度は間に合はんのざぞ。 根本からの道でないと、今度は根本からの建直しで末代続くのぢゃから間に合はん道理わかるであらうがな。 
われの国同士の戦 始まるのぢゃ。 この戦、神は眼あけて見ておれんなれど、これも道筋ぢゃから、人民にも見て居られんのぢゃが、友喰ひと申して知らしてあらうが。 この方等が天地自由にするのぢゃ。 元のキの道にして、あたらしき、キの光の道つくるのぢゃ。 あらたぬし、世にするのぢゃと申してあること愈々ざ、人民、臣民 勇んでやりて下され。 神々様 守護神どの、勇め勇め。
二月十六日、ひつ九
ローレンツ力と ○   。

 冒頭の文。
“三千年の昔に返すと申してあらうがな。 よい御用いたす身霊(みたま)ほど苦労さしてあるのぢゃ。 他から見ては、わからんなれど、苦労に苦労さして、生き変り、死に変り、鍛へに鍛へてあるのぢゃぞ。 肉体の苦労も霊の苦労も、どちらの苦労にも、まけん人民臣民でないと、眼先のことで、グレングレンと引繰りかへりて、あわてふためく様なことでは、どんな事あっても、びくともせん、ミタマでないと、御用六ヶ敷いぞ”

 たった今の世界が“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)により腐りきっているので“三千年の昔に返す”と言われており、金と形骸の名誉、“上”に評価されない価値観、薄っぺらい幸福感などに酔いしれて自分が幸せだと思っている人間は次の事象に移行する資質なし、ということを読み取るべきであり、これに相対し“よい御用いたす身霊(みたま)”、この“よい御用”は、今の腐った事象ではない違う事象の“創造”のことであり、それは“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”のいない世界を創る、そこは奪い合い騙しあいがない事象であり、“よい御用いたす身霊(みたま)”は、自我を諌め自分の在り方と自分が持っている“力”の行使の仕方を考える人間のこと。 こういった人間に対し“苦労さしてあるのぢゃ。 他から見ては、わからんなれど、苦労に苦労さして、生き変り、死に変り、鍛へに鍛へてあるのぢゃぞ”と言われ、これは“上”に見込まれているからなのだ、ということであるし、これに続く“肉体の苦労も霊の苦労も、どちらの苦労にも、まけん人民臣民でないと、眼先のことで、グレングレンと引繰りかへりて、あわてふためく様なことでは、どんな事あっても、びくともせん、ミタマでないと、御用六ヶ敷いぞ”、これは“よい御用”は“上”から観て正しいのだ、その事象の“創造”に必須なのは、風の巻に登場した表記の“善一筋”なのだから、周囲に惑わされるな=“眼先のことで、グレングレンと引繰りかへりて、あわてふためく様なことでは、どんな事あっても、びくともせん”、これを心がけよ、であり、これは先回解釈した第一帖の“悪の守護となれば、悪よく見えるのざぞ。 人民 悪いこと好きでするのでないぞ、知らず知らずに致してゐるのであるぞ”この意をよく理解しておけ、ということであり、これが出来ないならば“御用六ヶ敷いぞ”=次の事象に移行するのはむつかしい(六ヶ敷い)ということ。 
 ちなみに文中に登場するカタカナ表記の“ミタマ”は、
“ミ”は生命の幹 その現実
“タ”は、生命が現れ立つ、建く(たけく)高く成長の音義、進化=霊的成長、神格化に向かうこと
“マ”の行は、有形生命、または正しき生命の音意の音根、まこと神のマ(真固止)
なので、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)を果たした心(靈)が“上”から観て正しい事象を“創造”していくの意。

 次の文。
“こんどの苦の花は真理(ふじ)に咲くのみざぞ。 不二に九(こ)の花咲くや媛(ひめ)まつれと申してあるが、九(こ)の花、おのもおのもの心の富士にも咲くのざぞ。 九(こ)の花咲けば、此の世に出来んことないぞ。 まことの 
渦巻き 左回転 かかりぞ”

 これも“よい御用いたす身霊(みたま)”に対して言われていることであり、たった今の事象は腐っており、たった今の人間は“上”から観て不誠実な人間がほとんど、よって“こんどの苦の花は真理(ふじ)に咲くのみ”、真実=真固止、“ほんとう”、こういった事柄の認識を高めていけ、それは霊的成長をすればするほど“ほんとう”のことを解り、物事の真実を理解し、“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)にのっとった“行”をしてくならば“真固止の人間”(“上”の思惑(荷電粒子)を真に固く止める人(日止、霊止))となり、他者や自己に対し“誠”を理念とするようになる、と解する。
 これに続く“不二に九(こ)の花咲くや媛(ひめ)まつれと申してあるが、九(こ)の花、おのもおのもの心の富士にも咲くのざぞ。 九(こ)の花咲けば、此の世に出来んことないぞ”の“九”の表記は ○ 九 十 のそれであり、“九”は“一”=智性=1番目のオーラと丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)で構成され、生命(生きる使命=存在理由)としての最終段階、卆(そつ、卒業の卒の異体字)の意味合いを持つものである。
 それで“不二に九(こ)の花咲くや媛(ひめ)”の“不二”に関しては
雨の巻 第八帖より以下にコピペ。


“世の元からの仕組、中行く仕組、天晴(アッパレ)三千世界結構であるぞ、心の不二も晴れ晴れとなるぞ、結構々々”
 文中の“世の元からの仕組”は、たびたび登場した“世の元からの生神”と意味合いが同義、それは、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性、のことであり、その“中行く仕組、天晴(アッパレ)”その“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)に沿って進化せよであり、“三千世界結構である”の“三千世界”は以前、地つ巻 第四帖で述べたとおり“すべての現津(あきつ)、観察され得る事象をさす表記”であり、今後=アセンション後の事象に位置しうる資質を持つ心(靈)は“心の不二も晴れ晴れとなる”、この“不二”は、二つとないこと、無二、二つに見えるが、実際は一つであること、対立していて二元的に見える事柄も、絶対的な立場から見ると対立がなく一つのものであるということ、の意味合いであり、先の“善結構、悪結構”、この両方を解った心(靈)だからこそ、進化を見出すのだ、の意味合いであると思える。 よって“結構々々”である。

 
 それで“咲くや媛(ひめ)”の“媛(ひめ)”という表記は砌(みぎり)の極性の意、それは事象への顕現=“咲く”ということであり、“九(こ)の花、おのもおのもの心の富士にも咲くのざぞ”は、個々の心(靈)=“おのもおのもの”に先の“九”の説明で述べた“一”=智性=1番目のオーラ、由来の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)で、事象の“創造”をする、それは丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)であるの意であり、“心の富士”とは、“富士(二二)”=肉体の二つの磁性、日足(ひたり)と砌(みぎり)、ヨガで言えばイダとピンガラ、太陽の気道と月の気道のこと、またこれは右往左往と左往右往の意味合いをも含むし、これに続く“九(こ)の花咲けば、此の世に出来んことないぞ”とは、次の事象において人が“善一筋”ならば、“九”ならば、お前たちの思惑は進化の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)に適っているのだから、“上”は日足(ひたり)回転で援護するぞ=“まことの 
渦巻き 左回転 かかりぞ”の意味合い。

 次の文。
“この先もう建替出来んギリギリの今度の大建替ぢゃ。 愈々の建替ざから、もとの神代よりも、も一つキの光輝く世とするのぢゃから、中々に大層ざぞ。 人民 苦しからうが、先楽しみに御用見事つとめ上げて下されよ”

 文頭の“この先もう建替出来んギリギリの今度の大建替”は、地球においてのアセンションのような事象は今度が最後の意味合い、これに続く“愈々の建替ざから、もとの神代よりも、も一つキの光輝く世とするのぢゃ”の“キ”は、
“キ”は、天地の精気 モノの現れを示す音根、その表し得ざる心の素幸霊(スサノオ)自ら明津(アキツ、現津(あきつ)、観察され得る事象)させんにぞかし
なので、“上”と感応して、次の事象の“創造”を果たしていく心(靈)は、神の計画以上のことをしていく=“もとの神代よりも、も一つキの光輝く世とする”ということ。
 これに続く“中々に大層ざぞ。 人民 苦しからうが、先楽しみに御用見事つとめ上げて下されよ”に関しては、読んだ人が心づもりをしたならば、あえて解釈の要は無い。

 次の文。
“二つづつある神様を一つにするのであるから、嘘偽(うそいつわり)ちっともならんのぢゃ。 少しでも嘘偽あったら、曇りあったら、神の国に住めんことになるのざぞ。 途中から出来た道では今度と云ふ今度は間に合はんのざぞ。 根本からの道でないと、今度は根本からの建直しで末代続くのぢゃから間に合はん道理わかるであらうがな”

 冒頭の“二つづつある神様を一つにするのであるから、嘘偽(うそいつわり)ちっともならんのぢゃ。 少しでも嘘偽あったら、曇りあったら”これは
風の巻 第一帖の“同じ名の神 二柱あるのざぞ、善と悪ざぞ、この見分けなかなかざぞ、神示よめば見分けられるように、よく細かに解(と)いてあるのざぞ、善と悪と間違ひしてゐると、くどう気付けてあろがな”、この文が理解できていればすぐ意味合いは通じるし、これが“善一筋”の事象を“創造”していくにあたって必須のこと、そしてその事象はこの文に続く“神の国”=神の思惑が顕現した事象、顕現させるのは霊的成長を果たした人間である。
 これに続く“途中から出来た道では今度と云ふ今度は間に合はんのざぞ。 根本からの道でないと、今度は根本からの建直しで末代続くのぢゃから間に合はん道理わかるであらうがな”、の“根本から”というのは、“世の元からの生神”=進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)、これと同義であり、今後=アセンション後は霊的成長度の低い心(靈)は存在しえない、よってその事象を“神の采配”“神の咎め”によって崩壊させる必要もないので“今度は根本からの建直しで末代続くのぢゃ”であり、“間に合はん道理”というのは“少しでも嘘偽あったら、曇りあったら、神の国に住めんことになるのざぞ”の意味合いを強調した言い回し。

 次の文。
“われの国同士の戦 始まるのぢゃ。 この戦、神は眼あけて見ておれんなれど、これも道筋ぢゃから、人民にも見て居られんのぢゃが、友喰ひと申して知らしてあらうが。 この方等が天地自由にするのぢゃ。 元のキの道にして、あたらしき、キの光の道つくるのぢゃ。 あらたぬし、世にするのぢゃと申してあること愈々ざ、人民、臣民 勇んでやりて下され。神々様 守護神どの、勇め勇め”
 
 “われの国同士の戦”というのは“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の認識の縄張り意識(進化程度の低い心、自我の確立=固定化の進化の段階の地球人の認識)、他者を利用し他者をだまし他者から奪い取る、こういった醜いことを自分たちに容認して自分の損得しか思わない、これを“戦”と称され、それは“上”から観たら醜いから“神は眼あけて見ておれん”、しかし低い心(靈)の進化にはこれも必須の過程であるので“これも道筋ぢゃ”と言われ、お前たちがやっていることは程度が低く醜いのだからそれをよく承知しておけの意味合いで“人民にも見て居られんのぢゃが、友喰ひと申して知らしてあらうが”と言われている。
 これに続く“この方等が天地自由にするのぢゃ。 元のキの道にして、あたらしき、キの光の道つくるのぢゃ”の“この方”は、次の事象に移行した霊的成長度の高い心(靈)の持ち主、それを“あらたぬし”新たな“主(ヌシ)”と称され、“元のキの道”“キの光の道つくる”に関しては、先に解釈した“も一つキの光輝く世”の意味と同じ。
こういった今後=アセンション後の事象は必ずやってくるのだから“あらたぬし、世にするのぢゃと申してあること愈々ざ、人民、臣民 勇んでやりて下され。神々様 守護神どの、勇め勇め”と括られ、これは“よい御用いたす身霊(みたま)ほど苦労さしてある”、この人間と、その人間に感応している存在に対して言われていることである。

 今回はこれくらいにしときまんねん。



Top

HOME

tuyukusanotuyu




 Kelly & ○○○大先生

Author: Kelly & ○○○大先生
FC2ブログへようこそ!


Kellyさんと○○○大先生は、
このブログを書いている○○○の、
心(靈)の二面性であり、
同一人物で有る事を、
お断りしておきます。

出版の告知

四冊目&五冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈4〉
智性無き心は
悪を容認する


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈5〉
智性無き心は
アセンションを見誤る

 この二冊は、同時発売です。
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <4> 智性無き心は 悪を容認する & 太陽凝視を行っている鍼灸師の話 <5> 智性無き心は アセンションを見誤る サムネイル
(クリックで拡大)

2010年 4月20日(火)ごろより、全国書店(紀伊國屋書店・三省堂書店・旭屋書店・ジュンク堂書店・ブックファースト・リブロ・丸善など)にて順次陳列。


発売中の三冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈3〉

神格化のプロセス
目上(めうえ)と目下(めした)


神格化のプロセス 目上と目下 縮小版 ブログ用
(クリックで拡大)


発売中の二冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈2〉

ローム太霊の教え
日足(ひたり)と砌(みぎり)


サムネイル太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈2〉ローム太霊の教え 日足(ひたり)と砌(みぎり) 
(クリックで拡大) 

お近くの書店にない場合は
たま出版のサイトでお買い求めください。

発売中の一冊目は


太陽凝視を行っている鍼灸師の話
〈1〉

ローム太霊との出会い


太陽凝視を行っている鍼灸師の話〈1〉ローム太霊との出会い
(クリックで拡大)

お近くの書店に無いときは
たま出版のサイトでお買い求めください。

この本に付いてはこちらを御覧下さい。


       




初めての方は、
・・・その後の事と・・・これからの事。
からお読みください。

それぞれのカテゴリーをクリックすると
古い順に、記事が閲覧できます。

        

☆ Kellyさん的事象の観察と認識 (104)
Kellyさんがこのブログに霊縁あった人(日止、霊止)に伝えたい事 (22)
Kellyさんと○○○大先生との会話 (7)
Kellyさんとチョ~極上ラブラブ中高年夫婦はんとの会話 (6)
Kellyさんとチョ~ベッピンはんのA野はんとの会話 (7)
Kellyさんと∪・ω・∪ ▼・。・▼ ▼・。・▽ U・。・U U。・ェ・。U たちとの会話 (33)
Kellyさんとメタボ研修医のYっちゃん先生との会話 (2)
Kellyさんとややメタボ内科医のYっちゃん先生との会話 (7)
Kellyさんと和風のベッピンはんのSはんとの会話 (2)
Kellyさんと農業好きの社長婦人K地M美はんとの会話 (12)
KellyさんとNominyan ∥*σ_σ*∥&Senyapoo λ*゜ο゜*λ との会話 (6)
☆ Kellyさん的“日月神示”解釈 (481)
Kellyさんが、“日月神示”の解釈をして行くに当たって・・・考えた事。 (16)
“日月神示” 上つ巻 (42)
“日月神示” 下つ巻 (38)
“日月神示” 富士の巻 (26)
“日月神示” 天つ巻 (30)
“日月神示” 地つ巻 (36)
“日月神示” 日月の巻 (68)
“日月神示” 日の出の巻 (23)
“日月神示” 磐戸の巻 (21)
“日月神示” キの巻 (17)
“日月神示” 水の巻 (36)
“日月神示” 松の巻 (30)
“日月神示” 夜明けの巻 (26)
“日月神示” 雨の巻 (18)
“日月神示” 風の巻 (15)
“日月神示” 岩の巻 (11)
“日月神示” 荒の巻 (27)
“日月神示” 地震の巻 (1)
☆ Kellyさん的“ローム太霊講話集”解釈 (115)
☆ 紫光会経文の文言 Kellyさん的解釈 (18)
☆ ○○○大先生的バシャールの文言解釈 (9)
☆ 先生が撮るけったいな花の写真 (22)
☆ 先生が撮る比較的まともな写真 (32)
☆先生が室内で写真を撮るときのセッティング (6)
その他 お知らせ (3)



fxwill.com


2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “改”
予約制 鍼(はり) 灸(きゅう) マッサージ治療 児玉療院
写真部の○○○大先生のページ
写真部に投稿した最新の写真
 ↓


powered by 写真部









○○○大先生の水草水槽記録
facebook 児玉登







このブログをリンクに追加する


自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

恨みの連鎖による霊的干渉を増やさない為、
その解消の為にも、(この趣旨に反する類の物もありますが) クリックをお願いします。
クリックした人に、お金の負担はありません。 ↓↓




飢餓救済のホームページ

JWord クリック募金

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード