“続”太陽凝視を行っている鍼灸師の話

太陽凝視を一生涯の“行”とし(現在、44年目)、実践し、その上で獲得した認識を述べています。

“日月神示” 岩の巻 第三帖 Kellyさん的解釈 


 今回も、岩の巻 第三帖を解釈しまんねん。 原文は以下の通り。

天地引くるめて大建替いたすのぢゃ。 天地のビックリ箱とはそのことざぞ。 間違ひ出来んうちに、間違はん様 気つけて下されよ。 
出来てからは、いくら泣いても詫びしても後へは返せん。 この方でもどうにもならん元のキの道ぢゃぞ。 くどう気付けておくぞ。
これまでは道はいくらもあったのぢゃが、これからの道は善一筋ざぞ。 インチキ神の前には通らんのざぞ、心せよと知らしてあらうがな。 
三千年で世一キリといたすのぢゃぞ。 まことの集まりが神徳ぢゃ、神徳つむと、世界中 見えすくのざぞ。 神だけではこの世の事は成就せんと申してあらうがな。 神がうつりて成就さすと申してあろうがな。 こんなこと これまでにはなかりたぞ。
二月十六日、一二
ローレンツ力と ○   。

 冒頭の文。
“天地引くるめて大建替いたすのぢゃ。 天地のビックリ箱とはそのことざぞ。 間違ひ出来んうちに、間違はん様 気つけて下されよ”

 文中の“大建替”と“ビックリ箱”、これは今後=アセンション後の事象の説明、今と比べて相対的な変化を言い表わした文言であり、“天地”は、“上”と“下”の意、“下”(低い心(靈))である人間に“上”(人(日止、霊止)の霊的成長を望む存在)が憑依や感応して神の思惑を顕現してきたことを指している。
この“天地”=“上”と“下”というのは今までもそうであった。
だが、今も含めこれまでは、人間の目下(めした)(動物の心(靈)の段階)(大脳旧皮質と古皮質)の心(靈)の動きに感応する“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)があった…というよりは、この悪しき感応の事例の方が圧倒的に多い。
その結果として、“役員づら”(形骸の宗教や、アセンションや霊的成長に対し、甘い夢を見させ偽の情報を流すたぐいの人たち…それは悪魔の傀儡(かいらい、くぐつ))の台頭を許し、霊的成長と人間と神の関係を説かねばならぬはずの宗教は腐り果て、金儲けと形骸の権威を示すだけのものになっているが、それをこの文中では
“間違ひ出来んうちに、間違はん様 気つけて下され”=見あやまるな、何が“ほんとう”の進化(霊的成長、神格化に向かうこと)なのか、人間の存在の意義は何か、しっかり考えよ、であり、これと同義のことが第一帖の、
“悪の守護となれば、悪よく見えるのざぞ。 人民 悪いこと好きでするのでないぞ、知らず知らずに致してゐるのであるぞ。 神にも見(み)のあやまり、聞きのあやまりあるのざぞ。 元の神には無いなれど、下々の神にはあるのざぞ。 それで見なほし、聞きなほしと申してあるのざぞ”
もうひとつ、
“それでこの地の上を極悪神がわれの好き候(そうろう)に持ちあらしたのざ。 それで人皇の世と曇りけがして、つくりかへ、仏の世となりて、さらにまぜこぜにしてしまふて、わからんことになりて、キリストの世にいたして、さらにさらにわからぬことにいたしてしもふて、悪の仕組通りにいたしてゐるのぢゃぞ、わかりたか。 釈迦もキリストも立派な神で御座るなれど、今の仏教やキリスト教は偽の仏教やキリスト教ざぞ”
である。
 それで今後=アセンション後はこんなことは許されない、それは次の事象に移行する心(靈)の資質には、自分の自我を諌める“(“慈悲”と“慈愛”由来の)厳しさ”があり、自分の目下(めした)(動物の心(靈)の段階)の心(靈)を諌めるので、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)とは感応しない。
また次の事象、そこには“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”はいないので、今より圧倒的に“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)との感応は少なくなるか消滅する。
そもそも次の事象で死んだとしても悪霊にはなり得ない、たった今に比べ恨みの連鎖の霊的干渉の現象化による死は減少して消滅する、これが進化(霊的成長、神格化に向かうこと)をある程度果たした事象における道理であり、また、悪霊は自省(胸の磁性“十”)の心(靈)があまりないから悪霊になるものだが、どんな悪霊であっても自省(胸の磁性“十”)したなら悪霊ではなくなるし、神道の言葉の“本津宮”(もとつみや)はこの意があるものであり、次の事象は“慈悲”と“慈愛”、自省(胸の磁性“十”)の心(靈)をしっかり持った心(靈)でなければ、そこには存在しえないものである。
上記の事柄を今取り上げている文言から感じ取れる。

 次の文。
“出来てからは、いくら泣いても詫びしても後へは返せん。 この方でもどうにもならん元のキの道ぢゃぞ。 くどう気付けておくぞ”

 先に述べた今後=アセンション後の事象における変化、“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)と感応する息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)の無い心しか存在しえない、そもそも“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)である悪霊もいない、だがたった今の人間はほとんどが悪霊予備軍であり、その理由は自省(胸の磁性“十”)が足らない、自我を諌めることが出来ない、また恨みの連鎖の霊的干渉の結果が不幸な死であるという認識がない、そもそも死に対する認識が低すぎるし、死んだことにすら気づかない霊的存在が多々あることについてはローム太霊講話集で太霊が述べたことでもある。
 このいまと比べての相対的な変容、これを“出来てからは”とのべられ、ほとんどの地球人が悪霊予備軍であるので
“いくら泣いても詫びしても後へは返せん。 この方でもどうにもならん”、今のうちに自分たちが悪霊予備軍の霊的成長度であること事態をよく解っておけよ、悪霊になるなよ、の意味合いであり、“元のキの道”は、“世の元からの生神”=進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の“道”(時間の進行)“理(ミチ)”(法則性)、そして“キ”は、天地の精気 モノの現れを示す音根、その表し得ざる心の素幸霊(スサノオ)自ら明津(アキツ、現津(あきつ)、観察され得る事象)させんにぞかし なので、進化(霊的成長、神格化に向かうこと)した生命(生きる使命=存在理由)が想像しうる事象、それを言い表わした文言である。

 次の文。
“これまでは道はいくらもあったのぢゃが、これからの道は善一筋ざぞ。 インチキ神の前には通らんのざぞ、心せよと知らしてあらうがな”

 これも“役員づら”の台頭により神の概念を間違えていることの指摘、それが“これまでは道はいくらもあった”、それはたった今の地峡人の霊的成長度が低いので、霊的成長など考えもしない人間が大多数、神さんに甘い(亜、魔、出ずる、泉。愛(炁)の間に魔が入った状態を指す)認識を持ったりしてご利益しか求めない、それは間違いなので述べられていること。 これを換言すれば“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の勝手な理屈が台頭しているこの世界、またそれが社会通念や一般常識の元になっていること事態が大間違いである。
だが、それに相対した言い回しとして“善一筋”、今後=アセンション後は“善(神格化の方向性と智性の受信)”しかない事象になり、“悪(心の動きの本能化と低振動化)”は存在しえない、悪を容認する心(靈)の持ち主もいない、当然のことながら“役員づら”もいないので
“これからの道は善一筋ざぞ”
となるならば
“(“役員づら”が程度の低い認識の心(靈)に刷り込んだ概念の)インチキ神の前には通らん”、
当たり前であるし、先に引用した第一帖の“この地の上を極悪神がわれの好き候(そうろう)に持ちあらした…以下略…”、こういう現状をよく解らねばならないのだ、ということでもある。

 次の文。
“三千年で世一キリといたすのぢゃぞ。 まことの集まりが神徳ぢゃ、神徳つむと、世界中 見えすくのざぞ。 神だけではこの世の事は成就せんと申してあらうがな。 神がうつりて成就さすと申してあろうがな。 こんなこと これまでにはなかりたぞ”

 “三千年”に関しては先回の第二帖の解釈を参照のこと、たった今、現状の“われよし”“自己奉仕者”“自分に対する愛(炁)しか発現していない人”の息吹(自分の心(靈)が吹く、発振、発信)による事象の“創造”とは違うのだ、の意であり、今後=アセンション後は“まことの集まり”、これも現状に対しての相対的な言い回しで、たった今は不誠実が台頭し、欺くとか騙すとか嘘をつくとか奪うとかをして金を儲け権威を示すのが当たり前になっているが、そんなことでは“世界中 見えすくのざ”の逆であり、そこにおいては事象の存在の意義、すべての事象は自分の霊的成長のためにある、などという認識は芽生えるわけがなく、ただただ人を出し抜いてまで金を儲け権威を求め、奪い合い騙しあいをして最後には殺しあう、そんな事象が進化(霊的成長、神格化に向かうこと)の為の事象ではない、しかし今後=アセンション後はそんなことはなくなり、なくなるからこそ、一切の事象が自分の成長のためにあるのだという認識に至るし、それに至ったならば“世界中 見えすく”=自らの霊的成長度に応じての事象の遭遇、その意味を理解するものである。
そして文中の“神徳”に関して甘い考えを持つ人間が多いだろうが、この文言は自分が自省(胸の磁性“十”)し“行”して“上”に認められることそのものであり、それを積んだならば=“上”に認められたなら、“まことの集まりが神徳ぢゃ、神徳つむと、世界中 見えすくのざ”、この“まことの集まり”に何を思うのか、がとても大事、それは何度も述べるが、真実=真固止、“真固止の人間”(“上”の思惑(荷電粒子)を真に固く止める人(日止、霊止))、“日月神示”表記の ○ 九 十 生命の最終段階、霊=○、荷電粒子の場(フィールド)と卆(そつ、卒業の卒の異体字)、そして“九”が丿部(へつぶ)(神の思惑の顕現)と乚部(いんぶ)(人の思惑の顕現)と“一”=智性=1番目のオーラ、“十”が自省(胸の磁性“十”)、これをよく知ったうえでこの文言の意味を読み取るべきであり、そうなったならば、“上”が認める人間となったならば、“神がうつりて成就さすと申してあろうがな”、“上”と感応して事象の“創造”をするのであり、神と“上”と感応する人間がともに事象の“創造”をすること事態を“神だけではこの世の事は成就せんと申してあらう”であり、先に述べたように今後=アセンション後は“下”(人の霊的成長を望んでいない存在)との感応がないので“神がうつりて成就さすと申してあろうがな。 こんなこと これまでにはなかりたぞ”と述べられているものである。

 今回はこれくらいにしときまんねん。



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 Kelly & ○○○大先生

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2005年10月1日~2008年1月15日まで、
“Kellyさんとの会話”で、説明して来た事・・・
その内容・・・それは・・・その何年も前から、
何か自分の考えをある程度公表しなければならない・・・
そう言う通信を受け・・・その理由は・・・地球人が低い心(靈)の発現しかしていない・・・
それを自覚していない人が多い。
その事由来の太陽凝視に対する認識、
(太陽凝視=不食・・・としか、認識させない存在の思惑を、受信している事)
霊的成長に対する認識、
神に対する認識、
心=靈に対する認識、
オーラに対する認識、
そして、
高い認識の上での進化の意味と幸福の概念と神の概念・・・
進化=霊的成長=神格化=(相対的に)高い認識を獲得する事・・・
霊的成長=神に近づく事=真の幸福の意味。
霊的成長度は1番目のオーラに顕れる。
よって、宇宙的プログラムにより次の段階に移行する人(日止、霊止)は、 何を考えるべきなのか・・・
そして、人(日止、霊止)の進化を阻む存在の思惑、
その心=靈の動き、それらの意図・・・それが一般に認知されていない事。
それらを伝えなければ成らない・・・そして一応・・・完結はしたのですが・・・
解り難い・・・理解しがたい・・・具体例を示して欲しい・・・そう言う感想も頂き、
そして自分なりにも説明が足らなかった事・・・
更に、
“Kellyさんとの会話”が完結してからも通信を受けている事・・・そう云う事もあり・・・
よって、このブログを立ち上げる事としました。
従って、
“Kellyさんとの会話”が、
自分の意見を述べる上での、ローム太霊の言葉、
“右往左往”(“いきり立つ心(奴と心)”で行動してから考える)・・・と、 するならば、 このブログはアタシ自身の、
“左往右往”(“思う、憂う”・・・体験を教訓として考え行動する)の、
作業になって行くと思います。


太陽凝視を行っている鍼灸師の話 “総括編”
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自分達の欲望を満たしたい… 
自分だけ幸福になりたい…
こういった進化程度の低い心(靈)の発現由来の思いが、
低い幸福の概念になり(目下(めした)の思い)
その結果が、飢餓貧困、戦争の原因になったりしています。
(子供の浮游霊の霊的干渉の影響を受け、 それがどんどん増して行く事等が、
“悪(心の動きの本能化と低振動化)”の“魔”=マーラ(魔羅)
の思惑だと 思えます)

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